コンテンツにスキップ

氷室京介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。211.23.170.204 (会話) による 2012年5月9日 (水) 02:05個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎関連項目)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

氷室京介
出生名 寺西修
別名 ヒムロック
氷室狂介
生誕 (1960-10-07) 1960年10月7日(63歳)
出身地 日本の旗 日本, 群馬県高崎市
ジャンル J-ROCK
ロック
職業 シンガーソングライター
音楽プロデューサー
担当楽器 ボーカル
ギター
活動期間 1982年 - 1988年
BOØWY
1988年 -
(ソロ活動)
レーベル EMIミュージック・ジャパン(1985年 - 1994年,2002年 - 2011年)
ポリドール(1995年 - 2002年)
ワーナーミュージック・ジャパン(2011年 - )
事務所 Beat Nix
共同作業者 森雪之丞
松井五郎
公式サイト HIMURO.COM公式サイト
エルヴィス・プレスリー
デヴィッド・ボウイ
エルヴィス・コステロ
RCサクセション
矢沢永吉

氷室 京介(ひむろ きょうすけ、1960年10月7日 - )は、日本ロックボーカリストミュージシャン

群馬県高崎市倉賀野町出身。所属事務所はBeat Nix。ロサンゼルス在住。

人物

地元、群馬県で松井常松らと共にデスペナルティを結成し、EastWestコンテストに入賞。その後、音楽事務所ビーイングにスカウトされるが、事務所に「実力不足」を理由に強制解散させられる。

1979年スピニッヂ・パワーのメンバーとしてプロデビューする。

1982年氷室狂介の名前[1]で、ロックバンドBOØWYヴォーカリストとして、アルバムMORAL』で再デビュー[2]を果たした。

システムに組み込まれないという価値観と性急なまでの縦ノリビートが当時20歳前後の若者に絶大なる支持を得て、日本独自のビート系ロックバンドとしてビートロックを確立し、解散までの約6年間に日本のロック界ではまだ有り得なかった数々の伝説を残した(音楽評論家の間では、よく「BOØWY以前、BOØWY以後」と表現された)。

1988年、シングル『ANGEL』でソロデビュー。同年オリコン年間順位8位となった。その後も、独自のロック美学と圧倒的なライブパフォーマンスがカリスマ的に多くのフォロワーや業界関係者に影響を与える。

1994年ロサンゼルスに創作拠点を置いて以後、マスメディアへの露出は更に減ったが(「たとえファンが離れても仕方ないと思っていた」と後にコメント。現在は雑誌での登場は一切していない)、日本でライブコンサートを開けば今でも全ての会場が満員になる。ロサンゼルスという環境を生かして、凄腕の外国人エンジニアアーティストミュージシャン等に自らオファーをし、自らをプロデュースするという形をとっている。

クロムハーツを長年愛用し、コラボレートするなど、ファッションにもこだわりを見せている。また、左の二の腕にはタトゥーを入れている。

趣味は、ライカでの写真撮影。彼をBOØWY時代から撮影していた加藤正憲によって写真を教えてもらってもいた。 好きな写真家は、アンリ・カルティエ・ブレッソンなど。

音楽性

演者であることよりもクリエイターとしての活動を重視しており(そのための渡米であった)自身の時間の大半を作曲、アレンジ、録音に割き、レコーディングでは、ジョシュ・フリーズ(Josh Freese、ドラム)、マイケル・ランドウ(ギター)など、その他ロサンゼルスの売れっ子ミュージシャンを多く起用している。

デヴィッド・ボウイエルヴィス・コステロなどの影響をうけている。また、1990年代以降のロックの潮流であるオルタナティブ・ロックも最近の彼の音楽性に影響を与えており、本人は「あくまでニルヴァーナ以降の流れ」とコメントしている。

チャートなどはあまり興味がないらしく独創的な音楽への欲求が強い。本人曰く「俺の求めるサウンドはもう、こちら(L.A.)にさえない」とのこと。

2003年(平成15年)のアルバムリリース直後「クレームが来ないか心配だった」と語る通り、それまでのバラード重視とは打って変わり、再び荒削りなロックとしての音作りを追求した。

作詞について

作詞に関しては、初期は松井五郎が主だったが、最近では森雪之丞の起用が目立つ。本人曰く「BOØWY時代は、詞を書いたが、ソロではほとんど詞を書かなくなった」、「アルバム『FOLLOW THE WIND』は全て雪之丞さんに作詞を依頼した」とのこと。

自分で作詞をしなくなったのは、BOØWYのアルバム『MORAL』収録曲の「SCHOOL OUT」の詞の内容に影響された若者が「あなたの言うとおり学校を中退した」などとする内容の手紙を送って来たためで、自身の歌詞の影響力について深く知ったため、と述べている。

シングル「EASY LOVE」、アルバム『IN THE MOOD』収録曲「Ignition」では、再び松井五郎を起用した。「息子の成長を見守っている内に自分にも心境の変化があった。この世界を表現するには松井さんが適任だと思った」「彼の詞は聴き手によって、どちらの意味にも取れるので…」とその理由を述べた。

過酷なツアー

ライヴツアーの本数が増えて来ていることに関しては、「肉体的には疲れても精神的にはエネルギーをもらえるから」とコメントしている。

ツアーのサポート・ミュージシャンは、本田毅(ギター)、DAITA(ギター)、西山史晃(ベース)など、主要メンバーは定着している。ドラマーキーボーディストなど起用するミュージシャンにより、変化あるツアーを実現している。

Web関連

2007年(平成19年)、自宅のスタジオから「青少年のいじめや自殺問題」に言及するなど、ダイレクトなコミュニケーションツールとしてのポッドキャストの配信を開始。音楽に没頭する期間は、そう頻繁に更新することは難しいが、日本だけでなく、またファン以外の人の反応もつぶさに感じ取れるとあって、熱のこもったトークが展開された。寄せられた感想などは、直接彼のパソコン上にあがる仕組みになっており、その感想などにまた彼が答える、といったやりとりが行われていた。

2007年のツアーにおける3月13日に行われたライブの映像が、4月4日からiTunes Storeにおいて順次リリースされた。公演後わずか3週間でライブビデオとしてリリースするという試みは、日本人初であった。

経歴

デビュー

  • 1979年
    • 高校時代に、同級生の松井恒二(後の松井恒松)ら四人で結成したアマチュアバンド「デスペナルティ」で、卒業後の夏に行われたヤマハ主催の「EAST WEST '79」決勝大会において入賞(演奏した楽曲「ブルー・シガレット・ラブ」は、後にBOØWY名義の「CHU-RU-LU」として発表された。また、このコンクールでの演奏は「デスペナルティ」の楽曲として唯一音源化されている)。これを機に音楽事務所「ビーイング」と契約。しかし、当事務所社長の長戸大幸の意向でバンドは解散。解散後は寺西修一と名乗り、バンド「スピニッヂ・パワー」のシングル「BORO BORO BORO」にコーラスとして参加した。
  • 1980年
    • 第三期ボーカリストとしてスピニッヂ・パワーに正式加入。シングル「HOT SUMMER RAIN」、アルバム『IN & OUT』で本格的にプロデビューし、テレビ番組『11時に歌いましょう』(TBS)などに出演した。しかし、ポップス色の強かったバンドの音楽性などが肌に合わず脱退。バンド自体も解散した。

BOØWY時代

  • 1980年
    • 全てが思い通りにならず、付き合っていた彼女とも別れてしまう。どん底の状態となりついには音楽の道を諦め、群馬に帰郷する決意をする。しかし最後のつもりで立ち寄った7月5日日比谷野外音楽堂でのRCサクセションのライブを彼女からもらったチケットで観に行って一念発起し、当時18歳の布袋寅泰[3]を電話で六本木の「アマンド」に呼び出し、バンド結成の話を持ちかけ、彼の協力のもと曲作り及び失った自らのバンドの再生を果たした。2人が再会した際に布袋は、群馬時代は硬派な印象だった氷室の風貌がニューウェーブ風になっていることに驚いたという。 9月 松井恒松が加入。 その後、深沢和明 諸星アツシが加入。
  • 1981年
    • バンド名を「暴威」と命名。 5月11日に新宿ロフトでデビューライブ「暴威LOFT FIRST LIVE」を行う。 高橋まことが加入。
  • 1982年
    • バンド名をBOØWYに改名。3月21日、アルバム『MORAL』でBOØWYのボーカリストとして再レコードデビュー。
  • 1984年
    • 12月、「狂介」から「京介」に改名[4]
  • 1987年
    • 12月24日 - 既に絶頂期の人気を獲得していたBOØWYは、その年、解散という噂とともにツアーを続けていたが、ファイナルの渋谷公会堂のアンコール、氷室からバンドの終焉を宣言。
  • 1988年
    • 4月4日5日完成直後の東京ドームで2日にわたるBOØWYのライブLAST GIGSが行われ、BOØWYとしての活動に幕を下ろした。

ソロ始動

  • 1988年
    • 7月21日、解散公演からわずか3か月後の7月、シングル「ANGEL」でソロデビュー。その後の7月25日に、真駒内陸上競技場で「KING OF ROCK SHOW "DON'T KNOCK THE ROCK"」ツアーも開始[5]
    • 9月1日、ファーストソロアルバム『Flowers for Algernon』をリリース。
    • 10月1日、高松市総合体育館で「KING OF ROCK SHOW "FLOWERS for ALGERNON"」ツアーを開始。後に、このライヴ・ツアーの1989年1月3~4日、東京ドーム公演と、「KING OF ROCK SHOW "DON'T KNOCK THE ROCK"」ツアー公演の模様は、1989年6月28日にビデオ『KING OF ROCK SHOW of 88'S-89'S TURNING PROCESS』としてリリース。
    • 10月7日、セカンド・シングル「DEAR ALGERNON」をリリース。
    • 10月27日、STINGの東京ドーム来日コンサートに出演する。
    • 12月12日 - 15日、KING SWING[6]香港ツアー(香港QUEEN ELIZABETH STADIUMにてライブコンサート)
    • 12月31日、ファーストソロアルバム『Flowers for Algernon』で第30回日本レコード大賞・アルバム大賞、シングル「ANGEL」で金賞をそれぞれ受賞。同番組にも出演。
  • 1989年(平成元年)
    • 7月21日、Charlie Sexton(ギターリスト)の東京公演にゲスト出演。
    • 7月26日、サード・シングル「SUMMER GAME」をリリース。
    • 8月6日、「HIROSHIMA '89 LIVE」に出演(sp≒eed名義でのシークレット出演)。
    • 9月6日、シングル「MISTY〜微妙に〜」リリース。
    • 9月27日、2nd アルバム『NEO FASCIO』リリース。
    • 10月6日、群馬音楽センターで「"NEO FASCIO"TOUR」を開始。
  • 1990年(平成2年)
    • 2月26日、福岡国際センターで「"NEO FASCIO ENCORE" TOUR ARENA '90」を開始。後に、このライヴ・ツアーの1990年4月3日、東京ドーム(最終日)公演の模様は、1990年7月27日にビデオ『NEO FASCIO TURNING POINT』としてリリース。
    • 4月13日 - 18日、KING SWING ハワイツアーを敢行。
    • 5月16日、シングル「JEALOUSYを眠らせて」リリース。
    • 7月7日、「GOLDEN AGE OF R&R(日比谷野外音楽堂)」に出演(sp≒eed名義でのシークレット出演[7])。
    • 8月6日、「JT SUPER SOUND '90(真駒内陸上競技場)」に出演(sp≒eed名義でのシークレット出演[8])。このイベントには布袋寅泰も出演していた。
    • 8月12日、「ロックンロールオリンピックスポーツランドSUGO)」に出演(sp≒eed名義でのシークレット出演)。
    • 10月27日、ARBのラストコンサート(代々木体育館)にゲスト出演(「TOKYO CITYは風だらけ」を競演する)。
    • 12月24日、ビデオ『Birth of Lovers』リリース。
  • 1991年(平成3年)
    • 2月27日、シングル「CRIME OF LOVE」リリース。
    • 4月6日、3rdアルバム『Higher Self』リリース。
    • 5月9日、群馬音楽センターで「OVER SOUL MATRIX TOUR 1991」を開始。後に、このライヴ・ツアーの1991年8月22~23日、横浜アリーナ公演の模様は、1991年11月27日にビデオ『OVER SOUL MATRIX』としてリリース。
    • 8月1日、「JT SUPER SOUND '91(日本武道館)」に出演(この模様は日本テレビにて放送。「LOVE & GAME」を演奏する)。
  • 1992年(平成4年)
    • 2月26日、シングル「URBAN DANCE」リリース。
    • 4月25日、アルバム『masterpiece #12』リリース。
    • 11月7日、シングル「GOOD LUCK MY LOVE」リリース。
    • 12月7日、シングル「KISS ME」リリース。自身初のミリオンセラーを達成する。
  • 1993年(平成5年)
    • 1月7日、アルバム『Memories Of Blue』リリース。累計130万枚を超える大ヒットとなる[9]
    • 1月11日、横浜アリーナで「TOUR 1993 "L'EGOISTE"」を開始。後に、このライヴ・ツアーの1993年5月12日、国立代々木競技場第一体育館(最終日)公演の模様は、2009年2月25日にDVD『L'EGOISTE』としてリリース。
    • 4月28日、ビデオ『CAPTURED CLIPS』リリース。
  • 1994年(平成6年)
    • 8月29日、シングル「VIRGIN BEAT」リリース。
    • 9月26日、アルバム『SHAKE THE FAKE』リリース。
    • 10月12日、横浜アリーナで「SHAKE THE FAKE」ツアーを開始。後に、このライヴ・ツアーの1994年12月24~25日、東京ドーム公演の模様は、1995年12月10日にビデオ『LIVE AT THE TOKYO DOME SHAKE THE FAKE TOUR』としてリリース。
    • 自身の希望により家族とロサンゼルスに渡米[10]

渡米後

  • 1995年(平成7年)
    • 3月7日、「阪神・淡路大震災チャリティーコンサート」に出演する(布袋寅泰も出演)。
    • 7月19日、ベスト・アルバム『SINGLES』リリース。
    • 10月、東芝EMIからポリドールへ移籍。個人レーベル“BeatNix”設立[11]
    • 10月25日、シングル「魂を抱いてくれ」リリース。
  • 1996年(平成8年)
    • 6月24日、シングル「STAY」リリース。
    • 8月15日、シングル「SQUALL」リリース。
    • 9月30日、アルバム『MISSING PIECE』リリース。
  • 1997年(平成9年)
    • 1月15日、シングル「WALTZ」リリース。
    • 5月14日、ビデオ『MISSING PIECE』リリース。
    • 6月4日、シングル「NATIVE STRANGER」リリース。
    • 10月29日、シングル「HEAT」リリース。
    • 12月10日、アルバム『I・DE・A』リリース。
  • 1998年(平成10年)
    • 6月24日、ベスト・アルバム『Collective SOULS 〜THE BEST OF BEST〜』リリース。
    • 7月15日、横浜アリーナで「TOUR "COLLECTIVE SOULS"1998 One Night Stand」を開始。後に、このライヴ・ツアーの1998年9月19~20日、横浜スタジアム公演の模様は、1998年12月9日にCDライヴ・アルバム『The One Night Stands 〜TOUR "COLLECTIVE SOULS" 1998〜』としてリリースされ、また、12月24日には同じ内容のライヴを収録したビデオ『The One Night Stands 〜TOUR "COLLECTIVE SOULS" 1998〜』をリリース。
  • 1999年(平成11年)
    • 8月18日、シングル「SLEEPLESS NIGHT 〜眠れない夜のために〜」リリース。
    • 10月27日、シングル「ダイヤモンド・ダスト」リリース。
    • 12月24日、ビデオ『100152』リリース。
  • 2000年(平成12年)
    • 1月15日、シングル「永遠 〜Eternity〜」リリース。
    • 2月23日、アルバム『MELLOW』リリース。
    • 6月28日、シングル「炎の化石」リリース。同時に、過去にポリドールでリリースされた8cmCDシングル6枚がマキシ・シングルとして再発売された。
    • 10月18日、アルバム『beat haze odyssey』とDVD(CD-ROM)『Digital BeatNix Tower』を同時にリリース。また、結城市民文化センターで「KYOSUKE HIMURO TOUR 2000"BEAT HAZE ODYSSEY"」を開始。
    • 12月31日、「KYOSUKE HIMURO TOUR 2000"BEAT HAZE ODYSSEY"」のファイナル公演として国立代々木競技場第二体育館にて自身初となるカウントダウンライブ(公式ファンクラブKING SWING会員限定)を開催。
  • 2001年(平成13年)
    • 1月1日、シングル「Girls Be Glamorous」リリース。
    • 9月27日、ベスト・アルバム『Ballad ~La Pluie』リリース。
  • 2002年(平成14年)
    • ポリドールから東芝EMIへ移籍。
  • 2003年(平成15年)
    • ソロ15周年に当たるこの年、ベスト・アルバム『Case of HIMURO』が3月19日にリリースされた。その後の2003年7月20日、さいたまスーパーアリーナで「15th Anniversary Special LIVE "Case of HIMURO"」と称したライブを行った[12]。そのライヴの模様は、2003年11月25日にDVD『Case of HIMURO 15th Anniversary Special LIVE』としてリリース。
    • 7月21日、シングル「Claudia」リリース。同時に、過去に東芝EMIでリリースされた8枚のCDアルバムが再発売された。
    • 8月20日、アルバム『Follow the wind』リリース。
    • 8月29日、市原市市民会館で「KYOSUKE HIMURO TOUR 2003 "HIGHER THAN HEAVEN"」を開始。後に、このライヴ・ツアーの2003年11月23日、国立代々木競技場第一体育館(最終日)公演の模様は、2004年8月18日にDVD『HIGHER THAN HEAVEN〜AT YOYOGI NATIONAL STADIUM』としてリリース[13]
  • 2004年(平成16年)
    • 9月8日、シングル「Wild Romance」リリース。
    • 8月22日、東京ドームでしばらく封印していたBOØWY時代の曲を自らのソロ曲と共に演奏する「KYOSUKE HIMURO "21st Century Boowys VS HIMURO"」を行い、5万5千人のファンが全国から集まった。そのライヴの模様は、2004年12月24日にDVD『21st Century Boøwys Vs Himuro』としてリリースされ、また、同じ内容のライヴを収録したCDライヴ・アルバム『21st Century Boøwys Vs Himuro』も同時にリリース[14]
    • 9月19日、羽生市産業文化会館で「KYOSUKE HIMURO TOUR 2004 "SOUL STANDING BY〜"」を開始。後に、このライヴ・ツアーの2004年12月25日、国立代々木競技場第一体育館(最終日)公演と、2004年11月8日、ZEPP TOKYO公演(Zepp Tokyo ver.)の模様は、2005年12月24日にDVD『SOUL STANDING BY~』として(氷室の公式サイト内の限定販売のみで)リリース。
    • NBAシャキール・オニールが所有していたビバリーヒルズにある豪邸を約7億円で購入し、11月7日付の米ロサンゼルス・タイムズ紙などで取り上げられた。
  • 2005年(平成17年)
    • 9月14日、スクウェア・エニックスより発売された映像作品「ファイナルファンタジーVII アドベントチルドレン」のテーマ曲としてアルバム『NEO FASCIO』収録の楽曲「CALLING」が使用された[15]
    • 12月31日~2006年1月1日に、幕張メッセ国際展示場・9-11ホールで「KYOSUKE HIMURO COUNTDOWN LIVE ~CROSSOVER 05-06~」と題したカウントダウン・ライヴを行う。そのライヴの模様は、2009年4月29日にDVD『KYOSUKE HIMURO COUNTDOWN LIVE CROSSOVER 05-06 1st STAGE/2nd STAGE』としてリリース。
  • 2006年(平成18年)
    • 2月8日、シングル「EASY LOVE」リリース。
    • 3月31日、DVD『Kyosuke Himuro/Captured Clips 1988-2006』リリース。
    • 8月2日、GLAYとのコラボレーション・シングル「ANSWER」リリース。
    • 8月5日 - 6日、GLAYと「KYOSUKE HIMURO+GLAY 2006 at AJINOMOTO-STADIUM "SWING ADDICTION"」を味の素スタジアムで開催した[16]
    • 10月4日、シングル「SWEET REVOLUTION」リリース。
    • 11月27日、GLAYのツアーを京都会館第一ホールで観覧、アンコールで飛び入り出演する。
    • 12月20日、アルバム『IN THE MOOD』リリース。
  • 2007年(平成19年)
    • 2月24日、市原市市民会館で「KYOSUKE HIMURO TOUR 2007 "IN THE MOOD"」を開始。後に、そのライヴ・ツアーの2007年7月8日、さいたまスーパーアリーナ(最終日)公演の模様は、2008年6月11日にDVD『KYOSUKE HIMURO TOUR 2007"IN THE MOOD"』としてリリース。
    • 7月16日、ap bank fes '07にシークレットゲストとして出演し、会場を驚かせた(ファンにも当然知らされていなかった[17])。
  • 2008年(平成20年)
    • 6月11日、** 6月11日、ベスト・アルバム『20th Anniversary ALL SINGLES COMPLETE BEST JUST MOVIN' ON 〜ALL THE-S-HIT〜』リリース。同時に、2003年発売のアルバム『Follow the wind』をノンコピーコントロール仕様で再リリース。
    • 7月20日、さいたまスーパーアリーナで「KYOSUKE HIMURO 20th anniversary TOUR 2008 JUST MOVIN’ ON -MORAL~PRESENT-」を開始。後に、このライヴ・ツアーの2008年9月14日、横浜アリーナ公演の模様は、2009年1月21日にDVD『20th ANNIVERSARY TOUR 2008 JUST MOVIN' ON -MORAL~PRESENT-』としてリリースされ、また、2008年9月2日、日本武道館公演の模様を収録したDVD『20th Anniversary TOUR 2008 JUST MOVIN' ON -MORAL~PRESENT- Special Live at the BUDOKAN』を2009年7月21日に(氷室の公式サイト内の限定販売のみで)リリース。
    • 9月21日、KYOSUKE HIMURO 20th anniversary TOURの札幌公演にシークレットゲストとしてGLAYが飛び入り参加。「ANSWER」と「SUMMER GAME」で再度共演する。
  • 2009年(平成21年)
    • 9月19日、EIKICHI YAZAWA ROCK'N'ROLL IN TOKYO DOMEへシークレットゲストとして参加。
    • 9月27日、LIVE for LOVE We support WaterAid 横浜スタジアム
  • 2010年(平成22年)
    • 9月4日、市原市市民会館にてSpecial Preview Live for KS PREMIUM MEMBERSと題した会員限定ライブ開催。
    • 9月9日、日本武道館にてTOUR2010-11 BORDERLESS "50x50 ROCK'N'ROLL SUICIDE"を開始。
    • 12月31日、日本武道館にて自身三度目となるカウントダウンライブ開催。
  • 2011年(平成23年)
    • 2月12日、横浜アリーナにてTOUR2010-11 BORDERLESS "50x50 ROCK'N'ROLL SUICIDE"終了。
    • 6月11日(土)、6月12日(日)に東京ドームで東日本大震災の復興支援を目的とするチャリティ公演「KYOSUKE HIMURO GIG at TOKYO DOME“We Are Down But Never Give Up!!”」が行われた。
当初、同日同会場で、50歳のアニバーサリー公演を予定し、3月14日に発表する準備をしていたが、その直前に震災が起こったため発表を見送り、公演自体を見直していた。
東京ドームという場所柄、電力消費の問題もあるが、可能な限り節電に配慮し、最小限の電力、機材で行ったほか、氷室本人・バックバンドメンバー・コンサートスタッフの全員がボランティアとして参加し、このライブの収益金の全ては復興義援金として寄付された。
「互いの気持ちと力を合わせて支え合う運命の時。微力ではあるけれど俺なりに過酷な状況下でいまも闘っている皆さんを応援したいと思います。We are down but never give up ! 氷室京介」とコメント。
今回のライブは、BOØWYの楽曲で全編が構成された。氷室がBOØWYの楽曲を演奏する件に関してはかつてのメンバーである布袋、松井、高橋には寝耳に水であったようで[18]、高橋が氷室にエールを贈ったものの[19]、松井は氷室のアクションを高く評価しつつ、「こんな時だからこそ再び4人で手を握り合い、協力すべきだ」「残念でならない」とコメント。
また、布袋はTwitter上で氷室に関する質問攻めにあってしまった事もあり、2日程沈黙を続けていたが、その後自身のブログ上で「再結成を望む気持ちは皆さんと同じでした」と述べた上で、「そして同時に自分の中で踏ん切りがつきました」と、今後の再結成も非現実的であることを伝えた。[20][21]
2日間でライブに参加したオーディエンスは11万人にのぼり、日本でのチャリティーライブにおいて過去最多の入場者数を記録した。[22]
    • EMIとの契約を解消しワーナーミュージック・ジャパンに移籍。

作品

シングル

  1. ANGEL1988年7月21日
  2. DEAR ALGERNON(1988年10月7日
  3. SUMMER GAME1989年7月26日
  4. MISTY〜微妙に〜(1989年9月6日
  5. JEALOUSYを眠らせて1990年5月16日
  6. CRIME OF LOVE1991年2月27日
  7. Urban Dance[23]1992年2月26日
  8. Good Luck My Love(1992年11月7日
  9. KISS ME(1992年12月7日
  10. VIRGIN BEAT1994年8月29日
  11. 魂を抱いてくれ1995年10月25日
  12. STAY1996年6月24日
  13. SQUALL(1996年8月15日
  14. WALTZ1997年1月15日
  15. NATIVE STRANGER(1997年6月4日
  16. HEAT(1997年10月29日
  17. SLEEPLESS NIGHT 〜眠れない夜のために〜1999年8月18日
  18. ダイヤモンド・ダスト(1999年10月27日
  19. 永遠 〜Eternity〜2000年1月15日
  20. 炎の化石(2000年6月28日
  21. Girls Be Glamorous2001年1月1日
  22. Claudia2003年7月21日
  23. Wild Romance2004年9月8日
  24. EASY LOVE/BITCH AS WITCH2006年2月8日
  25. SWEET REVOLUTION/IN THE NUDE 〜Even not in the mood〜(2006年10月4日
  26. BANG THE BEAT/Safe And Sound2010年7月14日
  27. IF YOU WANT2011年12月14日iTunes Storeほか大手配信サイトで限定リリース。2012年3月14日、シングルCDとしてリリース)[24]

コラボレーションシングル

アルバム

オリジナルアルバム

  1. FLOWERS for ALGERNON(1988年9月1日)
  2. NEO FASCIO(1989年9月27日)
  3. Higher Self(1991年4月6日)
  4. Memories Of Blue(1993年1月7日)
  5. SHAKE THE FAKE(1994年9月26日)
  6. MISSING PIECE(1996年9月30日)
  7. I・DE・A(1997年12月10日)
  8. MELLOW(2000年2月23日)
  9. beat haze odyssey(2000年10月18日)
  10. Follow the wind(2003年8月20日)
  11. IN THE MOOD(2006年12月20日)
  12. "B"ORDERLESS(2010年9月8日)

ベストアルバム

ライブアルバム

その他アルバム

  • LOVER'S DAY double happiness(1991年8月21日)
  • masterpiece #12[25](1992年4月25日)
  • Lover's Day II(1999年1月27日)
  • OFFICIAL PIRATES MIX(2012年2月3日)デジタルコンテンツ・HIMURO.COM限定配信

タイアップ

MISTY〜微妙に〜 化粧品メーカーカネボウCMソング(1989年)
JEALOUSYを眠らせて CXドラマ恋のパラダイス」主題歌(1990年)
MOON 映画「月光のピアス」サントラ(1991年)
LOVE SONG 映画「月光のピアス」サントラ(1991年)
Good Luck My Love TBS系「ムーブ(バラエティ番組)」エンディングテーマ(1992年)
Urban Dance よみうりテレビ系ドラマ「…ひとりでいいの」主題歌(1992年)
KISS ME 三貴「ブティックJOY」CMソング(1992年)
VIRGIN BEAT 三貴「カメリアダイアモンド」CMソング(1994年)
魂を抱いてくれ テレビ朝日系ドラマ「風の刑事・東京発!」主題歌(1995年)
MIDNIGHT EVE 「関西セルラー(現au)」CMソング(1995年)
STAY TBS系「COUNT DOWN TV」オープニングテーマ(1996年)
SQUALL よみうりテレビ系ドラマ「グッドラック」主題歌(1996年)
NAKED KING ON THE BLIND HORSE トヨタ・RAV4」CMソング(1996年)
WALTZ ダイドーブレンドコーヒー」CMソング(1997年)
DRIVE 「ダイドーブレンドコーヒー」CMソング(1997年)
HEAT 「ダイドーブレンドコーヒー」CMソング(1997年)
堕天使 「ダイドーブレンドコーヒー」CMソング(1997年)
炎の化石 「ダイドーブレンドコーヒー」CMソング(1997年)
NATIVE STRANGER よみうりテレビ・日本テレビ系ドラマ「せいぎのみかた」主題歌(1997年)
ダイヤモンド・ダスト CX系ドラマ「氷の世界」主題歌(1999年)
永遠 〜Eternity〜 映画「ISORA/多重人格少女」テーマソング(2000年)
OUTSIDE BEAUTY テレビ朝日系ドラマ「科捜研の女」主題歌(2000年)
Girls Be Glamorous 資生堂ピエヌ」CMソング(2001年)
REVOLVER テレビ朝日系「たけしの万物創世記」エンディングテーマ(2001年)
Claudia WOWOWヨーロッパサッカーイメージソング(2003年)
Wild Romance 映画「ヴァン・ヘルシング」日本語吹き替え版エンディングテーマ(2004年)
CALLING スクウェア・エニックスCG映像作品「FINAL FANTASY VII ADVENT CHILDREN」イメージソング(2005年)
EASY LOVE music.jp CMソング(2006年)
BITCH AS WITCH WOWOWヨーロッパサッカーイメージソング(2006年)
SWEET REVOLUTION YTV(NTV系)「ダウンタウンDX」エンディングテーマ(2006年)
Safe And Sound スクウェア・エニックスCG映像作品「FINAL FANTASY VII ADVENT CHILDREN COMPLETE」エンディングテーマ(2009年)
BANG THE BEAT アサヒ飲料「グリーンコーラ」、「ドライスパークリング」CMソング(2010年)
IF YOU WANT 日本テレビ系列(NTV系)「NEWS ZERO」エンディングテーマ(2011年)
ENEMY'S INSIDE 日本グッドイヤー「EAGLE LS EXE(イーグルエルエスエグゼ)」ストリーク扁CMソング(2011年)
Warriors 学校法人モード学園系列「HAL (専門学校)」CMソング(2012年)

映像作品

  • KING OF ROCK SHOW of 88'S-89'S TURNING PROCESS(1989年・VHS、再発:2009年・DVD)
  • NEO FASCIO TURNING POINT(1990年・VHS、再発:2009年・DVD)
  • Birth of Lovers(1990年・VHS)
  • OVER SOUL MATRIX(1991年・VHS、再発:2009年・DVD)
  • CAPTURED CLIPS(1993年・VHS)
  • LIVE AT THE TOKYO DOME SHAKE THE FAKE TOUR(1995年・VHS、再発:2009年・DVD)
  • MISSING PIECE(1997年・VHS)
  • The one night stands - tour "Collective Souls" 1998(1998年・VHS、再発:2009年・DVD)
  • 100152(1999年・VHS、再発:2000年・DVD)
  • Digital BeatNix Tower(2000年・DVD、CD-ROM)
  • CASE OF HIMURO 15th Anniversary Special LIVE(2003年・DVD)
  • HIGHER THAN HEAVEN〜AT YOYOGI NATIONAL STADIUM(2004年・DVD)
  • 21st Century Boøwys Vs Himuro(2004年・DVD)
  • SOUL STANDING BY〜(2005年・DVD)
  • Kyosuke Himuro/Captured Clips 1988-2006 (2006年・DVD)
  • KYOSUKE HIMURO TOUR 2007"IN THE MOOD" (2008年・DVD)
  • 20th ANNIVERSARY TOUR 2008 JUST MOVIN' ON -MORAL~PRESENT- (2009年・DVD)
  • L’EGOISTE (2009年・DVD)
  • KYOSUKE HIMURO COUNTDOWN LIVE CROSSOVER 05-06 1st STAGE/2nd STAGE (2009年・DVD)
  • 20th Anniversary TOUR 2008 JUST MOVIN' ON -MORAL~PRESENT- Special Live at the BUDOKAN(2009年・DVD)
  • 東日本大震災復興支援チャリティライブ KYOSUKE HIMURO GIG at TOKYO DOME "We Are Down But Never Give Up!!"(2011年・DVD)。[26]
  • KYOSUKE HIMURO TOUR2010-11 BORDERLESS 50×50 ROCK’N’ROLL SUICIDE(2012年・DVD・Blu-ray Disc)
その他
  • "SWING ADDICTION at AJINOMOTO STADIUM"「SWEET REVOLUTION」(2006・シングル限定DVD)、
  • 「ANSWER」「SUMMER GAME」(2006・「IN THE MOOD」アルバム限定DVD)
  • "CROSSOVER 05-06 2nd STAGE at MAKUHARI MESSE"「SWEET REVOLUTION」(2006・「IN THE MOOD」アルバム限定DVD)
  • Lightning Trick on iTunes - TOUR 2007 "IN THE MOOD" - (2007年・デジタルコンテンツ)
  • BANG THE BEAT「OFFICIAL PIRATES MIX 12.31 NIPPON BUDOKAN MOVIES」(2012年2月3日)デジタルコンテンツ・HIMURO.COM限定配信
  • PARACHUTE「OFFICIAL PIRATES MIX 12.31 NIPPON BUDOKAN MOVIES」(2012年2月3日)デジタルコンテンツ・HIMURO.COM限定配信
  • Wild Romance「OFFICIAL PIRATES MIX 12.31 NIPPON BUDOKAN MOVIES」(2012年2月3日)デジタルコンテンツ・HIMURO.COM限定配信

楽曲提供

  • 水島裕
    • 『光と影』 - 作詞:奈月大門/作曲:寺西修(1980年)
      BOOWY時代の頃の2ndアルバムINSTANT LOVE収録の楽曲『FUNNY-BOY』の原曲
  • YOCO & LOOKOUT
    • 『Out of Control』 - 作詞:南風太/作曲:寺西修一(1987年)
    • 『Lookin' For The Paradise』 - 作詞:南風太/作曲:寺西修一(1987年)
  • 奥田圭子
    • 『STORMY NIGHT』 - 作詞:芹沢類/作曲:氷室京介/編曲:小泉まさみ(1985年)
    • 『プラスティック』 - 作詞:秋元康/作曲:氷室京介/編曲:布袋寅泰(1985年)
  • 小泉今日子
  • 仲村知夏
    • 『天使は眠っている』 - 作詞:森正和/作曲:氷室京介(1989年)
    • 『BE COOL』 - 作詞:松宮晴吉/作曲:氷室京介(1989年)
      メロディーはアルバム『FLOWERS for ALGERNON』収録の楽曲「LOVE & GAME」と同一。
  • 反町隆史
    • 『SINCERELY』 - 作詞:反町隆史/作曲:氷室京介/編曲:吉田健(1998年)
    • 『ONE』 - 作詞:反町隆史/作曲:氷室京介/編曲:吉田健(1998年)
      後に氷室は、『beat haze odyssey』で同曲をセルフカバーした。
  • DAIGO☆STARDUST
    • 『MARIA』 - 作詞:DAIGO/作曲:氷室京介(2003年)
      メロディーはシングル『Claudia』と同一。
  • KAT-TUN
    • Keep the faith』 - 作詞: 氷室京介、SPIN/RAP詞:JOKER/作曲: 氷室京介(2007年)
      後に『20th Anniversary ALL SINGLES COMPLETE BEST JUST MOVIN' ON 〜ALL THE-S-HIT〜』で同曲をセルフカバーした。
      自身が作詞に携わるのは、アルバム『Case of HIMURO』に収録されている「CLOUDY HEART」、「ANGEL 2003」以来、4年7か月ぶり。

ライブコンサート

  • 1988年
    • KING OF ROCK SHOW "DON'T KNOCK THE ROCK"(5公演、約5万人)、
    • KING OF ROCK SHOW "FLOWERS for ALGERNON"(15公演、約18万人)
  • 1989年
    • "NEO FASCIO"TOUR(36公演、約13万人)
  • 1990年
    • "NEO FASCIO ENCORE" TOUR ARENA '90(7公演、約10万人)
  • 1991年
    • OVER SOUL MATRIX TOUR 1991(46公演、約12万人)
  • 1993年
    • TOUR 1993 "L'EGOISTE"(51公演、約15万人)
  • 1994年
    • SHAKE THE FAKE(16公演、約19万人)
  • 1998年
    • TOUR "COLLECTIVE SOULS"1998 One Night Stand[27](14公演、約21万人)
  • 2000年
    • KYOSUKE HIMURO TOUR 2000"BEAT HAZE ODYSSEY"(35公演、約10万人)
  • 2003年
  • 2004年
  • 2005年
  • 2006年
  • 2007年
    • KYOSUKE HIMURO TOUR 2007 "IN THE MOOD"(47公演、約12万人)
  • 2008年
    • KYOSUKE HIMURO 20th anniversary TOUR 2008 JUST MOVIN' ON -MORAL~PRESENT-(23公演)
  • 2010年
    • KYOSUKE HIMURO TOUR2010-11 "BORDERLESS" -Special Preview Live for KING SWING Premium Members-(9月4日市原市市民会館
    • KYOSUKE HIMURO TOUR2010-11 "BORDERLESS"(52公演)約20万人
  • 2011年

出演

映画

  • 裸の24時間(1984年、自主制作映画)

全編白黒映画。フィルムは傷んでしまっており、上映は不可能

テレビドラマ

テレビ番組

  • キング・オブ・ロックショー 氷室京介 (1989年4月22日、NHK総合)
  • 89広島コンサート (1989年9月16日、NHK総合)
  • エンターテインメント・スペシャル 「氷室京介 48HOURS」- THE SLEEPLESS NIGHTS- (1999年7月9日、NHKBS2)
  • NEWS ZERO (2010年9月8日・10月11日・2011年2月15日、日本テレビ)

ラジオ番組

CM

書籍

写真集

関連項目

  • 吉田拓郎
    子供の頃ファンでギターを始めるきっかけになった。後に「たどりついたらいつも雨降り」を氷室がカバー。
  • キャロル
    キャロルの解散ライブ映像を見て、バンドを始めるきっかけになった。2009年にはキャロルのメンバーであった矢沢永吉との共演が実現した。
  • RCサクセション
    氷室は再デビュー前、挫折して群馬へ帰る直前、彼女にもらったチケットでコンサートを見に行き、ステージだけに集中している多くのファンたちの様子などを目の当たりにして、音楽に対する情熱を取り戻し、帰郷を思い留まったというエピソードがある。
  • 泉谷しげる
    「独りファシズム」を作詞。少年院を共に訪問した。
  • ジェラルド・ウェイ
    「Safe and Sound」をコラボレーションした。
  • スティーヴ・スティーヴンス
    グラミー賞受賞ギタリスト。氷室渡米後のレコーディングやツアーに参加。
  • リチャード・スターク
    クロムハーツの設立者にして責任者。氷室のステージ衣装やアクセサリーデザインも手がける。
  • ミック・ジャガー
    「ステージ見たら、俺泣いちゃいますからね」など、必ずといっていいほど定期的にコメントの中でリスペクトすべき人物として名前を出している。
  • グリーン・デイ
    iPodに彼らのライブ映像を全てダウンロードするほどお気に入り。
  • 山田かまち
    幼なじみ。同じ小・中学校出身。
  • 東海ラジオ放送
    先述した「SF Rock Station」の制作・放送局。この時 番組パーソナリティーをやらせてもらっていたことから、氷室は名古屋でコンサートを行う際「名古屋は第二の故郷」とコメントすることがある。
  • 佐伯明、友森昭一、ヒロ鈴木、市川訓由、永井利光後藤次利ホッピー神山北島健二佐橋佳幸美久月千晴佐久間正英田家秀樹DAITA加藤正憲
  • BUCK-TICK

脚注

  1. ^ 芸名の名字「氷室」は、漫画ワル」(真樹日佐夫作・影丸穣也画)に登場する主人公に由来する。
  2. ^ 再デビューとなった経緯については経歴のデビューを参照してください。
  3. ^ 同郷ではあったが、当時の二人に面識はそれ程なかった。
  4. ^ 京都に行った際、占い師に「狂」の字を使うのは良くないと言われたため(参照:月刊カドカワ1991年4月号 総力特集氷室京介70ページ)。
  5. ^ 当時の音楽シーンが遅れて来たメディアを通じて一過性のバンドブームに湧く中、誰もやったことのない特設ステージをソロとしてのツアー会場に選んだ。会場では雨に祟られることも多く、BOØWY時代同様必ずしもコンディションの良いステージばかりではなかったが、それはそれまで同様、追われる側として当たり前の音楽シーンとは一線を画すアクションだった。
  6. ^ オフィシャルファンクラブ名(ツアー名でも使われた“KING”はチェスが命名の由来)
  7. ^ この時期、前ツアーから共にライブを行って来たバンドといくつかのイベントに出演、翌年にはレコーディングスタイルもバンドとともにスタジオへ入るなど、バンドの中でのボーカリストとしての在り方を追求していた時期と言える。
  8. ^ 「WILD AT NIGHT」「PSYCHIC BABY」「CRIME OF LOVE」「SEX&CLASH&ROCK'N'ROLL」「SUMMER GAME」「ANGEL」「JEALOUSYを眠らせて」を演奏。
  9. ^ 渋谷の街をジャックしたかのような巨大なボードやウォールペインティング、ポスター、その後、珍しくなくなったこれらのプロモーションスタイルは当時は斬新なものだった。
  10. ^ 後のインタビューでは「あのまま日本にいたら、きっと自分はダメになっていたと思う」と発言している。
  11. ^ この時期からシングルにバラードが登場しはじめ、チャートやセールスに左右されない創作活動を念頭に置くようになる。また、ビデオクリップでコラボレートした新進気鋭の映像集団”PROPAGANDA”は、それまでの自分をとりまくシステムを考え直すほどの強烈な感銘を彼に与えた。
  12. ^ BOØWY時代に「CASE OF BOØWY」と称したライブを行い、またビデオでもリリースされた。バンド解散20周年を迎え、この単独イベントが唯一バンド解散を前提とした企画であったことが公表されている。
  13. ^ どこの会場でも熱狂的に迎えられ、最終、東京代々木公演のアンコール「Cloudy Heart」でのハプニングは彼とオーディエンスとの深い絆を誰もが再確認した出来事だった。
  14. ^ バンドの元フロントマン自らトリビュートしたことに関して、「長年、応援してくれているファンが喜んでくれれば」「当時のバンド仲間に敬意を込めて」「(再結成や様々な問いかけに対する)俺なりの答えです」とコメントした。ちなみに、ライブイベントのサブタイトルの和訳は「温故知新」である。
  15. ^ 15年以上も前の曲が使われた理由として、プロデューサーの野村哲也は以前から氷室京介のファンで、「製作中にずっとこの曲がイメージとして頭にあった」とコメントした。
  16. ^ GLAYが氷室京介のファンであることは以前から有名であるが、対談すら過去に実現しなかった両者のコラボレートが今になって実現した背景にはGLAYがそのとき抱えていた事務所独立に伴うトラブルを聞いたうえで氷室が「一緒にやろう」と快諾したとされている。
  17. ^ 出演のきっかけは氷室の息子がMr.Childrenのファンでスタッフ経由でサインを貰ったことがあったためと氷室自身が明かしている
  18. ^ 氷室京介の「全編BOOWY」チャリティーLIVE 残されたメンバー3人が胸中綴る オリコン 2011年4月19日
  19. ^ こんにちは(^^)ざんす。 高橋まことのぼちぼちブログ。
  20. ^ 布袋寅泰の願い「BOOWYの再結成を望む気持ちは皆さんと同じ」 オリコン 2011年4月20日
  21. ^ BOΦWY BEAT主義日記
  22. ^ 収益金総額669,220,940円(コンサートグッズ販売利益含む)収益金は、「寄付金または義援金」として、岩手、宮城、福島の三県に223,073,646円ずつ均等に配分して寄付をさせて頂きました。※HIMURO.comより抜粋
  23. ^ レコーディングは氷室がリスペクトする錚々たるメンバー(Andy Newmark, Jeff Thal, Tony Levin)と共に行われた。
  24. ^ 本作品の販売により発生する氷室京介本人の著作権料は全額、著作権管理団体JASRACが行っている【東日本大震災復興支援基金「こころ音」基金】に搬出されます。※HIMURO.comより抜粋
  25. ^ 氷室のレコーディングに欠かせないエンジニアNeil Dorfsman とのセッションが初めて実現したのは、この作品から。
  26. ^ 販売利益は、「寄付金または義援金」として、岩手、宮城、福島の三県に当分に配分して寄付
  27. ^ 1298日ぶりのステージとなったアリーナクラスを中心に行われた全国ツアー。サポートギタリストにスティーヴ・スティーヴンス本人、ステージデザインにストーンズなどを手掛けるマーク・フィッシャーなど、圧倒的スケールで話題の多かったツアー。
  28. ^ 企画から写真選択に至るまで氷室自身が手掛けた写真集。撮影はローマからカイロ、セイシェルからニューヨークまで世界6カ国を旅しながら、フォトグラファー加藤正憲によって行われた。(当時のコンサート会場、通販限定)
※部分的に、KING SWING編集のプライベートマガジン"The Interviews 1998-2000"を参照した。

外部リンク