クラーク空軍基地

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クラーク空軍基地の所在地

クラーク空軍基地(クラークくうぐんきち、Clark Air Base)は、フィリピン共和国ルソン島パンパンガ州アンヘレスの北西部、首都マニラの北西約60kmの地点にあったアメリカ空軍基地である。

基地名は1919年パナマ運河近くで水上機の事故で亡くなったハロルド・M・クラーク少佐の名からとられた。

歴史[編集]

1903年の開設後、フィリピンにおけるアメリカ軍の重要な拠点とされ、第二次世界大戦時には1942年日本軍が占領し、「クラーク北」「クラーク中」「クラーク南」「クラークフィールド」「マバラカット」「マルコット」「バンバン」など複数の飛行場群を設置、運用した。これらはフィリピン基地航空隊の中心的存在であった。1944年10月には最初の神風特別攻撃隊がマバラカット飛行場より発進している。1945年1月、アメリカ軍がルソン島に上陸し、激しい戦いの後、米軍が再占領した。

1947年3月14日、アメリカとフィリピンは1991年9月までクラーク空軍基地の使用を規定した軍事基地協定を調印した。

上空よりのクラーク空軍基地 F-4E及びF-4GC-141等が駐機している
1989年の撮影

1975年ベトナム戦争時は重要な出撃地の1つであった。ピークは1990年頃で、15,000人もの人口を抱え、学校レストラン映画館百貨店ホテルゴルフ場放送局などの施設が完備され、商業エリアと住宅エリアとに分かれていた。アメリカ国外では最大の米軍基地で、F-4EやF-4Gなどが配備されていた。

基地の使用期限延長に関する交渉中の1991年4月、20kmほどしか離れていないピナトゥボ山が活動し始めた。クラーク空軍基地はピナトゥボ山から過去の大噴火で噴出した火砕流火山灰が積もって出来た平野にあるため、大きな被害を受けることが予想された。6月に入って本格的な噴火が始まり、兵員の大半とその家族はスービック海軍基地へ避難した。噴火のピークは6月15日で、火砕流が基地の近くにあった演習場を埋め尽くし、基地自体の敷地にも侵入した。航空機の格納庫を含む多くの建物が、屋根に降り積もった火山灰の重さで倒壊した。アメリカ軍はクラーク空軍基地の放棄を決定し、スービック海軍基地と共に1991年11月26日にフィリピン政府に返還された。

返還後、基地の跡地はフィリピンのクラーク経済特別区 (CSEZ) に転換された。

関連項目[編集]