大和 (スループ)

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Japanese corvette Yamato.jpg
艦歴
発注
起工 1883年11月23日
進水 1885年5月1日
就役 1887年11月16日
除籍 1935年4月1日
その後 1945年9月18日浸水沈没
性能諸元(新造時)
排水量 常備:1,480t[1]
全長 61.4m
全幅 10.7m
吃水 4.6m
機関 一軸 横置還動式2気筒連成レシプロ蒸気機関1基、円缶(石炭専焼)6
1,600馬力
燃料 石炭150t
最大速 13.0kt
兵員 230名
兵装 17cm単装砲2基
12cm単装砲2基
7.5cm単装砲1基
ノルデンフェルト式25mm四連装機砲4基
11mm三連装機砲2基(測量艦時は8cm砲2門)

初代・大和(やまと)は、初代・葛城型の二番艦、3本マストの汽帆兼用の鉄骨木皮スループ。日本海軍最初のケースとして民間の神戸小野浜造船所で建造された。

艦歴[編集]

明治16年(1883年11月23日に起工、明治18年(1885年5月1日進水、明治20年(1887年11月16日に竣工。艦名は、奈良県の古名である大和国にちなんで命名された。初代艦長は東郷平八郎中佐(当時、在任中に大佐昇進)であった。

日清戦争には、僚艦とともに威海衛百尺崖攻撃や劉公島砲台の砲撃などに活躍し。明治31年(1898年)3月21日、三等海防艦に類別、日露戦争にも第三艦隊の一員として参戦した。大正元年(1912年8月28日、等級改定で三等が廃され二等海防艦に艦種変更される。明治35年(1902年)からは海防艦籍のまま測量任務に従事した[2]

大正11年(1922年)4月1日、特務艦類別等級に測量艦が新設されると同時に、姉妹艦「武蔵」と共に特務艦(測量艦)に類別変更された[3]。本艦が発見もしくは測量した浅堆にオホーツク大和堆(1923年発見、1962年に北見大和堆と改称[4])や、大和堆(1926年に精密測量[5])があるが、これらは本艦の名にちなんで名づけられたもの。昭和10年(1935年4月1日除籍。

その後、司法省の所管に移され、浦賀港内に繋留されて、少年刑務所の宿泊船になった。太平洋戦争中、解体のため横浜に回航されたが、敗戦1ヶ月後の昭和20年(1945年)9月18日、台風のため鶴見川の河口に沈没。昭和25年(1950年)に解体された。

艦長[編集]

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

艦長[編集]

  • 東郷平八郎 中佐:1886年5月10日 - 11月22日
  • 野村貞 大佐:1886年12月28日 - 1887年4月25日
  • 国友次郎 大佐:1887年4月25日 - 1887年10月27日[6]
  • (心得)河原要一 少佐:1887年10月27日 - 1889年5月15日
  • (心得)諸岡頼之 少佐:1889年5月15日 - 1890年9月17日
  • 諸岡頼之 大佐:1890年9月17日 - 1891年12月14日
  • 沢良煥 大佐:1891年12月14日 - 1892年8月27日
  • 尾形惟善 大佐:1893年4月15日 - 12月20日
  • 舟木錬太郎 大佐:1893年12月20日 - 1894年12月5日
  • (心得)上村正之丞 少佐:1894年12月5日 - 12月9日
  • 上村正之丞 大佐:1894年12月9日 - 1895年7月29日
  • 世良田亮 大佐:1895年7月29日 - 9月28日
  • 向山慎吉 大佐:1895年9月28日 - 1896年4月1日
  • (心得)早崎源吾 少佐:1896年4月1日 - 10月24日
  • 早崎源吾 大佐:1896年10月24日 - 11月17日
  • 酒井忠利 大佐:1897年4月17日 - 1898年3月1日
  • 永峰光孚 大佐:1898年3月1日 - 10月1日
  • 斎藤孝至 中佐:1899年9月2日 - 9月29日
  • 太田盛実 中佐:1899年9月29日 - 1900年3月14日
  • 成田勝郎 中佐:1900年5月15日 - 6月17日
  • 今井寛彦 中佐:1900年6月19日 - 12月24日
  • 有川貞白 大佐:1900年12月24日 - 1901年6月7日
  • 伊東吉五郎 中佐:1902年3月13日 - 1903年8月17日
  • 伊東吉五郎 大佐:不詳 - 1905年12月12日
  • 山本竹三郎 中佐:1905年12月12日 - 1906年1月25日
  • 今井兼胤 中佐:1906年1月25日 - 3月14日
  • 関野謙吉 中佐:1906年3月14日 - 12月24日
  • 森亘 大佐:1906年12月24日 - 1907年4月5日
  • 水町元 中佐:1907年7月1日 - 7月12日
  • 千坂智次郎 中佐:1907年7月12日 - 12月18日
  • 吉島重太郎 中佐:1907年12月18日 - 1908年1月15日
  • 高島万太郎 中佐:1908年1月15日 - 12月10日
  • 岡野富士松 中佐:1908年12月10日 - 1909年10月11日
  • (兼)兼子昱 中佐:1909年10月11日 - 1909年12月1日
  • 布目満造 中佐:1909年12月1日 - 1910年12月1日
  • 中島源蔵 中佐:1910年12月1日 - 1911年3月23日
  • 菅晳一郎 中佐:1911年3月23日 - 1912年2月15日
  • 兼子昱 中佐:1912年3月1日 - 12月1日
  • 渡辺仁太郎 中佐:1912年12月1日 - 1913年12月1日
  • 吉田孟子 中佐:1913年12月1日 - 1914年12月1日
  • 古川弘 中佐:1914年12月1日 - 1915年12月13日
  • 石川秀三郎 中佐:1915年12月13日 - 1916年2月10日
  • 岡村秀二郎 中佐:1916年2月10日 - 12月1日
  • 名古屋為毅 中佐:1916年12月1日 - 1917年12月1日[7]
  • 石井祥吉 中佐:1917年12月1日[7] -
  • 松山廉介 中佐:1918年12月1日[8] -
  • 加藤弘三 中佐:1919年12月1日[9] -
  • 坪田小猿 中佐:1920年12月1日[10] - 1921年12月1日[11]
  • 鈴木源三 中佐:1921年12月1日[11] -

特務艦長[編集]

  • 鈴木源三 中佐:不詳 - 1922年11月10日[12]
  • 堀内周 中佐:1922年11月10日[12] -
  • 佐藤英夫 中佐:不詳 - 1925年4月15日[13]
  • (兼)佐藤英夫 中佐:1925年4月15日[13] -
  • 御堀伝造 大佐:1925年7月10日 - 9月18日
  • 緒方三郎 中佐:1925年9月18日[14] - 1925年11月10日[15]
  • 浅井謙只 中佐:1925年11月10日[15] - 1926年3月27日
  • 渡辺三郎 中佐:1926年11月20日 - 1927年12月1日
  • 佐田健一 中佐:1927年12月1日 - 1928年12月10日
  • 原精太郎 中佐:1928年12月10日 - 1929年11月15日
  • 野沢錦二 大佐:不詳 - 1931年12月1日[16]
  • 稲川与三郎 中佐:1931年12月1日[16] -
  • 脇坂乗平 中佐:1932年11月15日 - 1934年2月20日

脚注[編集]

  1. ^ 『大日本帝国軍艦帖』によると排水量1,502トン。
  2. ^ 日本海軍特務艦船史、p.38。
  3. ^ 大正11年4月1日付 達第46号。
  4. ^ コンサイス日本地名事典の「北見大和堆」の項。
  5. ^ コンサイス日本地名事典の「大和堆」の項。
  6. ^ 『官報』第1301号、明治20年10月28日。
  7. ^ a b 『官報』第1601号、大正6年12月3日。
  8. ^ 『官報』第1900号、大正7年12月3日。
  9. ^ 『官報』第2199号、大正8年12月2日。
  10. ^ 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
  11. ^ a b 『官報』第2801号、大正10年12月2日。
  12. ^ a b 『官報』第3085号、大正11年11月11日。
  13. ^ a b 『官報』第3792号、大正14年4月16日。
  14. ^ 『官報』第3923号、大正14年9月19日。
  15. ^ a b 『官報』第3965号、大正14年11月11日。
  16. ^ a b 『官報』第1478号、昭和6年12月2日。

同型艦[編集]

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]