阿倍王子神社
| 阿倍王子神社 | |
|---|---|
阿倍王子神社 拝殿 |
|
| 所在地 | 大阪市阿倍野区阿倍野元町9-4 |
| 主祭神 | 熊野権現(伊弉諾尊、伊弉冉尊、素盞嗚尊)、八幡大神(品陀別尊) |
| 社格等 | ? |
| 創建 | 仁徳年間(393年~427年) |
阿倍王子神社(あべおうじじんじゃ)とは大阪府大阪市阿倍野区にある神社。
かつては安倍野王子(あべのおうじ)といい熊野神社の分霊社である九十九王子の一つとされる。
目次 |
[編集] 概要
『摂州東成郡阿倍権現縁記』によれば、仁徳天皇の夢の中に熊野三山の使いである3つの足の烏が現れ、仁徳天皇がそれを捜させると同じものが当地(阿倍島:当時、島があったという。)にいたので、そこに神社を創建したという。これとは別にこの地域を本拠した古代豪族の阿倍氏が建立したという説もある。
[住吉大社]や四天王寺に挟まれ、熊野参詣の街道筋の王子社として存続し、後鳥羽天皇が熊野御幸をした時は4番目の九十九王子だった(「後鳥羽院熊野御幸記」)。しかし、後戦国時代に戦乱により多くの王子が焼失したため、安土桃山時代には2番目の王子とされ、そもそもは5番目であったが、現在は現存している王子の中で1番目である。
大阪府内の九十九王子社で唯一現存している。
[編集] 境内外社
[編集] 境内社
- 総合末社
- 祭神:天照大神・豊受大神・住吉大神・春日大神・金刀比羅大神・恵比須大神・天満大神・高良大神・由賀大神
- 御烏社(願掛け御烏)
- 八咫烏大神
- 祭神:葛之葉稲荷大神・末広大神・萬直大神・白玉大神・宝玉大神・玉姫大神・日切大神・大高大神
- 8柱の神を祀るがすべて稲荷神のことだと思われる。
- 水神社
- 神木
- 茂杜能木霊神(もりのこだまのかみ)
- 汰紀能木霊神(たきのこだまのかみ)
- 多摩能木霊神(たまのこだまのかみ)
- 波多能木霊神(はたのこだまのかみ)
[編集] 境外社
- 玉菊稲荷神社
- 祭神:玉菊大明神・玉村大明神
- 両神とも稲荷神のことである。1936年(昭和11年)に創建された。独立した神社だったが、1998年(平成10年)に阿倍王子神社の境外末社になった。
- 安倍晴明神社(後述)
[編集] 安倍晴明神社
安倍晴明神社(あべせいめいじんじゃ)は、安倍王子神社の北方約50mに鎮座する安倍王子神社境外社(飛び地境内社・末社)。
社名の通り祭神の安倍晴明はこの地で生まれたと伝えられている。社伝(「晴明宮御社伝書)によると創建は1007年(寛弘4年)で、代々晴明の子孫と称する保田家が社家として奉仕し、江戸時代には代々大坂城代が参拝にくるほど有力な神社であったが、幕末には衰微し、明治時代には小さな祠と下記にある石碑のみになってしまったという。しかし明治時代末期になると復興計画が持ち出され、1921年(大正10年)には安倍王子神社の末社として認可された。社家の子孫である保田家より旧社地の寄進を受け、1925年(大正14年)現在の社殿が竣工した。拝殿は三間社入母屋造で本殿は流造である。
本殿より右側には「泰名稲荷神社」が鎮座する。「泰名」とは伝説上の晴明の父親の名である。他境内には「産湯井)の跡」(晴明の産湯に使われた井戸)、「葛之葉霊狐の飛来像」、「安倍晴明誕生地の石碑」があり、産湯は摂津名所図会の頃に既に登場している。石碑は1818~1830年(文政年間)に堺商人・神奈辺大道心の手によって建立された。
戦時中には神社内に焼夷弾が落ちるも爆発せず、本殿は被災をまぬがれた。この為、地元では「晴明さんが守って下さった」と評判になり、以来災難除けの神様としても信仰を集めている。
- 「阿倍」氏
晴明宮御社傳書には、大彦命と彦太忍信命は同一人物で、両者が合体したような名「太彦忍信命(おおひこおしのまことのみこと)」で、阿倍氏の祖として記載されている。また、阿倍氏は、氏族名を記載するとき、最初に、阿閇氏の漢字を使っていたとも書かれている。
[編集] 境内社
- 泰名稲荷神社