茗荷谷駅

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茗荷谷駅
MyogadaniStation Exit 2.jpg
1番出口と春日通り方面改札口
(2019年1月5日撮影)
みょうがだに
Myogadani
M 22 後楽園 (1.8 km)
(1.2 km) 新大塚 M 24
所在地 東京都文京区小日向四丁目6-15
北緯35度43分2.5秒 東経139度44分12.5秒 / 北緯35.717361度 東経139.736806度 / 35.717361; 139.736806座標: 北緯35度43分2.5秒 東経139度44分12.5秒 / 北緯35.717361度 東経139.736806度 / 35.717361; 139.736806
駅番号 M23[1]
所属事業者 東京地下鉄(東京メトロ)
所属路線 [1]丸ノ内線
キロ程 3.0 km(池袋起点)
電報略号 タニ
駅構造 地下駅(一部地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度-
48,571人/日
-2020年-
開業年月日 1954年昭和29年)1月20日[2]
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茗荷谷駅(みょうがだにえき)は、東京都文京区小日向四丁目にある、東京地下鉄(東京メトロ)丸ノ内線である。駅番号M 23

歴史[編集]

計画時の仮称は隣の清水谷町にちなみ「清水谷駅」であったが、当地の最寄りには都電の教育大学前停留所(1910年 - 1971年)があり、その隣に清水谷町停留所があるという状態であった。地域住民や拓殖大学は所在地の茗荷谷町にちなみ「茗荷谷駅」とすべく陳情を行い[3]小石川車両基地建設のため埋め立てた茗荷谷を記念する意味もあり「茗荷谷駅」に決定した[注釈 1]。なお、いずれの町名も住居表示実施後は「小日向」となっている。

年表[編集]

駅構造[編集]

相対式ホーム2面2線を有する地下駅であるが、地形の関係から地下鉄の駅では珍しい半地下半地上となっている。当駅 - 後楽園駅間が地上線であり、ホームは地下鉄のトンネル出口に隣接し一部が地上部となっている。改札口も地上部に立地する。駅舎は全体がオフィスビル「茗荷谷駅MFビル」となっており、地下1階地上8階構造で、駅施設としては地下1階から地上2階を使用している[12]。駅南方の地上には小石川車両基地が併設されていて、入出庫のための渡り線がある[13]。これを利用して荻窪方面から当駅で折り返し運行を行うことが可能である。

開業当初の池袋方面乗り場のホームは4両編成に対応した80 m、荻窪方面の乗り場97 m(信号所を含む)の長さであった[5][14]。将来の6両編成化を想定して池袋方面は40 m、荻窪方面は13 mの延伸スペース(荻窪駅寄りに拡張スペース)が確保されていた[5]。1960年(昭和35年)に池袋方面を30 m、荻窪方面を10.1 mホームを延伸し、6両編成に対応した[5]

開業当初の駅舎は鉄筋コンクリート造の地上2階建てであったが、駅施設および同居する乗務員施設の狭隘化が目立ってきたため、1993年3月から1998年5月にかけて駅改良工事が行われ、駅ビルの新設やホームの拡幅(新宿方面:6.0 m→6.99 m・池袋方面:6.0 m→6.39 m)が行われた[12][6]

のりば[編集]

番線 路線 行先
1 M 丸ノ内線 後楽園大手町東京銀座新宿荻窪方面
2 新大塚池袋方面

(出典:東京メトロ:構内図

1995年7月23日に池袋駅構内での分岐器交換工事が実施された際には、池袋駅 - 新大塚駅間を運休とし、荻窪方面からの電車は渡り線から2番線に入線して折り返し、1番線は当駅 - 新大塚駅間の区間電車の発着ホームとして使用していた[15]

発車サイン音[編集]

丸ノ内線の各駅ではワンマン運転の開始に伴って発車メロディが導入されており、当駅も2009年2月頃に導入された[注釈 2]が、近隣住民からの苦情により1か月程度で使用中止となった。

その後、2009年12月21日より深夜と早朝(22時 - 翌日7時30分)を除いて、従来の発車ブザーの使用を再開した[16]。以来、当駅は丸ノ内線で唯一の発車ブザー常時使用駅となっている[注釈 3]。ただし、深夜と早朝はブザーも省略され、無合図で発車する(2000系で運行される列車では、この時間帯の当駅のみ車内自動放送で発車をアナウンスする)。

なお、当駅で使用していた発車メロディは後に方南町駅に流用されている。

利用状況[編集]

2020年(令和2年)度の1日平均乗降人員48,571人であり[17]、東京メトロ全130駅中57位。他線と接続しない丸ノ内線の単独駅では西新宿駅についで二番目に乗降人員が多い。

近年の1日平均乗降・乗車人員推移は下表の通りである。

年度別1日平均乗降・乗車人員[18]
年度 1日平均
乗降人員[19]
1日平均
乗車人員[20]
出典
1956年(昭和31年) 9,330 [* 1]
1957年(昭和32年) 13,637 [* 2]
1958年(昭和33年) 15,338 [* 3]
1959年(昭和34年) 16,361 [* 4]
1960年(昭和35年) 16,756 [* 5]
1961年(昭和36年) 17,593 [* 6]
1962年(昭和37年) 18,916 [* 7]
1963年(昭和38年) 23,752 [* 8]
1964年(昭和39年) 23,232 [* 9]
1965年(昭和40年) 30,196 [* 10]
1966年(昭和41年) 32,422 [* 11]
1967年(昭和42年) 65,182 32,835 [* 12]
1968年(昭和43年) 73,815 36,054 [* 13]
1969年(昭和44年) 73,408 36,734 [* 14]
1970年(昭和45年) 77,579 38,426 [* 15]
1971年(昭和46年) 80,229 39,938 [* 16]
1972年(昭和47年) 82,315 41,544 [* 17]
1973年(昭和48年) 80,849 40,976 [* 18]
1974年(昭和49年) 81,389 41,107 [* 19]
1975年(昭和50年) 70,261 34,791 [* 20]
1976年(昭和51年) 68,426 34,377 [* 21]
1977年(昭和52年) 65,375 33,167 [* 22]
1978年(昭和53年) 61,772 30,912 [* 23]
1979年(昭和54年) 62,049 30,693 [* 24]
1980年(昭和55年) 61,501 30,728 [* 25]
1981年(昭和56年) 62,384 31,002 [* 26]
1982年(昭和57年) 61,109 30,314 [* 27]
1983年(昭和58年) 59,873 30,204 [* 28]
1984年(昭和59年) 61,641 30,540 [* 29]
1985年(昭和60年) 61,727 30,772 [* 30]
1986年(昭和61年) 62,039 31,244 [* 31]
1987年(昭和62年) 62,050 31,286 [* 32]
1988年(昭和63年) 63,361 31,722 [* 33]
1989年(平成元年) 64,771 32,215 [* 34]
1990年(平成02年) 66,888 32,686 [* 35]
1991年(平成03年) 68,877 32,516 [* 36]
1992年(平成04年) 68,342 33,093 [* 37]
1993年(平成05年) 66,844 33,181 [* 38]
1994年(平成06年) 66,371 32,959 [* 39]
1995年(平成07年) 65,154 32,746 [* 40]
1996年(平成08年) 64,480 32,389 [* 41]
1997年(平成09年) 62,802 31,674 [* 42]
1998年(平成10年) 63,082 32,074 [* 43]
1999年(平成11年) 61,741 31,210 [* 44]
2000年(平成12年) 61,551 31,063 [* 45]
2001年(平成13年) 62,436 31,476 [* 46]
2002年(平成14年) 64,511 31,804 [* 47]
2003年(平成15年) 63,627 31,380 [* 48]
2004年(平成16年) 61,333 30,581 [* 49]
2005年(平成17年) 60,881 30,238 [* 50]
2006年(平成18年) 60,986 30,290 [* 51]
2007年(平成19年) 62,438 31,128 [* 52]
2008年(平成20年) 63,386 31,625 [* 53]
2009年(平成21年) 65,479 32,707 [* 54]
2010年(平成22年) 65,898 32,928 [* 55]
2011年(平成23年) 66,404 33,320 [* 56]
2012年(平成24年) 69,497 34,562 [* 57]
2013年(平成25年) 70,890 35,328 [* 58]
2014年(平成26年) 70,584 35,122 [* 59]
2015年(平成27年) 76,033 37,828 [* 60]
2016年(平成28年) 77,552 38,584 [* 61]
2017年(平成29年) 79,409 39,515 [* 62]
2018年(平成30年) 79,328 39,455 [* 63]
2019年(令和元年) 78,179 38,888 [* 64]
2020年(令和02年) 48,571

駅周辺[編集]

バス路線[編集]

茗荷谷駅前(拓殖大学前)停留所

都営バス

《北西方向》

 都02 

 都02乙 

《南東方向》

 都02 

 都02乙 

茗荷谷駅 停留所

文京区コミュニテイバス Bーぐる (循環バス) (運行は日立自動車交通に委託)

 目白台小日向ルート 

隣の駅[編集]

東京地下鉄(東京メトロ)
M 丸ノ内線
後楽園駅 (M 22) - 茗荷谷駅 (M 23) - 新大塚駅 (M 24)

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 1954年1月14日発行の読売新聞朝刊には「車庫用に埋めたてた茗荷谷を記念する意味からもただ”茗荷谷”駅に決めたわけで別に他意はない」と記載がある[4]
  2. ^ 曲は1番線が「スペシャルゲスト」(塩塚博作曲)、2番線が「希望の電車」(福嶋尚哉作曲)。
  3. ^ 発車ブザー自体は新宿駅と池袋駅でもラッシュ時限定で使用されている。

出典[編集]

  1. ^ a b 東京地下鉄 公式サイトから抽出(2019年5月26日閲覧)
  2. ^ a b 帝都高速度交通営団史、pp.36・571。
  3. ^ “地元は「茗荷谷」主張 地下鉄「清水谷」駅 営団側も頭痛”. 読売新聞 (読売新聞社): p. 6(朝刊). (1953年9月9日) 
  4. ^ “(街の声)地下鉄側から回答”. 読売新聞 (読売新聞社): p. 6 朝刊. (1954年1月14日) 
  5. ^ a b c d e f 帝都高速度交通営団工務部のあゆみ【土木編】、pp.248 - 250。
  6. ^ a b c d 帝都高速度交通営団史、pp.237 - 238。
  7. ^ 編集部「TOPIC PHOTOS」『鉄道ピクトリアル』第48巻第4号(通巻第651号)、電気車研究会、1998年4月1日、 82頁、 ISSN 0040-4047
  8. ^ 帝都高速度交通営団史、p.239。
  9. ^ 帝都高速度交通営団史、p.349。
  10. ^ “「営団地下鉄」から「東京メトロ」へ” (日本語) (プレスリリース), 営団地下鉄, (2004年1月27日), オリジナルの2006年7月8日時点におけるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20060708164650/https://www.tokyometro.jp/news/s2004/2004-06.html 2020年3月25日閲覧。 
  11. ^ “PASMOは3月18日(日)サービスを開始します ー鉄道23事業者、バス31事業者が導入し、順次拡大してまいりますー” (日本語) (PDF) (プレスリリース), PASMO協議会/パスモ, (2006年12月21日), オリジナルの2020年5月1日時点におけるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20200501075147/https://www.tokyu.co.jp/file/061221_1.pdf 2020年5月5日閲覧。 
  12. ^ a b 帝都高速度交通営団工務部のあゆみ【建築編】、pp.276 - 278。
  13. ^ 「線路略図」『鉄道ピクトリアル』第66巻第12号(通巻第926号)、電気車研究会、2016年12月10日、 巻末付録、 ISSN 0040-4047
  14. ^ 東京地下鉄道丸ノ内線建設史(下巻)、pp.18 - 20。
  15. ^ 帝都高速度交通営団史、pp.245 - 246。
  16. ^ “(各駅停話)茗荷谷駅 発車の曲鳴らさぬ地上駅”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2018年10月15日). オリジナルの2020年5月17日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200517163244/https://www.asahi.com/articles/ASL9F3DZ1L9FUTIL00G.html 2020年5月17日閲覧。 
  17. ^ 各駅の乗降人員ランキング - 東京メトロ
  18. ^ 文京の統計 - 文京区
  19. ^ レポート - 関東交通広告協議会
  20. ^ 東京都統計年鑑 - 東京都
東京都統計年鑑

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]