小牧昌業
小牧 昌業(こまき まさなり、天保14年9月12日(1843年10月5日) - 大正11年(1922年10月25日)は、日本の漢学者、官僚、貴族院議員。
経歴
薩摩藩(鹿児島県)生まれた。明治期に官僚として黒田清隆に仕え、開拓幹事・文部大臣秘書官・内閣総理大臣秘書官[1]・内閣書記官長、明治天皇侍講、奈良県知事、愛媛県知事などを歴任した。1897年12月23日には貴族院議員に勅選された[2]。1903年7月30日、錦鶏間祗候に任じられた[3]。 ドイツ文学者の小牧健夫は子。
栄典
- 位階
- 勲章等
- 外国勲章佩用允許
著作
- 『順聖公事蹟 附・年譜』講話会 1910
- 『薩藩史談集』重野安繹共著 求信堂 1912
- 『国訳漢文大成 経子史部 1 大学,中庸』校註、国民文庫刊行会 1920
- 『書経講義』行道学会 1916-20
脚注
公職 | ||
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先代 平田東助 |
枢密院書記官長 1898年 - 1903年 |
次代 都筑馨六 |
先代 平山靖彦 |
帝国奈良博物館長 1890年 - 1894年 |
次代 山高信離 |