フィリピン軍

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フィリピン軍
創設 1897年3月22日
指揮官
大統領 ベニグノ・アキノ3世
長官 バールテア・ギャズミン英語版
参謀長 エマーヌル・T・ボティースター (Emmanuel T Bautista) 大将
総人員
兵役適齢 19 - 56才
徴兵制度 志願制
現総人員 113,500名(142位
財政
予算 32億ドル(2015年)[1]
軍費/GDP 1%
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フィリピン軍(フィリピンぐん、英語: Armed Forces of the Philippines, AFP)は、フィリピン軍隊

略歴

創成期

フィリピン・スカウト英語版(1905年)

フィリピンは、当初はスペインからの独立を目指したフィリピン独立革命を、のちにはアメリカ合衆国による植民地支配に抵抗して米比戦争を戦った。この結果として、アメリカ植民地時代のフィリピンは、独自の軍隊を持たなかった。1901年には、対反乱作戦を遂行するためにフィリピン警察軍英語版 (PC)が創設されたものの、これは治安部隊に留まっており、フィリピンの防衛については、アメリカ軍の駐留部隊が全責任を負っていた。駐留アメリカ軍の主力は1913年に設置されたアメリカ陸軍フィリピン部英語版で、約1万人の兵力を有し、うち半数はフィリピン・スカウト英語版 (PS) と呼ばれる現地人志願兵から成っていた[2]

1934年アメリカ合衆国議会フィリピン独立法を可決し、1935年にはフィリピンの独立方針が認可され、これを受けてフィリピン独自の戦力の整備が決定された。フィリピン・コモンウェルス(独立準備政府)の初代大統領となったマニュエル・ケソンの要請で、アメリカ陸軍のダグラス・マッカーサー少将ドワイト・D・アイゼンハワー少将らが軍事顧問として派遣された[2]

マッカーサーらは、独立予定の1946年までに、常備軍1万人(従来の警察隊員6千人を含む)と予備役40万人のフィリピン陸軍PA)を整備する計画を立案した。フィリピン全土を10個管区に分けて、有事の際には各管区で7500人規模の予備役師団を編成、常備師団1個と合わせて11個師団となる計算だった。この計画には魚雷艇36隻を有する沿岸警備部隊と、高速爆撃機100機を有するフィリピン陸軍航空軍も含まれていた。マッカーサーは、計画達成の暁には、あらゆる侵略に対抗できる自衛戦力が備わると評価していた[3]。しかし、財政的問題や士官の不足などから、その整備は遅々として進まず、最終的に、フィリピン軍は、体制未整のままで太平洋戦争に突入することを余儀なくされた。

大戦前夜

フィリピン兵にブローニングM1917重機関銃の操作を教えるアメリカ兵

日米関係の悪化を受け、1941年9月1日よりフィリピン陸軍の動員が開始された。12月15日編成完了を目途に、10個管区でそれぞれ1個師団の動員が進められたものの、開戦時点で、各師団の動員状態は2/3が進行した程度であり、動員済みの部隊も装備や訓練は不完全だった。

各師団は3個歩兵連隊と2個砲兵大隊、対戦車砲大隊などから構成されるはずだったが、訓練まで終えたのは各1個歩兵連隊程度に過ぎなかった。例えば、11月18日に誕生した第31師団の場合、隷下の第31歩兵連隊は9月1日に動員済みだったものの、2番目の第32歩兵連隊(11月1日動員)は師団戦列に合流したのが12月6日、3番目の第33歩兵連隊に至っては11月25日にようやく動員着手という具合であった。最初の砲兵大隊である第31砲兵大隊の動員着手は開戦後の12月12日で、2個の砲兵大隊が揃ったのはバターン半島での籠城戦の最中だった。対戦車砲大隊は編成されないままに終わった[4]

兵器や弾薬の不足も著しかった。これもフィリピン陸軍第31師団の例で見ると、分隊支援火器のはずのブローニングM1918自動小銃は1個中隊に1丁、師団砲兵用の75mm野砲は照準器が無い8門だけが配備された。小銃と重機関銃はそれなりに数が揃っていたが、旧式のブローニングM1917重機関銃(各機関銃中隊に8丁)とスプリングフィールドM1903小銃だった。弾薬不足は訓練にも影響し、9月に動員された第31歩兵連隊が最初の実弾射撃訓練をしたのは11月24日という有様だったが、実弾射撃経験無しで実戦投入された他の多くのフィリピン陸軍部隊よりは恵まれていたという[4]

また、フィリピン陸軍の沿岸警備部隊はイギリス製の魚雷艇36隻の配備を計画していたが、第二次世界大戦の勃発でイギリスからの輸入は2隻のみしか実現しなかった。代わって現地生産が試みられたが、1隻完成しただけだった[5]

このほか、フィリピン陸軍兵士に軍事教育を施すときには、言葉の壁も問題となった。教官となったアメリカ人兵士は英語しか解さず、フィリピン・スカウト出身者などの幹部はタガログ語を使い、同じフィリピン人でも一般兵士は出身地域ごとの言語を話した[6]。それでも、次第に信頼関係は出来ていったという。

太平洋戦争

ユサッフェ・ゲリラを称えるアメリカのプロパガンダポスター

1941年12月8日クラーク空軍基地への航空攻撃を端緒として日本軍による攻撃が開始され、フィリピンの戦いが勃発した。本間雅晴中将指揮下の第14方面軍主力は22日より上陸を開始、フィリピン陸軍は、アメリカ極東陸軍とともに、これを迎撃した。しかしフィリピン陸軍は装備・訓練ともに不足しており、日本軍の迅速な作戦展開もあって、1942年1月2日には首都マニラが陥落した。ただしこの際、米比軍はバターン半島への撤退に成功し、以後、4月9日までバターン半島での抵抗を継続した。バターン半島の部隊が降伏したのちもコレヒドール島ミンダナオ島ビサヤ諸島で戦闘が継続されたが、5月6日、コレヒドール要塞の陥落に伴って、全部隊に対して降伏が命令された。

しかし降伏命令が発せられた後も、元アメリカ極東陸軍の兵士の中には、ユサッフェ・ゲリラを名乗って日本軍に対するゲリラ戦を継続する者があった。旧フィリピン・スカウトやフィリピン陸軍の装備や指揮系統、そして兵士たちの訓練と戦闘経験が活用された。このユサッフェとは、アメリカ極東陸軍の頭字語USAFFEに由来するものである。

ユサッフェは、米比軍の正式区分だった全10管区を引き継ぐ形で軍管区司令部を設置し、総兵力約22,000名によるゲリラ戦を展開した。アメリカ軍もユサッフェ・ゲリラの活用を考え、潜水艦などで武器や通信機といった補給物資、連絡員を送り込み支援した。レイテ・比島作戦が進行するにつれアメリカ軍が武器を供給したこともあり、その数は一気に27万にまで膨れ上がり、諸戦において有力な戦力となった。連合国軍のフィリピン反攻作戦の際には、アメリカ軍の正規部隊と連絡を取って共同作戦を展開し、掃討戦などで成果を上げた。日本軍が数々の努力をしていたにもかかわらずほぼ無力で撤退していくことになったのは、このユサッフェらの影響も大きい。

大戦後

モロ・イスラム解放戦線の兵士。

1946年7月、フィリピン第三共和国が成立し、正式に独立が達成された。しかしアメリカへの依存関係を脱却するには至らず、軍事的にも、1947年に締結された比米軍事基地協定によって冷戦構造の中で合衆国の反共主義の前線基地として位置づけられ、実質的な独立を達成できなかった[7]

大戦中、フィリピン軍・アメリカ極東陸軍を母体とするユサッフェ・ゲリラとともに、農民運動を母体とした抗日武装組織としてフクバラハップが結成されていた。大戦中は両者の関係は良好であり、しばしば協同して作戦行動を行なった。しかし戦後共和国政府は徹底してフクバラハップを敵対視し、1948年3月にはロハス政権によってフクバラハップと全国農民同盟は非合法化され、ルソン島では政府軍と地主の私兵とフクバラハップとの間で戦闘が繰り広げられた。フクバラハップは、一時は首都攻略まで噂されるほど勢力をのばしていたものの、アメリカからの軍事援助を受けたフィリピン軍が勢力を盛り返し、ラモン・マグサイサイ国防相による討伐作戦によって1950年10月には共産ゲリラの司令塔だったフィリピン共産党 (PKP)が壊滅し、翌1951年にはフクバラハップそのものも実質的に壊滅に追い込まれた。

しかしフクバラハップ支持の源泉であった農村問題に対する農地改革は不徹底に終り、1965年以降のフェルディナンド・マルコス大統領による独裁体制に対する反発もあり、1960年代末にはフィリピン共産党 (CPP) の武装部門である新人民軍(NPA)および民族民主戦線(NDF)、1970年にはモロ民族解放戦線(MNLF)が武装闘争を開始、フィリピン軍は再び対反乱作戦を余儀なくされることとなった。

この一方で、フィリピン軍は、国連軍の一員として朝鮮戦争に参戦した。韓国派遣フィリピン軍(PEFTOK)は、第2,10,14,19,20の計5個大隊戦闘団より編成され、兵力7,500名、国連軍で4番目に大きな勢力であった。

また、フィリピン軍は国際連合平和維持活動など、海外での戦争以外の軍事作戦にも積極的に参加している。主な参加活動は下記のとおりである。

国防改革プログラム

国防改革プログラムのロードマップ

フィリピン軍は装備が古く、アジア最弱の軍隊と指摘されることもある[8]

1999年10月、フィリピン国防省とアメリカ国防総省は、共同防衛評価(JDA)計画を開始した。2003年に発表された報告書(2003 JDA)は、フィリピン軍には、もっとも重要な任務であっても、部分的に遂行できる程度の能力しか備わっていないという、驚くべき指摘を行なった。

2003 JDAは、具体的に、下記の各領域での問題点を指摘した。

  • 政策立案への体系的なアプローチ
  • 人事管理とリーダーシップ
  • 防衛費と予算
  • 装備の取得
  • 補給・整備
  • 既存装備の品質保証
  • 施設支援

2003年10月、ジョージ・W・ブッシュアメリカ合衆国大統領がフィリピンを訪問した際、グロリア・アロヨ大統領とともに、JDAにより指摘された問題点を解決するための施策の推進を発表した。これを受けて2004年、フィリピン軍は、フィリピン国防改革プログラムPhilippine Defense Reform, PDR)を開始した。これは、国防部門の短期的・長期的改革を目的としたもので、下記の10要件を備えている[9]

  1. 複数年度防衛計画システム(MYDPS)
  2. 情報・作戦・教育訓練の能力向上
  3. 兵站の能力向上
  4. 専門能力開発プログラムの改良
  5. 人事管理システムの改良
  6. 複数年度能力向上プログラム(CUP)
  7. 防衛予算の最適化とマネジメントの改善
  8. 専門要員による、国防装備の取得に関する中央管理システム
  9. 戦略レベルでの通信能力の開発・獲得
  10. 情報管理の開発プログラム

PDRは、フェーズ1: 下地作り(2004〜5年)、フェーズ2: 防衛体制の確立(2005〜7年)、フェーズ3: 改革の遂行と制度化(2007〜10年)の3つのフェーズに分けて進められる計画であった。計画の進捗はおおむね順調であるが、主に予算不足により、その影響は、期待よりも限られたものとなる恐れが指摘されている[10]

編制

フィリピン軍は、平時より統合運用を行なっている。すなわち、全ての実戦部隊は、7つの地域別統合コマンドのいずれかに編入されており、各軍種はフォース・プロバイダーの役割に徹している。これは、アメリカ軍統合軍方式に近い体制である。

陸軍

フィリピン陸軍は、120,000名の常備軍を擁している。陸軍司令部はマニラ首都圏タギッグのボニファシオ基地に所在しており、陸軍軍人の最高位は陸軍総司令官で、中将が補職される。

編制

戦略単位として師団、作戦単位として旅団、戦術単位として大隊が採用されている。師団長は少将、旅団長は准将/大佐が補職される。師団の上部組織は各統合軍であるため、これより大規模な陸軍部隊は編成されていない。

なお一部の部隊は、予備役であるCAFGUによって充当されている。これは日本の即応予備自衛官に相当するものである。

  • 第1歩兵師団
    - 第101〜104の4個歩兵旅団に編成
    • 第5歩兵大隊(CAFGU)
    • 第10歩兵大隊
    • 第18歩兵大隊(CAFGU)
    • 第32歩兵大隊
    • 第33歩兵大隊
    • 第35歩兵大隊
    • 第44歩兵大隊
    • 第51歩兵大隊
    • 第53歩兵大隊
    • 第55歩兵大隊
  • 第2歩兵師団
    - 第201,202,204の3個歩兵旅団に編成
    • 第1歩兵大隊
    • 第4歩兵大隊
    • 第16歩兵大隊
    • 第59歩兵大隊
    • 第68歩兵大隊
    • 第74歩兵大隊
    • 第76歩兵大隊
    • 第80歩兵大隊
  • 第3歩兵師団
    - 第301,302など3個歩兵旅団に編成
  • 第4歩兵師団
    - 第401〜403の3個歩兵旅団に編成
    • 第8歩兵大隊
    • 第23歩兵大隊
    • 第29歩兵大隊
    • 第30歩兵大隊
    • 第36歩兵大隊
    • 第50歩兵大隊
    • 第58歩兵大隊
    • 第69歩兵大隊
    • エヴァンジェリスタ基地病院(CESH)
    • 第10野戦砲兵大隊(10FAB)
    • 第4師団訓練隊(4DTU)
    • 第4陸軍訓練群(4ATG)
  • 第5歩兵師団
    - 7個大隊を3個歩兵旅団に編成
  • 第6歩兵師団
    - 13個大隊を4個歩兵旅団に編成
  • 第7歩兵師団
    - 第702,703の2個歩兵旅団に編成
    • 第3歩兵大隊
    • 第24歩兵大隊
    • 第48歩兵大隊
    • 第56歩兵大隊
    • 第70歩兵大隊
    • 第71歩兵大隊
    • 第3機械化歩兵大隊
    • 第71〜73師団偵察中隊
アメリカ陸軍特殊部隊群と共同演習を行なうフィリピン陸軍第1師団の兵士。

装備

フィリピン陸軍は基本的に対反乱作戦を重視した装備体系を採用している。

小火器
自動小銃としては、スプリングフィールドM14バトルライフルおよびM16アサルトライフルコルト・コマンドーカービンが主であるが、ステアーAUGH&K G36も一部部隊で使用されている。汎用機関銃としてはM60機関銃分隊支援火器としてはミニミ軽機関銃K3を含む)、CIS ウルティマックス100軽機関銃が使用される。
軽兵器
迫撃砲としてM29 81mm 迫撃砲およびM2 60mm 迫撃砲無反動砲としてM20 75mm無反動砲M40 106mm無反動砲およびM67 90mm無反動砲を運用している。
火砲
重砲としてはソルタムM71 155mm榴弾砲 7門とM114 155mm榴弾砲 8門を保有する。軽砲としてはM101 105mm榴弾砲 150門、M102 105mm榴弾砲 24門、山砲としてオート・メラーラMod56 105mm榴弾砲 120門を保有する。また重迫撃砲として、M30 107mm迫撃砲 70門を保有する。
車両
本格的な主力戦車は保有せず、機甲戦力の主力は41両のスコーピオン 軽戦車である[12]。その他の装甲戦闘車両としては、V-150 コマンドウ 装輪装甲車 155両、GKN社製シンバ英語版装輪装甲車 150両、M113装甲兵員輸送車 143両などがある[12]
また、非装甲戦闘車両としては、アメリカ製のハンヴィーM151のほか、韓国・起亜自動車製のKM250大型トラック、KM450小型トラック、また日本製の三菱ふそう・ファイター三菱・トライトンも用いられている。

また、フィリピン陸軍には、小規模な陸軍航空隊が存在する。ただしヘリコプターの運用は空軍が所管しているため、保有機材は、基本的に小型の連絡機に限定されている。

海軍

フリゲート「グレゴリオ・デル・ピラール」
兵站支援艦「バコロド・シティー」
舟艇部隊。
フィリピン海兵隊。

フィリピン海軍は、22,000名の人員、艦艇120隻(フリゲート2隻を含む)および14機の航空機を有している。

編制

フィリピン海軍の部隊は、部隊管理上、フィリピン艦隊司令部Philippine fleet)とフィリピン海兵隊司令部[13]Philippine Marine Corps)のいずれかのタイプ・コマンドに属している。また作戦指揮上は、下記のように7個部隊が海軍作戦コマンドに、5個部隊が海軍支援コマンド、他に7個の海軍支援部隊が編成されている。

  • 海軍作戦コマンド
    • 北ルソン方面海軍管区(NAVFORNOL):北ルソン方面コマンド(NOLCOM)の作戦指揮を受ける。
    • 南ルソン方面海軍管区(NAVFORSOL):南ルソン方面コマンド(SOLCOM)の作戦指揮を受ける。
    • 西部方面海軍管区(NAVFORWEST):西部方面コマンド(WESCOM)の作戦指揮を受ける。
    • 中央方面海軍管区(NAVFORCEN):中央方面コマンド(CENTCOM)の作戦指揮を受ける。
    • 東ミンダナオ方面海軍管区(NAVFOREASTMIN):東ミンダナオ方面コマンド(EASTMINCOM)の作戦指揮を受ける。
    • 西ミンダナオ方面海軍管区(NAVFORWESMIN):西ミンダナオ方面コマンド(WESTMINCOM)の作戦指揮を受ける。
    • 艦隊海兵待機部隊
  • 海軍支援コマンド
    • 海軍海洋システム隊(NSSC):造船所の管理や技術開発、艦艇の造修整備を担当する。
    • 海軍教育・訓練隊(NETC)
    • 海軍予備役隊(NAVRESCOM)
    • 海軍施設旅団(NCBde)
    • カヴィテ海軍基地
  • 海軍支援部隊
    • 海軍情報保安部隊
    • フィリピン海軍財務センター
    • 海軍兵站センター
    • マニラ海軍病院
    • カヴィテ海軍病院
    • ボニファシオ海軍基地
    • 海軍司令部および司令部付隊

装備

フィリピン海軍は、従来、保有機材の老朽化に直面してきた。

水上戦闘艦
旧アメリカ海軍艦として「ラジャ・フマボン」、リサール級 2隻、ミゲル・マルバー級 6隻、および旧イギリス海軍艦としてジャシント級コルベットが主力となっていた。しかし旧アメリカ海軍艦はいずれも大戦中の建造と老朽化しており、旧イギリス海軍艦は哨戒艦として建造されたために軽武装であった。
このことから、2011年より、アメリカ沿岸警備隊の長距離用カッター(WHEC)であるハミルトン級カッターの中古艦の取得を開始した。同年3月には初号艦である「ハミルトン」をフリゲート「グレゴリオ・デル・ピラール」として再就役させており、最終的には、計8隻の整備を計画している[14]。ただし売却にあたって、対空捜索レーダーCIWSは撤去されているが、近い将来フリゲートとして重武装化する可能性が認められる。[15][16]
2012年9月、フィリピンの国会は、近い将来に海軍がイタリアからマエストラーレ級フリゲート2隻を導入するための予算案を承認するとともに、「グレゴリオ・デル・ピラール」の兵装を強化することを決議した[17]。ただし、導入時期は未定である。2013年5月、アキノ大統領は、南沙諸島問題のため、日本円でおよそ280億円を投資して、対潜哨戒ヘリコプター各1機を搭載する護衛艦2隻を新造することを決心した。当該護衛艦の新造にあたっては、国際入札で他国の企業に建造を依頼することとしているが、現在のところ未定である。2013年7月3日、フェルナンド・マナロ国防次官は、近代化予算750億ペソをマエストラーレ級フリゲート2隻の新造購入に充てられることを認め[18]、7月8日の国際入札の実施に先立ち、フィリピン政府はイタリア政府に対して「マエストラーレ級を新造するならば、護衛艦として2隻を新造で購入する」旨の声明を発した。
2014年6月5日、フィリピン海軍に浦項級コルベット1隻の導入が決定した。本艦は2014年末に韓国海軍を退役後、フィリピン海軍に移籍する。これにより、フィリピン軍は初めて対潜戦および対艦ミサイルの運用に挑戦することとなる。
なお、「ラジャ・フマボン」は、フィリピン海軍に編入される以前、海上自衛隊あさひ型護衛艦として就役していた期間がある。
高速戦闘艇哨戒艇
アメリカ海軍サイクロン級哨戒艇のネームシップを「マリアーノ・アルバレス」として導入したほか、韓国海軍のチャムスリ型哨戒艇の準同型艇をトマス・バティロ級として8隻配備している。なお、1993年にやはり韓国から購入したチェビ型哨戒艇をコンラッド・ヤップ級として再就役させているが、こちらは段階的に退役しつつある。
揚陸艦輸送艦
従来、大戦型のLST-542級戦車揚陸艦(LST-1級最後期型) 7隻を主力としてきたが、1993年から94年にかけて、アメリカ陸軍フランク・S・ベッソン・ジュニア大将級兵站支援艦をもとにしたバコロド・シティー級兵站支援艦 2隻を就役させた。
2010年には、韓国製の多用途支援艦(MRV) 2隻の取得計画が発表された。これは、韓国がインドネシアに輸出したマカッサル級ドック型揚陸艦英語版の派生型であり、汎用揚陸艇 2隻を収容できる。
また輸送艦として、日本製のRO-RO船の取得が計画されている。これは、代議院の国家防衛・安全保障小委員会により、もっとも優先度の高い計画の一つとして、2012年から2016年までに2隻を取得する予定とされている。[19][20][21]
航空機
フィリピン海軍は、小規模な海軍航空隊を保有している。海軍航空隊は、部隊管理上はフィリピン艦隊の隷下に属し、フォース・プロバイダー(練度管理責任者)として機能する。保有機材は連絡機としてブリテン・ノーマン アイランダー 8機およびT-41 2機、救難機としてMBB Bo 105 2機、練習機としてロビンソン R22であり、フィリピン海軍には艦載機を運用可能な艦艇がないため、いずれも陸上機として運用されている。
近い将来、フィリピンの海に某国の潜水艦が侵入することを想定し、潜水艦を迎撃する対潜哨戒機として、海軍に対潜ヘリコプターを計2機導入することが決定しており、これまで事実上の無防備状態であった潜水艦の脅威への備えが大幅に強化される[22]

空軍

フィリピン空軍は、人員 7,000名および作戦機 約50機を保有する。また、ヘリコプターの運用も空軍の管轄となっている。

2011年現在、対ゲリラ作戦に主眼を置いて、軽武装ヘリコプターおよび汎用ヘリコプターが主力となっており、固定翼機はCOIN機および軽攻撃機のみである。2005年にF-5が退役して以降、2011年現在に至るまで、戦闘機は保有していないが、国防改革プログラムの一環として、攻撃ヘリコプターおよび超音速練習機T-50各12機の導入が決定し、戦闘機の再導入への道が模索されている。だが、計画は遅々として進んでおらず、レーダーサイトの整備もできず、フィリピンの領空は手薄な状態だったが、2015年からはエアバスに発注していたC295輸送機の受領を開始し、順次就役を進める予定だという。 中国の海洋侵略により実害も出ており、重要な防衛の要衝である第一列島線に位置するフィリピンでは、在比米軍も呼び戻した上で、急速な軍拡を続ける中国人民解放軍に対抗するため、自国の軍備も急速に近代化をはかるとしている。同時に日本から艦艇などの供与も求めているが、自国の安全を守る努力はまず自国軍からという大原則もあり、輸送能力・兵站能力強化の必要性が国際的な専門家から指摘されている。関係者によると、インドネシア軍などのようにオーストラリアからC-130型輸送機の中古供与を模索する動きもあるという。

沿岸警備隊

フィリピン沿岸警備隊Philippine Coast Guard)は平時にはフィリピン運輸通信省の機関であり、武装して沿岸警備などを行う法執行機関。戦時にはフィリピン国防省の付属機関になる。

従来はフィリピン沿岸警備隊法(1967年)に基づきフィリピン海軍の隷下にあったが、1998年4月15日に大統領令により海軍から分離され、軍事目的への転用を厳しく制限されている日本などからのODA援助が可能となった。 PCGは、日本の海上保安庁をモデルとしており、フィリピン領海などでの海上・海洋での安全保障環境保護などの役割も担っている。PCGの予算は、2013年度で約46億6500万ペソ(約107億8300万円)で、約6400名の隊員と、オーストラリアから導入した巡視船の56メートル型4隻、35メートル型4隻を主力とする約80隻の船艇(大型船舶は有していない)、5機の航空機(ヘリコプター、輸送機など)を有する[23]。なお、船艇の80隻にはフィリピン水産資源管理庁より委託された監視船14隻も含まれる。

移管されたPCG隊員の殆どは海軍の出身者で、日本からのODA援助に含まれる技術協力として派遣された海上保安官JICAメンバーなどが、10年以上にわたり法執行機関の隊員としての育成に携わった。日本政府では、自国の地政学上のシーレーン防衛の観点から、通信システムや巡視船の供与などの援助を実施している。

PCGは、海難救助のため「海猿」をモデルとする潜水士グループを擁する。法執行の分野においては、日本の特別警備隊銃器対策部隊をモデルとする約200名の特殊作戦グループが編成されており、臨検、麻薬捜査、海賊対策、テロ対策の任務に就いている。特に、フィリピンの麻薬関連事犯は深刻であることから、K-9と呼ばれる麻薬犬・警察犬も特殊作戦グループに所属している。

PCGが正式にフィリピン運輸逓信省の組織になったのは、フィリピン共和国法第9993号(フィリピン沿岸警備隊法2009年)による(成立:2010年2月12日)。

出典・参考文献

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関連項目