最上 (通報艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
IJN Mogami (1908).jpg
艦歴
計画: 1904年度計画
起工: 1907年3月3日
進水: 1908年3月25日
就役: 1908年9月16日
除籍: 1928年4月1日
廃船: 1929年1月31日
要目
排水量: 常備:1,350トン
全長: 垂線間長:91.4m
全幅: 9.6m
吃水: 3.0m
機関: 宮原式重油石炭混焼6基
パーソンズタービン1基3軸
8,000馬力
速力: 23.0ノット
航続距離: 不明
燃料: 石炭352t, 重油68.5t
乗員: 134名
兵装: 12cm砲2基
8cm砲4基
45cm魚雷発射管2門

最上(もがみ)は、日本海軍通報艦。淀型通報艦の2番艦。艦名は山形県を流れる「最上川」にちなんで名づけられた。長崎で建造された最初の軍艦である。

艦歴[編集]

1907年に三菱合資会社三菱造船所(現・三菱重工長崎造船所)で起工、1908年に竣工し通報艦に類別された。日本海軍初の蒸気タービン機関搭載艦である。

1912年8月28日、一等砲艦に類別を変更した。第一次世界大戦では、南シナ海方面の警備、さらに南洋諸島方面の警備等に従事した。

シベリア出兵時の1921年には、沿海州沿岸の警備に従事した。

1928年4月1日、除籍となり、7月6日に廃艦第3号と仮称され、翌年1月31日に廃船、6月1日に売却され、大阪帝国在郷軍人会によってマストと後艦橋が中之島公園の東端に設置された。戦後も大阪市により保存されている、しかし老朽化で倒壊の危険性があるため、2009年2月9日解体、呉市海事歴史科学館に移設予定[1]

艦長[編集]

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。階級は就任時のもの。

  • 木村剛 中佐:1908年7月29日 - 9月25日
  • 竹内次郎 中佐:1908年9月25日 - 12月10日
  • 桜野光正 中佐:1908年12月10日 - 1909年10月1日
  • 志摩猛 中佐:1909年10月1日 - 1910年2月16日
  • 荒西鏡次郎 中佐:1910年2月16日 - 12月1日
  • 内田良隆 中佐:1910年12月1日 - 1911年5月15日
  • 武部岸郎 中佐:1911年5月15日 - 1912年12月1日
  • 秋沢芳馬 中佐:1912年12月1日 - 1913年9月13日
  • 三村錦三郎 中佐:1913年12月1日 - 1914年12月1日
  • 筑土次郎 中佐:1915年6月30日 - 9月25日
  • 関田駒吉 中佐:1915年9月25日 - 10月17日
  • 井手元治 中佐:1915年10月17日 - 1916年12月1日
  • 平岩元雄 中佐:1916年12月1日 - 1917年12月1日
  • 三上良忠 中佐:1917年12月1日 - 1918年12月1日
  • 豊島二郎 中佐:1918年12月1日[2] - 1919年10月29日[3]
  • 武内康吉 中佐:1919年10月29日[3] -
  • 加賀藤吾 中佐:不詳 - 1920年11月20日
  • 鈴木八百蔵[4] 中佐:1920年11月20日 - 1921年12月1日[5]
  • 野中逸太郎 中佐:1921年12月1日[5] - 1922年8月1日[6]
  • 木岡英男 中佐:1922年8月1日[6] - 1922年11月10日[7]
  • 井上清純 中佐:1922年11月10日[7] -
  • 福井愛助 中佐:不詳 - 1924年11月1日[8]
  • (兼)内藤省一 大佐:1924年11月1日[8] -

同型艦[編集]

参考文献[編集]

  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝 全八六〇余隻の栄光と悲劇』(光人社、2003年普及版) ISBN 4-7698-1151-9
  • 呉市海事歴史科学館 編『日本海軍艦艇写真集・巡洋艦』(ダイヤモンド社、2005年) ISBN 4-478-95059-8
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 官報

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 軍艦「最上」の解体作業はじまる 大阪産経新聞、2009年2月9日付)
  2. ^ 『官報』第1900号、大正7年12月3日。
  3. ^ a b 『官報』第2172号、大正8年10月30日。
  4. ^ 軍艦矢矧(やはぎ)、副長:1917年 - 1918年。
  5. ^ a b 『官報』第2801号、大正10年12月2日。
  6. ^ a b 『官報』第3001号、大正11年8月2日。
  7. ^ a b 『官報』第3085号、大正11年11月11日。
  8. ^ a b 『官報』第3659号、大正13年11月3日。