ライカ
| ライカ | |
|---|---|
| 種別 | レンジファインダー・カメラ、一眼レフカメラ、双眼鏡 |
| 最初の生産国 | |
| 発売 | 1913年 |
| 公式サイト | ライカ |
ライカ(Leica ) とは
- ドイツの光学機器メーカーであったエルンスト・ライツのブランド
- 1.が元になったライカカメラ、ライカマイクロシステムズ、ライカジオシステムズの社名の一部
である。本稿ではエルンスト・ライツとライカカメラ、およびそのブランドとしてのライカについて述べる。
目次 |
[編集] エルンスト・ライツ
源流は1849年にカール・ケルナーが設立した顕微鏡メーカーオプティシェス・インスティトゥート(Optisches Institut )に遡る。ケルナーの死後その会社をその未亡人が引き継いだが、従業員だったフリードリヒ・ベルトレ(Friedlich Berthle [1]、-1869年)がケルナーの未亡人と結婚し、社名をオプティシェス・インスティトゥート・ケルナー・ウント・ベルトレ(Optisches Institut Kellner Und Berthle )とした。
その後、以前スイスの工場で働いていたユンカースという見習いを雇用したが、この男が以前働いていたスイスの工場で行なわれていた効率的な生産方法について説明していた際に、さらにその方法について詳しい機械工エルンスト・ライツ1世(Ernst Leitz I 、1843年-1929年)を紹介し、雇用するようベルトレに勧め、1865年にこの会社にエルンスト・ライツ1世が参加することとなった。
1869年にベルトレが亡くなるとエルンスト・ライツ1世は事業を引き継ぎ、社名をオプティシェス・インスティトゥート・フォン・エルンスト・ライツ(Optisches Institut Von Ernst Leitz )、さらにエルンスト・ライツ・オプティッシェ・ヴェルケ(Ernst Leitz Optische Werke )とした。1905年にはボディー本体をヒュッティヒに外注しカメラ生産に参入、1907年には双眼鏡生産に参入した。
[編集] カメラのブランドとしてのライカ
エルンスト・ライツに勤めていた技術者、オスカー・バルナックは1914年[2]、35mm映画用フィルムの2駒分を使用する小型カメラを試作した。これは後にライカの起源として「ウル・ライカ」と呼ばれることになる。試作した理由として「無類の写真好きであったが、小柄で体力もさほどなかったバルナックにとって当時主流の13×18cmガラス乾板を使用する木製大型カメラを持ち歩くことは困難だったため、自分にとって使いやすいカメラを求めて作り上げた」という説[3]、「映画用カメラの開発に従事していたバルナックが、当時感度も低く品質も安定していなかった映画用フィルムの適正露出を調べるためにそのフィルムの一部を使い実際に撮影してチェックするために開発した露出テスト用カメラが、スチルカメラとしても流用できることに気づいた」という説など諸説ある。
1920年にはエルンスト・ライツ1世が亡くなり、跡を継いだエルンスト・ライツ2世(Ernst Leitz II )がウル・ライカに着目、改良を加え「ライツのカメラ」(Leitz Camera )との意で「ライカ」と名付け1925年に市販一号機ライカI(A)を生産、販売することになった。
それまでのカメラは密着焼きにより写真を作るのが主流であったが、ライカはフィルムが小さく引き伸ばしを前提としたため、当時一般的でなかった引き伸ばし機が当初からシステムの一環として販売された。拡大に耐えるネガを作るために高性能のレンズが必要とされ、レンズ開発の技術者マックス・ベレークはライツ・アナスティグマット(Leitz-Anastigmat )をはじめとするさまざまな銘玉を世に出した。
また一般には「広角気味のレンズを常備し必要ならトリミングする」という手法が使われていたが、ライカの場合トリミングするとただでさえ小さいフィルム面積からの拡大率がより大きくなるため、画角に合ったレンズ交換の必要性が高かった。このため1930年レンズ交換が可能なライカC型が開発され、1931年に全てのカメラのフランジバックが統一され、エルマー(Elmar )3.5cmF3.5、エルマー5cmF3.5、エルマー9cmF4、エルマー13.5cmF4.5、そしてヘクトール(Hektor )5cmF2.5と基本的なレンズが揃った。
1932年連動距離計を搭載したライカII型を発売、交換レンズとして1931年にヘクトール7.3cmF1.9、1933年にズマール(Summar )5cmF2が発売され、とりわけ報道写真において卓越した画像を多数提供したため、ライカの名声は不動のものとなった。また1934年に極めて優秀な人物撮影用のレンズ、タンバール(Thambar )9cmF2.2が供給され、現代の写真撮影のライカ判全盛の基礎を確立した。
小さいフィルム面積に重要な画像情報が凝縮されていることから画質が損なわれがちだとして、旧来のフォトグラファーからは「撮影機材ではなく『スパイカメラ』にすぎない」等と蔑視されることもあった。しかし暗い場所での撮影のための大口径レンズ、広角や望遠での撮影のための交換レンズを揃えても2~3kgに収まり、写真家はかつての重い撮影機材から解放された。このことは僻地に持参する時や、被写体の動きを素早く捉えたい時にも役立った。
1950年代ごろまでの日本のカメラメーカーはライカを目標にして小型カメラの技術開発を行なっていたが、1954年に発表されたライカM3はレンジファインダーカメラとして当時最高とまで言われるほどの技術を余すところなく投入しており、その性能の高さのあまり日本のカメラメーカーがそろって一眼レフカメラへと開発方針を大転換させるきっかけになった。ライカM3は今でも名機と賛美する人が絶えないが、このことが逆に現在主流の一眼レフカメラへのライカの参入を遅らせてしまうことにもなり、やがて経営に陰りがでたエルンスト・ライツは1974年[4]スイスのウィルド傘下に入ることとなる。
[編集] メーカー名となったライカ
ウィルド傘下に入ったエルンスト・ライツには、その後エルメスの資本も一時期入り、その時期にはその革を使用した特別モデル等も発売されていたが、経営状態の改善が進まずエルメスは撤退した。2009年現在は次の3社に分かれている。
- ライカカメラ(Leica Camera AG )- カメラ部門。ドイツに本社。
- ライカマイクロシステムズ(Leica Microsystems GmbH )- 顕微鏡部門。ドイツに本社。
- ライカジオシステムズ(Leica Geosystems AG )- 測量機器部門。スイスに本社があるが、2005年にスウェーデンの技術系企業集団ヘキサゴン (Hexagon AB )の傘下に入った。
ライカM3の後継となるレンジファインダーカメラ「Mシリーズ」や一眼レフカメラ「Rシリーズ」、コンパクトカメラ、プロジェクター、フィールドスコープ、双眼鏡など、さまざまな製品を開発・販売している。そしてそのレンズ描写性能などクオリティの高さから現在でもプロカメラマンをはじめアマチュアでもコレクターや愛好者が多い。またデジタルカメラの分野においてもパナソニックと提携を行っている他、Rシリーズ用のデジタルカメラモジュールやMシリーズのデジタル版ライカM8の開発・発売、中判クラスのデジタル一眼レフカメラS2の開発発表、デジタル一眼レフカメラ共通規格である「フォーサーズシステム」への賛同などが行われている。
日本代理店は戦前からシュミット商会が行なっていたが、ウィルド傘下に入った1974年にウィルドの代理店だった日本シイベルヘグナー(現DKSHジャパン)に変更、その代理店契約が切れた2005年3月1日に日本法人ライカカメラジャパン株式会社を設立、2006年4月22日にはライカ初の直営店を東京・銀座に開店している。日本での開店に踏み切った理由として、世界でもっともライカの愛好者が多い国だというのが挙げられている。
[編集] カメラ製品一覧
[編集] バルナック型ボディー
ライカLマウントのレンジファインダーカメラ。ただし初期にはレンズ固定であり、レンジファインダーを搭載しなかった。レンジファインダーを装備しない機種も後々まで作られた。レンズに関してはライカマウントレンズの一覧を参照のこと。
- ウル・ライカ(Ur Leica 、1914年製作) - 試作機。暗室で35mm映画用フィルムを詰め、その2コマを1コマとして使用する。「Ur」とはドイツ語で「最初の」を意味する。フィルム巻上と同時にシャッターがセットされるセルフコッキング方式。巻上時にはキャップをしなければならない。レンズは二段に沈胴するマイクロズマール64mmF4.5固定。当時はまだパトローネ入りフィルムはなかったので、装填取り出しは暗室で行う。3台が製作され、1台はバルナックが自分用に使い、もう1台はエルンスト・ライツ1世が所有した。その内の2台が現存している。1975年にライカ発売50周年を記念したレプリカが製作され代理店などに配られたが、これは外観だけを再現したダミーであったため撮影には使えない。
- ライカ0(Null Leica 、1923年製作) - ウル・ライカの市場調査用としてシリアルナンバー100から130までの31台が製作されたが市販はされなかった。形式名も後でつけたものである。金属剥き出しの黒塗りだったボディーに革が張られた。ファインダーは当初折畳式の枠ファインダーだったが後にガリレオ式に変更されている。レンズは沈胴式ライツ・アナスチグマット(Leitz-Anastigmat )50mmF3.5固定。シャッタ−はスリット幅可変となりスリット幅2mm(1/500秒相当)-50mm(1/20秒相当)。マガジンを採用し日中のフィルム交換が可能になったが、シャッター幕の構造上フィルム巻き上げ時にはレンズキャップを付けなくてはならない。2001年に折り畳み式のファインダーを装備したバージョンの復刻版が販売され、このモデルでは135フィルムが使用できるようになっている。
- ライカI(A)(Leica I、Leica A 、1925年発売) - 春ライプツィヒの見本市に「ライカカメラ」として出品された。レンズは沈胴式固定、当初3群5枚ライツ・アナスチグマット(Anastigmat、174台 )50mmF3.5であったが、1925年内容はそのままにエルマックス(Elmax 、1000台 )と改名された。エルマックスは最短撮影距離1m。日本に最初に輸入されたライカはエルマックスつきのシリアルナンバー377である。ライツの予想に反して1925年のうちに約1000台が売れ、後玉が3枚張り合わせで製造が面倒なエルマックスの製造が間に合わないため1926年にゲルツからガラスの供給を受けて製造された沈胴式3群4枚エルマー(Elmar )50mmF3.5を装備したが、ゲルツが1926年にツァイス・イコンになってガラスの供給が止まると1928年にはショットから供給されたガラスでエルマー50mmF3.5が設計された。ゲルツから供給されたガラス材で製造されたエルマーを「旧エルマー」、ショットから供給されたガラス材で製造されたエルマーを「新エルマー」と俗称する。一部のエルマーには0.45mまで近接可能なものがある。1930年からは後に交換レンズとしても供給された沈胴式ヘクトール(Hector 、1330台 )50mmF2.5固定となった。
- ライカI(B)(Leica I、Leica B 、1926年発売) - スローシャッターの要望に応えてデッケル製レンズシャッターコンパーを装備した。巻き上げとシャッターチャージが同時にでき二重写しを防げる特徴を捨ててしまいまたシャッターが回転へリコイドに取り付けられていたためピント合わせでシャッター位置が変更されてしまい操作性が悪かったため売れず、レンズシャッターを装備したライカはこの機種だけである。前期型はダイヤルセットコンパー、後期型はリムセットコンパー。シリアルナンバーは公式には5701から51715までの中にあることになっているが、この番号外の製品も多い[6]。
- ライカI(C)(Leica I、Leica C 、1930年発売) - 50mmのファインダーのみ装備する。初期には135mmの回転式視野マスクを備える個体がある。いわゆる「ライカマウント」[7]を装備しレンズ交換を可能とするが、当初はフランジバックが統一されておらず、ボディーの製造番号下3桁とレンズに刻印された3桁の数字が合致する場合しか使えなかった。シリアルナンバー46000の初め頃からライカI(A)やライカI(B)と並行して生産されている。1931年シリアルナンバー60500以降フランジバックが28.8mmに統一され、カメラ毎にレンズを調整する必要がなくなった。フランジバックが統一されているモデルはマウント部12時位置に「0」マークが入っていることで区別できる。1931年シリアルナンバー71199を最後に製造が中止された[8]。
- ライカII(Leica II 、Leica D 、1932年発売) - レンズのピントリングと距離計が連動する連動距離計を装備し、いわゆる「バルナックライカ」の典型的な姿になった最初のモデル。距離計は等倍。シリアルナンバーは71200から。当時カメラ技術指導者として高名だった吉川速男がライカDIIと表記したことからしばらくそのように表記されたが最近は日本でも単にライカIIと表記されることが多くなっている。1948年シリアルナンバー355650を最後に製造が中止された。現在のパトローネの原型であるマガジンが開発され、ライカ用パトローネ入りフィルムが各社から発売され始めた。
- ライカスタンダード(Leica Standard、Leica E 、1932年発売) - ライカIIから距離計が省略され50mm用のファインダーのみ装備する。ライカI(C)とほとんど同じ。1950年まで製造された。短基線長の横型距離計が併売された。
- ライカIII(Leica III、Leica F 、1933年発売) - ライカIIにスローシャッター、視度調整装置、ストラップを装着する金具が装着された(ライカIIの極一部にも装着)。距離計の倍率が1.5倍になり測距精度が向上した。シリアルナンバーは107601から360000まで。ライカIIと同様の理由でしばらく日本名はライカDIIIだった。
- ライカ250(Leica 250 、1933年または1934年発売) - 長尺用マガジンに長さ10mのフィルムを装填し250枚の撮影をする。ダブルマガジンで巻き戻しの必要がない。シリアルナンバー114051から生産され、当初の2台はライカII(Leica 250 DD)、その後ライカIII(Leica 250 FF)ベースでシリアルナンバー150125まで生産され、さらにライカIIIa(Leica 250 GG)ベースとなりシリアルナンバー353800まで952台が生産された。通称リポーター(Reporter )。
- ライカ250モーター(Leica 250 Motor ) - ライカ250にゼンマイ式巻き上げ装置ライカモーター(Leica-Motor )を装備した。
- ライカIIIa(Leica IIIa、Leica G 、1935年発売) - 1932年に発売されたコンタックスI型に対抗して1/500秒だった最高速が1/1000秒になった。シャッターブレーキが装着されシャッター幕のバウンドがなくなった。スローシャッターにクリックストップがついた。シリアルナンバーは156201から357200まで。
- ライカIIIaモンテザール(Leica IIIa Montesar ) - フランスのモンテザール工場で生産されたものでモンテザール刻印がある。「モンテザールライカ」と呼ばれ珍品とされる。
- ライカIIIaドイツ海軍用 - ドイツ帝国のシンボルである鷲とナチスの鉤十字が刻印されている。[9]
- ライカIIIb(Leica IIIb 、1938年発売) - 20mm離れていた距離計の窓とファインダーの窓が隣り合わせになり僅かに目を動かすだけで両方を見られるようになった。ファインダー部分はダイキャストとなり、このため距離計対物窓が1mm大きくなり、カメラの全高も1mmあまり高くなった。アクセサリーシューも頑丈な構造になっている。距離計視度調整レバーが巻き戻しノブ基部に移された。シリアルナンバーは240001から355000まで[10]。
- ライカIIIc(Leica IIIc 、1940年発売) - 板金製だったボディーが堅牢で加工しやすく再組み立て時精度を出しやすいアルミ合金ダイキャスト製になり15g軽量化されたが幅が2.8mm、高さが2mm大きくなった。生産時期に第二次世界大戦末期を挟むため材質の問題か仕上げの悪い個体、仕様変更が多い[11]。シリアルナンバーは戦前型が360101から399999、戦後型が1946年製造の400000から1950年製造の525000。戦後型はライカビットが使用でき、巻き戻し切り替えレバー機部の段差がなくなり、視度調整レバー先端の小ノブが廃止され、シャッターのZ表示がB表示に変更されている[12]。
- ライカIIc(Leica IIc 、1948年発売) - ライカIIIcからスローシャッターを除いたモデル。シャッター最高速も1/500秒に留まる。シリアルナンバー440001から1951年の451000[16]。
- ライカIc(Leica Ic 、1949年発売) - ライカIIcからさらに距離計とファインダーを除いたモデル。アクセサリーシューが2個つく。シリアルナンバー455001から1951年の562800[17]。
- ライカIIId(Leica IIId 、1949年製造) - ライカIIIcにセルフタイマーを装備した珍品。427台が製造されたが発売はされなかったと言われている。シリアルナンバーは360001から367500までの間に入っている[18]。
- ライカIIIf(Leica IIIf 、1950年発売) - フラッシュシンクロを装備したモデル。フォーカルプレーン用のシンクロ規格がなかったためフラッシュの種類とシャッタースピードでリストからコンタクトナンバーを選んで設定する煩雑な設計になっている。シリアルナンバーは525001からで、1952年のシリアルナンバー615001から当時のシャッター速度系列がアメリカ規格になりコンタクトナンバーが赤になったためレッドシンクロと俗称する。1954年シリアルナンバー685001からセルフタイマーを装備した。最終は1957年の837720。
- ライカIIf(Leica IIf 、1951年発売) - ライカIIIfからスローシャッターを除きシャッター最高速1/500秒としたモデル。シリアルナンバーは451001からで、シリアルナンバー574401からライカIIIfと同様「レッドシンクロ」となった。1954年シリアルナンバー677501からシャッター最高速1/1000秒を装備した。最終は1956年822000。
- ライカIf(Leica If 、1952年発売) - ライカIIfからさらに距離計とファインダーを除いたモデル。アクセサリーシューが2個つく。シリアルナンバー562001から。564001からライカIIIfと同様「レッドシンクロ」となった。最終は1957年851000。
- ライカ72(Leica 72 、1955年発売) - 24×18mm判。ライカIIIaをベースにカナダのミッドランドとドイツのヴェッツラーで製造されたハーフ判カメラ。ごく少数の例外を除きライカIIIfと同じシンクロ装置を備えている。生産台数は約200台。
- ライカIIIg(Leica IIIg 、1957年発売) - ライカM3と同様のパララックス自動補正ブライトフレームファインダーを装備したモデル。枠は50mmと90mmm、ただし自動で切替されない。ファインダーの大型化に伴いライカIIIfとの比較で高さ4mm、奥行1mmほど大きくなっている。
- ライカIIIg Betriebsk - 社内使用用のライカIIIg。「Betriebsk」の刻印がある。[22]
- ライカIIg(Leica IIg 、1957年製造) - ライカIIIgからセルフタイマーを除いたモデル。正式に発売されたかは不明で珍品[23]であるためライカIIIgとライカIgを組み合わせた偽物が多数ある。
- ライカIg(Leica Ig 、1957年発売) - ライカIIIgから距離計とファインダーを除いたモデル。Iシリーズでは例外的にスローシャッターは装備される。アクセサリーシューが2個つく。
- ライカIgスローなし - ライカIgのスローシャッター、シンクロ、セルフタイマーが省略されたモデル。ライツのカタログにも掲載されず製造は数台と言われている。[24]
[編集] ライカMシリーズボディー
ライカMマウントのレンジファインダーカメラ。ただしレンジファインダーを搭載しない機種もある。フランジバックは27.8mmとバルナック型と比較してちょうど1mm短く、1mm厚のアダプターを使用しライカLマウントのレンズも使用できる。レンズに関してはライカマウントレンズの一覧を参照のこと。
- ライカM3(Leica M3 、1954年発売) - 1954年のフォトキナで発表された。新型のMマウントを備えバヨネット式にて迅速にレンズ交換でき、50mmのファインダー枠が常時表示され、装着したレンズに従って90mm、135mmのファインダー枠が自動で表示される。ファインダー枠はパララックスを自動補正する。ファインダーは等倍とする資料も多いが0.91倍であり、両目を開いての撮影時、人によっては違和感を覚える原因となる。距離計は基線長68.5mmで135mmレンズにも充分な測距精度を持つ。レチナ式のレバー巻上により迅速に巻上できる。クリックストップのある一軸不回転ダイヤルを備えて迅速にシャッター速度が設定でき、メトラワット製でセレン光電池式の外付け露出計「ライカメーターM」を使用できる。裏蓋が一部開き、フィルム装填が迅速簡単になった。スプールを抜くとフィルムカウンターは自動で「-2」に復帰する。広角レンズを使用する際は焦点距離35mmのレンズにある「眼鏡付き」のレンズを使用するか、外付ファインダーを使用する。当初は「2ストローク」と呼ばれる二回巻き上げ方式、シャッタースピードは国際系列の11スピード、フィルムの平面性を向上するためガラス製圧板を採用した。製造はシリアルナンバー700000から始まった。1955年4月シリアルナンバー785801から手動でブライトフレームを選択できるフレームセレクターレバーが付き、装着されていないレンズの枠を呼び出し画角を確認できるようになった。1956年外付け露出計がワイドレンジ化された「ライカメーターMC」となった。ガラス製フィルム圧板が乾燥した環境下で急速な巻き戻しをすると静電気の発光がフィルムに写ったり高温多湿下で貼り付いたりといった事故の原因になったためシリアルナンバー844001からプレス金属製となり、それに伴い裏蓋自体もダイキャスト製から板金製に変更された。1957年シリアルナンバー854001から倍数系列の12スピードとなり、これに伴い「ライカメーターMC」も倍数系列となった。1958年シリアルナンバー919251以降ライカM2発売と同時に「1ストローク」と呼ばれる分割巻き上げも可能な一回巻き上げになり、測距フレームの上側辺にF16時下側辺にF5.6時の焦点深度を示す凸型指標が入り、またライカM2で採用された新型シャッターブレーキを装備した。1959年中頃ライカM2の巻き戻し切り替えがボタンからレバーに変更されたことに伴いシリアルナンバー963001からライカM2と共通の小さいレバーに変更された。シリアルナンバー115万台中頃にバヨネッとロック解除ボタン保護リングが省略された。1966年最終機1206999までクローム仕上げ2111120台、黒塗り3010台が生産された。
- ライカM3オリーブ - 当時の西ドイツ国防軍用として1957年にシリアルナンバー910501から910600の100台、1958年に920501から920521の21台、1966年に1158996から1159000の5台、1968年に1206962から1206999の38台、計164台[25]が生産された。
- ライカM3 Betriebsk - 社内使用用のライカM3。「Betriebsk」の刻印がある。[26]
- ライカM3E - アルフレッド・アイゼンシュテットの求めにより、ライカビットMPを装着できフィルムカウンターを手動リセットとしセルフタイマーを省いた特殊モデル。「ライカM3E-1」1台のみ生産された。
- ライカM3D - デビッド・ダグラス・ダンカンの求めでライカM3E-1と同様の機能で「ライカM3D-1」から「ライカM3D-4」までの4台が黒塗りで製造された。
- ライカMP(Leica MP 、1956年発売) - ライカM3E、ライカM3Dの存在を知った有名カメラマンから製造の要望があったため生産された。後に単体発売されたライカビットMPはライカM2、ライカM1には装着できるがライカM3には装着できない。「ライカMP-1」から「ライカMP-12」までの12台はシャッタースピードが国際系列でクローム仕上げ、1957年に入って生産された「ライカMP-13」から「ライカMP-150」までの138台は倍数系列で黒塗り、「ライカMP-151」から「ライカMP-300」までの300台は倍数系列でクローム仕上げ。レバーによるフィルム巻き上げも可能で、全て2回巻き上げ。プロの酷使に耐えるべく硬化処理したスチール製機構部品を使用している。当初のロットに500台を割り当てその後も生産を続行する予定であったが、ほぼ同仕様のライカM2発売により売れ行きがはかばかしくなく早々に生産を打ち切った。450台の中にはユーザーの要望でライカM2のトップカバーとファインダーシステムを用いた個体やセルフタイマーを装備したものもあり、これらの個体のシリアルナンバーの後にはスペシャル仕様を示すSPの文字が入っている。
- ライカM3ライカビット装着モデル - 普通のライカM3を純正改造しライカビットMPを装着したモデル。一見ライカMPのようだがセルフタイマーを装備しており、製造番号も通常品と同様の通し番号である。製造台数は数十台と言われる。[27]
- ライカM2(Leica M2 、1957年[28]発売) - 35mm、50mm、90mmのファインダー枠を備える。これに伴いファインダー倍率は0.72倍に低下し、それに伴い有効基線長も51.4mmに短くなっている。フィルムカウンタ−リセットが手動。ライカM3の廉価版とも言われたが実際にはあまり価格は変わらず、一般には広角型として扱われた。以降ほとんどのMシリーズライカのファインダーはこのファインダーを基本とする。当初セルフタイマーは装備されなかったがシリアルナンバー949101からアメリカ向けには装備されるようになり、1960年シリアルナンバー1004151からは全数が装備した。新型シャッターブレーキが採用され、シャッター動作がさらに安定した。ライカビットMPが使用できる。
- ライカM2 Betriebsk - 社内使用用のライカM2。「Betriebsk」の刻印がある。[29]
- ライカMP2(Leica MP2 、1958年発売) - ライカM2に3コマ/秒のフィルム巻き上げ用モータードライブを組み込んだモデルでシリアルナンバー935501〜935512、952001〜952015の2ロット約27台が製造された。セルフタイマーが省略されている。
- ライカM2グレー(1960年製造) - 当時の西ドイツ空軍用にグレー仕上げでシリアルナンバー1005751〜1005770の20台が製造された。
- ライカM2-M(Leica M2-M 、1966年発売) - ニューヨーク・ライツがN.ゴールドベルグの開発したM型ライカ用モーターワインダーの製造権を取得、1965年当初はユーザーの持ち込みでモーター部とボディー改造用部品と改造のセットで販売された。1966年にニューヨーク・ライツ製モーターを組み込んだ状態で本社がシリアルナンバー1163771〜1164046の275台を製造した。
- ライカM2-R(Leica M2-R 、1966年発売) - ライカM2末期ライカM4のラピッドローディング機構を組み込んだマイナーチェンジ型。アメリカ軍KS15-4としてシリアルナンバー1163150〜1163770、1164046〜1164300の2ロット876台が製造されたがキャンセルになり市場に流れて話題になった。これは軍艦部の機種名も「M2」のみであったが、後にニューヨークライツがドイツ本社に同じ物を発注し、軍艦部にある機種名は「M2-R」となりシリアルナンバー1248201〜1250200が割り当てられて生産された。
- ライカM1(Leica M1 、1959年発売) - ライカM2から距離計とファインダーセレクターレバーを除いた製品。ファインダー枠は35mmと50mmで両方が常時表示される。パララックス自動補正。セルフタイマーは装備しない。製造台数9650台。ライカビットMPが使用できる。エルンスト・ライツではライカM2への改造を引き受けていたが実例は確認されていない。
- ライカM1オリーブ - 1960年西ドイツ国防軍用にシリアルナンバー980451〜980500の50台、1961年に1035926〜1036000の75台、1964年に1098101〜1098183の83台、合計208台が生産された。ファインダーのフレームは50mmと135mmに変更されており、ファインダーアイピースの上に「5+13.5」の文字があり、オリーブ仕上げのエルマー50mmF2.8、ヘクトール135mmF4.5とセットになっていた。ただし最終ロットの一部に通常のライカM1と同様35mmと50mmのファインダーを持ちズマロン35mmF2.8とエルマー50mmF2.8がセットになっている個体が少数ある。
- ライカMD(Leica MD 、1963年発売) - ライカM1からさらにファインダーを除いた機種、バルナックライカで言えばI系列であるが、大きさはライカM2と変わらない。画面の端にデータ記録用のスリットが設けられている。Dはドキュメンテーションのイニシャルという。製造台数は3216台。
- ライカMS(Leica MS ) - アメリカ合衆国海軍からの注文で製造された特殊型。航空機パイロットがヘルメットをかぶったままで使用できるハイアイポイントファインダーを採用している。ファインダーフレームは90mmと135mmで、ピントを無限遠に固定されたズミクロン90mmF2、エルマリート135mmF2.8とセットにされていた。シャッタースピードは1/250、1/500、1/1000秒のみ。フィルム巻き上げはライカビット式で、グリップを浅く引くとシャッターが落ち、さらに強く引くとフィルムが巻き上げられるようになっている。モータードライブ装着型も存在している。製造台数は10台以下。[33]
- ライカMDa(Leica MDa 、1966年発売) - ライカMDの後継機種でありベースがライカM4になっている[34]。フィルム巻き上げレバーが万能複写装置IIa型と干渉するという理由ですぐにライカM2と同型にされた。画面の端にデータ記録用のスリットが設けられている。
- ライカM4(Leica M4 、1967年6月発売) - ファインダ−は基本的にライカM2を踏襲したが135mmのファインダー枠も装備され、装着されたレンズに従って自動で35/135mm、50mm、90mmの枠を切り替える。巻上レバーにプラスチック製の指当てがつき、巻戻はノブからクランクとなりライカメーターMR装着時でも楽に巻き戻せるよう斜めに取り付けられている。シンクロターミナルが一般的なDIN式に変更されている。裏蓋を開くと[36]フィルムカウンターが自動リセットされる。シリアルナンバーは1175001から始まり、1971年の生産中止までにクローム仕上げと、少数の焼付ブラックが生産された。ライカM5の不評を受けて1972年からカナダライツにてブラッククローム仕上げで再生産された。
- ライカM4-M(Leica M4-M 、1968年発売) - ライカM4をニューヨーク・ライツがモータードライブ装着対応とした型。モーターに対応するためラピッドローディング機構は外されている。軍艦部の刻印は当初「M4-M」でシリアルナンバー1185001から1185150の150台が生産された。1969年には軍艦部の刻印が「M4-MOT」となり、シリアルナンバー1206737から1206891の154台、1248101から1248200の100台、1970年にシリアルナンバー1267101から1267500の400台、1971年にシリアルナンバー1274001から1274100の100台、計904台が生産された。
- ライカM4-M/Da(Leica M4-MDa ) - ライカMDa同様データ記録用スリットがある。モータードライブ装着は不可能。Mの文字の横に白丸マークが入っているものはツァイスから注文を受けて眼底検視鏡記録装置として製造されたもの。
- ライカM4オリーブ(1970年生産) - 西ドイツ軍向けにシリアルナンバー1266101から1266131の31台が生産された。
- KE-7A(1972年生産) - アメリカ軍向けにカナダライツで生産された。機能的には通常のライカM4と同様だが気温-20℃までの耐寒性、回転部の耐塵性が考慮されている。シリアルナンバーは試作が1293771から1293775の5台、軍に納入された1294501から1294250の250台、市販された1294251から1294500の250台、計505台が生産された。全てブラッククローム仕上げ。
- ライカM4ライカ発売50周年記念モデル(1975年発売) - シリアルナンバーL-001からL-350、E-001からE-350、I-001からI-350、C-001からC-350、A-001からA-350の計1750台生産された。
- ライカM5(Leica M5 、1971年発売) - TTL露出計を装備する。それまでの端正なデザインを壊した大型のカメラで「弁当箱」と揶揄され発売当初は不人気だったが、1975年に製造中止後しばらく経ってから人気が出た。異形に見えるがファインダー系は以前のものを踏襲している。露出計受光部はレンズ装着を感知してフィルム前面に降りて来、シャッターレリーズすると上がる。
- ライカM5ライカ発売50周年記念モデル(1975年発売) - シリアルナンバーL-001からL-350、E-001からE-350、I-001からI-350、C-001からC-350、A-001からA-350の計1750台生産された。
- ライカCL(Leica CL 、1973年発売) - 提携先であったミノルタからのOEM。機能的にはライカM5を小型軽量化したもの。日本ではライツミノルタCLとして販売された。後継のミノルタCLEはOEM化されなかった。ドイツ国内では999マルクで販売され雑誌などで「1000マルクを切った最初のライカ」として宣伝されていた。露出計受光部はフィルムを巻き上げるとフィルム前面に降りて来て、シャッターレリーズすると上がる。
- ライカCLライカ発売50周年記念モデル(1975年発売) - シリアルナンバーL-001からL-700、E-001からE-700、I-001からI-700、C-001からC-700、A-001からA-700の計3500台生産された。
- ライカM4-2(Leica M4-2 、1976年フォトキナで発表、1978年発売) - 1974年ウィルドへの売却に伴う混乱の中で発表・発売された。ライカM4のマイナーチェンジモデルで、ホットシューが装備されセルフタイマーが省略された。ライカワインダーM4-2が使用できる。
- ライカMD-2(Leica MD-2 、1976年発表、1980年発売) - ライカMDaの後継機種でありベースがライカM4-2になっている。画面の端にデータ記録用のスリットが設けられている。
- ライカMD-22(Leica MD-22 、1976年発表) - ライカMD-2の24×18mm(ハーフ)判仕様。ライカMD-2と同時に発表され、カタログに記載されてコードナンバーも与えられていたにも拘らず発売されず、その後試作品さえ確認されていない。
- ライカM4-P(Leica M4-P 、1980年フォトキナで発表、1981年発売) - 28mmと75mmのファインダー枠が加わり、装着されたレンズに従って自動で50/75mm、28/90mm、35/135mmの枠を切り替える。組み合わされるワインダーは当初ライカワインダーM4-P、後にライカM6と共用のライカワインダーM。
- ライカM6(Leica M6 、1984年フォトキナで発表、1984年発売) - ライカM4時代のデザインのままTTL露出計を組み込んでいる。すなわちライカM5発売時のクレームにようやく応えた形となった。仕上げは当初黒クロームのみであったが1985年白クローム仕上げが加わった。1988年会社組織変更に伴いトップカバーの文字が「ライツ・ウェツラー」から「ライカ」に変更された。また「ライツ」だったロゴマークも「ライカ」になっている。1990年から1991年に掛けて白クロームのボディーに黒クロームの部品を使った個体があり「パンダ」と俗称されている。
- ライカM6LHAA(1988年製造) - ライカ・ヒストリカ・アソシエーション・オブ・アメリカ20周年記念としてメンバーに配布された。トッププレートにそのロゴマークが彫刻されている。
- ライカM6プラチナ(1989年発売) - プラチナメッキ、蛇革張り。同じ仕上げのズミルックス50mmF1.4とのセット販売。シリアルナンバーL-001からL-250、E-001からE-250、I-001からI-250、C-001からC-250、A-001からA-250の計1250台生産された。
- ライカM6G - スイスのライカ代理店の特注品。ロゴマークが金色で、アクセサリーシュー前部にエルマーの構成図が彫刻されている。
- ライカM6チタン(1992年フォトキナで発表、1992年発売) - チタンメッキ仕上げ。同じ仕上げのズミルックス35mmF1.4も同時に発売された。
- ライカM6J(Leica M6J 、1994年フォトキナで発表、1994年発売) - ライカM3発売40周年を記念して1640台が生産された。外観はライカM3に似せてあるが巻き戻しは斜めクランク。露出計もライカM6と同様装備する。ファインダーはライカM3の0.91倍でもライカM2からライカM6まで使用されて来た0.72倍でもない0.85倍。ファインダー枠は35/135mm、50mm、90mm。
- ライカM6 0.85(Leica M6 0.85 、1998年発売) - ライカM6のファインダーを0.85倍にした。ファインダー枠は35/135mm、50/75mm、90mm。
- ライカM6TTL(Leica M6TTL 、1998年発売) - TTLフラッシュに対応した。
- ライカM7(Leica M7 、2002年発売) - 絞り優先AEを装備した電子シャッター機。ファインダーは0.72倍。枠は28/90mm、35/135mm、50/75mmを自動で切り替える。
- ライカM7 0.58 - ファインダーは0.58倍。枠は28/90mm、35mm、50/75mmを自動で切り替える。
- ライカM7 0.85 - ファインダーは0.85倍。枠は90mm、35/135mm、50/75mmを自動で切り替える。
- ライカM7エディション・エルメス(Leica M7 Edition Hermes 、2009年12月発売) - 貼革がオレンジ、またはエトゥープのカーフスキンで各100台、計200台が限定販売された。
- ライカMP(Leica MP 、2003年発売) - ライカM3の特殊モデルとして生産されたライカMPと名称は同一であるが別物。ライカM6のトップカバーを真鍮製にし、レバーやノブをライカM3様にしたモデル。
- ライカMPエディション・エルメス(Leica MP Edition Hermes 、2003年発売) - 貼革がオレンジ、またはエトゥープのカーフスキンで各100台、計200台が限定販売された。
- ライカM8(Leica M8 、2006年発売) - ライカMシリーズ初のデジタルカメラ。金属幕・縦走りシャッター機。
詳細は「M8 (カメラ)」を参照
- ライカM8.2(Leica M8.2 、2008年発売) - ライカM8をベースにシャッターを静粛化したが最高シャッタースピードはライカM8の1/8000秒から1/4000秒に低下した。背面液晶カバーにサファイアを使用している。
- ライカM8.2サファリ(2009年2月発売) - 世界500セット限定発売。
- ライカM9(Leica M9 、2009年発売)- 35mmフルサイズセンサーを採用したデジタルカメラ。旧来のレンズをフィルムと同じ画角で使用できる。ボディはライカM8と同サイズを維持し、2009年現在世界最小の35mmフルサイズ・デジタルカメラの中である。
[編集] ライカRシリーズボディー
一眼レフカメラ。レンズに関してはライカRマウントレンズの一覧を参照のこと。
- ライカフレックスI型(Leicaflex I 、1965年発売) - エルンスト・ライツが発売した最初の一眼レフカメラ。シャッター最高速は1/2000秒。測光がTTLでなく外部測光でありレンズがクロームメッキだったので外部測光に誤差が出て問題となったのか間もなくレンズがブラック仕上げになった。ライカMシリーズの測距方式を踏襲するためかマット面はなく画面中央のマイクロプリズムにてピントを合わせる方式である。[要出典]
- ライカフレックスII型(Leicaflex II ) - ライカフレックス後期型とも称される。ライカフレックスI型では露出計に常時通電していたが巻上レバーの予備角を起こした時のみ通電するように改良された。ライカフレックスI型とライカフレックスII型をライカフレックスオリジナルと呼ぶことがある。
- ライカフレックスSL(Leicaflex SL 、1968年発売) - ピント合わせはマイクロプリズム面のみ。スプリット方式は採用されていない。測光方式は外部測光に代わりTTLになった。
- ライカフレックスSLライカ発売50周年記念モデル(1975年発売) - シリアルナンバーL-001からL-350、E-001からE-350、I-001からI-350、C-001からC-350、A-001からA-350の計1750台生産された。
- ライカフレックスSL2(Leicaflex SL2 ) - ライカフレックスSLのマイナーチェンジ型。ピント合わせが周辺部のマイクロプリズム面と中央のスプリット方式併用になった。提携したミノルタ(現コニカミノルタホールディングス)の影響が一部に見られるという。
- ライカR3(Leica R3 、1976年発売) - ミノルタXEをベースとしていることで話題になった。絞り優先AE、マニュアル露光。スポット測光[38]を内蔵している。
- ライカR4(Leica R4 、1980年発売) - ミノルタXDをベースとしている。以降機械式シャッター機を除きライカR7までマイナーチェンジと言っても良い。プログラムAE[39]、シャッター優先AE、絞り優先AE、マニュアル露光、スポット測光を装備する。
- ライカR4S(Leica R4S ) - ライカR4の廉価版。平均測光による絞り優先AE、スポット測光による絞り優先AE、スポット測光によるマニュアル露光。
- ライカR5(Leica R5 ) - 中央重点測光による絞り優先AE、スポット測光による絞り優先AE、中央部重点測光によるシャッター優先AE、中央重点測光によるプログラムAE、スポット測光によるマニュアル露光。シャッタースピードは1/2000秒-1/2秒、X(1/100秒)、B。
- ライカR6(Leica R6 、1988年発売) - 機械式シャッターを装備、シャッタースピードは1/1000秒-1秒、B、X(1/100秒)。中央重点測光とスポット測光。
- ライカR6.2(Leica R6.2 ) - ライカR6のシャッタ−最高速が1/2000秒になった。
- ライカR-E(Leica R-E ) - ライカR5の廉価版。中央重点測光による絞り優先AE、スポット測光による絞り優先AE、スポット測光によるマニュアル露光。
- ライカR7(Leica R7 、1994年発売) - ライカR5のマイナーチェンジ。シャッタースピードはOFF、1/2000秒-4秒、X(1/100秒)、B。
- ライカR8(Leica R8 1996年発売) - 1996年のフォトキナで発表された。完全自社設計。特異なボディーデザインが話題となった。シャッター最高速1/8000秒。デジタルバック「デジタルモジュールR」使用可能。
- ライカR9(Leica R9 、2002年発売) - 2002年のフォトキナで発表されたライカR8の後継機。ボディ背面のみだったフィルムカウンターが上部にも増設された。外装の材質をマグネシウム合金に変え100g軽量化された。デジタルバック「デジタルモジュールR」使用可能。
[編集] フィルムコンパクト機
- C1(リコー製)
- C3(リコー製)
- CM
- minilux(松下電器産業製)
- minilux zoom(松下電器産業製)
- C11(APS)
[編集] デジタルカメラ
- digilux(1998年) - 富士フイルム FinePix 700 ベース
- digilux zoom(1999年) - 富士フイルム FinePix 1700z ベース
- digilux zoom 2000(2000年) - 富士フイルム FinePix 2700 ベース
- DIGILUX1(2002年) - パナソニック LUMIX DMC-LC5 ベース
- D-LUX(2003年) - パナソニック LUMIX DMC-F1 ベース
- DIGILUX2(2004年) - パナソニック LUMIX DMC-LC1 ベース
- D-LUX2(2005年) - パナソニック LUMIX DMC-LX1 ベース
- C-LUX1(2006年) - パナソニック LUMIX DMC-FX01 ベース
- V-LUX1(2006年) - パナソニック LUMIX DMC-FZ50 ベース
- D-LUX3(2006年) - パナソニック LUMIX DMC-LX2 ベース
- DIGILUX 3(2006年) - パナソニック LUMIX DMC-L1 ベース
- C-LUX2(2007年) - パナソニック LUMIX DMC-FX30 ベース
- D-LUX4(2008年) - パナソニック LUMIX DMC-LX3 ベース
- C-LUX3(2008年) - パナソニック LUMIX DMC-FX37 ベース
- ライカX1(2009年) - ライカ初の自社開発デジタルコンパクトカメラ。APS-Cサイズの大型センサーを搭載した単焦点機。
[編集] ライカ製レンズの名称
以前ライカ製のレンズの名称は例えばテッサータイプのレンズはエルマー、プラナー型のレンズはズマロンのようにレンズ構成によって決められていた。しかしその後ほぼF値によって決められるようになっている。例えばF1から1.2はノクチルックス、F1.4はズミルックス、F2はズミクロン、F1.5はズマリット、F2.8はエルマリート、それより暗いレンズはエルマーである。
[編集] 贈呈品
エルンスト・ライツは古くから特別な製造番号の顕微鏡を商品とせず、著名な科学者等に贈っていた。これはライカカメラ発売後も続いた。贈呈されたライカカメラは以下が知られている。
- 280 - ライカI(A)、1925年。フェルディナント・フォン・ツェッペリン
- 10000 - ライカI(A)、1928年。フーゴー・エッケナー
- 15000 - ライカI(A)、1929年。スヴェン・ヘディン
- 50000 - ライカI(C)、1930年。ドイツの探検家、ウィルヘルム・フィルクナー
- 75000 - ライカII、1932年。オーギュスト・ピカール
- 100000 - ライカII、1933年。人類学者、アフリカ探検家レオ・フロベニウス
- 125000 - 登山家、ギュンター・ディーレンフルト
- 150000 - コダクローム共同発明者、レオポルド・ゴドウスキー・ジュニア
- 157000 - コダクローム共同発明者、レオポルド・マンネス
- 200000 - ライカを愛用した小型カメラ写真の先駆者、パウル・ヴォルフ
- 230000 - ライカIIIa、1935年。日本写真歴史保存会会長、河原栄一
- 250000 - ライカIIIa、1937年。ウィルヘルム・フィルクナー(中央アジアに残して来たNo.50000に代えて贈られた)
- 300000 - ライカスタンダード、1938年。アグファカラーの発明者グスタフ・ウィルマンズ
- 350000 - ライカIIIb、1940年。アグファカラーの発明者ウィルヘルム・シュナイダー
- 375000 - ライカIIIc、1941年。エルヴィン・ロンメル
- 400000 - ライカIIIc、1945年。ウィルヘルム・シュナイダー(No.350000が損耗したため)
- 450000 - ドイツユースホステル創業者、リヒャルト・シュールマン
- 500000 - ライカIIIc、1950年。エルンスト・ライツ2世
- 555555 - 金メッキされたライカIIIc、1951年。ダライ・ラマ14世
- 650000 - 登山家、ギュンター・ディーレンフルト2世
- 666666 - ライカIIIf、1953年。エドモンド・ヒラリー
- 700000 - ライカM3、1954年。ステファン・クルッケンハウザー
- 750000 - ライカM3、1955年。アンリ・カルティエ=ブレッソン
- 800000 - ライカM3、1955年。コンラート・アデナウアー
- 830000 - ライカM3、1953年。ジャワハルラール・ネルー
- 919000 - ライカM3、1958年。エリザベス2世 (イギリス女王)
- 980000 - ライカM3、1959年。ドワイト・D・アイゼンハワー
- 1000000 - ライカM3、1960年。エルンスト・ライツ3世
- 1000001 - ライカM3、1960年。写真家、アルフレート・アイゼンシュタット
[編集] 日本企業との提携
- 1972年、ミノルタカメラ(現コニカミノルタホールディングス)と技術交換や生産協力などで提携を行った。エルンスト・ライツが外国企業と提携したのは初めてのことで、この提携ニュースは日本・アメリカ・ドイツで大きく報道された。この協力関係に基づき、1973年にライツミノルタCL/ライカCLを発売し、ミノルタXEの基本構成をライカR3以降に流用した。その後提携は解消されたが、この技術提携によって双方の技術がその後の両社の技術開発に多大な影響を与えた。
- 2000年、松下電器産業(現パナソニック)とデジタルAV機器用レンズに関する技術協力契約を締結、「ディコマー(DICOMAR )」レンズを搭載したデジタルビデオカメラなど3機種を開発・発売している。松下とはそれ以前からフィルム・コンパクト機(製造は松下系列の旧ウエスト電気(現パナソニック フォト・ライティング))のOEM供給を受けている。さらに2001年にはデジタルカメラ分野においても提携を行い、レンズの光学系はライカと共同開発を行いライカのライセンスを受けて生産を行っているほか、松下からのOEM供給によるライカブランドでの販売も行っている。松下がフォーサーズ・システムによるデジタル一眼レフに参入した際にも同規格に賛同し、レンズのライセンス許諾による供給を行なうことになっており、ライカブランドでもDMC-L1のOEMモデルDIGILUX 3が発売されている。
[編集] 関連する作品
- 『ちびまる子ちゃん』- 作品中で「穂波真太郎(たまちゃんのお父さん)」がライカを使用している。このカメラは当初写真コンテストの賞品として貰ったという設定のライカM3であったが落下させて故障させ、花輪くんの家に使われずに眠っていたライカM4をもらって使用している[41]。このことから当時代理店だった日本シイベルヘグナーは「老若男女の幅広い層にライカのブランド名を親しみやすく浸透させるのに大きく貢献していただいた」とライカR7うるしをさくらももこに贈呈している。
[編集] 文献
- 佐貫亦男(著)、『ドイツカメラのスタイリング』、グリーンアロー出版社、1996年、ISBN 4-7663-3189-3
- 『クラシックカメラ専科』
- 『クラシックカメラ専科No.8、スプリングカメラ』
- 『クラシックカメラ専科No.19、ライカブック'92』
- 『クラシックカメラ専科No.28、M型ライカ図鑑』
[編集] 注釈
- ^ レンズ設計者のルートヴィッヒ・ベルテレとはスペルも違い無関係。
- ^ ライカカメラAG公式ウェブサイト
- ^ 『クラシックカメラ専科』P68。
- ^ 『クラシックカメラ専科No.28、M型ライカ図鑑』P38。
- ^ 『クラシックカメラ専科』P69。
- ^ 『クラシックカメラ専科』P69。
- ^ 外径38.9mm、内径37.9mm。
- ^ 『クラシックカメラ専科』P70。
- ^ 『クラシックカメラ専科No.8、スプリングカメラ』P142。
- ^ 『クラシックカメラ専科』P71。
- ^ 『クラシックカメラ専科No.19、ライカブック'92』P62。
- ^ 『クラシックカメラ専科』P72。
- ^ 『クラシックカメラ専科No.8、スプリングカメラ』P142。
- ^ 『クラシックカメラ専科No.8、スプリングカメラ』P142。
- ^ 『クラシックカメラ専科No.8、スプリングカメラ』P142。
- ^ 『クラシックカメラ専科』P72。
- ^ 『クラシックカメラ専科』P72。
- ^ 『クラシックカメラ専科』P72。
- ^ 『クラシックカメラ専科No.8、スプリングカメラ』P142。
- ^ 『クラシックカメラ専科No.8、スプリングカメラ』P142。
- ^ 『クラシックカメラ専科No.8、スプリングカメラ』P142。
- ^ 『クラシックカメラ専科No.8、スプリングカメラ』P142。
- ^ 『クラシックカメラ専科No.28、M型ライカ図鑑』P58。
- ^ 『クラシックカメラ専科No.8、スプリングカメラ』P142。
- ^ 『クラシックカメラ専科No.28、M型ライカ図鑑』P10。
- ^ 『クラシックカメラ専科No.8、スプリングカメラ』P142。
- ^ 『クラシックカメラ専科No.8、スプリングカメラ』P142。
- ^ 『クラシックカメラ専科No.28、M型ライカ図鑑』P14。
- ^ 『クラシックカメラ専科No.8、スプリングカメラ』P142。
- ^ 『クラシックカメラ専科No.8、スプリングカメラ』P142。
- ^ 『クラシックカメラ専科No.8、スプリングカメラ』P142。
- ^ 『クラシックカメラ専科No.8、スプリングカメラ』P142。
- ^ 『クラシックカメラ専科No.28、M型ライカ図鑑』P23。
- ^ 実際にはライカM2がライカM4に交代する前にライカMDはライカMDaに交代している。
- ^ 『クラシックカメラ専科No.8、スプリングカメラ』P142。
- ^ ライカM3はスプールを抜くとリセットされたがライカM4ではスプールは固定され抜くことができない。
- ^ 『クラシックカメラ専科No.8、スプリングカメラ』P142。
- ^ ミノルタXEにはない。
- ^ ミノルタXDにはない。
- ^ 『クラシックカメラ専科No.8、スプリングカメラ』P142。
- ^ ただしそれほど厳密に設定されていない。
[編集] 関連項目
- ライカマウントレンズの一覧 - バルナック型とMシリーズ用のレンズの一覧。
- ライカRマウントレンズの一覧 - Rシリーズ用のレンズの一覧。
- フォコマート - エルンスト・ライツの引き伸ばし機。
- ライカ同盟 - 赤瀬川原平、高梨豊、秋山祐徳太子らによって結成された、ライカを中心としたメカニカルカメラを愛する集団。
- ライカ使い
- フェイクライカ
- ライカコピー
[編集] 外部リンク
- ライカカメラAG - ライカ公式サイト(日本語版)
- トーイツ - ライカのコルポスコープを取り扱う
- ライカマイクロシステムズ株式会社
- ライカジオシステムズ株式会社
- smalldisney // photo design - ライカ V-LUX1とパナソニックルミックスの比較