大道典良
読売ジャイアンツ コーチ #107 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 三重県志摩郡大王町(現:志摩市) |
生年月日 | 1969年10月28日(54歳) |
身長 体重 |
185 cm 96 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 一塁手、外野手、指名打者 |
プロ入り | 1987年 ドラフト4位 |
初出場 | 1989年10月14日 |
最終出場 | 2010年9月19日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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監督・コーチ歴 | |
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この表について
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大道 典嘉(おおみち のりよし、本名:大道 典良(読み同じ)、1969年10月28日 - )は、三重県志摩郡大王町(現:志摩市)出身の元プロ野球選手(外野手・内野手)、野球指導者。2012年より読売ジャイアンツ(巨人)の育成コーチを務める。
経歴
プロ入り前
明野高校2年生の夏に甲子園出場。ただし、この時は控え投手(4番手)で試合には出場していない。センターのレギュラーになったのは2年の秋からである。当時、四番の奥野、エースの近藤と共に三羽烏と呼ばれていた。
南海・ダイエー・ソフトバンク時代
南海ホークスでは最後となった1987年のドラフト会議で4位指名を受けて入団するも、レギュラー定着には至らなかった。入団当時の体重は70kgで現在より30kg以上痩せていた[1]。1989年10月14日の近鉄バファローズ戦(藤井寺球場)に代打で初出場し、阿波野秀幸からプロ初安打を打った。
1994年にはドラフトで主砲候補と期待されていた小久保裕紀が入団し、小久保の練習風景を見てパワーに驚愕した。以後「これでは飯を食えない」と、持ち味の長打力を捨てて、藤本博史の右打ちを参考に「大柄な体を小さく曲げ、バットを極端に短く持つ」という独自の流し打ち打法を作り上げた。
1996年はスコット・ライディの不振によってチャンスを得ると、流し打ちの練習による効果が出てレギュラーに定着し、規定打席不足ながら打率.325・10本塁打・51打点の成績を残した。1997年は前年より数字は落ちたものの3番に定着し、規定打席にも到達。1998年以降は柴原洋・村松有人との併用により打席数は減少したため、規定打席に到達したのはこの年のみだった。
1998年シーズン終了後、吉永幸一郎・柳田聖人と共にスパイ疑惑が西日本新聞によって報道されたが、証拠不十分として処分には至らなかった。
2000年の日本シリーズ(対読売ジャイアンツ戦)では、第6戦において敗戦に繋がる失策を犯している。
2001年から登録名を「大道典嘉」に改める。この年以降、スタメン出場では指名打者・一塁手が中心となった。それでもトニー・ミッチェルの不振によってレギュラーを奪取すると、夏場以降は右投手・左投手それぞれの対戦打率が3割を超えた。
2002年は前年より若干数字を落としたものの、モーガン・バークハートの不振によって再びレギュラーに定着する。この年に行われたプロ野球史上初の台湾遠征2連戦(対オリックス・ブルーウェーブ戦)では1戦目・2戦目で追撃の本塁打を放っている[2]。
2003年は開幕から指名打者としてスタメン出場を果たしていたが、外野で起用する予定だったフリオ・ズレータがデビュー戦で守備難を露呈したため、指名打者で大道と併用されるようになる(松中信彦が指名打者に入った時は、大道・ズレータ共に一塁を守った)。この年、オールスターゲームにファン投票で選出された。
2004年はズレータが指名打者に定着したこともあって、出番が激減した。しかし後半には一軍に昇格し、主に代打や相手先発が左投手での右翼手で起用された。
2005年も前年と同じ起用法だったが、この年の出場は全て代打、もしくは一塁手としてだった。この頃から打撃不振によって一軍と二軍の往復を繰り返すようになる。
2006年は開幕を二軍で迎えたが、チーム全体が打撃不振に陥ったことから5月下旬に一軍昇格。6月までは打率.313を記録していたが、7月に入ると成績が低下し、後半戦は代打での出番も少なくなった。そして、シーズン終了直後の同年10月15日に戦力外通告を受ける。本人が「あまりに急な出来事だった」と述べているように、妻との外出中に携帯電話が鳴り、出ると球団幹部からの戦力外通告だったという。これについて、「南海からホークスの選手として頑張った自負があったし、引退試合ぐらいはさせてもらえると思っていた。それだけに、携帯電話での戦力外通告というのはショックだった」と語っている。このため現役続行を決断したが、3日後には王貞治の計らいによって、深刻な右打者不足に悩む読売ジャイアンツへ無償トレードされた。背番号は44。
巨人時代
2007年の開幕は二軍で迎えたが、6月9日に一軍昇格を果たすと、同日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(東京ドーム)で代打として出場。この時の相手投手は吉田豊彦で、元南海ホークス所属選手同士の対決となった[3]。結果は右前安打で、その後も代打で出場した。代打本塁打も記録し、ソフトバンク時代の2005年以来2年ぶりとなる通算11本目の代打本塁打となった。打点は本塁打の際の1点のみだったが出塁率は.405、長打率.472を記録している。
2008年も右の代打の切り札として活躍していたほか、膝に不安を抱えていた小笠原道大に代わって3番・一塁手としてスタメン出場することもあった。6月21日の対福岡ソフトバンクホークス戦(東京ドーム)では9回2死に代打で登場し、あと1球で完封勝利を挙げるはずだった杉内俊哉から同点本塁打を放った[4]。その後は木村拓也が決勝打を放って、共に移籍後初のお立ち台に上がったが、この時の写真が東京ドームのロッカーに巨人を去るまで飾られていた。同年8月27日の対横浜ベイスターズ戦では決勝点となるシーズン2本目、通算15本目の代打本塁打を放ち、現役選手では単独トップとなった(当時)。
2009年は開幕を二軍で迎えたが、5月に初昇格。しかし調子は上がらず、シーズンのほとんどを二軍で過ごした。特に得点圏で結果を残せず、出場試合数は37試合にとどまった。しかし、シーズン終盤に入って徐々に調子を上げ一軍に復帰すると、クライマックスシリーズ第2戦(対中日ドラゴンズ戦)チェン・ウェインから決勝2点適時打、日本シリーズ第5戦(対北海道日本ハムファイターズ戦)の8回には林昌範から代打同点適時打を放ち、巨人の日本一に貢献した[4]。当初、フロントはシーズンでの不振から大道に2009年限りでの引退を勧告するつもりでいたが、ポストシーズンの活躍により2010年の契約・現役続行となった[5]。
2010年は一軍出場がシーズン終盤の5試合のみに留まり、無安打に終わる。同年10月29日に現役引退を表明[6]し、引退会見では同年4月に急逝した木村の名を出し「チャンスがあれば、タク(木村拓也)のようにコーチになりたい」と今後の方針を語った[7]。
引退後
2011年はニューヨーク・ヤンキースで巡回コーチに就任、コーチの研修を積み[8]、2012年からは育成コーチとして巨人に復帰することが発表された[9]。
人物・エピソード
この節に雑多な内容が羅列されています。 |
- バットをかなり短く持つ打法が特徴だが、自身が使っていたバットは日本一長いもので、相手投手に得意な外角球を投げさせるためだったと語っている[10]。
- 愛称は「福岡の宅麻伸」(命名はコンバット満で、理由は「顔がそっくりだから」)。友人からは「のりちゃん」がある。南海時代から生き残るホークスの名物選手として「あぶさん」とも呼ばれていた(ただし、景浦は2009年で引退している)。
- ひょうきんな性格で知られ、オフには博多華丸やコンバット満と漫才をすることもある。巨人移籍後はズームイン!!サタデーの人気コーナー「プロ野球熱ケツ情報」に登場し、古城茂幸と共に「ウーウー隊」というコンビを結成した(2008年は同コーナーの総出演時間が選手の中で最も長かった)[11]。ただし、本人はズームイン!!サタデーを見ていないことを公言している[12]。
- 1993年に根本陸夫が監督に就任するが、大道は根本を一軍に固定してくれた恩人と著書に記している[13]。ある日、根本が「この中で一番守備が上手い選手を知っているか?大道だ」と発言し、大道も驚いたという[13]。「守備がうまい」と言われたのはプロ生活23年、高校時代の3年間含めても最初で最後だった[13]。根本曰く「ショート・大道」の守備が一番だといい[13]、それから遊撃手の練習もかなりして遊撃手での試合出場はなかったが、根本政権時代は三塁手で4試合ほど出場している[13]。ちなみに三塁手のグラブは、当時守備走塁コーチだった藤原満からの借り物だった[13]。
- 投手の球種や癖を判別するのが得意で、和田毅は「4球で全て見破られた」と語っている(この発言の直後、大道は「(ホークス投手の)まだ教えていない癖もありますよ」と述べている)。大道は自身の著書で、和田と杉内から「僕の癖って何ですか?」と聞かれたという。
- 長く代打職人として活躍している選手らしく、非常にプロ意識が高いことで知られている。出番が無さそうなな試合でも「いきなりグラウンドに出ると眩しくてボールが見にくいから」と、3回あたりから合間にベンチから出て、ウォーミングアップを兼ねて照明の明かりに目を慣らす事を欠かさない[14]。
- 平成唯一の三冠王である松中信彦も、代打での難しさを「大道さんの凄さが改めてわかりました。1打席で試合に入り込むのは難しい。それでも大道さんはしっかり成績も残してるんですからね」と語っている。
- 2000年・2001年にはそれぞれ10試合程度2番で起用されたことがある(この時期の大道は主に3番や6番を打っていた)。
- 2006年6月17日の対中日ドラゴンズ戦において、柴原洋の代打で出場し、そのまま右翼手の守備に就いた。このことについて大道は「ヒットよりも、外野を守ったのがちびりそうだった。外野は5・6年守ってないんじゃないかな」と述べている(実際には2005年を除いて毎年外野を守っているが、当時は外野での出場が激減していたため、本人が覚えていなかったと思われる)。ちなみに、2006年に大道が外野を守ったのはこの1試合のみである。
- 2007年に初めて一軍に昇格した際、原辰徳の待つ監督室に呼ばれた。原は大道に「分かってるな?」と問われたが、その意味を昇格の意味と考えた大道は「分かってます。左投手打ちは任せて下さい!」と答えようとしたところ、原は「ムードメーカーな」と発言した。大道は2・3度と聞き直したが、原は「ムードメーカーだ」とキッパリ断言するやりとりがあったと『ズームイン!!サタデー』で明かしている。しかし、ベンチにいる際はその役割を全うし、後継者は脇谷亮太だと語っていた。
- 吉田豊彦(東北楽天ゴールデンイーグルス)が2007年限りで引退して以降は、2010年の引退まで南海ホークスに在籍したことのある最後の現役選手だった。また、球団名が「福岡ダイエーホークス」だった期間(1989年 - 2004年)中、一度も移籍することなく在籍を続けたのは選手・コーチ・監督を含め大道だけである。なお、大道と同期入団の5選手も全てプロとしてのキャリアは10年以上経験しており、総じて長期に渡って日本プロ野球で活躍している。
- 球界随一の競馬好きで、2010年1月14日に船橋競馬場で行われた第6レースで三連単をボックス購入したが、マークシートの番号を誤って(8)→(10)→(11)と塗ってしまった(3つのうちどの馬番を間違ったかは不明)。しかし結果的に当たり、400円が約100万円になったことで大喜びしていた[15]。その後、同じく競馬ファンでもある亀田大毅とも親交を深めている。巨人時代は毎週のように東京ドーム近くの山下書店(2012年1月閉店)に競馬本を買いに現れ、店長から「店に馴染みすぎ」と言われていた[16]。
- 腹が出ていることを、巨人に移籍してから自虐的に語っている。「スポーツ選手で相撲以外で腹が出ている選手で現役なのは僕ぐらいじゃないですか?」「こういう体型や年齢になっても契約してもらえることを誇りに思っている」と語っているが、開き直っているわけではなく、プロ選手としてのパフォーマンスを維持するために毎日1000回の腹筋トレーニングを行なってきたという。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1989 | ダイエー ソフトバンク |
3 | 4 | 4 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .250 | .250 | .500 | .750 |
1990 | 18 | 38 | 36 | 3 | 7 | 1 | 0 | 1 | 11 | 4 | 0 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 12 | 0 | .194 | .216 | .306 | .522 | |
1991 | 58 | 116 | 103 | 13 | 18 | 5 | 0 | 5 | 38 | 14 | 1 | 0 | 3 | 0 | 10 | 0 | 0 | 19 | 3 | .175 | .248 | .369 | .617 | |
1992 | 53 | 84 | 73 | 8 | 14 | 2 | 1 | 5 | 33 | 12 | 1 | 0 | 2 | 1 | 8 | 1 | 0 | 21 | 3 | .192 | .268 | .452 | .720 | |
1993 | 78 | 169 | 153 | 10 | 31 | 6 | 0 | 2 | 43 | 7 | 0 | 0 | 5 | 1 | 9 | 0 | 1 | 32 | 5 | .203 | .250 | .281 | .531 | |
1994 | 70 | 121 | 109 | 18 | 28 | 9 | 0 | 2 | 43 | 10 | 0 | 0 | 3 | 0 | 9 | 0 | 0 | 20 | 4 | .257 | .314 | .394 | .708 | |
1995 | 32 | 92 | 81 | 9 | 22 | 6 | 0 | 0 | 28 | 4 | 0 | 0 | 5 | 2 | 3 | 0 | 1 | 10 | 5 | .272 | .299 | .346 | .645 | |
1996 | 90 | 303 | 274 | 32 | 89 | 24 | 0 | 10 | 143 | 51 | 0 | 0 | 3 | 4 | 21 | 0 | 1 | 47 | 7 | .325 | .370 | .522 | .892 | |
1997 | 130 | 521 | 441 | 55 | 129 | 17 | 2 | 6 | 168 | 46 | 1 | 3 | 9 | 9 | 60 | 0 | 2 | 60 | 13 | .293 | .373 | .381 | .754 | |
1998 | 90 | 331 | 281 | 29 | 83 | 16 | 1 | 4 | 113 | 38 | 4 | 0 | 5 | 3 | 39 | 0 | 3 | 38 | 5 | .295 | .383 | .402 | .786 | |
1999 | 73 | 155 | 138 | 14 | 40 | 9 | 0 | 4 | 61 | 22 | 0 | 0 | 2 | 1 | 13 | 1 | 1 | 21 | 3 | .290 | .353 | .442 | .795 | |
2000 | 95 | 279 | 224 | 30 | 74 | 19 | 0 | 1 | 96 | 36 | 0 | 1 | 7 | 4 | 43 | 1 | 1 | 31 | 7 | .330 | .434 | .429 | .862 | |
2001 | 104 | 335 | 302 | 35 | 98 | 20 | 0 | 5 | 133 | 36 | 0 | 3 | 6 | 2 | 24 | 0 | 1 | 36 | 4 | .325 | .374 | .440 | .814 | |
2002 | 101 | 337 | 304 | 34 | 90 | 20 | 0 | 6 | 128 | 36 | 1 | 3 | 7 | 0 | 25 | 0 | 1 | 36 | 11 | .296 | .352 | .421 | .773 | |
2003 | 117 | 403 | 367 | 37 | 103 | 24 | 0 | 4 | 139 | 51 | 0 | 1 | 12 | 3 | 21 | 0 | 0 | 44 | 18 | .281 | .317 | .379 | .696 | |
2004 | 36 | 84 | 74 | 4 | 22 | 3 | 0 | 1 | 28 | 13 | 1 | 0 | 1 | 1 | 8 | 1 | 0 | 11 | 4 | .297 | .361 | .378 | .740 | |
2005 | 20 | 27 | 25 | 3 | 7 | 1 | 0 | 1 | 11 | 7 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 5 | 2 | .280 | .296 | .440 | .736 | |
2006 | 44 | 71 | 60 | 0 | 13 | 3 | 0 | 0 | 16 | 8 | 0 | 0 | 6 | 2 | 3 | 1 | 0 | 10 | 5 | .217 | .246 | .267 | .513 | |
2007 | 巨人 | 42 | 43 | 36 | 5 | 11 | 3 | 0 | 1 | 17 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 6 | 0 | 0 | 7 | 2 | .306 | .405 | .472 | .877 |
2008 | 60 | 69 | 62 | 2 | 17 | 7 | 0 | 2 | 30 | 16 | 0 | 0 | 1 | 1 | 4 | 0 | 1 | 8 | 3 | .274 | .324 | .484 | .807 | |
2009 | 37 | 38 | 35 | 1 | 9 | 1 | 0 | 0 | 10 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 9 | 1 | .257 | .286 | .297 | .583 | |
2010 | 5 | 5 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
通算:22年 | 1356 | 3625 | 3187 | 342 | 906 | 197 | 4 | 60 | 1291 | 415 | 9 | 12 | 80 | 35 | 310 | 5 | 13 | 478 | 105 | .284 | .347 | .405 | .752 |
- 2010年度シーズン終了時
- ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更
年度別守備成績
この節の加筆が望まれています。 |
年 度 |
一塁 | 三塁 | 外野 | |||||||||||||||
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試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
1989 | - | - | 2 | |||||||||||||||
1990 | - | - | 12 | |||||||||||||||
1991 | - | - | 39 | |||||||||||||||
1992 | 2 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | - | 32 | 30 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |||||
1993 | 29 | 155 | 8 | 2 | 11 | .988 | 5 | 1 | 5 | 2 | 0 | .750 | 27 | 26 | 4 | 0 | 0 | 1.000 |
1994 | 13 | 17 | 1 | 0 | 1 | 1.000 | - | 49 | 55 | 1 | 1 | 0 | .982 | |||||
1995 | - | - | 27 | 49 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | ||||||||||
1996 | - | - | 61 | 115 | 0 | 1 | 0 | .991 | ||||||||||
1997 | 2 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | - | 124 | 223 | 6 | 2 | 2 | .991 | |||||
1998 | 10 | 51 | 2 | 0 | 4 | 1.000 | - | 73 | 102 | 4 | 1 | 0 | .991 | |||||
1999 | 2 | 1 | 0 | 1 | 0 | .500 | - | 21 | 31 | 1 | 0 | 1 | 1.000 | |||||
2000 | 9 | 50 | 11 | 0 | 4 | 1.000 | - | 24 | 21 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | |||||
2001 | 23 | 174 | 8 | 2 | 11 | .989 | - | 14 | 18 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |||||
2002 | 10 | 71 | 4 | 0 | 7 | 1.000 | - | 9 | 6 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |||||
2003 | 18 | 109 | 4 | 0 | 8 | 1.000 | - | - | ||||||||||
2004 | - | - | 13 | 19 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | ||||||||||
2005 | 4 | 24 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | - | - | ||||||||||
2006 | 8 | 51 | 5 | 0 | 1 | 1.000 | - | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | |||||
2007 | 5 | 8 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | - | - | ||||||||||
2008 | 4 | 24 | 1 | 0 | 1 | 1.000 | - | - | ||||||||||
2009 | 2 | 6 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | - | - | ||||||||||
通算 | 141 | 747 | 44 | 5 | 48 | .994 | 5 | 1 | 5 | 2 | 0 | .750 | 528 | 689 | 21 | 5 | 3 |
記録
- 初出場:1989年10月14日、対近鉄バファローズ26回戦(藤井寺球場)、8回表に若井基安の代打として出場
- 初打席・初安打:同上、8回表に阿波野秀幸から左中間へ二塁打
- 初先発出場:1990年8月12日、対オリックス・ブレーブス19回戦(山形県野球場)、7番・左翼手として先発出場
- 初本塁打・初打点:1990年8月15日、対近鉄バファローズ19回戦(平和台野球場)、4回裏に佐々木修から
- 1000試合出場:2003年4月1日、対大阪近鉄バファローズ2回戦(大阪ドーム)、7番・指名打者として先発出場 ※史上383人目
- オールスターゲーム出場:2回(2001年、2003年)
背番号
- 55 (1988年 - 2006年)
- 44 (2007年 - 2010年)
- 107 (2012年 - )
登録名
- 大道 典良(おおみち のりよし)(1988年 - 2001年6月12日)
- 大道 典嘉(おおみち のりよし)(2001年6月13日 - )
関連情報
著書
- 「仕事人-バット短く、息長く-」中央公論新社
脚注・出典
- ^ 大道典嘉 『仕事人-バット短く、息長く-』中央公論新社、2011、21頁。
- ^ この遠征で本塁打を2本以上放ったのは大道だけであった。
- ^ 吉田はドラフト1位入団、大道は4位入団。なお、吉田はこの年限りで現役を引退したため、結果的にこれが元南海戦士同士の最後の対決となった。
- ^ a b 大道は引退会見の席で、この2打を「思い出の一打」として挙げている。【読売新聞】代打の切り札、巨人の大道が引退…涙の会見
- ^ 原辰徳『原点 勝ち続ける組織作り』中央公論新社、2010年、154頁
- ^ 【プロ野球】巨人・大道が現役引退を表明 産経新聞 2010年10月29日閲覧
- ^ 4球団23年…引退の大道「タクのように」 スポニチ 2010年10月30日閲覧
- ^ 【プロ野球】最後の南海、ロッテオリオンズ戦士が引退 消えゆく「昭和球団」経験者 MSN産経ニュース 2010年12月4日閲覧
- ^ OBの大道氏、田畑氏、阿波野氏がコーチ就任へ 読売ジャイアンツ公式ホームページ 2011年11月4日閲覧
- ^ 2011年2月12日のNHK総合(東海北陸地域)ウイークエンド中部より。なお、ここでは本名で登場していた。[出典無効]
- ^ 2008年12月20放送 『熱ケツ総集編2008』の回 より。
- ^ 2009年8月1日放送 『テーマ・ズムサタ』の回 より。
- ^ a b c d e f 大道典嘉 『仕事人 バット短く、息長く』中央公論新社、2011年、34頁
- ^ 2008年 NEWS ZERO内放送 「巨人逆転V支えた リストラからの復活組」インタビューより。
- ^ G大道やった万券的中!野球でもいい事ある?(サンケイスポーツ)
- ^ さらば、愛しの山下書店東京ドーム店。“文系野球の総本山”が閉店間近!! - Number Web・2012年1月20日