伊平屋村

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いへやそん
伊平屋村
Flag of Iheya Okinawa.JPG
伊平屋村旗
日本の旗 日本
地方 九州地方沖縄地方
都道府県 沖縄県
島尻郡
団体コード 47359-6
面積 21.82 km²
総人口 1,294
推計人口、2015年5月1日)
人口密度 59.3人/km²
隣接自治体 なし
村の木 クバ
村の花 ツツジ
村の魚 ハタ
伊平屋村役場
所在地 905-0703
沖縄県島尻郡伊平屋村字我喜屋251番地
北緯27度2分21秒東経127度58分7.2秒座標: 北緯27度2分21秒 東経127度58分7.2秒
Iheya Village Office.jpg
外部リンク 伊平屋村

伊平屋村位置図

― 市 / ― 町・村

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伊平屋村(いへやそん)は沖縄県島尻郡。沖縄県の有人島としては最北端である伊平屋島を主島とし、第一尚氏王朝をひらいた尚巴志の祖父:佐銘川大主(または鮫川大主とも)の出身地であるとされる。

地理[編集]

  • 沖縄本島辺戸岬の北西約40km、与論島のほぼ真西に位置し、伊平屋島と野甫島の2島からなる。2つの島は、新野甫大橋によってつながっている。
  • 伊平屋島は北東~南西に細長く伸びた形をしており、面積20.59km²、最高地点は賀陽山(294m)で西岸は山がち。野甫島はその南方にある。
  • 伊是名村とは最短地点同士で5kmほどの距離であるが、定期便等は運行されていない。
  • ハブが多いことでも知られる。
  • 伊平屋島の名を持つ生物に以下のようなものがある。
    • イヘヤヒゲクサ・イヘヤヤマタカマイマイ・イヘヤトカゲモドキ

人口[編集]

Demography47359.svg
伊平屋村と全国の年齢別人口分布(2005年) 伊平屋村の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 伊平屋村
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
伊平屋村(に相当する地域)の人口の推移
1970年 2,254人
1975年 1,638人
1980年 1,501人
1985年 1,391人
1990年 1,456人
1995年 1,434人
2000年 1,530人
2005年 1,547人
2010年 1,388人
総務省統計局 国勢調査より

地域[編集]

伊平屋島
Iheya island.JPG
伊平屋島。左は野甫島。
座標 北緯27度2分23秒
東経127度58分7秒
面積 20.59 km²
海岸線長 34 km
最高標高 294 m
所在海域 東シナ海
所属国・地域 日本の旗 日本沖縄県
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伊平屋島[編集]

  • 田名(だな)
  • 前泊(まえどまり)
  • 我喜屋(がきや)
  • 島尻(しまじり)

野甫島[編集]

  • 野甫(のほ)

歴史[編集]

  • 1909年(明治42年)4月1日の島嶼町村制施行により、田名村・我喜屋村・島尻村・野甫村・伊是名村・仲田村・諸見村・勢理客村が合併し島尻郡伊平屋村が成立。ただし、村政の中心である村役場は伊是名島に置かれた。[1][2]
  • 1939年(昭和14年)7月1日の分村許可司令により、伊平屋村の一部(伊是名・仲田・諸見・勢理客)が分立し伊是名村が成立。単独村政開始。

最も古い遺跡は縄文時代前期にあたる久里原貝塚で、発掘調査からヒトが継続的に生活していたことがうかがえる。

琉球王国期には、伊是名島、伊平屋島は琉球王統発祥の地として王府直轄領とされ、そのため行政区としては王府の聖域が多く存在する本島南部の島尻郡に属すことになった。これが現在も続いている。このため、南西諸島の北緯27度以北の有人島では唯一、奄美群島の本土復帰時に返還されなかった(硫黄鳥島無人島)。

2005年7月に伊是名村との新設合併による新「伊平屋村」発足を目指したが、伊是名村で合併の是非を問う住民投票の結果、反対多数となり合併を断念した。

変遷表[編集]

行政[編集]

経済[編集]

日本郵政グループ[編集]

村内の郵便番号は「905-07xx」である。集配業務は今帰仁郵便局が行っている。

  • 日本郵便 伊平屋郵便局(我喜屋) - 2013年10月現在、郵便窓口は土曜日(休日の場合を除く)も8:00~11:30に開設。なお、局内設置のゆうちょ銀行ATMはホリデーサービスは行われていない。

名所・旧跡[編集]

屋蔵墓。第一尚氏王朝の祖先である屋蔵大主を祀る
伊平屋島南部・島尻地区の浜辺
  • クマヤー洞窟(田名)
    • 江戸時代の考証的国学者藤井貞幹(藤貞幹)が『衝口発』(1781年)の中で日本神話天の岩戸をクマヤー洞窟、神武天皇の出生地が伊平屋島との説を唱え、本居宣長と論争となった。現在では藤井説は偽書に基づく虚構とするのが通説。ただし、「クマヤー」には琉球方言で「隠れる」という意味があり、昭和期になっても本土からこの説に関心を持つ民俗学者や神道関係者が訪れている。洞窟自体は県の天然記念物に指定され、毎年12月に岩戸開きの祭りが行われる。広さは約2000m²で2室に分かれ正面に小さな社殿が鎮座しているが、この社は本土から訪れた神道関係者が作ったとされる日本神道式のもので、現地住民の手によるものではない(琉球神道では社を尊崇しない)。
  • 屋蔵墓(我喜屋)
  • 念頭平松(田名)
  • 田名のクバ山(田名)

交通[編集]

伊平屋村ポートターミナル
伊平屋島前泊港に到着したフェリーいへや

船舶[編集]

  • 伊平屋村営

港湾[編集]

  • 前泊港
  • 野甫港

道路[編集]

医療[編集]

脚注・出典[編集]

  1. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 47 沖縄県』、角川書店、1986年 ISBN 4040014707より
  2. ^ 日本加除出版株式会社編集部『全国市町村名変遷総覧』、日本加除出版、2006年、ISBN 4817813180より
  3. ^ 離島MESHランデブーポイント NPO法人MESHサポート2011年9月27日現在

外部リンク[編集]