奈良そごう

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奈良そごう
Nara SOGO
店舗概要
正式名称 奈良そごう
所在地 630-8012
奈良県奈良市二条大路南一丁目3番1号
開業日 1989年(平成元年)10月2日[1]
閉業日 2000年(平成12年)12月25日[2]
(食品は2000年12月31日[2]
施設所有者 株式会社そごう
施設管理者 株式会社そごう
敷地面積 41,516 m²
商業施設面積 35,000 m²
延床面積 75,537 m²
駐車台数 1,500台[1]
前身 長屋王[1]
後身 イトーヨーカドー奈良店[3]

奈良平城プラザ
SOGO

奈良そごう(ならそごう)は奈良県奈良市にかつて存在した百貨店。長屋王邸宅跡に建設され、開業前の発掘調査で5万点の木簡が出土した[4]そごうグループ第24号店として1989年(平成元年)10月2日開業[1]、キャッチコピーは「奈良最大の都市型本格百貨店」であった。敷地面積は41,516m2、延床面積は75,537m2 、売場面積は35,000m2

そごうグループの一員として約1231億円の負債を抱えて民事再生法を申請したものの存続店とならず[5]2000年(平成12年)12月25日閉店(1階の一部食品売場は2000年(平成12年)12月31日まで営業)[2]。その後、この建物にイトーヨーカドー奈良店2003年(平成15年)7月10日に開業した[3]が、2017年9月10日に閉店した。2018年春には奈良平城プラザとしてオープン予定。

概要[編集]

「マイカーで通える郊外型高級百貨店」として奈良県や京都府南部、三重県西部の住民を商圏に、大阪や京都に流出する年間1400億円の購買力を取り込むとの触れ込みで開業した[1]

奈良そごうは奈良県内で唯一の近鉄百貨店以外の百貨店であった。奈良そごうは資本関係こそ薄かったものの、運営上はそごう大阪店の唯一の兄弟店であった。資本上は横浜そごう(現横浜店)が親会社であり、建物自体も横浜と似ている。

奈良県はそごうの創業者十合伊兵衛の出身地(正確には橿原市十市町)だったため出店したとの見方のほか、関東に比べて関西での店舗展開が遅れていたことが大きな動機となったとの見方もあった[1]

豪奢な店舗の多かったそごう各店の中でも、特に豪華な店舗となった。1階の中央部に法隆寺夢殿を模した金色の「浮夢殿」が設置されたほか、5階には入り口にロダンの彫刻「オルフェ」が置かれたそごう美術館が設置されていた[1]。また、豪華絢爛な隠し会長室が存在した。

初年度売上目標350億円に対して、初期投資額が約850億円という過大投資であった[1]

出店計画が出された当初は、地下2階、地上11階建てとされ、1993年秋までに増床する計画もあった。計画の内容は、本館北側の第一駐車場(現イトーヨーカドー第一駐車場)部分に別館を建設、地下2階-地上1階部分を売場に充て、2階以上を立体駐車場として活用。既存売場の35,000m2に別館売場部分22,000m2を増床することで、57,000m2を確保、当時関西最大級の百貨店を目指すとされた。なお、増床により食品・ヤングファッション・スポーツ・ホビー部門を強化し、多目的ホールなどの文化・サービスも設置する計画だった。二条大路南1丁目交差点南東角に面した赤茶色のビルがかつての「株式会社奈良そごう」の本社ビルであり、一部を「奈良そごうアネックス」として利用していた。テナントは朝日カルチャーセンターなど[6][7]

長屋王邸跡に建てられたことから、地元民の間では奈良店の閉鎖は長屋王の呪いであると冗談交じりに語られていた。実際は単年度の売上では黒字であり、旧大阪店よりも単年度の売上高は多かったものの、莫大な初期投資が経営を圧迫したことと、駅前立地でなかった為、経営陣に将来性がないと判断されたことにより閉店した。特に外商部門が収益源であった。[要出典]

構造[編集]

前述の通り、二条大路南遺跡(長屋王邸跡)に建てられたため、[要出典]百貨店にもかかわらず地下売場がなかった。そのため、婦人用品や化粧品売場と食品売場が並列すると言う奇妙な売場構造となっていた。

1階にはシンボルゾーン「浮夢殿」[1]4・5階にはイッツ・ア・スモールワールド「時計の広場」が設けられ、毎時に各階のエレベーターホールの天井に吊り下げられたテレビで時計のからくりを中継していた。 かつてはエレベーターガールがいたが、90年代末からはいなくなり、また駐車場側のシースルーエレベーター以外に2箇所、各2基あったエレベーターは経費削減のためか1基を「休止中」と札をつけて、運転していなかった。 イトーヨーカドーになってからは全基を運転している。

5Fにはかつて、テレビをいくつもつないだ大きなスクリーンがあったが、末期にはベニヤ板を張られ、壁になってしまった。

通路やトイレ、エレベーターホールの照明は経費削減のためか、電気を点けていなかったり、電球を外していた。

川の流れるレストラン街の天井には夜空をイメージしたプラネタリウム風の装飾照明があり、流れ星までも再現されていた。複数あり、いずれも現存しているが、流れ星が確認できるのは1基のみである。[要出典]

フロア[編集]

  • 7階 回転展望レストラン
  • 6階(R階) 公園のある街
  • 5階 美術館のある街(川の流れる世界のレストラン街[1]・奈良そごう美術館[1]
  • 4階 イッツ・ア・スモールワールド 時計の見える街(美術・生活雑貨・ギフト・催事)
  • 3階 おとぎの国のある街(婦人服・子供服・文具・書籍)
  • 2階 ワールドテイストの香る街(紳士服・プレタポルテ・呉服・宝飾)
  • 1階 エレガントな夢がきらめく街(食品・ファッション雑貨・婦人服)

交通[編集]

立地が重要条件となる百貨店であるが、奈良そごうは最寄り駅(近鉄新大宮駅)より離れていたため、自家用車を主要交通機関とする郊外型百貨店のモデル店舗とされ(商圏は奈良県全域、京都府山城地区三重県伊賀地区の広範囲に渡る)、百貨店としては異例の1,500台収容可能な大型駐車場を設置した[1]。そのため、新大宮駅から最も近い南東角の大宮通りに面した玄関をメインエントランスとしたものの、実際の主要玄関は平面駐車場のある北側の2つとなった。

車での来店を目論んでいたため、駐車場が第1駐車場 - 第3駐車場及び第1駐車場北、西、東の広域に渡り存在した。特に第2駐車場は一番遠い駐車場であり、歩いて行くことも困難な距離であったため、開店まもない頃は駐車場と店をシャトルバスが10分 - 20分間隔で運行していた。後にシャトルバスが廃止になり、駐車場は料金所をなくし常時開放(放置)状態であった。(現在はカーム三条大路店)。[要出典]

脚注・出典[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『ブランドはなぜ堕ちたか 雪印そごう三菱自動車 事件の深層』 角川書店、2001年1月。ISBN 978-4048836517
  2. ^ a b c “そごう8店舗が閉店 いずれも引き受け手ないまま”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2000年12月26日)
  3. ^ a b “注目の大型店開業、順調な滑り出し イトーヨーカドー奈良店・イズミヤ八尾店”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2003年7月18日)
  4. ^ 佐藤正忠 『そごう」に新しい神話がはじまった』経済界、1994年5月。ISBN 978-4766702514
  5. ^ 東京商工リサーチ情報部 『なぜ、あの会社は潰れたのか 倒産企業21社に見る「失敗の本質」』 エイチアンドアイ、2000年11月。ISBN 978-4901032315
  6. ^ 『そごう怒涛の大航海』 ストアーズ社、1988年3月。
  7. ^ 『そごうさらに壮大なる未来へ』 ストアーズ社、1992年3月。