反知性主義

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反知性主義(はんちせいしゅぎ、英語: Anti-intellectualism)とは、知的権威やエリート主義に対して懐疑的な立場をとる主義・思想[参考文献 1][参考文献 2]。言葉自体は1950年代のアメリカで登場したとされ[参考文献 3]、その後、リチャード・ホフスタッターが『アメリカの反知性主義』(Anti-intellectualism in American Life、1963年)で示したものが知られる[参考文献 4]

一般には「データやエビデンスよりも肉体感覚やプリミティブな感情を基準に物事を判断すること(人)」を指す言葉として思われているが、実際にはもっと多義的な観点を含む[1]。また、その言葉のイメージから、単なる衆愚批判における文脈上の用語と取られることも多いが、必ずしもネガティブな言葉ではなく、ホフスタッターは健全な民主主義における必要な要素としての一面も論じている[参考文献 5]。むしろ、知的権威、エリート側の問題を考えるために反知性主義に立脚した視点も重要だとも説く[参考文献 6][参考文献 7]

反知性主義の登場と意味合い[編集]

反知性主義という言葉がにわかに登場したのは1950年代、特にマッカーシズム赤狩りや、1952年アメリカ合衆国大統領選挙を背景としたものが挙げられる[参考文献 8]。このアメリカ大統領選挙では、政治家としての知性、キャリア、家柄とどれをとっても遜色なく、元弁護士で弁舌の腕もたち、知識人からの人気も高かったアドレー・スティーブンソンが、コロンビア大学の学長かつ元アメリカ陸軍参謀総長という要職を務めた第二次世界大戦の英雄といえど、政治経験は皆無でおよそ知的洗練さを表に出さず、むしろ政治家でないことをアピールして大衆の支持を得たドワイト・D・アイゼンハワーに圧倒的大差で敗れており、反知性主義の象徴的な出来事として挙げられる。

また、マッカーシーやその支持者達は対共産主義という枠を超えて大学教授や、知識人の家系といった知識人層を攻撃した。このように反知性主義とは反エリート主義の言い換えといった側面がある[参考文献 9]

1963年、ホフスタッターは著書『アメリカの反知性主義』においてニューイングランドの成立からのアメリカ史を引用して反知性主義の成り立ちを考察し、言葉が登場した50年代より前から反知性主義は存在し、むしろアメリカ社会・政治体制において重要なものであること論じた[参考文献 10]。これによってホフスタッターは2度目のピューリッツァー賞を受賞している。

その語感より、しばしば誤解されるが、反知性主義に対置するのは知性そのものというよりは、先述の大統領選のエピソードのように知的権威やエリートとされる層である。データやエビデンスよりも肉体感覚やプリミティブな感情を基準に物事を判断するといった面も間違いではないが[1]、古くは聖書理解において高度な神学的知識を必要と考える知的権威や、時代が下がれば政治においてはエリートによる寡頭政治(貴族政治)を志向する層への反感が反知性主義の原点であり、ただ単純に知性そのものを敵視する思想信条ではない[参考文献 11]。むしろ、エリート層が軽視する大衆の「知性」を積極的に肯定するといった立場をとり、それは単純に近代合理主義批判の肯定や、科学的思考を軽視するという意味でもない[参考文献 12][2]。神意や真理を理解するのに高度な知識は必要ではない、政治において学術理論や理想論が先行して現実を無視した政策を行わない、このようなエリート主義に対する批判という観点も含むのである[参考文献 13]

このように反知性主義が必ずしもネガティブな言葉ではないように、知的権威や知識人、エリートという言葉も反知性主義の文脈上では必ずしも肯定的な意味ではない。ホフスタッターは知識人の立場として反知性主義者に攻撃される側として論説するが、序章において知識人を迫害される憐憫な対象として擁護する気はないと明言しており[参考文献 14]、その終章も反知性主義ではなく知識人の在り方を考察するものである[参考文献 15]

ただし、反知性主義という言葉を定義付けたとされるホフスタッターでさえ、それが曖昧な語義の用語であることを認めており[参考文献 16]、単純に論敵を非難するバズワードとして使用される場合も多い。

アメリカ史から見る反知性主義の成り立ち[編集]

ホフスタッターによれば、反知性主義の萌芽は何度か起こった大覚醒(リバイバル)にあるという。

アメリカの初期移民であり、厳格なキリスト教観を持つ清教徒の社会では、聖書の内容を教え説く存在として司祭職も重要視されたが、同時により強固な万人祭司の考えによって一般人にも神学的な聖書理解が推奨された。当時のアメリカ(ニューイングランド)における日曜礼拝は、司祭が説教によって大衆に高度な聖書理解を指導する場であって、それは大衆からみれば高度な聖書理解を行うための知性が要求される場であった。こうした場における説教というのは、端的に言えば退屈な事柄であり、決して聞き手を熱狂させるような要素は無かった。しかし、社会(共同体)に認められるということは、教会でその信仰(回心)を認められることとであって、植民地社会において回心を認められることは切実な問題の1つでもあり、決して軽視できない事柄であった。

時代が下がり、世代交代や、他文化圏の移民による爆発的な人口増が起こると、神学論に基づく高度な説教よりも、ジョージ・ホウィットフィールドに代表される伝道活動や平易な説教が盛況になる(第一次大覚醒)。ホウィットフィールドら伝道者の説教は、神学的な厳密性には乏しくとも、聴衆を「熱狂」させ、「自覚的な回心」を与えることで支持を高めた。こうした運動を大学で神学を学んだ主流派(エリート)が無学な者による扇動だと批判するのに対し、伝道者側は神の教え(真理)を理解するのに高度な知性は必要でなく、むしろ素朴な知性にも理解できるものこそが真理だと反論し、更に民衆の支持を得た。これをホフスタッターは反知性主義の始まりと説明する。

この背景に大衆に回心が認められない(社会に認められない)焦りがあったとホフスタッターは指摘する。大覚醒の嚆矢とされるジョナサン・エドワーズは、当時からして著名な宗教学者で当時の代表的な知識人でもあるが、彼の有名な説教『怒れる神の御手の中にある罪人』に代表されるように、聞き手の心情に訴えかけるという点で、それまでの知的だが退屈な説教とは一線を画した。現代でいえば集団ヒステリーの一種であるが、この説教を聞いた聴衆は、回心が認められない不安感から泣き叫んだり、激しい痙攣を起こし、こうした情動をもって自覚的な回心を得ることになった。

反知性主義とされるもの[編集]

保守的キリスト教徒の間では、人間の知識は限界のあるものであり、万能ではないとする考え方も共有されている。また、進化論に反対するキリスト教原理主義を批判するに当たってこの言葉が用いられることがある。

アメリカの民主主義が「すべての人は平等に創られた」という独立宣言から出発しているため、『ごく普通の市民が(キリスト教的倫理に基づく)道徳的な能力を持っているという平等論がある。その素朴な道徳的感覚は人間に共通に与えられており、高度な教育を受けなくても、誰もが自然に発揮できるとの思想が生まれ、それが民主主義を「衆愚政治」ではなく、特権階級による権力の独占を防ぐ効用があると信じる力となっているとされる[3]

森本あんりは、反知性主義的な人物像として「フーテンの寅さん」、「空海親鸞日蓮などの革命的仏教者」、「ホリエモン孫正義のような型破り企業家」などを挙げつつ「なかなか適切な人物像が見当たらない」としている。一方で、小中高と森本の同級生だったコラムニストの小田嶋隆を例に挙げ「批判すべき当の秩序とはどこか別のところに自分の足場」があり、それが反知性主義を成り立たせるとした[4]

脚注・出典[編集]

  1. ^ a b アメリカを動かす「反知性主義」の正体 日経ビジネスONLINE 2015年4月24日
  2. ^ (森本 p.4)
  3. ^ 森本あんり、2015、『反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体』、新潮社新潮選書〉 ISBN 978-4106037641
  4. ^ 反知性主義 アメリカが生んだ熱病の正体、あとがき

参考文献[編集]

参考文献脚注[編集]

  1. ^ (ホフスタッター p.3-17)
  2. ^ (森本 p.261-)
  3. ^ (ホフスタッター p.3)
  4. ^ (森本 p.5)
  5. ^ (森本 p.5-6)
  6. ^ (ホフスタッター p.343-)
  7. ^ (森本 p.5-6)
  8. ^ (ホフスタッター p.3-4)
  9. ^ (ホフスタッター p.3-4)
  10. ^ (森本 p.5)
  11. ^ (森本 p.4)
  12. ^ (ホフスタッター p.7)
  13. ^ (森本 p.259-)
  14. ^ (ホフスタッター p.18)
  15. ^ (ホフスタッター p.343-)
  16. ^ (ホフスタッター p.3-)

関連項目[編集]