江戸言葉
江戸言葉(えどことば)、または江戸弁(えどべん)、下町言葉(したまちことば)とは、東京(旧・江戸の範囲)の東側、下町で使われる日本語の方言である。時代劇や江戸落語などでよく聴かれる、いわゆる江戸っ子の「べらんめえ調(べらんめえ口調)[1]」である。山の手言葉とともに東京方言を構成する。
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[編集] 概説
江戸言葉は、江戸時代の江戸における町人(庶民)言葉にルーツを持つ言葉である。東京が「江戸」と呼ばれた江戸時代に成立したため、東京ではなく「江戸」の名を冠する。山の手言葉は武家言葉に商人の言葉や京言葉が混ざって形成された言葉で、発音や語彙などの点で互いに違いがある。江戸言葉の内部においても、階層や職種によって細かな言い回しの違いがあり、例えば職人社会では「べらんめえ調」を盛んに用いたのに対し、商人社会では「べらんめえ調」は丁寧さに欠けるとしてあまり用いなかった。
各地の方言と同様、江戸言葉も学校教育やマスメディアの影響で廃れつつあり、現在その特徴をはっきり残すのは、昭和中期までに生まれた下町出身者を中心とする一部の話者のみである。
[編集] 特徴
[編集] 音韻
[編集] 「シ」と「ヒ」の混同
子音の口蓋化に関連して、次の両者が混同される。
- /i/ または /y/ の直前に立つ /s/、すなわち音節としては、「シ、シャ、シュ、ショ」 /si, sya, syu, syo/
- /i/ または /y/ の直前に立つ /h/、すなわち音節としては、「ヒ、ヒャ、ヒュ、ヒョ」 /hi, hya, hyu, hyo/
俗に“「白鬚橋」(シラヒゲバシ)を「ヒラシゲバシ」と言う”などと言われ、そのほかにも
- 「東」 : シガシ ~ ヒガシ
- 「質屋」 : シチヤ ~ ヒチヤ
- 「潮干狩り」 : シオシガリ ~ ヒオシガリ ~ ヒヨシガリ
などの現象が聞かれる。「ヒラシゲバシ」の例では、本来の /s/ が [ç] に発音される現象と、逆に本来の /h/ が [ɕ] に発音される現象とが同時に起こっており[2]、これによるなら、音素上の区別はすでになくなっているものの、音声としては未だ不安定であるということになる[3]。実際、少なくとも江戸言葉の話者でない者には、一つの語が話者によって、時によって、異なって聞こえるのがこの現象の特徴でもあり、「白鬚橋」は「シラシゲバシ」のように聞こえることもある。これらの現象は規則的な音韻法則であり、特定の語にのみ起こるものではない。
類似の現象は東関東(茨城弁など)から東北にかけての一部の方言や琉球語などにも見られるが、それらの方言では一般に (1) “「チ」と「キ」との混同[4]”や“「ジ」と「ギ」との混同[5]”が同時に見られ、また (2) その音声は一意的に [ɕ] [ʨ] [ʥ] などの子音に確定されるのに対し、江戸言葉では (1) 「チ」と「キ」や「ジ」と「ギ」を混同することはない点、(2) 上記のとおり音声の揺らぎが見られる点において、違いが顕著である。また「シ→ヒ」は京都や大阪などの近畿方言でも見られる(例: シツコイ→ヒツコイ)が、これは「シ」に限らずサ行全般で起こるハ行音化(例: ソレナラ→ホンナラ→ホナ、サン(敬称)→ハン など)の一環であり、後続する /i, y/ による口蓋化の有無とは関係がなく、また特定の語のみで起こるものであり、江戸言葉の「シ→ヒ」とはカテゴリーの異なる事象である。
[編集] 音形に特徴のある語彙など
- 「手拭」 : テノゴイ ~ テンゴイ
- 「お湯屋さん」 : オイヤサン / 「髪結いさん」 : カミイサン
[編集] 歴史
[編集] 江戸時代
江戸では参勤交代や他地方からの人口流入が多かったため、江戸言葉の成立には日本各地の方言が影響を与えたとされ、周辺の西関東方言とは異なる発展を遂げた。江戸時代の前期・中期においては江戸町人の話し言葉のまとまった記録や史料は少なく、不明な点が多い。江戸時代後期になると町人の話し言葉を巧みに描写する文芸作品(滑稽本・洒落本など)が盛んに作られるようになり、とりわけ式亭三馬の『浮世風呂』は江戸言葉研究の定番の史料となっている。
[編集] 現代
江戸っ子は東京の街や文化に強い誇りと愛着を抱いており、関東大震災・東京大空襲などの災害に伴って多数の郊外移住者を出しながらも、江戸言葉の特徴は比較的最近までよく保たれていた。ところが、若年人口が都心を離れて郊外へ移住すると、下町は高齢化し、さらに東京の若者の間では下町も含めて首都圏方言が話されるようになり、江戸言葉の後継者も減少している。
[編集] 参考文献
- 大野敏明著『知って合点江戸ことば』文藝春秋〈文春新書〉。ISBN 4166601458
- 林えり子著『生きている江戸ことば』集英社〈集英社新書〉。ISBN 4087200450
- 前田勇編『江戸語の辞典』講談社〈講談社学術文庫〉。ISBN 4061584227
- 松村明著『江戸ことば・東京ことば辞典』〈講談社学術文庫〉。ISBN 4061590847
- 秋永一枝「東京弁アクセントの変容」笠間書院。 ISBN 4305701960
[編集] 脚注
- ^ 「べらんめえ」は穀潰しの意の「べら棒め!」の転訛とされる。
- ^ 一般に、「別々の音であることを頭では理解しているが、体感としては音素を識別できていない」といった状況に起こりやすい。例えば、中学時代から英語学習を始めた日本人が努力してそれなりに上達し、通常は l と r を発音し分けられるものの、母語話者のような自然なl と r の使い分けができずに、 clarify という語を会話の中でつい cralify のように発音してしまう、などの例を想定するとわかりやすい。
- ^ 理由として、少なくとも現代の話者については、共通語からの影響が大きいであろう。
- ^ 正確には「チ、チャ、チュ、チョ」と「キ、キャ、キュ、キョ」の混同。
- ^ 正確には「ジ、ジャ、ジュ、ジョ」と「ギ、ギャ、ギュ、ギョ」の混同。