春山泰雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
春山 泰雄 Football pictogram.svg
名前
カタカナ ハルヤマ ヤスオ
ラテン文字 HARUYAMA Yasuo[1]
基本情報
生年月日 1906年4月4日[2]
大日本帝国の旗 大日本帝国東京都
没年月日 (1987-06-17) 1987年6月17日(81歳没)[3]
日本の旗 日本東京都豊島区[3]
選手情報
ポジション FW
ユース
水戸高校
19xx-1931 東京帝国大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
東京帝大LB
代表歴
1927-1930 日本の旗 日本 4 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

春山 泰雄(はるやま やすお、1906年4月4日 - 1987年6月17日)は、東京都出身の会社役員、新聞記者、サッカー選手である。

人物[編集]

東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を経て、旧制水戸高校に入学。在学中の1927年に開催された第8回極東選手権大会サッカー日本代表にセンターフォワードとして選出され、8月27日の中華民国代表戦で初出場した[1][4]。なお、同大会の日本代表は早大WMWを母体に構成されていたが、水戸高校の春山と近藤台五郎は「関係者」として国内予選時より早大WMWに参加していた[5]

水戸高校を卒業後は東京帝国大学に入学し、ア式蹴球部に入部。竹腰重丸竹内悌三手島志郎らと東大黄金時代を築いた。
また、在学中の1930年5月に開催された第9回極東選手権大会の 日本代表に左ウイングとして選出されて、全2試合に出場した[1][6]。1931年に東京帝大経営学科を卒業した[7]

1946年に日刊スポーツ新聞社に入社。編集局次長、編集局長代理を経て、1952年11月に同社の取締役(兼編集局長)に就任した。その後も販売担当、業務局長などを歴任。日刊スポーツ出版社の代表取締役も務めた[7][3]

1987年6月17日東京都豊島区消化管出血により死去した[3][7]

略歴・所属クラブ[編集]

附属中の同級生には、西園寺公一(元参議院議員)、朱牟田夏雄東京大学名誉教授)などがいた。

代表歴[編集]

出場大会[編集]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ:4試合0得点 1927-1930


日本代表 国際Aマッチ その他 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点
1927 2 0 0 0 2 0
1928 0 0 0 0 0 0
1929 0 0 0 0 0 0
1930 2 0 0 0 2 0
通算 4 0 0 0 4 0

参考文献[編集]

  1. ^ a b c 『歴代日本代表パーフェクト名鑑 サッカーマガジン別冊夏季号』(ベースボールマガジン社、2007年)
  2. ^ 『日本代表公式記録集2008』 日本サッカー協会、2008年、627頁。
  3. ^ a b c d 「春山泰雄氏死去」 朝日新聞、1987年6月18日、2014年7月31日閲覧
  4. ^ 第8回極東選手権大会”. 日本サッカー協会. 2016年10月2日閲覧。
  5. ^ 後藤健生『日本サッカー史 日本代表の90年』(双葉社、2007年)ISBN 978-4575299328
  6. ^ 第9回極東選手権大会”. 日本サッカー協会. 2016年10月2日閲覧。
  7. ^ a b c 「whoplus」(日外アソシエーツ) , 2016年10月2日閲覧

関連項目[編集]

外部リンク[編集]