三上朋也

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三上 朋也
オイシックス新潟アルビレックスBC #17
読売ジャイアンツ時代
(2023年5月2日、読売ジャイアンツ球場にて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 岐阜県多治見市
生年月日 (1989-04-10) 1989年4月10日(35歳)
身長
体重
190 cm
90 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2013年 ドラフト4位
初出場 2014年3月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
派遣歴

三上 朋也(みかみ ともや、1989年4月10日 - )は、岐阜県多治見市出身のプロ野球選手投手)。右投右打。オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ所属。

妻はフリーアナウンサー関根和歌香[1]

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

多治見市立南ヶ丘中学校3年生の時に、全国中学校軟式野球大会への出場を経験している。

岐阜県立岐阜商業高等学校の2年生の夏に、内野手として第88回全国高等学校野球選手権大会に出場。1回戦の対智弁学園和歌山高等学校戦に「7番・三塁手」として出場し、1安打を放ったがチームは敗れた。3年生で投手に転向した[2]が、全国大会への出場は果たせなかった。1m90cm台の長身、高校通算18本塁打の長打力、投手としてエースを務めた強肩を買われて、2007年のドラフト会議の前には、複数の球団が三上を「野手」として指名する動きを見せていたが、投手にこだわる三上は法政大学へ進学した。

法政大学では東京六大学野球のリーグ戦通算10勝8敗、防御率2.52という成績を残した。大学の1年先輩・加賀美希昇、1年後輩の三嶋一輝とは、後にDeNAでもチームメイトになっている[3]

大学卒業後は、JX-ENEOSへ入部。入部2年目には先発投手として、都市対抗野球大会でチームの大会史上最多優勝(11回)およびチーム51年ぶりの連覇に貢献した[4]

2013年のNPBドラフト会議で、横浜DeNAベイスターズから4巡目で指名[5]。契約金5000万円、年俸950万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は35

DeNA時代[編集]

横浜DeNAベイスターズ時代
(2014年4月29日 横浜スタジアム

2014年は、公式戦の開幕を一軍で迎えると、3月28日の対東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)に2番手投手としてプロ入り初登板。この試合から中継ぎで8試合(12イニング)連続無失点を記録したことや、クローザーを任されていたホルヘ・ソーサが開幕から不調だったことを受けて、4月29日の対中日ドラゴンズ戦(横浜スタジアム)から「野球人生で初めて」というクローザーへ転向した[6]。5月6日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)から5月31日の対千葉ロッテマリーンズ戦(QVCマリンフィールド)までの登板で7セーブを記録。新人投手による月間最多セーブの球団記録を更新した[7]オールスターゲームにも、セントラル・リーグの監督推薦選手として出場[8]。9月14日の対巨人戦(東京ドーム)で19セーブを記録し、新人投手によるシーズン最多セーブの球団新記録(当時)を達成した[9]。シーズンを通じて一軍へ帯同し、一軍公式戦でチーム最多の65試合に登板。13試合に登板した巨人戦では、3ホールド、6セーブ、防御率0.00という好成績で、チームの9年ぶりカード勝ち越しに貢献した[10]。また、通算のセーブ数は21で、NPBの新人投手としては歴代5位の多さであった[11]。シーズン終了後の12月11日には、推定年俸3200万円で契約を更改し、年俸の一部を横浜スタジアムの年間シート(2席)の購入に充てる意向を示した[10]

2015年には、春季キャンプ中に右肘が炎症を起こし、一軍公式戦でのシーズン初登板は8月8日の対阪神タイガース戦(横浜)まで持ち越された[12]。さらに、新人の山﨑康晃がクローザーに定着していたため、主に山﨑につなぐセットアッパーに起用された。9月29日の対阪神戦(阪神甲子園球場)では、同点で迎えた9回裏に登板し、先頭打者・江越大賀振り逃げを許した際に暴投を記録。この暴投によって、チームのシーズン暴投数がNPBタイ記録の68に達した[13]。さらに、野手陣の失策捕逸で江越を本塁に生還させ、被安打・与四死球0ながらサヨナラ負けを喫した[14]。一軍公式戦での登板数は前年の3分の1(21試合)にとどまり、12月15日に推定年俸3000万円(前年から200万円減)という条件で契約を更改[15]。ただし、通算の防御率は0点台と低く、山﨑が調子を落とした9月には一時クローザーへ復帰した。シーズンの序盤には、自身と同じ法政大学出身で5歳年上の関根和歌香と結婚している[1]

2016年は、オールスターゲームに、セントラル・リーグの監督推薦選手として2年振りに出場[16]。山﨑が極度の不振に陥った8月には、田中健二朗と交互に一時クローザーを務めた。同年は2年ぶりに一軍にフルシーズン帯同し、一軍公式戦59試合の登板で、2勝4敗2セーブ32ホールド、防御率2.61という成績を残し、チーム史上初のクライマックスシリーズ進出へ貢献した。チームのレギュラーシーズン3位で初めて臨んだクライマックスシリーズでは、10月8日に、巨人とのファーストステージ第1戦(東京ドーム)8回裏の登板で初ホールドを記録。翌10月9日の第2戦でも、同点で迎えた8回裏に登板したが、勝ち越しを許し、CSで初めての敗戦投手になった。

2017年は、FA権の行使によって巨人へ移籍した山口俊から、選手会長を引き継いだ。レギュラーシーズンでは、一軍公式戦61試合に登板。自己最多の3勝を挙げ、前年と同じく34ホールドポイント(3救援勝利と31ホールド)を記録した。ただし、防御率が5.12に達するなど投球内容は不安定で、8月には一時二軍での調整を余儀なくされた[17]。チームのレギュラーシーズン3位で迎えたポストシーズンでは、監督のアレックス・ラミレスによる小刻みな継投策の下で、ワンポイント・リリーフやショート・リリーフに起用。CS全体で8試合中4試合に登板し、大雨の甲子園球場で催された阪神とのファーストステージ第2戦(10月15日)では勝利投手になった。さらに、福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズでも、6試合中3試合で救援登板。11月4日の第6戦(福岡ヤフオク!ドーム)では、同点で迎えた延長11回裏に登板したが、川島慶三にサヨナラ安打を打たれ、チームは19年ぶりのシリーズ制覇を逃した。

2018年は、一軍公式戦で入団1年目に並ぶ65試合に登板。通算成績は1勝1敗25ホールドながら、防御率を3.05にまで持ち直した。さらに、走者のいない局面での投球間隔でセ・リーグ最短の10秒4を記録したため、NPBからスピードアップ賞を授与された[18]。シーズン終了後の11月には、DeNA球団がこの年から戦略的パートナーシップ契約を締結したオーストラリアン・ベースボールリーグキャンベラ・キャバルリーに自身の希望で派遣され、派遣期間中にオーストラリア国内で契約更改に臨み、推定年俸1億500万円という条件で契約を更改し、1億円プレイヤーの仲間入りを果たした。契約更改後の12月7日には、オーストラリアと横浜市の球団事務所をスカイプで結びながら、契約更改に関する記者会見を実施した。ビデオ電話を活用した生中継方式の記者会見は、球団史上初めての試みであった[19]

2019年は、オープン戦期間中の3月10日に京セラドーム大阪で開催された日本代表メキシコ代表の強化試合6回表に、プロ入り後初めて日本代表の一員として登板[20][21]。レギュラーシーズンでも開幕一軍入りを果たしたが、開幕直後に右肘を痛め、公式戦5試合に登板しただけで4月13日に出場選手登録を抹消された。5月13日に患部のクリーニング手術を受けた[22]後に、8月20日のイースタン・リーグ対ヤクルト戦(戸田球場)から実戦に復帰[23]。9月8日から一軍へ再び合流した[24]が、同日の対中日戦(ナゴヤドーム)6回裏の救援登板で3失点を喫すると、翌9月9日に登録を再び抹消された[25]

2020年は開幕直前の練習試合で結果を残せず二軍で迎える。伊勢大夢平田真吾らの台頭もあり、手術に関連しない年では自己最少の10試合の登板にとどまった。12月15日の契約更改では減額制限いっぱいの25%ダウンとなる年俸6375万円(推定)でサインした[26]

2021年井納翔一藤岡好明の退団によりチーム最年長投手として迎えた。4月16日の巨人戦(横浜スタジアム)で同年初登板を果たしたが、菅野智之の打球が直撃し、右すねの打撲で緊急降板、翌日に登録抹消となった[27]。その後4月30日に一軍へ復帰すると、右のワンポイントを中心に重用され、最終的に3年ぶりの40登板を達成した。しかし防御率3.86と安定はせず、勝ちパターンの一角を担うことは出来なかった。

2022年は、3月11日の楽天とのオープン戦で登板した際に打球が足に直撃し降板。その2日後に痛みがあったため、横浜市内の病院で検査を受けたところ、患部からの細菌感染が分かり10日間の入院を送る[28]。その後、リハビリを経て4月23日に一軍に合流した[29]。ブルペン陣の競争で登録から外されることも増え、ビハインドでの登板を主に19試合に留まった。10月16日、戦力外通告を受けた[30]

巨人時代[編集]

2023年1月16日、巨人と育成選手としての契約に合意したことが発表された[31]。背番号は053。イースタン・リーグ公式戦10試合に登板し、防御率2.79の成績を残すと[32]、5月4日、支配下選手登録された[33]。背番号は69。即日、一軍に合流した。最終的に、22試合で0勝1敗、防御率4.60を記録[34]。10月13日に2年連続となる戦力外通告を受けた[34]

新潟時代[編集]

2023年11月30日、NPBファームに参加するオイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブに入団することが発表された[35]

2024年のキャンプで太ももを痛めて出遅れていたが、3月17日のイースタン・リーグ開幕2戦目には登板を果たしている[36]

選手としての特徴[編集]

JX-ENEOS時代の2013年に、投球フォームをオーバースローからサイドスローに変更。スライダーと低めへの制球力に磨きを掛けた。ただし、サイドスローへ完全に転向したわけではなく、スリークォーターなどの投球も織り交ぜる「千手観音投法」と表現されるフォームから[2]、腕の角度により3種類あるという最速154km/hのストレート[37]、横に滑ったり縦に落ちたりする数種類のスライダーを投じる[38]。2021年からはカットボールシンカーを習得しピッチングの幅を広げた[39]結果、3年ぶりの40登板を果たした。

ピンチにも動じず投げ切れるマウンド度胸は首脳陣やチームメイトからも称えられている[40][41]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2014 DeNA 65 0 0 0 0 1 4 21 13 .200 279 65.2 55 3 27 4 4 67 2 1 18 17 2.33 1.25
2015 21 0 0 0 0 1 1 0 9 .500 93 22.1 16 0 9 0 1 20 3 0 3 2 0.81 1.12
2016 59 0 0 0 0 2 4 2 32 .333 241 58.2 47 7 18 2 2 36 2 0 21 17 2.61 1.11
2017 61 0 0 0 0 3 3 0 31 .500 213 51.0 47 8 16 1 2 29 1 0 31 29 5.12 1.24
2018 65 0 0 0 0 1 1 0 25 .500 239 56.0 55 3 20 4 3 40 2 0 19 19 3.05 1.34
2019 6 0 0 0 0 0 1 0 1 .000 25 4.2 5 0 6 0 0 5 1 0 4 3 5.79 2.36
2020 10 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 55 13.0 13 0 6 1 1 7 1 0 4 4 2.77 1.46
2021 40 0 0 0 0 2 1 0 3 .667 148 35.0 36 5 9 1 1 25 0 0 15 15 3.86 1.29
2022 19 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 106 24.2 28 3 8 2 1 19 0 0 10 10 3.65 1.46
2023 巨人 22 0 0 0 0 0 1 0 7 .000 73 15.2 18 1 8 0 4 9 0 0 8 8 4.60 1.66
通算:10年 368 0 0 0 0 10 16 23 121 .385 1472 346.2 320 30 127 15 19 257 12 1 133 124 3.22 1.29
  • 2023年度シーズン終了時

年度別守備成績[編集]



投手












2014 DeNA 65 5 13 0 2 1.000
2015 21 2 3 0 1 1.000
2016 59 3 5 0 0 1.000
2017 61 3 11 2 0 .875
2018 65 3 8 0 0 1.000
2019 6 1 1 0 0 1.000
2020 10 0 4 0 0 1.000
2021 40 2 5 0 1 1.000
2022 19 4 2 0 0 1.000
2023 巨人 22 0 2 0 0 1.000
通算 368 23 54 2 4 .975
  • 2023年度シーズン終了時

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
投手記録
打撃記録
  • 初打席:2014年3月28日、対東京ヤクルトスワローズ1回戦(明治神宮野球場)、4回表に小川泰弘から見逃し三振
節目の記録
その他の記録

背番号[編集]

  • 35(2014年 - 2022年)
  • 053(2023年 - 2023年5月3日)
  • 69(2023年5月4日 - 同年終了)
  • 17(2024年 - )

登板曲[編集]

  • Avicii ft Aloe Blacc - Wake Me Up(2014年 - )

代表歴[編集]

  • 「ENEOS 侍ジャパンシリーズ2019 日本 vs メキシコ」代表

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b DeNA三上 女子アナと結婚していた 5歳上の関根和歌香さんと(『スポーツニッポン』2015年12月14日付記事)
  2. ^ a b キヨシ監督指名!新守護神に千手観音投法のD4・三上(『サンケイスポーツ』2014年4月29日付記事)
  3. ^ キヨシが仰天の「法大トリオリレー」提案(『日刊スポーツ』2014年1月29日付記事)
  4. ^ ENEOS、51年ぶり連覇/都市対抗(『日刊スポーツ』2013年7月24日付記事)
  5. ^ 横浜DeNA:4位三上「プロ実感」仮契約 (『神奈川新聞』2013年11月9日付記事)
  6. ^ 中畑監督「怖いもの知らず」三上を抑えに(『日刊スポーツ』2014年4月22日付記事)
  7. ^ DeNA三上が月間7S 球団新人新記録(『日刊スポーツ』2014年5月31日付記事)
  8. ^ DeNA 三上と井納が初選出「夢の舞台ではありますけど…」 (『スポーツニッポン』2014年7月3日付記事)
  9. ^ DeNA 三上が球団新人新19セーブ目「他球団に比べたら…」(『スポーツニッポン』2014年9月15日付記事)。2015年に山﨑が37セーブで記録を更新している。
  10. ^ a b DeNA三上「感謝」2250万円増!両リーグ新人王超え昇給(『スポーツニッポン』2014年12月12日付記事)
  11. ^ 横浜に歓喜をもたらす“小さな大魔神” 山崎康晃が打たれない理由(『BASEBALL KING』2015年5月19日付記事)。2015年に山﨑が37セーブでNPBの新人投手記録も達成したことによって、歴代6位になった。
  12. ^ 5位転落も・・・尚成&三上好投が救い(『スポーツニッポン』2015年8月9日付記事)
  13. ^ DeNA シーズン68暴投のプロ野球ワーストタイ記録(『スポーツニッポン』2015年9月29日付記事)。DeNAでは、投手陣が以降の公式戦で1暴投を記録したことによって、シーズンワースト記録の69暴投を達成している。
  14. ^ 阪神、無安打でサヨナラ勝ち!振り逃げ、落球、最後はパスボール(『スポーツニッポン』2015年9月29日付記事)
  15. ^ DeNA・三上200万円減3000万円サイン「予想通り…当然かなと」(『スポーツニッポン』2015年12月15日付記事)
  16. ^ マツダオールスターゲーム2016出場者
  17. ^ 同点被弾のDeNA・三上 二軍再調整へ「レベルアップしないと」 (『スポーツニッポン』2017年8月18日付記事)
  18. ^ DeNA三上がスピードアップ賞 投球間隔10秒4(『日刊スポーツ』2018年11月28日付記事)
  19. ^ DeNA三上前代未聞スカイプ会見 豪州で1億超え (『日刊スポーツ』2018年12月7日付記事)
  20. ^ 「ENEOS 侍ジャパンシリーズ2019」侍ジャパン代表に山﨑康選手・今永選手・三上選手が選出(横浜DeNAベイスターズ2019年2月18日付ニュースリリース)
  21. ^ ENEOS 侍ジャパンシリーズ2019 日本 対 メキシコ 2019年3月10日(日)京セラドーム大阪 打席結果・投球成績野球日本代表公式サイト)
  22. ^ DeNA三上、古村がクリーニング手術受け無事終了(『日刊スポーツ』2019年5月13日付記事)
  23. ^ 【DeNA】5月に右肘手術の三上が二軍で実戦復帰。来月昇格も(『スポーツ報知』2019年8月20日付記事)
  24. ^ DeNA 三上、5カ月ぶり1軍合流 5月右肘手術から復帰へ(『スポーツニッポン』2019年9月8日付記事)
  25. ^ DeNA三上、1軍昇格→翌日「即降格」 ラミレス采配にファン疑問(『J-CASTニュース』2019年9月9日付記事)
  26. ^ DeNA三上「悔しいシーズンでした」 減額制限いっぱい2125万円ダウン更改”. Full-Count (2020年12月15日). 2022年2月20日閲覧。
  27. ^ ベイスターズ三上が登録抹消 移籍後初登板の風張は好投 4月17日・巨人戦”. カナロコ by 神奈川新聞. 2022年2月20日閲覧。
  28. ^ 【巨人】三上朋也「足を切断してたかも」因縁静岡の苦い記憶拭い去る無失点 魔の8回抑えほえる”. 日刊スポーツ (2022年4月23日). 2022年5月17日閲覧。
  29. ^ ベイスターズ【DeNA】2軍で実戦復帰した三上朋也と平田真吾が1軍に合流”. 日刊スポーツ (2022年5月16日). 2022年5月30日閲覧。
  30. ^ 【DeNA】倉本寿彦、三上朋也、高城俊人ら7選手が戦力外 三上は今季19試合登板、倉本は9安打”. 日刊スポーツ (2022年10月17日). 2023年1月16日閲覧。
  31. ^ 三上朋也選手との契約合意について”. 読売巨人軍公式サイト. 2023年1月16日閲覧。
  32. ^ 【巨人】育成・三上朋也が1軍練習合流 2軍で防御率2・79、昨季までDeNA所属も戦力外」『日刊スポーツ』、2023年5月4日。2023年5月4日閲覧。
  33. ^ 育成選手の支配下契約について”. 読売巨人軍公式サイト. 2023年5月4日閲覧。
  34. ^ a b 【巨人】中島宏之が戦力外 鍵谷陽平、三上朋也、高木京介、田中豊樹、香月一也、堀岡隼人も発表”. 日刊スポーツ (2023年10月13日). 2023年12月28日閲覧。
  35. ^ オイシックス新潟に前巨人の三上朋也、前広島の薮田和樹が入団決定 来季からイースタン参加”. 日刊スポーツ (2023年11月30日). 2023年12月28日閲覧。
  36. ^ 2軍新規参入のオイシックス新潟はプロでは通用しないのか…元阪神の高山俊スタメン復帰で歴史的初勝利狙う」『本格スポーツ議論ニュースサイト「RONSPO」』2024年3月19日、2面。2024年3月19日閲覧
  37. ^ “DeNA・エスコバー 頼れる155キロ剛腕サウスポー/わがチームの速球王”. 週刊ベースボール. (2018年7月28日). http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=015-20180806-09 2018年9月14日閲覧。 
  38. ^ ハマの守護神に抜擢された、ルーキーの大胆不敵。”. Number Web (2014年7月8日). 2016年10月10日閲覧。
  39. ^ “苦戦中”DeNAブルペンの内情とは? 32歳8年目の三上朋也が淡々と語る「まあでも、もう第一線級というか……」(石塚隆)”. Number Web. 2022年2月20日閲覧。
  40. ^ 横浜DeNA2014シーズン激闘の記録”. TBS バース・デイ. 2022年5月17日閲覧。
  41. ^ 【前編】「第三回:ミネリンピック!?MCの秘密まで...愛されキャラ嶺井選手に突撃!」突撃!ヤスアキマイク~みんなお家でなにしてんの?~ - YouTube

関連項目[編集]

外部リンク[編集]