コンテンツにスキップ

ピエール瀧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Akasenbot (会話 | 投稿記録) による 2012年5月26日 (土) 17:53個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (WP:BOTR#キューンミュージックへのリンク修正依頼(oldid=42581296))であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ピエール瀧
出生名 瀧正則
生誕 (1967-04-08) 1967年4月8日(57歳)
出身地 日本の旗 日本, 静岡県静岡市葵区
ジャンル テクノ
職業 ミュージシャン
マルチタレント
俳優
担当楽器 ボーカル・TAKI
活動期間 1985年 - 1989年(人生)
1989年 - 電気グルーヴ
レーベル キューンレコード
事務所 ソニー・ミュージックアーティスツ
共同作業者 電気グルーヴ
公式サイト http://climax.jp.msn.com/
クラフトワーク

ピエール瀧(ピエールたき、本名:瀧 正則〈たき まさのり〉、1967年4月8日 - )は、静岡県静岡市葵区出身のミュージシャンマルチタレント[1]俳優テクノバンド「電気グルーヴ」のメンバー。身長179cm。血液型はAB型。愛称は「瀧」・「顔」[2]。真人間な仕事の時は「ピエールさん」と呼ばれることも多い[3]

略歴

高校時代までは野球部の活動に日々打ち込む少年であったが、ある日、友人の友人として知り合った石野卓球の部屋に往訪したとき、たまたま部屋でかかっていたニュー・オーダーの「ブルーマンデー」に衝撃を受け、そのまま直立不動の状態で最後まで聴き入ってしまったという逸話が残っている。これは以降の瀧の人生を大きく変える出来事だった。その後、石野が結成するバンド人生」(ナゴムレコード所属)に参加し、主要メンバーとして(楽器は弾かないが)活躍することとなる。

人生の後身である電気グルーヴに参加し、また電気グルーヴや石野卓球のプロモーションビデオのディレクションも手がけている。「人生」在籍当時は『畳三郎』の芸名で活躍していたが、電気グルーヴへの参加と同時に『ピエール畳』に改名し、さらに現在のピエール瀧へと変化。現在の芸名に改名したきっかけは、レベッカNOKKOSHAKEが結婚した際(現在は離婚)のスポーツ新聞の記事の見出しが「NOKKO・SHAKE 結婚」という、一見すると一体何なのかわからないものだったことから、自分の『畳』という名前にも疑問を抱いたため。[4]その後ポンチョ瀧に改名すると予言していたが、現時点では未だ改名していない。ところが、2007年11月、月末までの期限つきでピエルー瀧とするとラジオで発言。どのラジオ?

「人生」在籍当時より「楽器の弾けないミュージシャン」を公言しており、ステージにおいてかつては殿様ドラえもんの衣装で登場したり、最近のライヴステージでは着ぐるみを着て踊っているだけだったりする。筋肉少女帯ばちかぶりなどナゴムレコード所属バンドはステージ上でいきなりお好み焼きを焼き客に振舞う、ライヴ中に出前を頼み配達人をステージに引っ張り上げるといったパフォーマンスを行う者が多数いたが、瀧はメジャーデビュー後もライヴの最中に綿菓子を作ったり、手作りピザを回したり、ろくろを回して陶芸作品を作ったり、生きた鶏を会場に放す(そして捕まえる)などの行為を唯一おこなっていた。このように、バンドのメンバーでありながら、そのパフォーマンスは一般的なミュージシャンの域を良くも悪くも越えている。なお公式プロフィール上の彼の担当パートは「TAKI」と表記されている。この表記はハッピー・マンデーズのベズが担当パートを「ベズ」としたことと一致している。

しかし、実際のところは、彼の存在が無ければ電気グルーヴは成立しないとよく言われるように、作詞の多くを石野とともに手がける、映像表現に関与するなど、コンセプトの面ばかりでなく音楽面においても非常に重要なポジションを担っている。サンプラーシンセサイザーも所持しており、楽曲制作の実績も当然ある。実際、インスト物に傾倒していた1993年頃はライブでもROLAND VP-330が瀧の前にセットされ、演奏を行っている。また、ターンテーブルの購入は石野よりも早く(なぜか一台だけ)、かつてはDJ活動も行っていたという。テレビでも共演機会の多いPUFFYの楽曲にも詞を提供している。

専門の会社に勤めていた事もあってか、映像に関する造詣が深く、電気グルーヴの活動の映像に関してのイニシアティブは基本的に瀧が取っている場合が多い。石野卓球のソロシングルのPV監督を務めた事もある。祖父は画家だが、瀧本人に絵心は全くないとのこと。(過去に月刊ガロ〈青林堂出版〉にて漫画を発表していたこともある。)

電気グルーヴ以外の音楽活動としては「ピエール瀧とベートーベン」(電気グルーヴ脱退後の砂原良徳も在籍)としてライヴやDVD発売などを行っている。また旧知の仲である田中秀幸とのユニット「プリンストンガ」としてもVJ活動を行っている。ナゴム時代はのちに『ボヨヨンロック』のヒットで知られる大槻ケンヂのユニット「まんが道」のステージに一時的に参加した事もあった。また1991年瀧勝(たき まさる)の名義で演歌人生』をリリース。瀧勝のプロデューサーは「犬」で、彼を引きつれ様々なプロモーションを行い、ABCおはよう朝日です』にも出演した。しかし、『人生』は売れず、瀧勝は当初の予定通り「犬に噛み殺されて死亡した」という事になった。唯一ピエール瀧名義のソロ作品としては、自身が製作したビデオ作品『メカノ』のテーマ曲を作曲している。

近年では音楽活動以外にタレント、俳優、声優、ナレーターとしてテレビ番組(ドラマ、バラエティからNHK語学番組の生徒役まで)・CM・映画・ゲーム(『SIREN2』等)などへ出演して一般にも知名度を上げ、外出時にはレイバンのサングラスが欠かせない。石野からは「男YOU」「ポストなぎら健壱」「ネオなぎら」とも評される。本家なぎらとはタウンページの広告にて兄弟役で共演している。

2000年代以降は特に俳優として邦画への起用の機会が目立ち、年間に約3本ほど出演作が続く。87歳老教諭、中年サラリーマン役、妹思いの兄役、やさしいお父さん役、頑固な職人役、冷徹な軍人役など、幅広い役柄をこなす。ベルギーの人形アニメ『パニック・イン・ザ・ヴィレッジ』の日本語吹き替えを担当した際は、一人で45役を演じた。また、ある映画でハリウッド進出を果たすものの、出演シーンが丸々カットされるという憂き目に遇っている。

その他にもプレイステーション用ゲームソフト『グルーヴ地獄V』、プレイステーション・ポータブル用ゲームソフト『バイトヘル2000』のプロデュース、漫画『虐殺!ハートフルカンパニー』『樹海少年ZOO1』原作(漫$画太郎作画)、中目黒におでん屋さんをオープンするなど、その活動の場は実に多岐に渡っている。

出演

テレビドラマ

バラエティー ほか

ラジオ

アニメ(声優)

映画

舞台

  • シティボーイズミックス PRESENTS 「オペレッタ ロータスとピエーレ」(2008年)

CM

ゲーム

書籍

映像作品

  • メカノ(1995年) - 田中秀幸とのタッグで製作したアニメ作品。VHSのみ。
  • ノモビデオ(2000年) - 電気グルーヴのPV集。ソロ作「ピエール瀧の体操30歳」を収録。
  • “究極ホ乳類ニシイ”vol.1 COMIC牙コミックス(2003年)
  • 県道スター(2003年) - 『SF Short Films』内の短編作品。
  • COMIC牙DELUXE/Pierre Taki&BEETHOVEN LIVE at LIQUIDROOM(2004年)
  • 第2回全日本コール選手権 with ピエール瀧(2007年)
  • ピエール靖子〜企画でわかる脳タイプ〜 金脳編・銀脳編・銅脳編・プラチナ脳編(2007年)

ゲームプロデュース

脚注

  1. ^ 2010年9月24日放送「人間の死後の世界の全貌が明らかになる」という神がかり的なスポットへ”. 静岡あさひテレビ ピエール瀧のしょんないTV. 2011年5月9日閲覧。
  2. ^ 俺のカラダの筋肉はどれをとっても機械だぜ ISBN 4796603468
  3. ^ 「人生はカーニバル!」(2011年2月20日)”. NHK 課外授業 ようこそ先輩. 2011年5月9日閲覧。
  4. ^ 電気グルーヴのオールナイトニッポン』(ニッポン放送1991年 - 1994年)の発言より[出典無効]
  5. ^ 電気グルーヴの続・メロン牧場─花嫁は死神・下巻 ISBN 978-4-86052-076-2

外部リンク