岸本英夫

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岸本 英夫 Football pictogram.svg
名前
カタカナ キシモト ヒデオ
ラテン文字 KISHIMOTO Hideo
基本情報
生年月日 1903年6月27日
大日本帝国の旗 大日本帝国兵庫県明石市
没年月日 (1964-01-25) 1964年1月25日(60歳没)
日本の旗 日本東京都文京区[1]
選手情報
ポジション FW[2]
ユース
チーム
1921-1923 第六高等学校
1923-1926 東京帝国大学
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

岸本 英夫(きしもと ひでお、1903年6月27日 - 1964年1月25日)は、日本の宗教学者東京大学図書館の館長、東京大学教授などを歴任。

来歴・人物[編集]

兵庫県明石市出身。宗教学者の岸本能武太の次男として生まれる。東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)在学時より兄・武夫の影響によりサッカーを始めた[2]。なお、同中の同級生に美濃部亮吉正田英三郎芳賀檀諸井三郎などがいた。

1921年に中学を卒業して第六高等学校 (旧制)に進学してサッカー部に入部し、第1回全国高等学校ア式蹴球大会にも出場した[2]。1923年春に六高理科甲類を卒業し、兄・武夫も在学していた東京帝国大学へ進学[2]。在学中はア式蹴球部に入部し、ポジションは武夫がフルバックだったのに対してフォワードであった(武夫は大学卒業後まもなく死去したと伝わっている)。なお、六高および東京帝大の同年卒業者に葉上照澄がいた[2]

1926年に東京帝大文学部宗教学科を卒業[2]。1931年から3年間ハーバード大学に留学、ヨーガスートラの宗教学的研究『宗教神秘主義の研究』で文学博士。1934年東京帝大講師、45年3月助教授となり、戦後、連合国軍最高司令官総司令部民間情報教育局(CIE)の宗教行政顧問を務め、日本の宗教文化一般について言論活動を行う。妻は宗教学科教授だった姉崎正治の長女。[3]

1947年、文学部宗教学宗教史講座教授に昇進。國學院大學日本文化研究所創設に加わる。

1954年スタンフォード大学客員教授としてアメリカ滞在中、頭部に悪性腫瘍が発見される。以後、10年に及ぶ闘病生活を送り、数度にわたりガンの摘出手術を受け続ける。

1960年東大附属図書館長に就任。病をおして図書館改革に尽力するが、1963年、脳に転移し死の床につく。定年退官直前の1964年1月25日、東京都文京区東京大学医学部附属病院脳腫瘍により死去した[1]。同年2月、従三位および勲二等瑞宝章が贈られた[4]。また、同年、『死を見つめる心』で毎日出版文化賞受賞。『岸本英夫集』全6巻がある。

著書[編集]

  • 『宗教現象の諸相』 要書房、1949年NCID BN02454547
  • Mahāyāna Buddhism and Japanese thought. ハワイ大学出版会英語版. (1954). NCID BA80635368. 
  • 『宗教神秘主義 ヨーガの思想と心理』大明堂、1958
  • 『宗教と私たち』1-2 三十書房, 1959
  • 『宗教学』大明堂 1961
  • 『わが生死観 生命飢餓状態に身をおいて』東京大学綜合図書館 ,1964
  • 『死を見つめる心 ガンとたたかった十年間』講談社, 1964 のち文庫
  • 岸本英夫集』全6巻 渓声社, 1975-76

編纂[編集]

  • 神の問題 青山書院, 1948
  • 現代アメリカの課題 東京大学出版会, 1954
  • 哲学と歴史 東大「アメリカ研究」セミナー公開講義 東京大学出版会, 1956
  • 世界の宗教 大明堂, 1965

翻訳[編集]

[編集]

  1. ^ a b 「岸本英夫氏 訃報」 朝日新聞東京本社朝刊、1964年1月26日、2014年10月7日閲覧
  2. ^ a b c d e f 東大サッカー部誌創刊号 (PDF) 」p.47-51、1963年、2014年10月7日閲覧
  3. ^ 奥山倫明「岸本英夫の昭和20年」『東京大学宗教学年報』2008:[1]
  4. ^ 「故岸本教授に瑞宝章」 朝日新聞、1964年2月5日、2014年10月7日閲覧

関連項目[編集]