はつゆき型護衛艦

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はつゆき型護衛艦
JMSDF DD-127 Isoyuki.jpg
DD-127 いそゆき
艦級概観
艦種 汎用護衛艦(DD)
艦名 「雪」に由来する命名
建造期間 1979年 - 1987年
就役期間 1982年 - 就役中
前級 DD:あきづき型護衛艦
DDA:たかつき型護衛艦
DDK:やまぐも型護衛艦
次級 DD:あさぎり型護衛艦
性能諸元
排水量 基準 2,950トン
(8番艦以降100トン増)
満載 4,000トン
(8番艦以降200トン増)
全長 130m
全幅 13.6m
深さ 8.5m
吃水 4.2m(8番艦以降4.4m)
機関 COGOG方式
RM1Cガスタービンエンジン
(巡航用; 4,620ps
2基
TM3Bガスタービンエンジン
(高速用; 22,500ps)
2基
スクリュープロペラ
(5翼, 可変ピッチ)
2軸
速力 最大30kt
航続距離 5,590海里 (20ノット巡航時)[1]
乗員 195名 - 200名
兵装 62口径76ミリ単装速射砲 1基
高性能20mm機関砲
CIWS Mk.15 mod.2)
2基
シースパロー短SAM 8連装発射機 1基
ハープーンSSM 4連装発射筒 2基
アスロックSUM 74式8連装発射機 1基
HOS-301 3連装短魚雷発射管 2基
艦載機 HSS-2B/SH-60J 哨戒ヘリコプター 1機
FCS FCS-2-21 主砲用 1基
FCS-2-12 短SAM用 1基
SFCS-6 水中用 1基
C4I OYQ-5 TDPS 1基
レーダ OPS-14B 対空捜索用 1基
OPS-18 対水上捜索用 1基
ソナー OQS-4 艦底装備式 1基
OQR-1 曳航式
※後日装備
1基
電子戦
対抗手段
NOLR-6C ESM装置
OLT-3 ECM装置
OLR-9B レーダー警報受信機
Mk.137 6連装デコイ発射機 2基
曳航具3型(対魚雷デコイ装置)

はつゆき型護衛艦(はつゆきがたごえいかん、英語: Hatsuyuki-class destroyer)は、海上自衛隊が保有する汎用護衛艦(DD)の艦級[2]。基本計画番号はE109[3]ネームシップの建造費は約300億円であった[4]

概要[編集]

日本では初となるオール・ガスタービン機関COGOG)を採用し[2]ヘリコプターC4Iシステム、各種ミサイルなどの兵装をバランスよく搭載するなど、当時の欧米のフリゲートと比較しても遜色のない護衛艦として評価されている[5]

8艦8機体制時代の第1世代汎用護衛艦として12隻が建造され[2]護衛艦隊を長く支えたが、現在では老朽化に伴って順次に退役が始まっている。ただし後期建造艦のうち3隻は延命改修を受けて、今後も現役にとどまる予定であるほか、3隻がしまゆき型練習艦として練習艦隊において運用されている。

来歴[編集]

第4次防衛力整備計画(4次防)を終えた昭和52年度計画において、海上自衛隊は次代を担う新型護衛艦の整備に迫られた。当時としては、草創期に建造したはるかぜ型(28DD)あやなみ型(30〜33DDK)むらさめ型(30/31DDA)などの退役が間近に迫っており、これらの代艦が必要となっていた[5]

4次防以前の海上自衛隊においては、8艦6機体制のコンセプトのもとで、多目的護衛艦(DDA)対潜護衛艦(DDK)の2系列の護衛艦を整備していた[6]。しかし情勢変化を受けた研究により、新たに8艦8機体制(いわゆる新八八艦隊コンセプトが採択され、これに基づき、本型ではDDAとDDKを統合する充実した装備が求められることとなった[7]

海上自衛隊では、4次防の時点で、戦術情報処理装置艦対艦ミサイルを搭載した3,600トン型汎用護衛艦(DDA)、ガスタービン主機と戦術情報処理装置と短SAMを搭載した2,500トン型対潜護衛艦(DDK)を計画していたものの、オイルショックの影響により前者は計画中止、後者も従来通りのあおくも型(やまぐも型対潜護衛艦後期型)の最終艦「ゆうぐも」に設計修正して建造されることとなった。本型はこれらの装備を兼ね備え、新八八艦隊の基幹兵力を構成するものとして計画されることとなった[8]

設計[編集]

船体[編集]

三段形式の特徴的な後部甲板

従来、やまぐも型(37DDK)以降の護衛艦においては、ソナーの装備要領の関係から大型のバウ・ドームが設置され、これに伴って主錨1個を艦首に格納する方式としていた。これに対して、本型のソナーはハル・ドームとされたため、艦首の左右両舷に主錨を格納するオーソドックスなデザインに戻った。このため、やまぐも型などのバウ・ドーム設置艦から転属した乗員には戸惑うものが多かった[8]

船型としては長船首楼型が採用されたが、ヘリコプター甲板とミサイル発射機の位置関係や重心降下策の都合から、後部甲板は三段形式となり、かなり変わったラインとなっている。水線下の船型はおおむね「あまつかぜ」(35DDG)と類似している[8]

また対潜戦のパッシブ戦への移行に対応し、水中放射雑音を遮蔽するため、3番艦以降では船体にマスカー、プロペラにプレーリーが装備され、マスカーは後に1・2番艦にもバックフィットされた。ただしこのシステムの作動に必要な圧縮空気をコンプレッサーで発生させる方式としたため、このコンプレッサーの雑音のせいでトータルの雑音が低減されないという問題が生じた[9]

また航空機の搭載に伴いフィンスタビライザーも搭載されているほか、洋上補給においてドライカーゴを受給するためのスライディング・パッドアイなど、艤装品にも多くの新装備が導入された[8]

前期建造艦においては、大綱に定められた単年度会計における単艦の建造費の圧縮の必要性から、排水量低減のため、艦橋構造やマスト、煙突や格納庫など上部構造物の相当部分にアルミ合金が使用されている。ただしアルミ合金は熱伝導率が高く、日射熱による電子機器への悪影響が指摘された[10]ほか、1975年米巡洋艦「ベルナップ」の衝突事故1982年フォークランド紛争の戦訓から、1981年度計画の8番艦「やまゆき」(1983年2月25日起工)からはアルミ合金の使用は中止され、船体構造はすべて鋼製とされた。これに伴う重心降下策として、船底に相当量のバラストが設置されたこともあり、同艦以降では基準排水量は100トンの増加を見ている[8]

機関[編集]

本型の最大の特徴は、海上自衛隊初のオール・ガスタービン推進方式の採用にある。軽量で瞬発性・整備性に優れた航空機転用型ガスタービンの搭載は1970年代後半当時、すでに列国の趨勢となっていた。護衛艦へのガスタービン採用は、これもまた「いしかり」と軌を一にしたものだったが、同艦はディーゼルエンジンと組み合わせたCODOG方式であり、オール・ガスタービンの採用は本型が自衛艦として初めてである[8]

本型では高速用のロールス・ロイス社製オリンパスTM3Bと巡航用のタインRM1Cの2種を組み合わせたCOGOG方式を採った。これは、イギリス42型駆逐艦に範を取ったものであり、エンジン構成もこれに準じたものとなっている。なお、イギリス海軍においては、21型フリゲートで採用されたCOGOG構成を42型駆逐艦、さらには22型フリゲートのバッチ2に至るまで採用し続けており、本型の機関はこの系譜の傍流と言えるものである[8]。ただしこの結果、最大速力は30ノットに妥協せざるをえなかった。これは、前任のあやなみ型の32ノットよりも遅く、8艦8機体制での護衛隊群の運用上、許容しうる最低限の速力であった[5]。また巡航速度も、22ノットが目標とされていたものの、実際には各艦とも巡航機全力で20ノット程度であり、不安が残るものであった[11]

従来の蒸気タービン艦やCODAD艦では、被弾時の抗堪性向上のため、両舷の機関を前後にずらして配置するシフト配置が行なわれていたが、スペースの制約から、本型では両舷に並べて配置するパラレル配置とされており、前部の第1機関室にTM3B、中部の第2機関室に減速装置、後部の第3機関室にRM1Cを各2基、それぞれ両舷に配置している。推進器は5翼の可変ピッチ・プロペラ(CPP)で、水中放射雑音低減のため、後期艦ではスキュー翼が採用されている。速度制御は、低速時においては主機の回転数を100rpmで固定して、翼角制御により行ない、14ノット以上においては翼角は最大として、主機の回転数により行なう。巡航機(RM1C)から高速機(TM3B)への切り替え点は回転数160rpm、速度24ノットであり、全力時の回転数は260rpmである[12]。ただし可変ピッチ・プロペラの雑音が想像以上に大きく、対潜戦上の支障となった[11]

なお電源としては、ガスタービン主発電機(1,000 kW)1基、ディーゼル主発電機(600 kW)2基、ディーゼル非常発電機(300 kW)1基が搭載され、主発電機の合計出力2,200 kWを確保した。ガスタービン主発電機は第1機関室、ディーゼル主発電機は第3機関室、ディーゼル非常発電機は後部発電機室に設置されている[11]。ガスタービン主発電機の原動機は、川崎重工業が自社開発したM1A-02ガスタービンエンジンであった[13]

装備[編集]

本型の戦闘システムの概略図。

本型では、多用途護衛艦(DDA)と対潜護衛艦(DDK)を統合するとともに、欧米列国の趨勢に匹敵しうる、対潜・対空・対水上のどの任務にも対応可能な戦闘艦として計画された。この要求を実現するため、本型は海上自衛隊のワークホースとして初めてセンサー・武器を戦術情報処理装置と連接し、戦闘システムを構築したシステム艦とされており、極めてエポックメイキングな艦である。その戦闘システムの構成は、その後たかなみ型(10〜13DD)に至るまで基本的に変化せず、その原型となった[14]

C4I[編集]

戦闘システムの中核となる戦術情報処理装置としては、シースパローIBPDMSの全能発揮による対空戦機能充実を図り、国産のOYQ-5 TDS(Target Designation System)が搭載された。当初は、しらね型(50DDH)のTDS-2をもとにした、武器管制機能しかもたない純粋な目標指示装置(TDS)とされる予定であったが、対艦ミサイル脅威の深刻化を受けて、たちかぜ型(46DDG)のWESに準じたものとして機能を充実させたものである[9]

既存の訓練・教育および機材整備体系との整合性の観点から、ハードウェアはDDGやDDHに搭載されていた装置と共通化されており、電子計算機としてはTDS-2と同じくAN/UYK-20を1基、またTDSコンソールとしてはAN/UYA-4(OJ-194)を4基用いていた。一方、ソフトウェアはすべて国産とされており、三菱電機が海自プログラム業務隊との連携下に開発した[15]

本機はセンサー情報をもとに目標の脅威評価を行ない、シースパローIBPDMSおよび76mm単装速射砲による適切な武器の指向をリコメンドする(すなわちTEWA機能を備えた)システムであり、性能的にはミサイル護衛艦向けのOYQ-1 WESにおおむね匹敵するものとされている[16]。WESやTDPSと比してコンパクトで、DDに求められる最小限の機能を保有していた。しかし電子計算機の性能上、将来発展余裕に乏しく、プログラムの柔軟性発揮が難しかった。また特に、コストや電力所要の制約上、標準的な戦術データ・リンクであったリンク 11を搭載できず、本来はラジオテレタイプ(RTTY)での受信用であるリンク 14を通じて受信した情報を入力するという変則的な方式を採用しているが、これは艦隊の情報共有に参加できないという点で、戦力の大きな減殺となった[9]

なお、これらが設置される戦闘指揮所(CIC)は、抗堪性を考慮して、護衛艦として初めて主船体内の第2甲板に設置されている[17]。従来は艦橋との交通を重視して、その後部の上部構造物内に設けていたが、SSMを被弾した際に、その命中位置が上部構造物になる可能性が高いと見積もられたことから、艦橋での戦闘指揮の補佐は次席指揮官にゆだねて、艦長は船体内のCICで指揮を執ることとされたものである[18]

対空戦[編集]

前甲板の76ミリ単装速射砲
 
艦尾甲板のMk.29 8連装ミサイル発射機

対空レーダーとしては、ちくご型(42DE)で装備化されたOPS-14Bが採用された。これは予算などの制約、およびシースパローIBPDMSの性能を考慮した選定であり、その性能・安定性は用兵者を満足させるものであったが、主隊から分派されての単独行動時の対空警戒能力には不安が残った[9]

防空火力としては、前甲板に62口径76ミリ単装速射砲、艦尾甲板にシースパロー短SAMの発射機を備えるものとして計画された。これは欧米主要国海軍の同級艦に準じた配置であったが、従来の海自護衛艦では全艦が砲熕兵器の複数装備を行っており、砲熕兵器1門のみの装備は前例がないものであった。その後、対艦ミサイル防御(ASMD)の要請増大に応えて、54年度計画の3番艦「みねゆき」より、高性能20mm機関砲(CIWS Mk.15 mod.2; ファランクス ブロック0)が追加で搭載されるようになり、それ以前の建造艦にも順次にバックフィットされた[18]。

シースパロー短SAMのシステムとしては、先行して搭載したしらね型(50/52DDH)がBPDMSを採用していたのに対し、本型では新型のIBPDMSを採用している。射撃指揮装置は国産化され、1・2番艦ではFCS-2-12、3~9番艦(54~56DD)ではFCS-2-12A、10~12番艦(57DD)ではFCS-2-12Cとされた。またミサイル発射機も即応性を向上させ小型化した機種とされ、1~5番艦(52~54DD)ではアメリカ製のMk.29、6~12番艦(55~57DD)ではイタリア製のアルバトロス用発射機をライセンス生産化したGMLS-3型が搭載された。ミサイルとしては、当初はE型(改)、F型が用いられていたが、後にF、M型に更新された[9]

また、76ミリ砲は、同年度計画で建造された「いしかり」(52DE)とともに初の導入であった。砲射撃指揮装置(GFCS)としては全艦でFCS-2-21Aが搭載された[9]

対水上戦[編集]

本型の特徴の一つが、ハープーン艦対艦ミサイルによる長距離対水上打撃力を備えたことにある。これは、同じ77年度計画の小型護衛艦 (DE) 「いしかり」と同時に導入された新装備であり、護衛艦隊配備の護衛艦としては初の装備であった。ハープーンは4連装のMk.141発射筒2基に収容されて、艦中央部の煙突脇に搭載されており、SWG-1 HSCLCSによる射撃指揮を受ける[9]

対潜戦[編集]

74式アスロックランチャー
 
68式3連装短魚雷発射管

本型では、対潜戦のパッシブ化が試みられており、艦の近くでは従来通りのアクティブ対潜戦、遠くでは国内開発のえい航式パッシブソーナー(TASS)および哨戒ヘリコプター(HS)ソノブイによるパッシブ対潜戦を組み合わせて実施する計画とされた[9]

第2次防衛力整備計画以降の対潜護衛艦(DDK)・多用途護衛艦(DDA)では、AN/SQS-2366式探信儀OQS-3といった低周波ソナーが採用されてきた。これはアスロックの最大射程を発揮しうる探知距離を備えており、護衛艦部隊で活用されていた。しかし低周波ゆえに長距離探知を期待しうる一方で、その裏返しとして分解能が低いこともあり、ソナー探知距離内に存在する潜水艦を探知できないままに攻撃を受ける、「スリップ」と称される戦術現象の恐れが指摘されるようになっていた。このことから、本型では、遠距離探知はパッシブ対潜戦に任せて、艦装備のソナーは、やや探知距離には劣るが分解能に優れたものとされることになった。当初は、アメリカ海軍のオリバー・ハザード・ペリー級ミサイルフリゲートで採用されたAN/SQS-56が検討されたものの、最終的には、75式探信儀 OQS-101の技術を応用して国産開発されたOQS-4が搭載されることになった[5]。ただし本型では、装備形態がハル・ソナーとされたが、その際に装備位置が機関室直前とされたために雑音からの隔離が不十分であり、さらに送受波器の装備位置が航走時に生じる艦首波が砕ける位置とほぼ一致したために、ソナー性能の低下を招くことになった。TASSの開発が大幅に遅延し、後日装備とされた(1986年に制式化)こともあり、OQS-4で犠牲にされた遠距離探知性能の不足が顕在化することになった。TASSが後日装備されるまでは、哨戒ヘリコプターのソノブイが唯一のパッシブ戦センサとして用いられたが、その情報を受信・処理するソノブイ信号処理装置(SDPS)としては、しらね型(50DDH)と同じOQA-201が搭載された[9]

対潜兵器としては、艦橋構造物直前にアスロック対潜ミサイルの8連装発射機(74式アスロックランチャー(B)、Mk.112(J)Mod.2Nとも)を、艦中部両舷に68式3連装短魚雷発射管HOS-301(D)を設置した。これらは艦近傍でのアクティブ対潜戦に用いられ、SFCS-6水中攻撃指揮装置による射撃指揮を受けている。なお、従来の護衛艦装備のアスロック発射機がラマークレーンを介した方式であったのに対し、艦橋構造物下部の弾庫から直接次発装填する方式に改められている[9]。ダメージコントロールの配慮として、弾庫が何らかの原因で爆発しても艦橋が破壊されないよう、艦橋の側面の壁には円形のブローアウト・ハッチが設置されている[19]

また魚雷対策用の曳航式デコイとしては、アメリカ製のファンファーレ(T Mk.6)を国産化した曳航具3型[20]が搭載された[21]

電子戦[編集]

当初より、電波探知装置(ESM)としてNOLR-6シリーズが搭載された。また54DD以降で電波妨害装置(ECM)としてOLT-3が搭載されるようになり、それ以前の建造艦にも順次にバックフィットされた。さらに対ミサイルのソフト・キル用として、OLR-9ミサイル警報装置、Mk.36 mod.6 SRBOC(Mk.137 6連装デコイ発射機×2基)が全艦に後日装備された[9]

航空機[編集]

8艦8機体制をとる護衛隊群のワークホースとして考えたとき、本型のもっとも重要な装備と言えるのが、搭載する対潜哨戒ヘリコプターである。搭載機種は、当初はHSS-2Bであったが、のちにSH-60Jに更新された。搭載機数は1機である。

ヘリコプター甲板は上部構造物の後方の中部甲板に設定されているが、波浪の打ち上げによるヘリコプター破損を避けるために01甲板レベルの高さとされた。DDHでは上甲板とされていたが、これで同程度の高さである(水線上6メートル)。HSS-2Bの発着のため、全長は25メートル[22]、また幅は13.6メートル(ローター直径の80%)が確保されたほか、航空機の運用の安全性を確保するため、設計にあたっては、ヘリコプター甲板後方の一段低い艦尾甲板に装備されたシースパローIBPDMSのミサイル発射機には厳格な高さ制限が課せられ、ヘリコプター甲板後端から仰角5度以内とされた[6]

発着艦支援装置として、ヘリコプター甲板にはDDHと同じくベアトラップを設置した[5]。またこれは、後に艦載機がSH-60Jに変更されたのにあわせてRAST-Jに換装されている[19]

ヘリコプター格納庫 ヘリコプター格納庫と艦尾甲板
ヘリコプター格納庫
ヘリコプター格納庫と艦尾甲板


遍歴[編集]

上述のように本型はわずか5年で12隻(準同型艦を含めれば20隻)が建造され、護衛艦としてはちくご型(41〜49DE)の11隻を上回る大量建造の記録を樹立した。これは既に述べられているように海上自衛隊創設期の艦艇の大量除籍に対応したポスト4次防に伴うものである。51大綱の影響は、拡大改良型のあさぎり型における大型化やP-3C哨戒機の調達数増加にみることができる。

本型の最大の弱点は、3,000トンの艦体にあれもこれも詰め込んだことによる余裕の無さとする意見があるが、これは問題の主客が逆転している。現代の汎用駆逐艦として必要な要素(ガスタービン主機、システム艦、ミサイル装備、ヘリコプター搭載)は確定しており、それを安価に達成するために排水量の縮小(基準排水量で3,000トン以下が至上命令とされた)と発達余裕の放棄、艦齢延長の可能性の断念等を呑んだ設計としたものである。この最小艦型への要求は、調達時期が四次防終了後の単年度会計であったことも関係している。

また電波妨害装置(ECM)や衛星通信アンテナを追加搭載するなど、逐次近代化を図っている。

むらさめ型(03〜09DD)たかなみ型(10〜13DD)といった新時代のDDが就役するにつれ、本型は護衛艦隊傘下の護衛隊群を離れ、地方隊に転籍していった。この際には哨戒ヘリコプターは搭載しない運用となった。

最終艦「しまゆき」は、海上自衛隊の艦艇が時代の趨勢と共にシステム艦化し、実習員などの教育と訓練もこれに適合したものが求められるようになったため、就役から十数年という異例の早さで練習艦に艦種変更された。続いて「しらゆき」、「せとゆき」も練習艦とされ、これら3隻はしまゆき型練習艦と称されている。これらの処遇については決定していないが、適当な代艦がないため、おそらくは今後しばらく現役に留まるものとみられる。

2008年3月の大改編に伴い、地方隊から護衛艦隊(司令部:横須賀)直轄所属の護衛隊に転籍となり、これと同時に哨戒ヘリコプター搭載も復活した。また後期建造艦のうち3隻(「やまゆき」、「まつゆき」、「あさゆき」)については延命改修が施され、今後もしばらく(10年ほど)は現役にとどまる予定である。

尖閣諸島国有化以降続発する尖閣諸島中国船領海侵犯事件に対応するため、くにがみ型巡視船の新造船が就役する2016年3月までの3年間、退役したはつゆき型を海上保安庁巡視船として転用する計画が持ち上がった。これを受けて、2013年1月に海上保安官の担当者が「みねゆき」を視察するなどしていたが[23][24]、同年6月14日に小野寺五典防衛大臣が転用計画は見送りとなったことを発表した[25]

同型艦[編集]

艦番号 艦名 建造 起工 進水 竣工 練習艦への
艦種変更
除籍 所属
DD-122 はつゆき 住友重機械
追浜造船所浦賀工場
1979年
(昭和54年)
3月14日
1980年
(昭和55年)
11月7日
1982年
(昭和57年)
3月23日
-------
2010年
(平成22年)
6月25日
最終所属
護衛艦隊第11護衛隊
横須賀
旧:DD-123
現:TV-3517
しらゆき 日立造船
舞鶴工場
1979年
(昭和54年)
12月3日
1981年
(昭和56年)
8月4日
1983年
(昭和58年)
2月8日
2011年
(平成23年)
3月16日
練習艦隊
(呉)
DD-124 みねゆき 三菱重工業
長崎造船所
1981年
(昭和56年)
5月7日
1982年
(昭和57年)
10月19日
1984年
(昭和59年)
1月26日
-------
2013年
(平成25年)
3月7日
最終所属
護衛艦隊第14護衛隊
舞鶴
DD-125 さわゆき 石川島播磨重工業
東京第1工場
1981年
(昭和56年)
4月22日
1982年
(昭和57年)
6月21日
1984年
(昭和59年)
2月15日
-------
2013年
(平成25年)
4月1日
最終所属
護衛艦隊第11護衛隊
(横須賀)
DD-126 はまゆき 三井造船
玉野事業所
1981年
(昭和56年)
2月4日
1982年
(昭和58年)
5月27日
1983年
(昭和58年)
11月18日
-------
2012年
(平成24年)
3月14日
最終所属
護衛艦隊第14護衛隊
(舞鶴)
DD-127 いそゆき 石川島播磨重工業
東京第1工場
1982年
(昭和57年)
1月23日
1983年
(昭和58年)
9月19日
1985年
(昭和60年)
1月23日
-------
2014年
(平成26年)
3月13日
最終所属
護衛艦隊第13護衛隊
佐世保
DD-128 はるゆき 住友重機械
追浜造船所浦賀工場
1982年
(昭和57年)
3月11日
1983年
(昭和58年)
9月6日
1985年
(昭和60年)
3月14日
-------
DD-129 やまゆき 日立造船
舞鶴工場
1983年
(昭和58年)
2月25日
1984年
(昭和59年)
7月10日
1985年
(昭和60年)
12月3日
護衛艦隊第11護衛隊
横須賀
DD-130 まつゆき 石川島播磨重工業
東京第1工場
1983年
(昭和58年)
4月7日
1984年
(昭和59年)
10月25日
1986年
(昭和61年)
3月19日
護衛艦隊第14護衛隊
(舞鶴)
旧:DD-131
現:TV-3518
せとゆき 三井造船
玉野事業所
1984年
(昭和59年)
1月16日
1985年
(昭和60年)
7月3日
1986年
(昭和61年)
12月11日
2012年
(平成24年)
3月14日
練習艦隊
(呉)
DD-132 あさゆき 住友重機械
追浜造船所浦賀工場
1983年
(昭和58年)
12月22日
1985年
(昭和60年)
10月16日
1987年
(昭和62年)
2月20日
護衛艦隊第13護衛隊
(佐世保)
旧:DD-133
現:TV-3513
しまゆき 三菱重工業
長崎造船所
1984年
(昭和59年)
5月8日
1986年
(昭和61年)
1月29日
1987年
(昭和62年)
2月7日
1999年
(平成11年)
3月18日
練習艦隊
(呉)

登場作品[編集]

映画

平成ゴジラシリーズでは、はつゆき型を模した護衛艦がよく登場する(護衛艦のミニチュアには、兵装の種類や配置などにアレンジが加えられているものもある)。

ゴジラvsビオランテ
「はつゆき」がはるな型護衛艦ひえい」と共に浦賀水道沖でゴジラと交戦[26]。はつゆき型の日本映画初登場であり、護衛艦がゴジラを攻撃する場面[27]が描かれるのも初めてとなる。
ゴジラvsモスラ
幼虫モスラの迎撃に、「はるゆき」[26]架空の護衛艦DD-134 「もりゆき」[要出典]が出動。
ゴジラvsスペースゴジラ
鹿児島湾沖に出現したゴジラを「しらゆき」が迎え撃った。自衛隊では無く国連Gフォースの所属[26]であり、煙突にGフォースのマーキングがある。
ゴジラvsデストロイア
上述の「しらゆき」[26]沖縄沖に出現したゴジラを追跡(所属は海上自衛隊)。
ゴジラ×メカゴジラ
「はつゆき」が太平洋上でゴジラを捜索(実写映像)[26]
ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS
横須賀基地に停泊中の「さわゆき」(実物)の前で、レポーターがゴジラについて報道する。
テレビ番組
奇跡体験!アンビリバボー
「海の武士道」でDD-122 「はつゆき」・DD-125 「さわゆき」が再現ドラマ撮影に協力。
アニメ映画
ソリトンの悪魔
 漫画
大怪獣激闘 ガメラ対バルゴン COMIC VERSION
「はつゆき」が登場。海を漂流する主人公を救助する。
『レイドオントーキョー』
太平洋艦隊の演習監視任務に「しまゆき」が登場。対艦ミサイルが直撃し、撃沈してしまう
小説
亡国のイージス
『大逆転!ミッドウェー海戦』(檜山良昭作品 『大逆転!』シリーズ小説)
環太平洋合同演習(リムパック)」へ参加する為、ミッドウェー島沖を航行中だった、海上自衛隊の護衛艦8隻が、アメリカのタイムトラベル実験に巻き込まれ、このうち4隻がミッドウェー海戦勃発直前の同沖にタイムスリップしてしまい、その4隻中1隻に「さわゆき」が含まれるが、『さわゆき』は米潜水艦の魚雷攻撃を受け撃沈される。
その他
SAVIOR OF SONG』プロモーション・ビデオ(ミュージック・ビデオ
ナノの「SAVIOR OF SONG」(アニメ「蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ-」のオープニングテーマ)のPVに『せとゆき』が登場。同艦の甲板でPV撮影が行われた[28]

出典[編集]

  1. ^ 長崎県防災会議 (2012年6月). “長崎県地域防災計画 基本計画編 自衛隊派遣要請計画 (PDF)”. 2013年11月20日閲覧。
  2. ^ a b c 『自衛隊装備年鑑 2006-2007』 朝雲新聞2007年、220-221頁。ISBN 4-7509-1027-9
  3. ^ 「技術開発官(船舶担当)」『技術研究本部60年史防衛省技術研究本部、創立六十周年記念事業準備委員会、2012年11月。
  4. ^ 香田洋二「国産護衛艦建造の歩み(第27回)」、『世界の艦船』第813号、海人社、2015年3月、 148-155頁。
  5. ^ a b c d e 香田洋二「国産護衛艦建造の歩み(第23回)DEの推進軸数 日米の相違,ポスト4次防の新装備(OQS-4ソナー,Mk46短魚雷),はつゆき型DD(その1)」、『世界の艦船』第806号、海人社、2014年11月、 104-111頁、 NAID 40020216119
  6. ^ a b 長田博「8艦8機の4個群体制ついに完成!」、『世界の艦船』第497号、海人社、1995年6月、 96-99頁。
  7. ^ 野田 正巳「短SAM発射! 射撃指揮装置2型の登場」、『世界の艦船』第493号、海人社、1995年3月、 84-87頁。
  8. ^ a b c d e f g 「初ものずくめ! 護衛艦建造史に一期を画した「はつゆき」」、『世界の艦船』第729号、海人社、2010年9月、 148-153頁、 NAID 40017199804
  9. ^ a b c d e f g h i j k 香田洋二「国産護衛艦建造の歩み(第25回)ポスト4次防の新装備(短SAMおよび発射装置),はつゆき型DDその3, あさぎり型DDその2」、『世界の艦船』第805号、海人社、2015年1月、 194-201頁、 NAID 40020274355
  10. ^ 江畑謙介『艦載ヘリのすべて 変貌する現代の海洋戦』原書房、1988年
  11. ^ a b c 香田洋二「国産護衛艦建造の歩み(第26回)」、『世界の艦船』第812号、海人社、2015年2月、 106-113頁。
  12. ^ 阿部 安雄「2.推進システム (護衛艦の技術的特徴)」、『世界の艦船』第742号、海人社、2011年6月、 106-111頁、 NAID 40018815745
  13. ^ 寺田政信「1994年における舶用機関技術の進歩」、『日本舶用機関学会誌』第30巻第7号、1995年7月、 489-527頁。
  14. ^ 藤木平八郎「海上自衛隊「八八艦隊」汎用DDの系譜 「はつゆき」型から「たかなみ」型まで (特集 新DD「たかなみ」型のすべて)」、『世界の艦船』第614号、海人社、2003年8月、 94-99頁、 NAID 40005855328
  15. ^ Norman Friedman (2006). The Naval Institute guide to world naval weapon systems. Naval Institute Press. ISBN 9781557502629. http://books.google.co.jp/books?id=4S3h8j_NEmkC. 
  16. ^ 山崎眞「わが国現有護衛艦のコンバット・システム」、『世界の艦船』第748号、海人社、2011年10月、 98-107頁、 NAID 40018965310
  17. ^ 技術開発官(船舶担当) 『技術研究本部50年史』(PDF)、2002年、72-115頁。2012年8月25日閲覧。
  18. ^ a b 香田洋二「国産護衛艦建造の歩み(第24回)ポスト4次防の新装備(CIWS Mk15,TACTASS OQR-1) はつゆきDD型(その2)あさぎり型DD」、『世界の艦船』第808号、海人社、2014年12月、 102-110頁、 NAID 40020245107
  19. ^ a b 森恒英 「2. 護衛艦」『続 艦船メカニズム図鑑』 グランプリ出版、1991年、16-135頁。ISBN 978-4876871131
  20. ^ 高須廣一「兵装 (海上自衛隊護衛艦史1953-2000) -- (海上自衛隊護衛艦の技術的特徴)」、『世界の艦船』第571号、海人社、2000年7月、 188-195頁、 NAID 40002155858
  21. ^ 多田智彦「ここまできた最新の魚雷防御システム」、『軍事研究』第50巻第6号、ジャパン・ミリタリー・レビュー、2015年6月、 196-211頁。
  22. ^ 「現代軍艦の航空艤装 (特集 航空機搭載水上戦闘艦)」、『世界の艦船』第758号、海人社、2012年4月、 94-99頁、 NAID 40019207474
  23. ^ 朝日新聞 (2013年3月5日). “尖閣監視へ退役海自艦の転用検討 海保、巡視船に”. 2013年9月3日閲覧。
  24. ^ NHKオンライン (2013年3月6日). “護衛艦の巡視船転用 課題多く”. 2013年3月7日閲覧。
  25. ^ 時事通信 (2013年6月14日). “退役護衛艦の転用見送り=小野寺防衛相”. 2013年9月3日閲覧。
  26. ^ a b c d e 東宝特撮メカニック大全 1954-2003(新紀元社・2003年)p312
  27. ^ フリゲート艦隊が爆雷攻撃を実施する『ゴジラ』では「海上保安庁」でクレジットされている。
  28. ^ 海上自衛隊 イベント・メディア掲載情報

関連項目[編集]

9番艦「まつゆき」が相模湾での公試中に事故機の垂直尾翼を偶然発見、回収し事故原因解明に大きく寄与したというエピソードがある。