阿倍野区
あべのく 阿倍野区 | |
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国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 大阪府 |
市 | 大阪市 |
市町村コード | 27119-5 |
面積 |
5.98km2 |
総人口 |
111,966人 [編集] (推計人口、2024年5月1日) |
人口密度 | 18,723人/km2 |
隣接自治体 隣接行政区 |
大阪市:天王寺区、生野区、 住吉区、東住吉区、西成区 |
区の花 | もも、ペチュニア |
区のマスコット キャラクター | あべのん |
阿倍野区役所 | |
所在地 |
〒545-8501 大阪府大阪市阿倍野区文の里一丁目1番40号 |
外部リンク | 阿倍野区ホームページ |
ウィキプロジェクト |
阿倍野区(あべのく)は、大阪市を構成する24区のうちのひとつ。
概要
北部の阿倍野橋周辺は近鉄南大阪線大阪阿部野橋駅、大阪市営地下鉄御堂筋線・大阪市営地下鉄谷町線天王寺駅、阪堺電気軌道上町線天王寺駅前駅があり、百貨店や映画館などが存在する商業地区である。国道25号を挟んですぐ北側の天王寺区に位置するJR大阪環状線・関西本線・阪和線天王寺駅とともに「天王寺・阿倍野」と位置づけられ、大阪府内ではキタの「梅田」、ミナミの「心斎橋・難波」に次ぐ大阪の第三のターミナル・繁華街としての機能を持つ。
町会・自治会等の自治組織は、金塚・常盤・高松・丸山・晴明丘・王子・阿倍野・阪南・長池・文の里の各連合町会が組織されている。北東部の松崎町・文の里と、南西部の晴明通・橋本町・相生通・北畠・帝塚山・万代は文教地区として知られている。また、南西部は『聖天山風致地区』(晴明通・橋本町・相生通・北畠・帝塚山)辺り(部分的に風致地区でない箇所も有る)、とりわけ北畠・帝塚山は高級住宅街として知られる。
なお、区名や大阪市営地下鉄・阪堺電気軌道上町線の駅名は「阿倍野」だが、神社名と近鉄南大阪線の駅名は「阿部野」となっている。
地理
隣接している区
町名
阿倍野区の町名には、以下のものがある。
- 天王寺町北、天王寺町南、美章園、文の里、三明町、昭和町、桃ケ池町、長池町、西田辺町、阪南町、播磨町、王子町、橋本町、晴明通、相生通、阿倍野元町、北畠、万代、帝塚山、共立通、丸山通、松虫通、旭町、阿倍野筋、松崎町
また現在は住居表示上の町名ではないものの、地域一帯を示す地名として金塚(旭町全域と阿倍野筋の一部)、高松(天王寺町北・天王寺町南)といった地名があり、小学校や連合町会などの名称として使用されている。
主な地名の由来は、以下の通りとなる。
- 文の里 - この付近を宅地開発を行った天王寺土地建物株式会社が、この地を「文ノ里」と命名した事。及び当時、この地を走っていた南海電気鉄道平野線(1980年11月28日廃止)の苗代田 - 股ヶ池間に駅を建設し、「文ノ里」と名付けて南海電気鉄道に寄付した事に由来する。
- 播磨町 - 王子町4丁目にある南北朝時代の住吉の合戦で南朝側の忠臣・楠正行と戦って敗れた北朝側の播磨の太守・赤松則村(円心)の子、赤松貞範が、戦死した将兵の遺骨を納めて塚を築き、播磨塚と名付け部下の冥福を祈ったと伝えられている事に由来する。
- 王子町 - 旧東成郡天王寺村大字阿倍野村字王子前に由来する。
- 橋本町 - 江戸時代の与力であった橋本尚四郎・久五郎兄弟が明治維新後、この地に移り住み、明治の初め頃に天下茶屋遊園地や聖天坂の道路開発など手掛けるなど、この辺り一帯の開発に貢献したのを記念して名付けられた事に由来する。
- 晴明通 - この付近が生誕の地とされ、この地に隣接する阿倍野元町5番地にある平安時代の陰陽師の一人、安倍晴明を祀る安倍晴明神社(阿倍王子神社の末社)に由来する。
- 相生通 - かつての東成郡天王寺村の西端であった紀州街道の下町から東に伸びる町並み(現在の西成区天神ノ森付近)と、同じく東成郡天王寺村のほぼ中心部を通る阿倍野街道(熊野街道の一部)から西へ伸びる町並みとが現在の相生通1丁目8番地と相生通1丁目9番地との境目の坂の辺りで相会する事から、その意味を取り入れて、その坂の名が相生坂と名付けられた事に由来する。
- 阿倍野元町 - かつての東成郡阿部野村の中心地であった事に由来する。
- 北畠 - 王子町3丁目8番地にある北畠公園に所在する大名塚を、江戸時代の国学者・並川誠所が、南北朝時代の石津の戦いで討ち死にした南朝側の公家で、武将でもあった北畠顕家の墳墓と享保年間に比定した事により、明治維新後、地元の有志が、この辺り一帯を北畠顕家戦没の地として顕彰し、北畠顕家を祀る祠、阿部野神社を建立するとともに、この地に北畠の名を冠した事に由来する。
- 万代(1丁目のみ阿倍野区・2-3丁目は住吉区) - この地の南側に隣接する住吉区万代3丁目7番地にある万代池に由来する。また、町名が名付けられた当時、この辺りも住吉区の一部であった。
- 帝塚山 - この地の南側に隣接する住吉区帝塚山西2丁目8番地に帝塚山古墳に由来する。また、町名が名付けられた当時、この辺りも住吉区の一部であった。
歴史
1943年(昭和18年)4月1日に、大阪市がそれまでの15区制から22区制へ分増区させた際、住吉区が3区(住吉区・東住吉区・阿倍野区)に分区されて誕生した。区域は大阪市編入前の旧天王寺村(1897年大阪市第一次市域拡張以降の区域)の大半と、田辺村・住吉村・長居村のそれぞれ一部にあたる。
区名の由来は、古代にこの地を領有していた豪族「阿倍氏」の姓からとする説と、『万葉集』の山部赤人の歌からとする説、古地名の「東生郡餘戸郷(ひがしなりぐんあまべごう)」の「餘戸(あまべ)」からとする説などがあるが、豪族「阿倍氏」説が今のところ有力である。
区名については、1943年分区前までの住吉区役所は現在の阿倍野区内にあったことから、当初の案では分離前の「住吉区」の区名を継承することが検討されていた(現在の住吉区は、当初案では「住之江区」が提示された)。しかし住吉大社周辺の住民の反対によってこの案は撤回され、「住吉区」の名称は現在の住吉区が継承し、当区は阿倍野区の名称となった。
この際、新区名の漢字表記を「阿倍野」にするか「阿部野」にするかの論議が起きた。当時「阿倍野」「阿部野」の両表記ともに広く使用されていたが、1925年に大阪市に編入された際、東成郡天王寺村大字「阿部野」から大阪市住吉区「阿倍野」町へ表記が変更されていたこともあって、区役所の土地台帳や戸籍原簿などに「阿倍野」が使われていたため「阿倍野」の表記を採用した。
なお1925年に大阪市に編入された際に設置された第一次住吉区は、第一次案での区名候補は「阿倍野区」だったが、住吉区の名称が採用されている。
産業
商業
主な商業施設
阿倍野区に本社を置く企業
地域
教育
大学・短期大学・専門学校
- 私立
- 専門学校
高等学校
- 大阪府立
- 大阪市立
- 私立
中学校
小学校
- 国立
- 大阪市立
- 大阪市立阿倍野小学校
- 大阪市立金塚小学校
- 大阪市立晴明丘小学校
- 大阪市立晴明丘南小学校
- 大阪市立高松小学校
- 大阪市立常盤小学校
- 大阪市立常盤小学校分校(校舎のみ)
- 大阪市立長池小学校
- 大阪市立苗代小学校
- 大阪市立阪南小学校
- 大阪市立丸山小学校
交通
鉄道路線
- 中心となる駅:近鉄南大阪線大阪阿部野橋駅及び地下鉄線・上町線天王寺駅。但し、阿倍野区役所の最寄り駅は阿倍野駅である。
- 近畿日本鉄道
- 近鉄南大阪線:大阪阿部野橋駅 - 河堀口駅
- 西日本旅客鉄道
- 大阪市営地下鉄
- 阪堺電気軌道
道路
名所・旧跡・文化・観光施設
- 阿部野神社 - 南朝の北畠親房と北畠顕家を祀る。
- 阿倍王子神社
- 安倍晴明神社 - 陰陽師・安倍晴明の誕生地とされる、晴明ゆかりの神社。
- 正圓寺 - 「天下茶屋の聖天さん」と呼ばれる。
- 桃ケ池
- 熊野街道
- 庚申街道
- 聖天山
- 大阪市立阿倍野図書館
-
阿部野神社
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阿倍王子神社
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安倍晴明神社
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桃ヶ池
出身有名人
- 乾浩明(元朝日放送アナウンサー・フリーアナウンサー)
- 逸見政孝(フリーアナウンサー)
- 堀内孝雄(歌手)
- 毒蝮三太夫(俳優、タレント、ラジオパーソナリティ)
- 上瀧和則(競艇選手)
- 林家ペー(タレント・漫談家・落語家)
- 綾戸智恵(歌手)
- 渡辺たかね(タレント・料理研究家)
- ハイヒールモモコ(漫才師)
- 八木早希(アナウンサー)
- ヤナギブソン(ザ・プラン9・お笑い芸人)
- ボン溝黒(カナリア・お笑い芸人)
- 渡辺博之(元プロ野球選手)
国土交通省地価公示(2009年度)
商業地域・防火地域
- 昭和町2丁目1番1号:472,000円/m²
- 三明町2丁目7番23号:386,000円/m²
- 昭和町5丁目1番30号:440,000円/m²
- 旭町1丁目1番10号:622,000円/m²
一種住居地域・準防火地域
- 文の里3丁目7番30号:366,000円/m²
- 三明町2丁目10番6号:298,000円/m²
- 阪南町6丁目12番10号:320,000円/m²
- 天王寺町北2丁目16番2号:262,000円/m²
二種中高層住居専用地域・準防火地域
- 丸山通1丁目3番36号:242,000円/m²
- 桃ケ池町2丁目10番21号:319,000円/m²
- 晴明通5番16号:309,000円/m²
- 阪南町1丁目32番16号:323,000円/m²
- 播磨町1丁目11番11号:312,000円/m²
- 北畠1丁目6番17号:438,000円/m²