上瀧和則

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
上瀧和則
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1968-05-20) 1968年5月20日(55歳)
身長 166cm
体重 52kg
血液型 A型
選手情報
所属 佐賀支部
登録番号 3307
登録期 60期
級別 A1級(2022年前期)
特徴
選手実績
デビュー日 1987年5月
SG優勝 4
GI/PGI優勝 17
主要獲得タイトル
テンプレートを表示

上瀧 和則(じょうたき かずのり、1968年5月20日[1] - )は佐賀県佐賀市出身の競艇選手である。前職の日本モーターボート選手会選手会長。佐賀支部所属。身長166cm、血液型はA。登録番号3307の60期生[† 1]。イン戦速攻を得意とする。師匠は長崎出身、平和島で開催された第21回総理大臣杯を制した「大村ゴッドファーザー古川文雄

経歴[編集]

1968年5月20日佐賀県佐賀市大和町に生まれる[1]。10歳の時に父親に連れられて唐津競艇場でレースを観戦し、競艇選手を志す[1]佐賀県立佐賀商業高等学校中退後、本栖養成所に入所し、1987年3月に卒業(60期)[2]。同年5月に唐津競艇場でデビューし、6月に初勝利を挙げる[2]。デビューから半年でB1級、さらにその半年後にA級に昇級[2]。1989年には年間最優秀新人に選出された[3]

スタートの良さに定評があり[4]、イン戦速攻を得意とする。過去のSG4勝は全て1コースからの勝利である(逃げ3回・抜き1回)。

徹底したイン取りや冷酷なまでのレース内容から付けられた愛称は、「非情のワイルドボーイ」。2011年3月17日日本モーターボート選手会の副会長に就任したため、4月以降のレース斡旋を全て辞退している。その後、2012年6月26日に選手会長に就任。

選手会役員に就任した選手はレースに出走しないのが通例だが、選手会長在任のまま2014年8月14日から唐津競艇場で行われたお盆特選競走に出走し、約3年5ヶ月ぶりにレースに復帰し、準優出4着という結果となった[5][6]

2020年の選手会長選挙に「非常勤の会長」を宣言して立候補し無投票で5選。同年5月の下関競艇場の一般戦を皮切りに会長兼任のまま「現役復帰」し、半年の間に8節程度の出走を予定している[7]

2022年1月27日、津競艇マンスリーBOATRACE杯で優勝し、現役選手会長としては歴代初となる優勝を果たした[8]

2022年6月28日、日本モーターボート選手会選手会長の選挙には立候補せず、新会長に瓜生正義が選ばれたことにより、選手会長を退任。

主なSGGIビッグタイトル[編集]

※記念優勝通算21回(SG4回、GI17回)

人物・エピソード[編集]

  • イン屋の典型で、何号艇であろうと相手が誰であろうと1コースを取りに行く。最低でも2コースには入る。余程のことがない限り、回り直しをしたとき以外は外側のコースを選ぶことは無い。理想の勝ち方は、「外枠から前付けして、80まで流れ込んでもインから逃げ切ること」。
  • コース取りには妥協を許さない上瀧だが、同期の選手相手だと無理にコースを取りに行かない事もある。
  • 後輩の面倒見が非常によく、九州の選手から非常に慕われている。2005年11月の第8回競艇王チャレンジカップで優勝後、福岡支部の瓜生正義と抱き合った(上瀧の優勝で、瓜生は賞金ランキングギリギリの12位で賞金王決定戦競走の出場権を手に入れた)。
  • フライング休みの後輩選手を海外旅行に連れて行った事もある。旅行費用や土産代まで全て上瀧自身が賄っている。
  • 植木通彦とは新鋭時代からのライバルであったがF渦に陥る(一時期はF3を犯して事故率オーバーとなり自動的に最低ランクのB2にまで陥落)うちに大差をつけられた。しかし、SG初制覇となった第43回福岡全日本では宿敵・植木を艇史に残る接戦の末に競り落として宿願のビッグを掴み取っている。
  • 2007年戸田競艇場で行われた第17回グランドチャンピオン決定戦の2日目・予選競走第11レース中に西島義則と接触して転覆。救助艇に乗っても動かない為「死んだのでは」と言われた(本人は平気であったが、公傷のため帰郷)。
  • 地元水面の唐津を得意にしているが、芦屋との相性が抜群に良い。初1着・初優勝をはじめ、SG(先述の第8回競艇王チャレンジカップ)や記念レース(1993年開設41周年記念1995年施設改善記念2004年第50回九州地区選手権とGIを3勝)でも実績を残している。
  • 2010年12月8日大村・第57回九州地区選手権を制して通算優勝回数を80回としている。
  • 2012年12月9日放映のテレビ番組「ほこ×たて」にインタビュー出演している。これはロケが碧南訓練所で行なわれた関係で、上瀧は選手会会長として出演した。

通算成績[編集]

  • 1着回数 1582回 2着回数 985回 3着回数 621回
  • 勝率 7.43 (2連対率 54.25% 3連対率 67.38%)
  • SG4勝 GI17勝 GII1勝 GIII13勝 (通算優勝回数82)

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 同期には濱村芳宏蒲郡第26回笹川賞優勝)・烏野賢太尼崎第36回総理大臣杯びわこ第6回競艇王チャレンジカップ優勝)・倉谷和信びわこ第50回近畿地区選手権など記念4勝)・川崎智幸住之江41周年太閤賞など記念7勝)・藤丸光一多摩川54周年ウェイキーカップで初の記念を獲得)といったA1級・7点レーサー(競艇界で勝率7点台の選手は全選手の約5%にすぎない)がいる。

出典[編集]

参考文献[編集]

  • 木村幸治『水上の格闘者たち』講談社、1992年。ISBN 978-4-06-204715-9 

外部リンク[編集]