豊見城市

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とみぐすくし
豊見城市
Tomigusuku Montage.jpg
Flag of Tomigusuku Okinawa.JPG
豊見城市旗
Tomigusuku Okinawa chapter.JPG
豊見城市章
2002年4月1日制定 2002年4月1日制定
日本の旗 日本
地方 九州地方沖縄地方
都道府県 沖縄県
団体コード 47212-3
法人番号 5000020472123
面積 19.60km2
(境界未定部分あり)
総人口 61,613
推計人口、2016年10月1日)
人口密度 3,140人/km2
隣接自治体 那覇市糸満市
島尻郡南風原町八重瀬町
市の木 リュウキュウコクタン
市の花 ブーゲンビリア
豊見城市役所
所在地 901-0292
沖縄県豊見城市字翁長854-1
北緯26度9分39.6秒東経127度40分8.2秒座標: 北緯26度9分39.6秒 東経127度40分8.2秒
豊見城市役所
外部リンク 豊見城市

豊見城市位置図

― 市 / ― 町・村

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豊見城市(とみぐすくし)は、沖縄本島南部に位置するである。2002年島尻郡豊見城から町とならずに、市制を施行した。

概要[編集]

沖縄県県庁所在地である那覇市の南に隣接しているため、ベッドタウンとして人口が増加している。東洋経済新報社が調査した「成長力ランキング」で2006年は全国1位となった。2008年の順位は3位、2009年は7位と下がったが、2010年に再び全国1位となった。市制を施行して以降、8年連続で上位10位以内を維持している[1]

2008年12月20日に、豊見城道路道の駅豊崎がオープンした。

地理[編集]

沖縄本島南部の西海岸に位置し、東シナ海に面している。東西に長い長方形をなしており、北は那覇市に隣接している。中部を饒波川が西流、のち北流して漫湖へ注ぐ。

瀬長集落から600m沖合に周囲1.5kmの瀬長島がある。戦前まで島内に小さな集落が形成されていたが、戦後無人島になった。1946年に米軍に接収されたが、沖縄の本土復帰後の1977年に返還される。現在は橋がかかっており自動車での往来が可能で、釣りや潮干狩りの名所として知られるほか、海水浴場・キャンプ場や野球場などの娯楽施設が整備されている。

字一覧[編集]

  • ※()内のカタカナ表記はしまくとぅば名[2]
  • 伊良波(いらは、イラハ)
  • 上田(うえた、イータ)
  • 翁長(おなが、ウナガ)
  • 嘉数(かかず、カカジ)
  • 我那覇(がなは、ガナハ)
  • 金良(かねら、カララ・カニラ)
  • 宜保(ぎぼ、ジフ)
  • 座安(ざやす、ザー)
  • 瀬長(せなが、シナガ・アンジナ)
  • 平良(たいら、テーラ)
  • 田頭(たがみ、タガミ)
  • 高嶺(たかみね、タカンミ)
  • 高安(たかやす、タケーシ)
  • 渡嘉敷(とかしき、トゥカヒチ・トゥカシチ)
  • 渡橋名(とはしな、トーシナ)
  • 豊見城(とみぐすく、ティミグスク)
  • 豊崎(とよさき)
  • 名嘉地(なかち、ナカチ・ナーカチ)
  • 長堂(ながどう、ナガドー)
  • 根差部(ねさぶ、ミサシップ)
  • 饒波(のは、ヌーファ)
  • 保栄茂(びん、ビン)
  • 真玉橋(まだんばし、マダンバシ)
  • 与根(よね、ユニ)

隣接している自治体[編集]

人口[編集]

Demography47212.svg
豊見城市と全国の年齢別人口分布(2005年) 豊見城市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 豊見城市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
豊見城市(に相当する地域)の人口の推移
1970年 13,183人
1975年 24,983人
1980年 33,075人
1985年 37,965人
1990年 40,777人
1995年 45,253人
2000年 50,198人
2005年 52,516人
2010年 57,299人
総務省統計局 国勢調査より

歴史[編集]

  • もとは豊見城間切で、のちに北部が小禄間切(のちの小禄村、現在の那覇市)、南東部が兼城間切(のちの兼城村、現在の糸満市)へそれぞれ分離した。
  • 1908年4月1日 - 島嶼町村制施行により豊見城間切から豊見城村となった。
  • 1976年 - 「日本一人口の多い」となる
  • 2002年4月1日 - 単独からになった。現行の地方自治法に基づいて村が市となった初めての例であった[3]。同時に庁舎を上田から翁長へ本格移転した。

市制施行前、豊見城村の事務所は、日本の町村で唯一「役所」を名乗っていた(通常は「役場」)。その根拠は、復帰前に沖縄で施行されていた市町村自治法(1953年立法第1号)の第4条「……又は市町村役所の位置を定め、若しくはこれを変更しようとするときは、条例でこれを定め、……」である。復帰後、豊見城村は日本の地方自治法に基づく村となったが、地方自治法には市町村の事務所をどう呼ぶかについて規定はない。

沖縄県の名字と同様、地名の読みが沖縄特有の読みから標準語化する流れを受けて「とみぐすく」でなく「とみしろ」が慣例として用いられることが多い。市立豊見城中学校の読みは「とみぐすく」であるが、市内の県立高校2校と市立豊見城小学校の読みは「とみしろ」である。ただ、琉球王国のグスク及び関連遺産群世界遺産登録前後からは「ぐすく」の読みを再評価する気運も高まっている。

伝説[編集]

瀬長島は豊見城発祥の地

神話によると、琉球の国土は女神アマミキヨと男神シネリキヨによって造られた。そしてアマミキヨの子・南海大神加那志(ナンカイウフガミガナシ)によって、豊見城の村造りが始まったとされる。 南海大神加那志は、まず瀬長島に集落を造った。したがって豊見城発祥の地は瀬長島ということになる。そこに住む人々は半農半漁で生計を立てていた。 しかし、瀬長島は耕作に適した土地が少ないため、アマミキヨから数えて4代目の豊見城大神加那志が、耕作地を探して陸地へ渡った。そして現在の豊見城城跡近くに適地を見つけ、そこに居をすえて開墾を始める。 内陸での村造りも軌道に乗り、人口も徐々に増えてきた。しかし水田と畑を合わせても村の全人口を養うには足りなくなった。そこで人々は周辺へ移り住み、新たに嘉数、根差部、饒波、高安、長嶺、平良などの集落が生まれたといわれる。[4]

豊見城はハーリー発祥の地

18世紀半ばに琉球王府によて編集された歴史書球陽によると、豊見城城主の汪応祖(わんおうそ)が中国に留学した際、龍船の競漕を見て感激し、帰国後に同様の船を造って漫湖で遊覧したのが始まりとされている。[5]

また、『豊見城の王様 わんおうそ ハーリー由来物語』(PDF版)という絵本が非売品として豊見城商工会青年部まちづくり有志の会により2010年12月29日発行され、市内の学校図書館に数冊寄贈されている。また与根漁港祭りなどでも無料配布されている。[6]

グスク時代

豊見城市にも数カ所のグスクが存在します。豊見城グスクは字豊見城集落近くの丘の上にあり、後に南山王となる汪応祖(わんおうそ)が築いた城といわれている。三山時代において重要な地位を占めていたが、後に琉球を統一する中山王・尚巴志の火攻めによって落城したとされる。[7]

豊見城市と土佐清水市が姉妹都市であるきっかけはジョン万次郎

土佐(現在の高知県)の漁師に生まれたジョン万次郎(中浜万次郎)は、14歳で漁に出て遭難し、捕鯨船に救助されてアメリカに渡った。日本に帰国後は日米和親条約の締結に貢献するなど、日米の懸け橋になった人物。 万次郎は帰国前の1851年、琉球に上陸するも、長期に渡って役人による尋問を受ける。しかしその間、万次郎は高安家を自由に出入りでき、琉球王府は料理人を遣わせて食事の世話をしたり酒も与えたという。 上陸から半年後、万次郎は高安家をはじめ村の人々と別れを惜しみつつ、日本へ向かった。 ジョン万次郎が高安家で手厚くもてなされたのは、琉球民が土佐に漂着した際温かく介護されたことへの琉球国王の返礼だったといわれる。万次郎の中浜家と高安家の交流はその後も続き、その縁で豊見城市と土佐清水市は姉妹都市となっている。[8]

行政[編集]

豊見城市議会(公式サイト[編集]

  • 議員定数:24
  • 議長:大城吉徳(公明党)
  • 副議長:赤嶺一富(豊政会)
会派別構成

姉妹都市[編集]

日本の旗 日本

経済[編集]

産業[編集]

  • 忠孝酒造
  • 上間菓子店(スッパイマン)
  • 琉球漆器本社真玉橋店

主な商業施設[編集]

機関・施設[編集]

教育[編集]

高等学校
中学校
小学校
その他
  • 教育相談室 - 豊見城市字平良536 総合公園陸上競技場スタンド 1階

スポーツ施設[編集]

文化施設[編集]

博物館・資料館等[編集]

警察[編集]

郵便[編集]

放送局[編集]

2006年3月に現在の那覇市おもろまち(那覇新都心)に移転するまでNHK沖縄放送局の放送会館が市内高安(現在のNHK豊見城高安テレビ・FM放送所敷地内)にあった。

沖縄県内テレビ局全局とNHKラジオ・琉球放送(RBCiラジオ)の送信所が市内3ヶ所にそれぞれ設置されている。

(OTVは1985年に那覇市首里崎山町から移転。1985~2011年には琉球放送もアナログテレビがここから送信していた)
(RBCのアナログテレビが1985年に高安送信所に移転してからQAB開局する1995年の10年余の間はRBCラジオのみの送信所だった)

2008年には、市内で初めてのコミュニティ放送局であるFMとよみ公式サイト)が開局した。

医療[編集]

  • 医療法人友愛会 豊見城中央病院(字上田25)(公式サイト
  • 医療法人おもと会 大浜第二病院(字渡嘉敷150)(公式サイト
  • 2009年6月に那覇市古波蔵へ移転するまで沖縄医療生活協同組合 沖縄協同病院が字真玉橋593-1にあった。

福祉[編集]

  • 豊見城市社会福祉協議会 豊見城市社会福祉センター(公式サイト) - (字平良467-4)

文化財[編集]

市指定文化財[編集]

主な文化財[13][編集]


文化財外部リンク

戦争遺跡[14][編集]

  • 旧海軍司令部壕 - 沖縄戦大日本帝国海軍が建設、使用した防空壕。現在海軍壕公園として沖縄観光コンベンションビューローが管理している。
  • 海軍戦没者慰霊之塔(豊見城) - 海軍壕公園内に位置する。
  • 濤魄之塔(豊見城) - 旧豊見城城址公園内に位置する。見学は現状難しい。
  • 旧陸軍第24師団第2野戦病院壕(豊見城) - 旧豊見城城址公園内に位置する。見学は現状難しい。
  • 山部隊野戦病院患者合祀碑(豊見城) - 旧豊見城城址公園内に位置する。見学は現状難しい。
  • 我那覇周辺の壕跡(我那覇)
  • サバキナ壕跡(名嘉地)
  • 田頭収容所(田頭)
  • 瀬長・田頭丘陵周辺構築壕群(瀬長・田頭)
  • アカサチ森壕跡(瀬長) - 豊見城警察署北側に位置する。見学は現状難しい。
  • 与根飛行場跡(与根・翁長)
  • 伊良波収容所(伊良波)
  • 監視所跡(保栄茂) - 保栄茂グスク内に位置する。見学は現状難しい。
  • 御大典記念碑(保栄茂)
  • 紀元二千六百年祭記念掲揚台(保栄茂)
  • デークガー(平良)
  • 特攻亭が配備された饒波川・タングチ流域(高安)
  • 弾痕の残る石垣(金良)

交通[編集]

路線バス[編集]

路線の詳細は「沖縄本島のバス路線」を参照。

最近まで一部の路線を除き那覇以北から市内へ行くには、一旦那覇バスターミナルで乗り換えしなければならなかったが、2006年2月20日から浦添宜野湾方面ゆきの一部のバス路線(4路線)が那覇バスターミナルから小禄地区を経由し市内我那覇まで延伸された。その後、市内の豊崎に本社兼用の営業所が落成されたことにより、さらに同営業所付近まで延長され、1路線しか停車しなかった市役所前に停車する路線が大幅に増えた。

以前は、ほとんど那覇市糸満市を結ぶ路線の途中経由区間でしかなかったが、2002年の市昇格で市役所が中心部からややはずれの国道沿いに移転したため(ちなみに現在の市庁舎は元々は20年近く使用された大型家具店だった。)、既存のアクセスでは不便になったことより市内一周バスを運行したり、豊見城市内を起点として浦添市・宜野湾市への直通路線が開設されるなど、市内のバス事情も変わりつつある。

那覇市~糸満市間のバス路線
那覇市内線(松川入口バス停(市内にあるバス停)以外は市内では停車しない)
  • 9番・小禄石嶺線 (那覇バス)
  • 11番・安岡宇栄原線 (那覇バス)
  • 17番・石嶺線 (那覇バス)
市内中心部を経由する路線
  • 45番・与根線 (那覇バス)
  • 101番・平和台安謝線 (那覇バス)
豊崎を発着する路線
  • 55番・牧港線 (琉球バス交通)
  • 56番・浦添線 (琉球バス交通)
  • 88番・宜野湾線 (琉球バス交通)
  • 98番・琉大線 (琉球バス交通)
  • 105番・豊見城市内一周線 (琉球バス交通)

道路[編集]

とよみ大橋(那覇東バイパス)

道の駅[編集]

出身有名人[編集]

関連書籍[編集]

豊見城市史・村史[15][編集]

  • 豊見城村史編纂委員会『豊見城村史』豊見城村役所 1964年(豊見城市史HP
  • 豊見城村教育委員会村史編纂室『豊見城村史 第9巻 文献資料編』豊見城村役所 1998年(豊見城市史HP
  • 豊見城村史戦争編専門部会『豊見城村史 第6巻 戦争編』豊見城村役所 2001年(豊見城市史HP
  • 豊見城市市史編集委員会民俗編専門部会『豊見城市史 第2巻 民俗編』豊見城市役所 2008年(豊見城市史HP
  • 豊見城市市史編集委員会新聞集成編専門部会『豊見城市史 第3巻 新聞集成編』豊見城市役所 2008年(豊見城市史HP
  • 豊見城市市史編集委員会移民編編専門部会『豊見城市史 第4巻 移民編』豊見城市役所 2016年(豊見城市史HP
  • 豊見城村史編纂委員会『とみぐすく写真帳(村制施行90周年記念誌)』豊見城村役所 1998年(豊見城市史HP

文化財報告書[編集]

  • 豊見城村教育委員会 『豊見城村文化財調査報告書第01集 伊良波西遺跡』 1986年
  • 豊見城村教育委員会 『豊見城村文化財調査報告書第02集 伊良波東遺跡』 1987年
  • 豊見城村教育委員会 『豊見城村文化財調査報告書第03集 豊見城村の遺跡』 1988年
  • 豊見城村教育委員会 『豊見城村文化財調査報告書第04集 高嶺古島遺跡』 1990年
  • 豊見城村教育委員会 『豊見城村文化財調査報告書第05集 渡嘉敷後原遺跡群』 1997年
  • 豊見城市教育委員会 『豊見城市文化財調査報告書第06集 宜保アガリヌ御嶽』 2003年
  • 豊見城市教育委員会 『豊見城市文化財調査報告書第07集 根差部クチャガー』 2005年
  • 豊見城市教育委員会 『豊見城市文化財調査報告書第08集 瀬長グスク他範囲確認調査報告書』 2008年
  • 豊見城市教育委員会 『豊見城市文化財調査報告書第09集 豊見城市の遺跡-市内遺跡分布調査事業-』 2011年
  • 豊見城市教育委員会 『豊見城市文化財調査報告書第10集 重修石火矢橋碑・豊見城グスク』 2013年
  • 豊見城市教育委員会 『豊見城市文化財調査報告書第11集 名嘉地の住民避難壕群』 2014年
  • 豊見城市教育委員会 『豊見城市文化財調査報告書第12集 保栄茂古島遺跡・瀬長グスクほか-市内遺跡等発掘調査報告書-』 2016年


  • 豊見城村教育委員会 『豊見城村の文化財(増補)』 2002年
  • 豊見城市教育委員会 『豊見城市の遺跡及び古墓群分布図』 2014年(PDF版

豊見城市史・村史だより等[編集]

  • 豊見城村史編纂室『豊見城村史だより創刊号』豊見城村教育委員会 1995年(PDF版
  • 豊見城村史編纂室『豊見城村史だより第02号』豊見城村教育委員会 1996年(PDF版
  • 豊見城村史編纂室『豊見城村史だより第03号』豊見城村教育委員会 1997年(PDF版
  • 豊見城村史編纂室『豊見城村史だより第04号』豊見城村教育委員会 1999年(PDF版
  • 豊見城村史編纂室『豊見城村史だより第05号』豊見城村教育委員会 1999年(PDF版
  • 豊見城村教育委員会文化課『豊見城村史だより第06号』豊見城村教育委員会 2001年(PDF版
  • 豊見城村教育委員会文化課『豊見城村史だより第07号』豊見城村教育委員会 2002年(PDF版
  • 豊見城村教育委員会文化課『豊見城市史だより第08号』豊見城市教育委員会 2005年(PDF版
  • 豊見城村教育委員会文化課『豊見城市史だより第09号』豊見城市教育委員会 2006年(PDF版
  • 豊見城村教育委員会文化課『豊見城市史だより第10号』豊見城市教育委員会 2010年(PDF版
  • 豊見城村教育委員会文化課『豊見城市史だより第11号』豊見城市教育委員会 2012年(PDF版
  • 豊見城村教育委員会文化課『豊見城市史だより第12号』豊見城市教育委員会 2014年(PDF版
  • 豊見城村教育委員会文化課『まだま第1号』豊見城市教育委員会 2007年(PDF版
  • 豊見城村教育委員会文化課『私たちもトミグスクンチュ Nosotros somos Tomigusukunchu』豊見城市教育委員会 2011年(PDF版
  • 豊見城村教育委員会文化課『私たちもトミグスクンチュ We are Tomigusukunchu』豊見城市教育委員会 2011年(PDF版

パンフレット類[16][編集]

  • 豊見城市教育委員会文化課『とみぐすく市の文化財巡り』豊見城市教育委員会 2012年(PDF版
  • 豊見城市教育委員会文化課『豊見城市の「戦跡」』豊見城市教育委員会 2012年(PDF版

しまくとぅば関係[17][編集]

  • 豊見城村教育委員会文化課『豊見城市しまくとぅば読本 低学年用』豊見城市教育委員会 2015年(電子書籍版
  • 豊見城村教育委員会文化課『豊見城市しまくとぅば読本 高学年・一般用』豊見城市教育委員会 2015年(電子書籍版

一般書籍[編集]

  • 沖縄大百科事典刊行事務局『沖縄大百科事典』 沖縄タイムス社 1983年

脚注[編集]

  1. ^ “金口木舌(2009年12月10日)”. 琉球新報. (2009年12月10日). http://ryukyushimpo.jp/column/prentry-153995.html 2015年11月13日閲覧。 
  2. ^ 豊見城村教育委員会文化課『豊見城市しまくとぅば読本 高学年・一般用』豊見城市教育委員会 2015年
  3. ^ 戦前の「市制」の下では、長野県岡谷市兵庫県芦屋市山口県宇部市長崎県佐世保市の4市が村から市に昇格し、また沖縄県では日本復帰前に旧真和志市(現那覇市)、旧コザ市(現沖縄市)、宜野湾市、旧具志川市(現うるま市)、浦添市の5市が村から市になっている。
  4. ^ 『平成27年 豊見城市勢要覧』(平成27年7月発行)
  5. ^ 『平成27年 豊見城市勢要覧』(平成27年7月発行)
  6. ^ 『豊見城の王様 わんおうそ ハーリー由来物語』豊見城市商工会
  7. ^ 『平成27年 豊見城市勢要覧』(平成27年7月発行)
  8. ^ 『平成27年 豊見城市勢要覧』(平成27年7月発行)
  9. ^ 豊見城村教育委員会 2002 「口上覚」『豊見城村の文化財(増補)』
  10. ^ 豊見城村教育委員会 2002 「重修真玉橋碑」『豊見城村の文化財(増補)』
  11. ^ 豊見城村教育委員会 2002 「字与根大城家文書」『豊見城村の文化財(増補)』
  12. ^ 豊見城村教育委員会 2002 「真玉橋」『豊見城村の文化財(増補)』
  13. ^ 豊見城市教育委員会文化課『とみぐすく市の文化財巡り』豊見城市教育委員会 2012年
  14. ^ 豊見城市教育委員会文化課『豊見城市の「戦跡」』豊見城市教育委員会 2012年
  15. ^ 豊見城市ホームページ(市史編集)
  16. ^ 豊見城市ホームページ(豊見城市の文化財)
  17. ^ 豊見城市ホームページ(豊見城市のしまくとぅば てぃみぐすく くとぅば)

外部リンク[編集]