西武多摩川線

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SeibuRailway mark.svg 多摩川線
桜咲く野川を渡る、多摩川線の列車。二枚橋橋梁にて(2014年4月)
桜咲く野川を渡る、多摩川線の列車。
二枚橋橋梁にて(2014年4月)
基本情報
日本の旗 日本
所在地 東京都
起点 武蔵境駅
終点 是政駅
駅数 6駅
路線記号 SW SW
開業 1917年10月22日
最終延伸 1922年6月20日
所有者 SeibuRailway mark.svg 西武鉄道
運営者 SeibuRailway mark.svg 西武鉄道
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
路線距離 8.0 km
軌間 1,067 mm
線路数 単線
電化方式 直流1,500 V 架空電車線方式
閉塞方式 自動閉塞式
テンプレートを表示
停車場・施設・接続路線
STRq ABZq+r
JR東中央線
ABZl+l
0.0 SW01 武蔵境駅
BHF
1.9 SW02 新小金井駅
eABZlf exKBSTr
WBRÜCKE
二枚橋川橋梁 野川
eABZlf exKBSTr
米軍調布基地
BHF
4.1 SW03 多磨駅
5.5 SW04 白糸台駅/白糸台車両基地
ABZrg
KRZu
多磨霊園駅/武蔵野台駅
STR
京王京王線
eABZrg exKBSTr
BHF
7.0 SW05 競艇場前駅
KBHFe
8.0 SW06 是政駅

多摩川線(たまがわせん)は、東京都武蔵野市武蔵境駅府中市是政駅を結ぶ西武鉄道鉄道路線である。俗に、旧路線名から是政線とも呼ばれる。駅ナンバリングで使われる路線記号はSWSW

多摩川線は路線名の変遷が激しい。多摩鉄道時代の1922年6月20日に是政駅まで全通後、1927年8月30日に旧西武鉄道に吸収され[1]、路線名は多摩線と呼ばれるようになる[2]。その後路線名は是政線と名称変更され、後に更に武蔵境線と変更、そして現在の多摩川線に変更されて今に至る[3]

概要[編集]

新小金井駅-多磨駅間。新小金井駅先から白糸台駅手前まで、路線は南西方向へ直線に延びる。
人道橋、いちご橋より。(2014年4月)

他の西武鉄道の路線群とは直接の接続がない孤立路線で、JR中央線武蔵境駅から南西に延びている。武蔵境駅付近は2006年12月に一部高架化され、2008年7月19日に全面高架化された。

保線職員や整備職員などは多摩川線専属の社員が在籍せず、新宿線上石神井駅から出張してくる。車両の毎日の検査や清掃などは白糸台車両基地で行われ、大規模な検査や整備を行う場合は、甲種輸送の形で武蔵境駅付近からJR線に入り、新秋津駅まで貨物列車として機関車に牽かれ、新秋津駅から所沢駅を結ぶ連絡線を経由して整備工場である武蔵丘車両検修場(かつては旧西武所沢車両工場)へ回送している。中央線高架化工事が行われていた際は、甲種輸送ができなかったため、部品の輸送で対応していたが、中央線高架化工事完了後は車両の甲種輸送が再開された。

以前は、国分寺駅まで西武の電車が旧型国電との併結で回送していた。

自動改札機が全駅に設置されていないため、西武線では唯一パスネットが利用できなかった。かつて発売されていた、SF機能を持たないレオカードでは切符を購入できたものの、2008年3月14日を以て使用できなくなった。SFレオカードでは購入もできなかった。

武蔵境駅以外の駅から乗車するときは、乗車券を自動券売機で購入しそのまま入場する[4]。このため、切符には「入鋏省略」と記載されている。出場時には駅係員により切符が回収される。連絡乗車券はJR武蔵境駅の連絡改札口の自動改札機にそのまま投入できる。

簡易ICカード改札機

2007年3月18日からサービスを開始したICカードPASMOは当路線にも導入され、簡易ICカード改札機を各駅に設置して対応している。西武鉄道内では池袋線西武秩父線武蔵横手 - 横瀬間各駅にも設置されているのと同じもので、JRの簡易Suica改札機とは違いオートチャージも利用できる。また、武蔵境駅でも簡易ICカード改札機が設置されていたが、高架駅完成時に自動改札機が導入された。

ワンマン運転を実施しているが、全駅の改札が初電から終電まで稼動しているため、車内には運賃箱運賃表示機などの設備が無く、いわゆる都市型ワンマン方式となっている。運転士は運転席後部にある(通常は車掌が操作する)ドアスイッチを操作してドアの開閉を行うため、駅到着後ドアが開くまでとドアが閉まってから電車が発車するまでには少し間がある。また、武蔵境駅・白糸台駅(始発のみ)・是政駅では発車メロディが導入されているが、発車時にはチャイムが鳴らされる。途中駅ではこれが発車の合図となり、その後車内に「ドアが閉まります。ご注意下さい。」と放送される。

ワンマン運転開始当初は前面に「ワンマン」の文字を掲出していたが、現在運用されている新101系ではこの掲示はなく、始発駅発車後の車内放送で案内するのみにとどまっている。

路線データ[編集]


運行形態[編集]

都市近郊路線では珍しい平日・土曜・休日共通ダイヤになっており、日中は12分間隔、早朝と夜間は20分間隔の運転である。

早朝には白糸台発の列車があるが、白糸台行きの列車は現在設定されておらず、上り列車はすべて武蔵境駅で折り返し是政行きになり、夜間の一部列車は是政駅まで運行した後、是政発白糸台行きの回送列車となる[5]

列車の行き違いは、日中は新小金井駅白糸台駅で、早朝と夜間は多磨駅で行う。

車両[編集]

多摩川線で運用される新101系ワンマン対応改造車
競艇場前駅にて(2010年11月)
  • 新101系 (2010年 - )
    • 2010年に旧101系を置き換える形で導入が開始された。当初から白い車体のワンマン運転対応車が使用されているが、同年3月に登場した車両は「春」、6月に投入された車両は「夏」、9月に投入された車両は「秋」、12月に投入された車両は「冬」をテーマとしたイラストがぞれぞれ先頭車両にラッピングされていた[6]。このイラストは沿線の小学生から募集したものである。なお、2010年11月からはラッピング編成検査入場に伴う編成変更でラッピング無しの編成も運転されるようになり[7][8]、また、ラッピング車両は掲出期間終了を待たずに全て本線へ戻ってしまったため、2014年7月現在ラッピングされた車両はない。
  • 旧101系 (1996年 - 2010年)
    • 1996年のワンマン運転開始に合わせて導入。2008年に多摩湖線での運用が終了した後は、西武線唯一の旧101系運用路線となった。2010年3月より前記の新101系への置き換えが始まり、同年11月9日をもって最後の編成が運用を終了した[9]

ワンマン運転化前には新宿線系統から多摩川線へ転属してきた401系701系赤電と呼ばれていた451系551系・571系などが使用されていた。

多摩湖線国分寺口とともに、西武で最も古い車両が集約される。また、列車無線、列車種別表示、連結器の電気栓(電気連結器)、スタフ(乗務員用の時刻表)など、本線系でしか使わない機能の一部が独自仕様に変更・または省略となっている。

車両数の変遷[編集]

351系 クハ1411形 501系 701系 571系 451系 クハ1651形 551系 401系 101系 合計
1978 6 6 4 16
1982 4 4 5 3 16
1983 4 10 1 1 16
1984 4 6 3 3 16
1985
-1987
4 6 3 3 16
1988
-1991
12 4 16
1992
-1995
16 16
1996
-2011
16 16
  • 1978年は10月1日現在、82・83年は1月1日現在、84年以降は4月1日現在
  • 『私鉄車両編成表』各年版、ジェー・アール・アール

多摩鉄道(旧西武鉄道)時代の車両[編集]

蒸気機関車
客車
フハ1・2→ハフ1・2
内燃動車
キハ10形(10-12)
  • 1928年黒板工業所製[12][13]の木製2軸ガソリンカー(定員40人)。調子が悪く翌年に松井製作所にて大改造されている。戦後は使用されることなく廃車となった。
キハ20形(21・22)
  • 1938年日本車輌製造製半鋼製2軸ガソリンカー(定員50人)。日曜祭日彼岸時には武蔵境 - 多磨墓地前間を15分毎に頻発運転していた。戦中は木炭瓦斯発生装置を取付し代燃車となっている。[14]1953年改造され3扉化、車体延長されボギー車となりクハ1121・1122となる。その後他私鉄に譲渡され羽後交通雄勝線デハ7、豊橋鉄道ク1505→2301[15]。詳細は「西武モハ101形電車」を参照。

歴史[編集]

二枚橋橋梁を渡る旧101系
(2008年1月)

多摩川河原で採取した川砂利を運搬する目的[16]で、1910年8月に設立された多摩鉄道[17]によって開業した路線である。また戦中は中島飛行機の工場への引き込み線があり、沿線工場への貨物輸送にも利用された。

多摩鉄道は1908年2月に境 - 是政間の私設鉄道法による仮免許を取得した[18]。ところが東京天文台より反対があった。同天文台は当時、三鷹村大沢に移転する計画があり(現国立天文台本部のある、国立天文台三鷹キャンパスである)鉄道がそばにあると観測業務に支障が出るとの理由からである。鉄道会社側でも路線変更は承服できないとして反論した。この結果についての書類が失われているため鉄道院の裁定は不明だが現在路線が大きく迂回していないので鉄道会社の主張が認められたようである[19]

1909年2月に多磨村での約20年間の砂利採掘権を取得する(多摩川での砂利採掘は1964年に禁止される)[19]

1917年10月22日に境(現・武蔵境) - 北多磨(現・白糸台)間、1919年6月1日に北多磨 - 常久(現・競艇場前)間、1922年6月20日に常久 - 是政間が開業した。1927年8月30日に(旧)西武鉄道に合併され、同社の多摩線となった[20]。砂利輸送のおまけであった旅客輸送に対しては1929年に参拝客の増加していた多磨霊園の至近に多磨墓地前(現・多磨)駅を開設し、ガソリンカー運行を開始、その後車両を増備し日曜祭日彼岸時には武蔵境 - 多磨墓地前間を15分毎に頻発運転するようになる[21]1950年に電化され、1967年に貨物輸送を廃止した。

その後は沿線にあるアメリカンスクール、多磨霊園、多摩川競艇場のアクセス路線として活用されてきた。近年には沿線の宅地化が進み、また東京外国語大学警察大学校警視庁警察学校が多磨駅に近い関東村跡地に建設されたことから、輸送需要が増えつつある。

前述のとおり、1996年4月1日にワンマン運転化されている。

2007年3月18日からは、ICカードPASMOが導入された。また、同年12月には開業90周年事業として記念ヘッドマーク掲出や記念切符発売などの記念事業を開催した。

2010年3月22日には、前述のラッピングされた新101系の出発式が武蔵境駅のホームで行われた。この様子は新聞の記事などにも取り上げられた。

年表[編集]

  • 1908年(明治41年)2月6日 鉄道布設仮免状下付(帝国鉄道境停車場-多摩村大字是政)[18]
  • 1910年(明治43年)11月15日 軽便鉄道指定[22]
  • 1917年(大正6年)10月22日 多摩鉄道 境 - 北多磨間開業。境駅、新小金井駅、北多磨駅開業[23]
  • 1919年(大正8年)
    • 6月1日 北多磨 - 常久間延伸開業(貨物運輸のみ)。常久駅開業[24]
    • 7月1日 境駅を武蔵境駅に改称[25]
  • 1922年(大正11年)6月20日 常久 - 是政間延伸開業。是政駅開業[26]
  • 1927年(昭和2年)8月30日 西武鉄道(初代)が多摩鉄道を合併し多摩線となる(その後線名は是政線、武蔵境線、多摩川線と改称)[27]
  • 1929年(昭和4年)
    • 1月1日 ガソリン(瓦斯倫)動力併用実施[2]
    • 1月5日 新小金井 - 北多磨間に多磨墓地前駅開業。
  • 1950年(昭和25年)
    • 7月11日 武蔵境 - 北多磨間電化完成。
    • 11月1日 北多磨 - 是政間電化完成。
    • 11月 常久駅が0.1km武蔵境寄りに移転。
  • 1954年(昭和29年)5月21日 常久駅を競艇場前駅に改称[28]
  • 2001年(平成13年)3月28日 多磨墓地前駅を多磨駅に、北多磨駅を白糸台駅に改称。
  • 2004年(平成16年)10月28日 ダイヤ改正により運行間隔が早朝・深夜を除き12分間隔となる[29]
  • 2006年(平成18年)12月9日 武蔵境駅付近が高架化。これに伴い一時的に中央線との連絡線が廃止。
  • 2008年(平成20年)7月19日 中央線との連絡線が再び設置。
  • 2011年(平成23年)
    • 3月14日 東日本大震災に伴う節電のため、一部列車を運休。特別ダイヤで運行。
    • 4月2日 一時的に平日ダイヤと土休日ダイヤを設定。平日昼間と土休日の終日に渡って列車本数を減らしての運行となったほか、一部武蔵境駅 - 白糸台駅間の区間列車も設定。
    • 9月12日 電力制限解除に伴い、従来のダイヤに戻る。

駅一覧[編集]

  • 全線東京都内に所在。
  • 2001年3月28日に多磨駅多磨墓地前駅から、白糸台駅北多磨駅からそれぞれ改名。
  • 線路(西武多摩川線内は全線単線) … ∨、◇:列車交換可能、|:列車交換不可
  • 駅番号2013年3月までに順次導入された。[30]
駅番号 駅名 駅間キロ 累計キロ 接続路線 線路 所在地
SW01 武蔵境駅 - 0.0 東日本旅客鉄道中央線 武蔵野市
SW02 新小金井駅 1.9 1.9   小金井市
SW03 多磨駅 2.2 4.1   府中市
SW04 白糸台駅 1.4 5.5 京王電鉄KO 京王線武蔵野台駅 (KO21)・多磨霊園駅 (KO22):徒歩連絡)
SW05 競艇場前駅 1.5 7.0  
SW06 是政駅 1.0 8.0 東日本旅客鉄道:南武線南多摩駅:徒歩連絡[31]

輸送・収支実績[編集]

年度 輸送人員(人) 貨物量(トン)
1949 1,225,522 179,937
1952 2,276,808 273,981
1958 4,118千 226,039
1963 7,263千 22,813
1966 6,740千 7,512
1970 4,980千 -
  • 地方鉄道軌道統計年報、私鉄統計年報各年版

戦前の輸送収支実績[編集]

  • 鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計各年度版
  • 1928年度以降の収支は西武鉄道合併により省略

その他[編集]

  • 過去に是政から北西方向の東京競馬場、そして武蔵境から北東方向の上石神井駅への延長構想があった。さらに多摩ニュータウン計画では西武鉄道・京王帝都電鉄(現・京王電鉄)・小田急電鉄の3社が多摩市への延伸について調印し、西武は多摩川線を延伸しようと試みた。当初は多摩センターまでの予定で、他の2社と同じくさらに橋本城山方面への延伸も目論んでいた。しかし、武蔵境駅で接続する国鉄(当時)中央線の混雑をさらに助長するとの判断から鉄道敷設免許申請が取り下げられ、調印した3社の中で唯一多摩延伸が実現しなかった[32]
  • 当路線と同じく「多摩川線」の名称を使用している路線が東京急行電鉄(東急)の多摩川駅 - 蒲田駅間にもあるが、東急はすでに多摩川線の名称を使用していた西武に配慮して、正式な路線名を「東急多摩川線」とすることで、同名になることを避けている。
  • 孤立路線のため、ほかの西武線各駅で発売されている企画乗車券の発売を行っておらず、多摩川線も一日乗車券のフリー区間の適用外となっていることが多いが、例外的に東急線の渋谷駅以外の各駅で発売されている「東急・西武線まるごときっぷ」は多摩川線でも乗車が可能である。ただし、接続駅までの他社線(主にJR線、京王線、路線バスなど)は含まれていないため、これらを利用する場合はその分別途運賃が必要となる。
  • 2013年、西武鉄道を含む西武ホールディングスの筆頭株主となっているアメリカ合衆国投資ファンド会社、サーベラス・キャピタル・マネジメントがグループ経営の合理化策の一つとして多摩川線の廃止を求め、西武ホールディングス側がこれを拒絶したと報道された[33]。サーベラス側は廃止提案の存在を否定しているが、多摩川線沿線の武蔵野・府中・小金井3市は連名で路線存続の要望書を西武ホールディングスと西武鉄道に提出した[34]

脚注[編集]

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  1. ^ 『鉄道ピクトリアル』(2002年4月臨時増刊号 No.716、p108)より。
  2. ^ a b 『地方鉄道及軌道一覧 : 附・専用鉄道. 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ 『鉄道ピクトリアル』(2002年4月臨時増刊号 No.716、p104)より。
  4. ^ ただし、武蔵境駅が有人改札だった頃は改札で入鋏のスタンプを押していた。
  5. ^ なお、2011年に発生した東日本大震災に伴う節電を目的とした臨時ダイヤでは、武蔵境発の下り列車に一部白糸台行きが設定されている。
  6. ^ 多摩川線に「冬」号 12月23日デビュー! (PDF)
  7. ^ 西武 新101系259編成が白一色となって多摩湖線で営業運転 2010年10月25日、『鉄道ファン』railf.jp 鉄道ニュース、交友社
  8. ^ 西武101系223編成が小手指へ 2010年11月15日、『鉄道ファン』railf.jp 鉄道ニュース、交友社
  9. ^ 多摩川線の「黄色い電車」が引退します (PDF) - 西武鉄道ニュースリリース 2010年11月2日
  10. ^ 『鉄道院鉄道統計資料. 大正6年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ 形式図『客車略図』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  12. ^ 竣工図に目黒板工業所と表記されていたため誤って伝えられていた
  13. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第30囘』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  14. ^ 『内燃動車発達史 上巻』103頁
  15. ^ 『内燃動車発達史 上巻』105頁
  16. ^ 1907年(明治40年)2月26日に提出された敷設仮免許申請書に添えられていた起業目論見書の目的の項には「旅客貨物運輸の業を営む」と記されており砂利輸送については触れられていないが、申請直後に「旅客貨物運輸の業を営み併せて砂利玉石石材等の採掘販売」と目的を変更している。この目的の変更は筆頭発起人の阿部貞助の影響があるとみられている。阿部貞助は個人で砂利運搬を目的とした専用鉄道(境-多摩間 明治41年6月8日)の免許(『鉄道院年報. 明治41年度』)をえているが、多摩鉄道設立に参画することにより砂利輸送の役割を負わせたとみられている。(益井茂夫「多摩鉄道と阿部貞助」『多摩のあゆみ』No99、2000年)
  17. ^ 『帝国銀行会社要録 : 附・職員録. 大正元年(初版)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  18. ^ a b 「私設鉄道株式会社仮免状下付」『官報』1908年2月8日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  19. ^ a b 『鉄道忌避伝説の謎』(p160, p162)より。
  20. ^ 砂利採取用に開業していた安比奈線の成績がいまひとつだったからといわれている『写真で見る西武鉄道100年』15-16頁
  21. ^ 『写真で見る西武鉄道100年』15-16頁
  22. ^ 「軽便鉄道指定」『官報』1910年11月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  23. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1917年10月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  24. ^ 「輕便鐵道貨物運輸開始」『官報』1919年6月10日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  25. ^ 今尾恵介『日本鉄道旅行地図帳』4号 関東2、新潮社、2008年、p.48
  26. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1922年6月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  27. ^ 譲渡許可8月3日「鉄道譲渡」『官報』1927年8月4日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  28. ^ 西武鉄道『会社要覧』の「駅名の変遷」 (PDF) では5月1日。今尾恵介『日本鉄道旅行地図帳』4号 関東2、新潮社、2008年、p.48 では5月21日。
  29. ^ 「鉄道記録帳」、『RAIL FAN』第52巻第1号、鉄道友の会、2005年1月号、 23頁。
  30. ^ 西武線全駅で駅ナンバリングを導入します - 西武鉄道、2012年4月25日閲覧
  31. ^ ただし、途中で是政橋を渡って1kmほど歩いての乗り換えとなるので、両社ともに乗り換えの案内はしていない。
  32. ^ 森口誠之 『鉄道未成線を歩く』私鉄編、JTB、2001年、pp. 67-68。
  33. ^ 東洋経済オンライン2013年4月4日付、「西武秩父線は本当に収益力がないのか サーベラスが廃線を提案する路線の採算性を分析」、2013年5月25日閲覧。
  34. ^ 毎日新聞多摩版2013年4月4日付、「米サーベラス:西武5路線廃止問題 多摩川線存続へ3市共同で要望 西武HD社長らに」、2013年5月25日閲覧。

参考文献[編集]

  • 青木栄一『鉄道忌避伝説の謎 - 汽車が来た町、来なかった町』吉川弘文館、2006年12月1日 第1刷発行、2007年4月10日 第4刷発行、ISBN 978-4-642-05622-9
  • 青木栄一「西武鉄道のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』1992年5月臨時増刊号 No.560、103-104頁
  • 加藤新一・今城光英・酒井秀夫 「西武鉄道」『鉄道ピクトリアル』 NO.231、63-64頁
  • 高嶋修一「西武鉄道のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』2002年4月臨時増刊号 No.716【特集】西武鉄道、鉄道図書刊行会、p97 - p112
  • 『写真で見る西武鉄道100年』ネコ・パブリッシング、2013年

関連項目[編集]