ひえい (護衛艦)

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DDH 142 Hiei(060705-N-0641S-139).jpg
艦歴
発注 1970年
起工 1972年3月8日
進水 1973年8月13日
就役 1974年11月27日
退役 2011年3月16日
その後 呉に係留。
除籍 2011年3月16日
要目
排水量 基準 4,950トン
満載 6,850トン
全長 159m
全幅 17.5m
吃水 5.2m
機関 石川島播磨2胴衝動型蒸気タービン 2基
石川島播磨FWD2胴水管型缶 2基
2軸推進
70,000ps
最大速 31ノット以上
乗員 370名
兵装 73式5インチ54口径単装速射砲 2門
74式アスロック8連装発射機 1基
Mk15ファランクスCIWS 2基
3型Aシー・スパロー艦対空ミサイル8連装発射機 1基
68式324mm3連装短魚雷発射管 2基
電子装置 OPS-11C対空レーダー
OPS-28水上レーダー
OPS-20航海レーダー
72式射撃指揮装置1型A
81式射撃指揮装置2型12
66式探信儀
NOLQ-1-3ESM/ECM
OLR-9B ECM
Mk137チャフ 4基
搭載機 HSS-2B/SH-60J 3機

ひえいローマ字JS Hiei, DDH-142)は、海上自衛隊護衛艦はるな型護衛艦の2番艦。艦名は比叡山に因み、旧海軍金剛型コルベット比叡」、金剛型戦艦比叡」に続き日本の艦艇としては3代目。

目次

[編集] 艦歴

「ひえい」は、第3次防衛力整備計画に基づく昭和45年度計画4,700トン型ヘリコプター搭載護衛艦2402号艦[1]として、石川島播磨重工業東京第1工場で1972年3月8日に起工し、1973年8月13日に進水、1974年11月27日に就役した後に第1護衛隊群第51護衛隊に配属された。

1980年、『リムパック80』に護衛艦「あまつかぜ」と共に日本から初参加した。1981年3月27日第2護衛隊群第52護衛隊に配属。1983年3月30日に第1護衛隊群の直轄となる。1984年3月30日第4護衛隊群旗艦となる。

1987年8月から1989年3月にかけて実施されたFRAM改修によって、対潜探索能力、対ミサイル防御、戦闘情報・指揮管制システム、電子戦能力が向上した。しかしながらFRAM改修の費用対効果は効率的でなく、同種の大規模改修は「はるな型」2隻に実施されただけであった。

2002年9月17日テロ対策特別措置法に基づき、護衛艦「さみだれ」と共にインド洋に派遣。同年12月まで任務に従事した。

2003年10月、テロ対策特別措置法に基づき、護衛艦「あけぼの」、補給艦ときわ」と共にインド洋に派遣。2004年1月まで任務に従事した。

2010年7月23日から7月27日まで、ロシアウラジオストク沖で日露捜索・救難共同訓練SAREXに「DE-230 じんつう」と共に参加[2]

最後の所属は第4護衛隊群第4護衛隊、母港はだった。2011年3月16日、同基地にて護衛艦旗を返納し退役した。就役期間は36年3ヶ月で、歴代の海上自衛隊の艦艇の中で最長であり、航行距離は地球約44周分、航海時間は約7万9千時間に達する[3]。現在、海上自衛隊第1術科学校の正門に近い構内に、ひえいの(幅約1.9メートル、高さ約3.1メートル、重さ4.5トン)が、さびなどを落としてペンキを塗った上で設置されている[4]

[編集] 映画撮影協力

2005年に公開された映画『男たちの大和/YAMATO』では、その撮影に海上自衛隊が全面的に協力し、「ひえい」では機関室内のシーンが撮影され、また内火艇も使用された。そのほか劇中の大和の航跡も本艦で撮影された。

[編集] 歴代艦長

歴代艦長(特記ない限り1等海佐
氏名 在任期間 出身校・期 前職 後職 備考
  下出隆敏 - 2005.3.24     自衛艦隊司令部
  後藤大輔 2005.3.25 - 2006.12.5   護衛艦隊司令部 大湊海上訓練指導隊司令 着任時は2等海佐、同年7月1佐に昇任
  椋木泰樹 2006.12.6 - 2007.12.19   はたかぜ艦長 佐世保地方総監部監察官
  川上修平 2007.12.20 -   佐世保地方総監部監察官   着任時は2等海佐
  染田良弘 2010.4.26 - 防大・29期 舞鶴地方総監部防衛部第3幕僚室長  

[編集] 参考文献

  • 石橋孝夫『海上自衛隊全艦船 1952-2002』(並木書房、2002年)
  • 世界の艦船 増刊第66集 海上自衛隊全艦艇史』(海人社、2004年)

[編集] 脚注

[編集] 外部リンク

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