水野久美

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みずの くみ
水野 久美
水野 久美
1958年
本名 五十嵐 麻耶
生年月日 (1937-01-01) 1937年1月1日(87歳)
出生地 日本の旗 日本新潟県三条市
血液型 A
ジャンル 女優タレント
活動期間 1957年 - 現在
活動内容 映画、テレビドラマ、舞台
配偶者 山本學1966年 - 1969年五十嵐通夫(1973 ‐ 1999年、死別)
著名な家族 水野純一(長男)
事務所 オフィスPSC
主な作品
映画
気違い部落』(1957年)
日本誕生』(1959年)
独立愚連隊西へ』(1960年)
紅の海』(1961年)
妖星ゴラス』(1962年)
国際秘密警察シリーズ
マタンゴ』(1963年)
フランケンシュタイン対地底怪獣』(1965年)
怪獣大戦争』(1965年)
フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』(1966年)
ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』(1966年)
ゴジラ×メカゴジラ』(2002年)
ゴジラ FINAL WARS』(2004年)
テレビドラマ
気になる嫁さん』(1971年 - 1972年)
2年B組仙八先生』(1981年 - 1982年)
妻の定年』(1983年)
幸福の予感』(1996年)
にじいろカルテ』(2021年)
備考
身長:158cm 体重:48kg
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水野 久美(みずの くみ[1][2]1937年昭和12年〉1月1日[出典 1] - )は、日本の女優タレント。本名は五十嵐 麻耶。高瀬プロダクションを経てオフィスPSCに所属。

来歴・人物

新潟県出身[出典 2]。実家は写真館を経営[6]新潟県立三条東高等学校卒業。

実家の隣が劇場であったことから、その様子を見ているうちに役者を志すようになった[6]。高校在学中には演劇部に所属し、発表会では3年連続でヒロイン役を演じたほか、ティーンエイジャー向け雑誌・ジュニアそれいゆ主催によるミス・ジュニアそれいゆで1位に選出された。

映画世界社『映画ファン』昭和33年4月号より(1958年)

1957年松竹映画『気違い部落』でデビュー[出典 3]1958年東宝に入社[出典 4]。東宝では、上原美佐、三井美奈とともに、名前に「美」が入るスリー・ビューティーズとして売り出された[7]1959年劇団俳優座養成所を第8期生として卒業[2][注釈 1]

まだ、海外渡航自由化の前だった1960年、同7月27日から8月2日まで開催されたカラカス東宝映画祭のため、南米ベネズエラを訪れている。続いて、アメリカ・ロサンゼルスで同8月5日に開館した東宝ラブレア劇場の開館式にも出席した。

1963年、東宝を退社してフリーとなる[2]。以降、映画だけでなくテレビドラマや舞台など、多数に出演。妖艶な美貌から「和製フランソワーズ・アルヌール」と呼ばれていた[8][5]

1960年代は、特に妖艶なヴァンプ(妖婦)役として東宝特撮映画に多く出演した[出典 5]。それによる熱烈なファンは多く、海外からファンレターが送られてくるという。『怪獣大戦争』で演じた「X星人」は人気となり[9]1998年にはフィギュアが発売されている。『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』の監督を務めた福田純は、水野について普通の女優なら嫌がるようなことも文句を言わずにやってくれたと評している[10]。同作品では、当初起用されていた高橋紀子が病気降板したため、水野が代役を務めた[出典 6]。水野自身は、『マタンゴ』のような特殊な役を好んでいた[4][6]

2002年の『ゴジラ×メカゴジラ』に出演。2004年の『ゴジラ FINAL WARS』においては『怪獣大戦争』での役名と同じ波川玲子役で出演した。

2012年、初の自伝『女優 水野久美 怪獣・アクション・メロドラマの妖星』(樋口尚文との共著 / 洋泉社)を刊行、これを記念して銀座シネパトスで「水野久美映画祭」が開催される。

2017年、第72回毎日映画コンクール田中絹代賞を受賞。

人物・エピソード

私生活では、1964年に俳優の山本學と結婚するも後に離婚し、1973年C.A.Lプロデューサー五十嵐通夫と再婚したが、1999年に死別している。五十嵐との間には一人息子で長男の水野純一をもうけており、『ゴジラ×メカゴジラ』では俳優だった当時の彼と親子で共演している。息子夫婦と同居しており、孫が一人いる。

元プロ野球選手・プロレスラーのジャイアント馬場とは同郷で、中学時代の後輩にあたる[6]。馬場が読売ジャイアンツに入団した際に対談して以来交友があり、水野の引っ越しを手伝ったこともあった[6]。上京後の下積み時代に同じアパートに住んでいたことがある。

『気違い部落』に出演後、卒業公演のため俳優座に戻るが、松竹からは卒業したら契約すると約束されていた[6]。しかし、具体的な話が進まず、そのころに東宝から『二人だけの橋』のオファーがあり、松竹にも相談し了承を得たうえで出演したが、実際には松竹側は激怒していたことを後から知り、人には裏表があることを学んだという[6]

俳優座時代には様々なアルバイトに挑んでいたことから、女優になってどんな役が来ても理解が早かったという[6]。また、金銭的に苦労したことから、金持ちの奥様役を嫌悪している[6]。東宝を退社した理由も、安定を嫌ったためであった[6]

出演

映画

テレビドラマ

舞台

バラエティー・教養番組

他多数

吹き替え

その他

脚注

注釈

  1. ^ 入所時点では第7期生であったが、アルバイトで多忙になり単位が取れなかったという[6]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i 東宝特撮映画全史 1983, p. 534, 「怪獣・SF映画俳優名鑑」
  2. ^ a b c d e f g h ゴジラとともに 2016, p. 149, 「水野久美」
  3. ^ a b c 円谷英二特撮世界 2001, pp. 67–70, 「対談 佐原健二×水野久美」
  4. ^ a b c d e f g 東宝特撮女優大全集 2014, pp. 62–69, 聞き手:手塚昌明/構成:友井健人「水野久美インタビュー」
  5. ^ a b c d e f 超常識 2016, p. 122, 「Column ゴジラ映画 俳優FILE」
  6. ^ a b c d e f g h i j k ゴジラとともに 2016, pp. 150–161, 構成・文 友井健人「水野久美」(『映画秘宝』2011年6月号)
  7. ^ a b ゴジラ画報 1999, p. 109, 「Bonus Column 東宝美女軍団4 ヴァンパイヤ水野久美」
  8. ^ 切通理作本多猪四郎 無冠の巨匠』洋泉社 2014。本書の402pに『マタンゴ』の劇場パンフレットに水野を「日本のアルヌール」と紹介した文があると記載。
  9. ^ ゴジラ画報 1999, p. 128, 「Bonus Column 東宝美女軍団7 ふたたび水野久美」
  10. ^ テレビマガジン特別編集 誕生40周年記念 ゴジラ大全集』構成・執筆:岩畠寿明(エープロダクション)、赤井政尚、講談社、1994年9月1日、152頁。ISBN 4-06-178417-X 
  11. ^ ゴジラ画報 1999, p. 135, 「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」
  12. ^ a b c 東宝特撮映画全史 1983, pp. 536–538, 「主要特撮作品配役リスト」
  13. ^ a b ゴジラとともに 2016, pp. 162–168, 「水野久美ギャラリー」
  14. ^ 東宝特撮映画大全集 2012, p. 277, 「『ゴジラ×メカゴジラ』作品解説/俳優名鑑」
  15. ^ 東宝特撮映画大全集 2012, p. 285, 「『ゴジラ FINAL WARS』作品解説/俳優名鑑」
  16. ^ “片瀬那奈、上杉柊平、犬飼貴丈、柳美稀らが怪しげな役に 『24 JAPAN』キャスト13名一挙発表”. Real Sound (blueprint). (2020年8月24日). https://realsound.jp/movie/2020/08/post-606682.html 2020年8月24日閲覧。 

出典(リンク)

参考文献

外部リンク