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* [[習志野市立習志野高等学校|習志野高校]]時代は史上初の「高校6冠」を達成。
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2011年10月3日 (月) 09:59時点における版

粟生 隆寛
基本情報
本名 粟生 隆寛
階級 スーパーフェザー級
身長 168cm
リーチ 173cm
国籍 日本の旗 日本
誕生日 (1984-04-06) 1984年4月6日(40歳)
出身地 千葉県市原市
スタイル サウスポー
プロボクシング戦績
総試合数 24
勝ち 21
KO勝ち 10
敗け 2
引き分け 1
テンプレートを表示

粟生 隆寛(あおう たかひろ、男性、1984年4月6日 - )は、日本プロボクサー千葉県市原市出身。現WBC世界スーパーフェザー級王者。元WBC世界フェザー級王者。2階級制覇王者。習志野高校卒業。帝拳ボクシングジム所属。

ボクシングスタイルは左ボクサーファイター(コンバーテッドサウスポー)。卓越したボクシングセンスを誇るサウスポー天才肌ボクサー。絶妙なタイミングで放つ左カウンターを最大の武器とする。

経歴・人物

元ボクサーだった父広幸の指導の下、3歳からボクシングを始める。5歳から水泳も習い始め、小学校入学前に4泳法(クロール背泳ぎ平泳ぎバタフライ)すべてをマスターした[1]小学生の時に学校の課題で「将来の夢」をテーマとした作文を書いた時には、文章は「ボクシングで世界チャンピオンになりたい」とだけ書いて、余白には大きくWBCの世界チャンピオンベルトの絵を書いていた。

習志野高校在学中に、史上初のアマチュア高校6冠を達成。高校卒業と同時に帝拳ボクシングジムに入門。2003年9月6日にプロデビューし、デビューから3年半後の2007年3月3日に日本フェザー級王座を獲得。さらに、2009年3月12日にはWBC世界フェザー級、2010年11月26日にはWBC世界スーパーフェザー級王座を獲得し、日本人7人目の2階級制覇を果たしている。

帝拳ジムの同門で、元世界2階級王者であるホルヘ・リナレスは友人であり良きライバルでもある。

また、元世界2階級王者長谷川穂積は兄貴分のような存在であり、よく一緒に合同合宿を行ったり長谷川の自宅に遊びに行くなどしている。

世界初挑戦の後、再挑戦・獲得に至るまでの5か月間に、首周りは基礎練習で1.5cm増強されていた[2]

実弟の竜太も2005年11月に帝拳からプロボクサーとしてデビューしたが、4勝1敗の戦績で2007年に引退した[1]

戦歴

  • アマチュアボクシング:79戦76勝 (27KO・RSC) 3敗
  • プロボクシング:24戦21勝 (10KO) 2敗 1分
日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
1 2003年9月6日 勝利 2R 0:49 TKO 柏原広 (ヨネクラ) 日本の旗 日本 プロデビュー戦
2 2003年12月6日 勝利 1R 2:26 KO 佐梁孝志 (広島三栄) 日本の旗 日本
3 2004年1月31日 勝利 3R 1:23 KO ニリョン・ヌーエス ベネズエラの旗 ベネズエラ
4 2004年5月1日 勝利 5R 2:22 TKO 北原久己 (進光) 日本の旗 日本
5 2004年10月2日 勝利 8R 判定3-0 佐藤要介 (ヨネクラ) 日本の旗 日本
6 2005年2月5日 勝利 1R 3:07 KO 羅相賛 大韓民国の旗 韓国
7 2005年4月16日 勝利 6R 判定3-0 マリオ・ロドリゲス メキシコの旗 メキシコ
8 2005年7月2日 勝利 10R 判定3-0 宮田芳憲 (角海老宝石) 日本の旗 日本
9 2005年9月25日 勝利 1R 2:54 TKO 文在春 大韓民国の旗 韓国
10 2006年1月7日 勝利 10R 判定3-0 リチャード・カリーリョ ベネズエラの旗 ベネズエラ
11 2006年3月25日 勝利 2R 2:14 KO オズワルド・フアレス メキシコの旗 メキシコ
12 2006年6月3日 勝利 10R 判定3-0 フランシスコ・ディアンソ メキシコの旗 メキシコ
13 2006年11月13日 勝利 6R 1:27 TKO カブリエル・ペレス メキシコの旗 メキシコ
14 2007年3月3日 勝利 10R 判定3-0 梅津宏治 (ワタナベ) 日本の旗 日本 日本フェザー級王座決定戦・王座獲得
15 2007年7月7日 勝利 10R 判定3-0 秋葉慶介 (角海老宝石) 日本の旗 日本 日本同級王座初防衛成功
16 2007年11月3日 勝利 10R 判定3-0 上野則之 (ワタナベ) 日本の旗 日本 日本同級王座2度目の防衛成功
17 2008年4月5日 引分 12R 判定0-0 榎洋之 (角海老宝石) 日本の旗 日本 東洋太平洋フェザー級王座との統一戦・日本王座3度目防衛成功。東洋太平洋王座挑戦失敗
18 2008年10月16日 敗北 12R 判定1-2 オスカー・ラリオス メキシコの旗 メキシコ WBC世界フェザー級王座挑戦・失敗
19 2009年3月12日 勝利 12R 判定3-0 オスカー・ラリオス メキシコの旗 メキシコ WBC世界フェザー級王座挑戦・王座獲得
20 2009年7月14日 敗北 12R 判定0-3 エリオ・ロハス ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国 WBC世界フェザー級王座初防衛戦・王座陥落
21 2009年12月18日 勝利 10R 判定3-0 フェイデル・ビロリア  コロンビア
22 2010年4月30日 勝利 8R 1:48 TKO ワイベル・ガルシア パナマの旗 パナマ
23 2010年11月26日 勝利 12R 判定3-0 ビタリ・タイベルト ドイツの旗 ドイツ WBC世界スーパーフェザー級王座挑戦・王座獲得
24 2011年4月8日 勝利 4R 1:06 KO ウンベルト・グティエレス メキシコの旗 メキシコ WBC世界スーパーフェザー級王座初防衛戦・WBC防衛1
25 2011年11月6日 デビス・ボスキエロ イタリアの旗 イタリア WBC世界スーパーフェザー級王座2度目の防衛戦
テンプレート
  • 習志野高校時代は史上初の「高校6冠」を達成。
  • 同校卒業後、帝拳ジムに入門。
  • 2003年9月6日、プロデビュー。柏原広(ヨネクラ)と対戦し、2回TKO勝ち。
  • 2戦目(2003年12月6日)、佐梁孝志(広島三栄)と対戦し、初回KO勝ち(この試合で粟生は、アマ時代からの連勝が「60」に到達)。
  • 3戦目(2004年1月31日)、ニリョン・ヌーエス(ベネズエラ)と対戦し、3回KO勝ち。
  • 4戦目(2004年5月1日)、北原久己(進光)と対戦し、5RTKO勝ち。
  • 5戦目(2004年10月2日)、佐藤要介(ヨネクラ)と対戦し、8回判定勝ち。
  • 6戦目(2005年2月5日)、羅相賛(韓国フェザー級7位)と対戦し、初回KO勝ち。
  • 7戦目(2005年4月16日)、マリオ・ロドリゲス(メキシコ)と対戦し、6回判定勝ち。この試合後、日本ランク入り(日本フェザー級10位)。
  • 8戦目(2005年7月2日)、元日本ランカーの宮田芳憲(角海老宝石)と対戦。宮田のタフネスに苦しめられたものの、僅差で10回判定勝ちを収めた。
  • 9戦目(2005年9月25日)、文在春(韓国スーパーバンタム級3位)と対戦。初回、いきなり粟生がダウンを奪うも、直後、逆にダウンを奪われる。しかし、最後は再びダウンを奪い、初回TKO勝ち。
  • 10戦目(2006年1月7日)、元WBA中南米スーパーバンタム級王者リチャード・カリーリョ(ベネズエラ)と対戦。通算3度のダウンを奪い、大差の10回判定勝ち。この試合後、世界ランク入り(WBC世界フェザー級23位)
  • 11戦目(2006年3月25日)、オズワルド・フアレス(メキシコ)と対戦し、2回KO勝ち。
  • 12戦目(2006年6月3日)、フランシスコ・ディアンソ(メキシコ)と対戦。相手が繰り出す反則ギリギリの変則ボクシングに苦戦したものの、最大7ポイント差をつける大差で10回判定勝ち(この試合で粟生はアマ時代からの連勝を「70」に伸ばす)。
  • 13戦目(2006年11月13日)、前中米フェザー級王者のカブリエル・ペレスと対戦。初回早々からダウンを奪う等、終始攻勢。6回、レフェリーストップによるTKO勝ちを収めた。この試合後、(世界挑戦権を有する)WBC世界フェザー級15位にランクアップ(なお、JBCの規定(世界ランキング15位以内に入った選手は日本ランクから外れる)により、日本ランキングから外れる)。
  • 14戦目(2007年3月3日)、日本王座初挑戦。梅津宏治に挑み、10回判定勝ち。日本フェザー級王座獲得に成功。
  • 15戦目(2007年7月7日)、初防衛戦。6位・秋葉慶介(角海老宝石)を10回判定(3-0)に降す。
  • 16戦目(2007年11月3日)、2度目の防衛戦。7位・上野則之(ワタナベ)を10回判定(3-0)に降す。
  • 17戦目(2008年4月5日)、OPBF東洋太平洋フェザー級王者榎洋之(角海老宝石)と対戦。試合は粟生の日本王座、榎のOPBF王座の双方が賭けられるダブルタイトル戦という形で行われた。試合は両者譲らず一進一退の攻防を繰り広げ、フルラウンド(12回)を戦い抜いた。判定の結果、三者全て引き分け(115-115、114-114、114-114)。日本王座3度目の防衛には成功したものの、OPBF王座奪取はならなかった。その後、世界挑戦準備に専念するため、8月に日本王座を返上した。
  • 18戦目(2008年10月16日)、世界初挑戦。国立代々木第一体育館でWBC世界フェザー級王者オスカー・ラリオスメキシコ)に挑む。序盤から攻勢を仕掛け、4回にはダウンも奪ったが、後半以降、アウトボクシングに切り替えた王者を攻略できず、1-2の判定負け。惜しくも世界王座奪取ならず。プロ初黒星と共にアマチュア時代からの連勝も止まった。しかし、この試合での善戦が大いに評価され、世界ランクは上昇(9位→3位)。
  • 19戦目(2009年3月12日)、世界再挑戦。後楽園ホールでラリオスに再び挑む。WBCでは「より多くの選手に世界挑戦の機会を与える」という意向から、世界戦における直近の再戦(通称「ダイレクトリマッチ」)を原則認めていないが、前戦での健闘が評価され特別に許可された。試合は序盤から挑戦者が優位に試合を進め、最終12回にはダウンも奪う。KO勝ちこそならなかったものの、3-0(119-107、118-109、116-111)の判定勝ちを収め王者に雪辱。念願の世界王座獲得に成功。帝拳ジムから通算5人目の世界王者誕生となり、日本人4人目の世界フェザー級王者となった。
  • 20戦目(2009年7月14日)、世界王座初防衛戦。後楽園ホールで1位エリオ・ロハスドミニカ共和国)を挑戦者に迎えての指名試合であったが、ロハスの老獪なテクニックの前にポイントを奪われる。また、強引なカウンター狙いもかわされて結局12回判定負け(0-3)。4か月で世界王座から陥落した。
  • 21戦目(2009年12月18日)、神戸ワールド記念ホールでフェイデル・ビロリア(コロンビア)を相手に再起戦を行い、10回判定勝ち(3-0)を収めた。世界2階級制覇を目指し、この試合からスーパーフェザー級に転向。なお、この日は同じ会場で粟生が兄貴分と慕い、よく一緒に合同練習を行うWBC世界バンタム級王者長谷川穂積が10度目の防衛戦を行い、4回TKO勝ちで防衛に成功。
  • 22戦目(2010年4月30日)、日本武道館でワイベル・ガルシア(パナマ)を相手にノンタイトル戦を行い、4回にダウンを奪った末の8回TKO勝ち。なお、この日は同じ会場でジムの先輩西岡利晃(WBC世界スーパーバンタム級王者)と「兄貴分」長谷川穂積(WBC世界バンタム級王者)がそれぞれ防衛戦を行い、西岡は5回TKO勝ちで4度目の防衛に成功。一方、長谷川は4回TKO負けで11度目の防衛に失敗した。
  • 23戦目(2010年11月26日)、スーパーフェザー級での世界挑戦。名古屋日本ガイシホールでWBC世界同級王者ビタリ・タイベルトドイツ)に挑む。3回、左カウンターでアマ・プロ通じてダウン経験のなかった王者から初のダウンを奪う。その後も優位に試合を進め、3-0の判定勝ち。日本人7人目となる世界2階級制覇に成功した。なお、この日は同じ会場で「兄貴分」長谷川穂積もWBC世界フェザー級王座決定戦を行い、12回判定勝ちで2階級制覇に成功。兄弟分2人揃っての快挙達成となった。
  • 24戦目(2011年4月8日)、世界スーパーフェザー級王座初防衛戦。神戸ワールド記念ホール[3]で元WBC世界同級暫定王者で3位にランクされるウンベルト・グティエレス(メキシコ)と対戦。4回、右ボディブローを挑戦者のみぞおちに叩き込みダウン。そのまま10カウントを聞かせ、フェザー級では果たせなかった世界王座初防衛に成功した。なお、この日は同じ会場でジムの先輩西岡利晃と兄貴分・長谷川穂積もそれぞれ防衛戦を行い、西岡は9回KO勝ちでWBC世界スーパーバンタム級王座6度目の防衛に成功。一方の長谷川は4回TKO負けでWBC世界フェザー級王座初防衛に失敗した。
  • 25戦目(2011年11月6日=予定)、世界スーパーフェザー級王座2度目の防衛戦。国立代々木第二体育館で9位のデビス・ボスキエロ(イタリア)と対戦する[4]。30歳のボスキエロはこの試合が世界初挑戦。戦績は29勝(14KO)1分。

獲得タイトル

アマチュア

  • 高校選抜バンタム級優勝(高校1年時)
  • 高校総体バンタム級優勝(高校2年時)
  • 国体バンタム級優勝(高校2年時)
  • 選抜大会フェザー級優勝(高校2年時)
  • 高校総体フェザー級優勝(高校3年時)
  • 国体フェザー級優勝(高校3年時)

プロ

  • 第54代日本フェザー級王座(防衛3度)
  • 第40代WBC世界フェザー級王座(防衛0度)
  • 第31代WBC世界スーパーフェザー級王座(防衛1度)

表彰

  • 東日本ボクシング協会認定2007年3月度月間MVP
  • 第28回チャンピオン・カーニバル技能賞
  • 東日本ボクシング協会認定2007年11月度月間MVP
  • WBC 2009年4月度月間優秀選手 (Honorary Mention)

脚注

  1. ^ a b 粟生隆寛 nikkansports.com
  2. ^ 粟生1.5センチ首太! 打たれても大丈夫 日刊スポーツ 2009年3月10日閲覧
  3. ^ 当初、両国国技館が予定されていたが、3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震の影響で会場変更となった。
  4. ^ “粟生、11月に防衛戦=無敗のボスキエロと対戦―WBC・Sフェザー級”. 時事通信. (2011年8月22日). http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2011082200511 2011年8月24日閲覧。 

関連項目

外部リンク

前王者
オスカー・ラリオス
第40代WBC世界フェザー級王者

2009年3月12日 - 2009年7月14日

次王者
エリオ・ロハス
前王者
ビタリ・タイベルト
第31代WBC世界スーパーフェザー級王者

2010年11月26日 - 現在

次王者
N/A