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*[[鷹司信輔]] - [[公爵]]、[[貴族院 (日本)|貴族院]]議員、明治神宮宮司、鳥類学者
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*[[高畠達四郎]] - 画家、[[独立美術協会]]創立会員
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*[[田口時夫]] - 数理統計学者
*[[玉眞和雄]] - ビル大友、F1ジャーナリスト、カメラマン、建築家
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*[[丹阿弥谷津子]] - 女優
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2009年7月19日 (日) 03:07時点における版

筑波大学附属小学校

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過去の名称 東京師範学校附属小学校
東京高等師範学校附属小学校
東京高等師範学校附属国民学校
東京教育大学附属小学校
国公私立の別 国立学校
学校種別 小学校
設置者 国立大学法人筑波大学
校訓 教育目標
・人間の自覚を深めていくこども
・文化を継承し創造し開発するこども
・国民的自覚をもったこども
・健康で活動力のあるこども
設立年月日 1873年1月15日
創立記念日 1月15日
共学・別学 男女共学
学期 二期制
所在地 112-0012
東京都文京区大塚3-29-1
外部リンク 公式サイト
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筑波大学附属小学校(つくばだいがくふぞくしょうがっこう、Elementary School, University of Tsukuba)は東京都文京区大塚にある国立小学校筑波大学の附属校。男女共学。通称「筑附」、「筑小」。

概要

1872年(明治5年)の学制発布を受けて、1873年(明治6年)1月15日に東京師範学校の附属小学校として設立された、国の制度に基づくものとしては日本で最初の小学校。

現在の募集人数は毎年160人(男80・女80)であるが、志願者数が募集人数の30倍近くに上る。このため入学試験では筆記・実技試験の前に、抽選器を用いた抽選が行われ、約4500名の応募者のうち男女1000名ずつ程度が試験を受けられる。筆記・実技試験合格者男女130名ずつでさらに第二次抽選をして男女各80名が合格となる。

一般の学校では、通常クラスは○組と称されるが、当校では4クラスあり、○部と称される。このため、一般の学校の「1年4組」は当校では「4部1年」と言う。また、部ごとにクラスカラーがあり、1~4部までそれぞれ黄、緑、紫、赤である。運動帽はクラスごとにこれらの色となっている。

クラス替えは3年から4年に上がる時の1回のみで、同じ部になることは無い。

体育館と、土のグラウンドがそれぞれ2つずつある。毎朝登校すると、まず制服から体操着に着替え、授業前の「朝の活動」と呼ばれる時間にクラス単位でドッジボールなわとびをしたり、併設されている「占春園」(水戸徳川家2代徳川光圀の弟松平頼元1659年にこの地に構えた屋敷の名残である日本庭園)を走ったりする。また、占春園は自然観察など理科教育の場としても利用される。

大運動会は毎年10月1日付近の土曜日に行われる。この大運動会は文字通りの大運動会で、練習・準備・応援ともに児童・教師・保護者が大変熱を入れている。 昨今、巷で言われているようなお手々つないでゴールインということはこの学校ではありえず、徹底的に優勝劣敗を競う。

11月には、若桐会(PTA)が主催する文化祭、「若桐祭」が催される。 春と秋には、保谷の学校附属の農場にサツマイモの苗差し、ジャガイモ掘り、サツマイモ掘り、狩りに行く。また、クラス替え前である3年次、卒業前である6年次の3月には、保谷農園でクラスごとに餅つきを行う。

3年生以上は、山梨県清里高原にある附属清里若桐寮へ、毎年異なる季節に清里合宿に行き、5年次では志賀高原へ「雪の生活」(スキー合宿)へ行き、6年次には、千葉県富浦の附属中学校附属富浦寮へ遠泳をしに行き、古式泳法の一つ水府流太田派を伝承する附属桐遊会の方々の指導のもと、ほぼ全員が1時間ほどで約2kmを泳ぎきる。

6年次7月の富浦合宿にむけて、毎年夏休みの間には学校のプールにおいて、1年・6年ペア、2年・5年ペア、3年・4年ペア、の3期に分けて1週間ずつの若桐会(PTA)が主催する「水泳学校」があり、本校の卒業生である大学生による指導が行われる。

また、東京高等師範学校尋常中等科(現・筑波大学附属中学校・高等学校)がその発祥に深く関わっている修学旅行は6年次2月頃に行い、京都奈良へ行くのが伝統となっている。

併設の筑波大学附属中学校へは、内部進学入試を経て、卒業生の9割弱が入学できる。

沿革

校歌

筑波大学附属小学校校歌は、佐佐木信綱作詞、信時潔作曲である。

著名な出身者

アクセス

関連校

関連項目

附属中学校、高校への内部進学数(推定)

成績下位二割は、附属中学校、高校へ進学が許可されない。

  • 小学校 定員160名(4クラス)
    • ↓→35名(下位二割)は中学に進めず
  • 中学校 定員205名
    • 内部125名(附属小学校からの進学者)
    • 外部80名
    • ↓→45名(下位二割)は高校に進めず
  • 高校  定員240名
    • 内部:160名(附属中学校からの進学者)
    • 外部:80名
    • 附属中学からの入学者80名は高校までそのまま進学したと仮定した場合、小学校出身者45名は高校に進めない。
    • 小学校入試で入った160名のうち、附属中学まであがれるのは全体の八割。附属高校まであがれるのは、約半分の80名程度と思われる。

外部リンク