笹路正徳

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笹路正徳
生誕 (1955-05-03) 1955年5月3日(62歳)
出身地 日本の旗 日本群馬県高崎市
学歴 慶應義塾大学卒業
ジャンル J-POPロックフュージョンジャズ
職業 作曲家編曲家音楽プロデューサーキーボーディスト
公式サイト 笹路正徳オフィシャル - mimi-tab.net

笹路 正徳(ささじ まさのり、1955年5月3日 - )は、作曲家編曲家音楽プロデューサーキーボード奏者。群馬県高崎市生まれ、東京都出身[1][2]ロックバンドスピッツのプロデュース、松田聖子への楽曲提供、フュージョンやジャズ音楽での編曲・演奏、アニメやドラマの音楽の担当など幅広い分野で活動している。

概要[編集]

1980年代よりアレンジャー・プロデューサーとしての活動が注目され始め、マリーン阿川泰子ラウドネスTUBELAUGHIN' NOSE杉山清貴プリンセス プリンセスUNICORN松田聖子THE YELLOW MONKEYスピッツコブクロ小沼ようすけ南佳孝平川地一丁目HY森山直太朗noonなど数多くのアーティストを手掛ける[2]

略歴[編集]

(公式ページ・プロフィールより[2]

4才の時からピアノを習い始め、小学生の時に 「ザ・ベンチャーズ」「ビートルズ」等に憧れギターを手にする。中学時代は「クリーム」「ジミ・ヘンドリックス」に傾倒するとともにラリー・コリエルマイルス・デイヴィスセルジオ・メンデスハービー・ハンコックジャズに出会う[1]。またこの頃自宅に同居していた10歳年上の叔父の影響で録音に興味を持ち、彼が引っ越す際に起き土産として置いていった4トラックの音声レコーダーはその後彼のものとなる。東京学芸大学附属高等学校入学後は自分よりうまいギタリストに出会ったことでキーボードに回帰。ミュージシャンでは無くレコード会社や音楽出版社などへの就職を志して慶応大学に進学し、同大学のジャズ研究会でジャズ・ピアノの研鑚を積む。大学4年時の1977年、「鈴木勲グループ」に参加し、ジャズ・ピアニストとしてプロ活動をスタートさせる。その後、数々のジャズグループへの参加やスタジオ・ミュージシャンとしての活動でプレイヤーとしての地位を徐々に築き上げていく。またコンポーザーやアレンジャーとしての活動も平行して行うようになる。

1979年にファースト・ソロ・アルバム『HOT TASTE JAM』、1980年にセカンド・アルバム『HELL-TER SKELTER』をリリース[3]。またビーイングに所属していたこの時期に、清水靖晃土方隆行渡辺モリオ村川ジミー聡山木秀夫らとジャズ・フュージョン系のグループ「マライア(MARIAH)」を結成。アルバム『YENトリックス』でデビューし『マージナル・ラブ』等、5枚のアルバムを発表。それと並行して1981年から1982年には渡辺香津美の「KAZUMI BAND」に参加、アレンジャーとしての活動が活発化する。

1983年、「マライア」は解散。すぐに土方隆行、坂井紀雄藤井章司辻野リュウベンとロックバンド「ナスカ(NAZCA)」を結成[1]。1987年までに3枚の音楽アルバムを出す。

1991年には奥居香奥田民生とのセッションで知られる「ササジーズ」を結成する。

その後、音楽レーベル K's TRACKS を通じて、現代のジャズを追求している。

作品[編集]

プロデュースしたアーティスト[編集]

劇伴[編集]

※発表年順

ドラマ
アニメ
映画
イメージアルバム

その他[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c 第5回: 笹路正徳 氏”. 有限会社モトミュージック (2000年3月8日). 2017年7月28日閲覧。
  2. ^ a b c 笹路正徳プロフィール”. 有限会社 みみたぶ. (2014年10月16日). 2017年7月28日閲覧。
  3. ^ 笹路正徳の2枚のアルバムがタワレコ限定再発”. タワーレコード (2015年2月9日). 2017年7月28日閲覧。

外部リンク[編集]