西武福井店

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西武福井店
Seibu Fukui
Seibu Fukui 01.jpg
店舗概要
正式名称 西武福井店
所在地 910-8582
福井県福井市中央1-8-1
座標 北緯36度3分43秒 東経136度13分9秒 / 北緯36.06194度 東経136.21917度 / 36.06194; 136.21917
開業日 1928年(昭和3年)7月6日[1]
施設所有者 株式会社そごう・西武
商業施設面積 25,691m2
営業時間 10:00 - 19:30
前身 だるまや

だるまや西武

西武北陸
最寄駅 福井駅
外部リンク 西武福井店
SEBU

西武福井店(せいぶふくいてん)は、福井県福井市中央に所在する、そごう・西武運営の日本の百貨店である。

沿革[編集]

  • 1928年(昭和3年)7月6日 - 「だるま屋」創業。
  • 1931年(昭和6年) - 「コドモの國」開館。少女歌劇部創設。
  • 1945年(昭和20年)7月19日 - 福井空襲で全壊全焼。
  • 1948年(昭和23年)6月28日 - 福井地震で全壊全焼。
  • 1953年(昭和28年) - 新店舗完成。
  • 1970年(昭和45年) - 西武百貨店と業務提携。
  • 1980年(昭和55年) - 新店舗(本館)完成。資本提携により「だるまや西武」へ社名変更。
  • 1988年(昭和63年) - セゾングループ再編により「西武北陸」へ社名変更。小松西武、富山西武の譲渡を受ける。
  • 1990年(平成2年) - 「北陸ファミリーマート」設立.
  • 1993年(平成5年) - 西武百貨店と合併。直営店となる。
  • 1996年(平成8年) - 小松西武閉店。
  • 1999年(平成11年) - パルビルを買収し新館開業。ロフト入居。
  • 2005年(平成17年)11月 - 本館と新館を地下で結ぶ連絡通路が完成。同時期に屋上プレイランドが閉館。
  • 2006年(平成18年)2月26日 - 新館リニューアル。「福井西武」と呼称変更。富山西武閉店。
  • 2009年(平成21年)8月1日 - そごう・西武発足に伴い、「西武福井店」に呼称変更。

だるま屋[編集]

だるま屋全員(戦前)。最前列中央の10人の男性のうち左から5人目が坪川。女性は前列を除きほぼ全員が和服、男性は約半数が和服。

西武福井店は、福井市地場資本「だるま屋」が発祥。1928年、福井県庁が移転することになり、町が寂れることを危惧した坪川信一が「だるま屋」デパートを建設したのが始まり。創業時は木造2階建て、本館延べ370坪。店員は75名だった。商号は坪川の風貌が「だるま」に似ていたことでつけられた仇名に由来する。建設現場では初日に大文字で「だ」を張り、次の日には「る」、その次の日には「ま」と順に掲示したことにより町の人々の興味を引くことになった[2]

当時人口10万人以下だった福井市での百貨店経営は無理だとする大方の見方を覆し、初年度から黒字を記録した。福井空襲では、店舗は全焼、1948年(昭和23年)6月復興店舗が完成したが、直後に福井地震で倒壊した。被災直後から仮店舗で営業を継続し、1953年(昭和28年)12月に新店舗が鉄筋3階建て竣工した。屋上の遊園地には回転飛行機やモノレール(ミニ鉄道)、3階には大食堂も設置され、賑わった[3]

創業者・坪川信一[編集]

つぼかわ しんいち
坪川 信一
生誕 1887年3月10日
福井県
死没 (1962-05-18) 1962年5月18日(75歳没)
国籍 日本の旗 日本
民族 日本人
職業 実業家
配偶者 あり
子供 坪川健一(長男)
親戚 坪川信三(弟)

坪川信一(つぼかわ しんいち・1887年3月10日生 - 1962年5月18日没)[4]は教育者で福井市内の尋常小学校高等小学校を歴任、1919年、県の社会教育主事に抜擢された。しかし、県知事と意見対立から辞職し、商業会議所書記を経て だるま屋の経営に専念する事になった。しかも、創業メンバーは全員が教員出身。いわば商売人としては「ずぶの素人」集団だった。

経営理念には「教育の商業化」、「教育の生活化」を掲げ、「コドモ百貨部」「コドモ相談部」など、子供に焦点をあてた事業を展開した。[5] その一環として、別館「コドモの國」(2階建て)を開設、館内には旋回すべり台、ミニゴルフ、鏡の間などの遊具・施設を設置した他、「少女歌劇部」を創設し、その常設劇場も開場した。

雑誌「商店界」は、「既成商人を圧倒する素人商売、商売即社会教育の実行者」としてその異色ぶりを紹介した。尚、劇場は福井市に公会堂が無かったため、各種団体の総会や展覧会の会場としても利用され、公共的な機能をも果たしていた。

戦後は、屋上に機関車、モノレール、飛行塔、メリーゴーラウンドなど子供たちのための遊園地を設置した[6]

だるま屋少女歌劇部[編集]

だるま屋少女歌劇部は、坪川が傾倒していた「松竹歌劇団」を模して創設された。

劇場の定員は300人以下、入場料は20銭、1ヶ月の講演は25日以下だったので採算ベースのものではなかった。しかし、当時の「女に教育は要らない」という風潮に対し、坪川が女子教育の多角的な試みのひとつとして取り組み、いわば女学校のような存在だった。団員として小学校卒以上の少女を対象に、第1期には12名を採用。給料や待遇は他の店員と同様だった[7]

プログラムは月代わりで、舞踏小品を組み合わせた「ヴァライテイ」に加え、「爆弾勇士江下一等兵」「大国主命(おおくにぬしのみこと)」「国性爺合戦」「忠臣蔵」「安宅」「椿姫」等、様々な演目をこなした。 当初は学芸会レベルだったパフォーマンスも向上するとともに人気も上昇。近隣郡部の青年団や教育会、工場の慰安会、そして1935年5月の福井市役所落成祝賀会等、出張公演も行うようになっていった。また、人気スターのブロマイドも発行された。

主な出身者
  • 1期生:越路由紀子、桂木妙子、千草麗子、
  • 2期生:春日陽子、桜木美奈子、
  • 3期生:霞浦子、浜真砂子 ほか[8]

しかし、軍政下の1936年7月、「百貨店が興行場を設置することを禁止」とする内務省指示により存続できなくなり、結成からわずか5年で終焉を迎えることになった。以後は、歩兵第36連隊(鯖江)への慰問などの不定期の活動のみが行われた[9]

だるま屋マーケット[編集]

昭和初期には、すでに全国各地において百貨店と中小小売商との間で軋轢が発生していた。坪川は中小小売商対策を意識して、開店当初から貸店舗マーケット(220坪)を併設。市内の中小小売商20店を入居させた。これは今で言う「専門店街」に相当する。

マーケットの営業方針は、

  1. 正札定価を明記し 掛け値を禁じ 現金販売とすること、
  2. 商品の定価は市価以下とすること

等で、公設市場に準ずるような施設となった。

だるま屋が催し物を行って客を集めると、その余波がマーケットに及び、地元の小売商も潤うようにした。このため地元の小売商は、だるま屋を敵対するものとは考えず、反百貨店運動を展開することもなかった。むしろだるま屋の開明的な営業方針を見習い、だるま屋と共存共栄を図ることを考えるようになった[10]。その後、福井市では、大型店進出に際して、地元専門店が組合を結成しショッピングセンターを建設、地元が主導権を握って大型店に入居させる所謂「福井型ショッピングセンター」と呼ばれるスタイルが主流となっているが、だるま屋が協調型店舗の原型を作ったといえる。

だるま屋西武[編集]

1967年9月、ほていや(現.ユニー)が開店したのを皮切りに、福井にも県外資本の大手スーパーの進出が相次ぐようになった。この動きを見ただるま屋も増床を申請。それに端を発して、付近一帯約1.5haを再開発する計画がもち上がり、市街地再開発準備組合が結成された。しかし、この計画は組合内での意見調整がつかず、実現することは無かった。

一方でだるま屋は、東京ファッションの高級衣料を導入しスーパーとの差別化を目指し、1970年西武百貨店と業務提携、[11]日本百貨店経営協議会(JMA)に加盟した。同時に完成した新店舗の設計は菊竹清訓で、裏側の階段等が斬新なデザインになった。

1980年には資本提携により「だるまや西武」へ社名変更。セゾングループの一員として発展していくことになった。

1988年、セゾングループの再編により 西友から小松西武店富山西武店の移管を受け、新会社「西武北陸」が設立されたが、だるまや西武は存続会社となった。また、合併後も「だるまや西武」の呼称はそのまま使われた。

1990年には ファミリーマートユースとの3社合弁により、「北陸ファミリーマート」を設立、コンビニエンスストア事業にも参入したが、1990年代前半のバブル景気崩壊によりセゾングループも凋落、リストラを断行していくことになった。1993年10月、3店とも西武百貨店に吸収合併されたが、業績の悪化した小松西武は1996年、富山西武は2006年に閉店することになった。

しかし、逆にだるまや西武は拡張を図った。1999年、隣地の「ファッションランド・パル」を買収、新館を専門店ビルとして開館。

が入居し、新たに家賃収入が見込めるようになった。

一方、ファミリーマートは1998年に伊藤忠商事が株式取得しセゾングループから離脱。北陸ファミリーマートも2001年、ファミリーマートに吸収合併され企業体として消滅した。

福井西武・西武福井店[編集]

2001年2月、そごうと西武百貨店が包括的業務提携を締結。2004年9月、株式交換によりそごうが西武百貨店を完全子会社化。2006年、セブン&アイ・ホールディングス傘下となり「福井西武」に改称。78年間続いた「だるま屋」の文字が消えてしまったことを残念に思う往年のファンは少なくなかった。そのため、2005年11月に完成した、本館と新館を結ぶ地下通路の名称を一般公募したところ「だるまロード」というネーミングが寄せられ、2006年に命名され残ることになった。

2006年2月26日 食品フロアを1,630m2から2,350m2に拡大。

  • ユアーズホテルダイニング(惣菜)
  • メリメロ・ニュアーズ(洋菓子)
  • 奥井海生堂(昆布)
  • 彌右衛門(乾物)
  • おたうふ臼屋
  • 安田蒲鉾

等、福井の名産品を充実させた。

この拡張に伴い、新館アップル・シティが1-2Fに移動。プライド・クライド、ルスーク、アンタイトルの新ブランドが導入される一方、ロフトは1フロア縮小された[12]

2009年8月1日 ミレニアムリテイリング・そごう・西武百貨店3社合併により「そごう・西武」が発足されたことに伴い「西武福井店」に改称し現在に至る。

尚、福井県内にはイトーヨーカドーの店舗はなく、セブン&アイの大型店は当店のみ。またセブン-イレブンの加盟店はあるが、コンビニ・シェアのナンバーワンはローソン[13]となっており、現時点ではセブン&アイとしてのシナジー効果はない。但し、福井市主導の再開発計画ではAOSSA新再開発ビルと西武の連携で賑わいを復活させることを目論んでいる[14]

フロア案内[編集]

新館
新館 通路 本館
8F     レストラン
7F     こども スポーツゴルフ
6F 無印良品   インテリア ギフトサロン 催事場
5F 紀伊國屋書店 スカイアーチ
(連絡通路)
高級雑貨 呉服 婦人服
4F LOFt
文具&アクセサリー
  婦人服
3F LOFt
健康雑貨 家庭用品
  婦人服
2F アップルシティ
AppleCity
  紳士服
1F アップルシティ
AppleCity
アップルロード 婦人雑貨 婦人服
B1F 食品
ABCクッキングスタジオ
カフェメルカード
だるまロード
(地下通路)
食品街
各階の設備

本館・新館ともエスカレーターエレベーターあり。

  • 本館
男女トイレ:1階を除く全フロアー
車椅子用トイレ:4階
喫煙所:2階
公衆電話:全フロアー
ベビーカー:1階、7階
  • 新館
男女トイレ:地下1階、3階、5階
車椅子用トイレ:地下1階
営業時間
  • 午前10時 - 午後7時30分(休業日不定)

交通アクセス[編集]

周辺競合店[編集]

  • 吉野屋百貨店
1931年11月開店。福井駅前北通り。呉服店が道路拡張に際して百貨店化した店。敷地120坪、地下1階・地上3階建て、エレベーター設置したことが評判になったが立地が悪く数年で閉店した。[15]
  • 福屋
1936年開店。金沢の宮市大丸(後の大和)が、福井進出に際して反対運動が起こる事を予想し、県会議員 濃畑三郎の名前を借りてダミー名で建築申請。やがて、その正体が県外資本の宮市大丸ということが噂で広まり、反対運動が起こった。しかし当時、百貨店の出店を規制する法律が無かったため認可された。だるま屋が木造だったのに対し、福屋はエレベーター付鉄筋7階建てということで大変な脅威となった。[16]1948年の福井地震で建物が倒壊し撤退した。
  • ユニー
    • ほていや福井店 中央1-3-1加藤ビル(FBC福井放送の筆頭株主)1967年9月開店。1,452m2。2号店開設後、呉服寝装センター改称後、子会社さが美(呉服チェーン)に移管。1975年、さが美が2号店内に移転し閉鎖。その後、北陸銀行福井支店駅前出張所となる。[17]
    • ほていや福井ショッピングセンター(2号店)中央1-1?12 1968年開店。5,977m2。その後、ユニー、ポアンカ、1990年からは生活創庫と店名変更。2002年1月20日閉店[18]。その後、福井市により「えきまえKOOCAN」として利用されてきたが、2013年5月現在は福井駅西口中央地区市街地再開発事業の対象地域。市関連施設が中心となり大型店は入らない予定。[19]
    • アピタ福井店 飯塚町11-111 1996年12月5日開店。15,484m2
    • アピタ大和田店 大和田町32-24-1 フェアモール福井 2000年10月27日開店。43,428m2
  • ジャスコ
    • 福井店 ファッションランド・パル 1971年4月開店。11,351m2。だるま屋の隣地で閉店後、西武の新館となった。
    • 福井ピア店 二の宮2-8 フクイショッピングプラザ・ピア 19,795m2。1977年11月開店。福井市小売商近代化協議会がダイエー出店阻止の目的で土地を取得し、地元主導で開設した「福井型ショッピングセンター」第1号。地元専門店は80店。2003年5月12日改装を理由に閉店した直後、ピアが自己破産。長期にわたる裁判沙汰となったため、これ以降イオンは福井に大型店を出店していない。
  • 平和堂 アル・プラザ ベル店 花堂南2-1601-1-2 ゴールドショッピングセンター・ベル 1980年4月25日開店。23,755m2。地元専門店は88店。同様にダイエーが狙っていたボウリング場跡地を近代化協議会が取得して開設。[20]
  • ヤスサキ パリオCITY 松城町12-7 12,931m2。1989年11月22日開店。旧ダイエーFC。ダイエー経営破たん後、独立し無形列GMS。

脚注[編集]

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関連項目[編集]

関連サイト[編集]