甲子園ボウル

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毎日甲子園ボウル
Hanshin Koshien Stadium2.JPG
開始年 1947(昭和22年)
主催 日本アメリカンフットボール協会
毎日新聞社
参加チーム数 2
加盟国 日本の旗 日本
前回優勝 関西学院大学ファイターズ(28回目)
最多優勝 関西学院大学ファイターズ(28回(4回の両校優勝を含む))
サイト 甲子園ボウル
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甲子園ボウル(こうしえんボウル)は、全日本大学アメリカンフットボール選手権大会の決勝戦のことである。毎年12月の第3日曜日に、兵庫県西宮市にある阪神甲子園球場で行われ、主催は日本アメリカンフットボール協会毎日新聞社、特別協賛は2016年度(平成28年度)から三菱電機が務めている。現在の正式名称は「三菱電機杯毎日甲子園ボウル」である。

2008年度(平成20年度)までは「東西大学王座決定戦」として、関東学生リーグ関西学生リーグの王者同士が対戦する形で大学王座を争った。2009年のシーズンから、全国8連盟による全日本大学選手権の開始と共に、その決勝戦としての舞台に移行した。

概要[編集]

戦後、各大学の活動が再開され回復・発展の動きを見せていたアメリカンフットボールのイベントを検討していた毎日新聞社に、戦前から行われ中断していた同志社大学慶應義塾大学の春の定期戦を復活させる話が持ち込まれたのが開催の発端である。両校はともに前年のリーグ優勝校でもあったために東西大学王座決定戦として位置づけられることとなり、当時の運動部記者であった葉室鐵夫らが阪神電鉄に働きかけ進駐軍への接収が解かれた甲子園球場を使用することに決まった。こうして第1回甲子園バウル(第5回大会までは米語の発音に倣ってこのように表記・発音されていた)は1947年昭和22年4月13日に慶應義塾大と同志社大の間で行われ、翌年の第2回大会からも東西リーグの優勝校が出場し勝者を大学王者とする運営形態が徐々に整えられていった。

2008年シーズンまでは関西学生連盟関東学生連盟の代表チームを招待して、関西学生リーグの優勝チーム(或いは代表チーム)と対決し東西大学の王座を決定するという名目の対抗戦試合であった。これは、2008年シーズン以前において日本国内における大学アメリカンフットボール競技では全国規模で統一された選手権大会が存在しなかったため、更には技量の面で関東・関西の学生連盟所属校が全国の中でも群を抜いており、かつ本大会が日本国内でも有数の伝統あるボウルゲームでもある事から事実上の学生日本一の決定戦として機能していた(関連で後述のライスボウルへの出場方法をめぐっても参照)。

2005年の大会で通算60回を数え、ハーフタイムショーではこれを記念して芝川龍平関西学院大)、東海辰弥京都大)、梶山龍誠日本大)、河口正史立命館大)の往年の名選手4名を招いてセレモニーが行われた。

対戦校の決定方法[編集]

  • 2008年シーズン(平成20年)まで
    • 関西学生リーグの優勝校が出場する。関西学生リーグでは1部所属の8校による1回総当りのリーグ戦(シングル・ラウンド・ロビン方式)で優勝チームを決める。勝敗数のみでの順位決定のため、同率1位の場合はすべて優勝校とし、甲子園ボウル出場校の決定戦(1試合のプレーオフ)を別個に実施しその勝者が出場する。リーグ優勝校が3チーム以上となった場合はトーナメント形式で決定戦を行う(1996年(平成8年)に京都大学関西学院大学立命館大学が同率1位となった際は抽選で1校をシード扱いとし、残り2校の対戦(1回戦)の勝者と対戦する方式だった)。
    • 関東学生リーグの優勝校を招待する(関東学生リーグの優勝校の決定方法は本大会の実施要項で規定されておらず、関東学生連盟に一任されたものである)。関東学生リーグでは1部所属16校を8校ずつの2ブロック(A・Bブロック)に毎年編成替えを行い、ブロック毎に1回総当りのリーグ戦を行う。各ブロックの1位校が関東大学選手権(クラッシュボウル)で対戦し、その勝者が関東学生リーグの優勝校として出場する。
  • 2009年シーズン(平成21年)・2010年シーズン(平成22年)
    • 全日本大学選手権とし、甲子園ボウルをその決勝戦と位置づける。選手権は全国8連盟のリーグ代表校によるトーナメント戦で東日本代表校と西日本代表校をそれぞれ決定する。東日本代表校は関東学生リーグのA・Bブロックの優勝校がそれぞれ北海道・東北の代表校と戦い、その勝者同士の対戦で決定する(3試合ともにクラッシュボウル)。西日本代表校はまず東海と北陸、中四国と九州の代表(平和台ボウル)が対戦し、さらに勝者同士の対戦での勝者が関西学生リーグの代表校との代表決定戦に進む。
    ※但し、関西学生リーグの優勝大学が3校あった場合はその3校と東海・北陸・中四国・九州のトーナメントを勝ち上がった大学を交えてのトーナメントで甲子園出場をかけることになった(2010年が該当。この時は関西大学、関西学院大学、立命館大学の3チームが関西リーグ優勝。これに南山大学を加えた4チームが甲子園出場を目指すという方式となった)。

一連の構想が発表された2009年2月の時点で、甲子園ボウルを主管する関西学生連盟は、この形態で2年間運営し、2011年シーズンには制度を見直すことを表明した。

  • 2011年シーズン(平成23年)から
    • 関東学生リーグA・B各ブロックの優勝校による関東大学選手権(クラッシュボウルから「あずまボウル」に名称変更)を行い関東代表を決め、北海道・東北の代表校が東日本代表校準決勝戦(パインボウル)を行い、パインボウルの勝者と関東代表により東日本代表校決定戦を行うように変更となった。西日本地区に変更はない。
  • 2014年シーズン(平成26年)から
    • 東日本は関東学生リーグが新しい1・2部制(「TOP8」(実質1部)と「BIG8」(実質2部)の8チームずつでクラスごとのリーグ戦を行なう)に変更されたことに伴い、関東選手権は2013年をもって廃止され、甲子園ボウル(全日本大学選手権)の東日本代表決定戦へはTOP8リーグの優勝チームが進出する。西日本地区に変更はない。
  • 2016年シーズン(平成28年)から
    • 西日本代表を決めるためのトーナメントの方式と出場条件が変更となった。関西学生連盟からは、優勝校に加え2位校も出場決定戦に出場できる。すなわち、九州・中四国・東海・北陸の4地区が、前年の選手権の順位を元にしたパラマストーナメント方式により対戦し、その勝者が関西2位校と対戦し、その勝者が関西優勝校と西日本代表校決定戦(WESTERN JAPAN BOWL)で対戦し、その勝者が西日本代表校となる。東日本地区に変更はない。

試合方式[編集]

通常の4クォーター制(1クォーター15分)で試合を行い、得点の多いチームの勝ち抜け。同点の場合は以前はコイントスによって次のステップへの出場チームを決定していたが現在は第4クォーター終了後にゴール前25ヤードの地点から1回ごとに交互に攻守を繰り返し、どちらかの得点が上回るまでプレーを行うタイブレーク方式による延長戦で進出チームを決める。ただしこの方式になって以降、まだ延長戦が行われた事例はない。なお決勝戦(甲子園ボウル)では延長タイブレークはするが、大会の記録上は両校優勝となる。甲子園ボウルの勝者はライスボウルの出場権を得て、社会人王者と対戦する。

フィールドの設定[編集]

第65回(2010年)以降の試合は、ホームベースからバックスクリーンにかけて縦方向にフィールドを設置し、普段は土である内野にも芝生を敷設して行っている。2010年・2011年は完全な縦方向(センターラインに並行)であった[1]が、第67回(2012年)からは完全な縦方向ではなく、3塁ベンチ前からライトスタンドに向かってやや傾けた方向にフィールドが設定される[2]

これ以前にフィールドの設置をこの方向にしたのは過去に第44回(1989年)の一度きりで、その時以外はすべて外野のライト-レフト間を横方向に使ってフィールドを設けていた。その際には土となっているレフト線・ライト線・2塁ベース後方に仮設の天然芝を敷設していた(2009年よりレフト線・ライト線の土部分はなくなった)。ラッキーゾーンがあった時代は、ラッキーゾーンを囲う網フェンスを撤去した上でフィールドを設置していた。また、マウンド付近には、関東代表チーム用応援席とテレビ実況ブース(毎日放送NHK)や関東代表チームのスポッター席用のプレハブの仮設スタンドが、バックスクリーンには関西代表チームのスポッター席と中継用カメラが設置されていた。第60回大会(2005年)(平成17年)の中継では、関学大OBの濱田篤則がバックスクリーン側スポッター席からの視点で解説を行った。

2007年(平成19年)10月から2009年(平成21年)3月までのプロ野球のシーズンオフ期間中に阪神甲子園球場の改修工事が行われたため、2007年の第62回大会、および翌2008年の第63回大会は、代替の長居陸上競技場に会場を移して開催された。大会名称については「毎日甲子園ボウルin NAGAI」とされた。

ミルズ杯[編集]

甲子園ボウルの終了後、学生アメリカンフットボールの年間最優秀選手に与えられるのがミルズ杯(通称「チャック・ミルズ杯」)である。

NFLカンザスシティ・チーフスのアシスタントコーチ時代に第1回スーパーボウルに出場し、1971年(昭和46年)以降、ヘッドコーチとしてユタ州立大学他を率いて再三来日し試合やクリニック等を通じて日本のアメリカンフットボールの発展に大きく寄与したチャック・ミルズ(Chuck Mills)の功績を讃えるべくその名が冠せられ、1974年(昭和49年)から贈られている。毎年のトロフィーはミルズ自らが私費を投じて作られている。またミルズは可能な限り甲子園ボウルの際に来日し、トロフィーを受賞者に直接手渡すようにしている(最近の来日・カップ授与は2009年(平成21年)。選出は1997年(平成19年)までは甲子園ボウルの試合終了直前に新聞記者の投票によって行われ、敗戦チームから受賞者が選出されることも過去2回あった。現在では、甲子園ボウル勝利校の所属リーグの最優秀選手に贈られる方式に変更された。

中学招待タッチフットボール試合[編集]

前座の試合として、中学生によるタッチフットボールの試合が行われる。長らく滋賀県長浜市の中学校の代表校を招待して関西学院中学部と試合する対戦形式で行われてきたが、現在では後者の出場枠も関西の各府県の中学校やチェスナットリーグのチームも含めた形でトーナメント形式の予選を行って出場チームが決定される。

歴代成績[編集]

開催日 天候 関東/東日本 スコア 関西/西日本 備考
1 1947年4月13日   慶應義塾大 45-0 同志社大
2 1948年1月1日   明治大 0-6 関西大
3 1949年1月9日   慶應義塾大 14-7 関西大
4 1949年12月18日   慶應義塾大 7-25 関学大
5 1950年12月10日   慶應義塾大 6-20 関学大
6 1951年12月9日   立教大 19-14 関学大
7 1952年12月7日   立教大 20-0 関学大
8 1953年12月6日   立教大 7-19 関学大
9 1954年12月5日   立教大 7-15 関学大
10 1955年11月23日   日本大 26-26 関学大 史上初めての両校優勝
11 1956年11月23日   日本大 0-33 関学大
12 1957年11月24日   日本大 14-6 関学大
13 1958年12月7日   日本大 13-12 関学大
14 1959年12月6日   日本大 42-0 関学大
15 1960年12月4日   立教大 36-16 関学大 甲子園球場の改修工事のため阪急西宮球場で「毎日ボウル」として開催
16 1961年12月10日   日本大 14-6 関学大
17 1962年12月2日   日本大 28-24 関学大
18 1963年12月8日   日本大 30-18 関学大
19 1965年1月15日   日本大 48-14 関学大
20 1965年12月5日   立教大 22-22 関学大 史上2回目の両校優勝
21 1966年12月4日   日本大 40-12 関学大
22 1967年12月10日   日本大 12-31 関学大
23 1968年12月15日   明治大 36-38 関学大
24 1969年12月14日   日本大 30-14 関学大
25 1970年12月13日   日本大 6-34 関学大
26 1971年12月12日   日本大 28-22 関学大
27 1972年12月10日   法政大 34-20 関学大
28 1973年12月9日   日本大 7-24 関学大
29 1974年12月8日   日本大 20-28 関学大
30 1975年12月14日   明治大 7-56 関学大
31 1976年12月12日   明治大 22-29 関学大
32 1977年12月11日   日本大 20-51 関学大
33 1978年12月10日   日本大 63-7 関学大
34 1979年12月9日   日本大 48-0 関学大
35 1980年12月13日   日本大 42-7 関学大
36 1981年12月13日   日本大 42-31 関学大
37 1982年12月12日 日本大 65-28 京都大
38 1983年12月11日 日本大 14-30 京都大
39 1984年12月9日 日本大 42-42 関学大 史上3回目の両校優勝(ライスボウルへは日本大が出場)
40 1985年12月8日 明治大 46-48 関学大
41 1986年12月14日 日本大 28-49 京都大
42 1987年12月13日 日本大 17-41 京都大
43 1988年12月11日 日本大 35-28 関学大
44 1989年12月17日 日本大 45-14 関学大
45 1990年12月16日 日本大 34-7 京都大
46 1991年12月15日 専修大 20-25 関学大
47 1992年12月13日 法政大 7-17 京都大
48 1993年12月19日 日体大 10-35 関学大
49 1994年12月18日 法政大 22-24 立命館大
50 1995年12月17日 法政大 17-24 京都大
51 1996年12月15日 法政大 21-28 京都大
52 1997年12月20日 法政大 21-21 関学大 史上4回目の両校優勝(ライスボウルへは法政大が出場)
53 1998年12月19日 法政大 17-25 立命館大
54 1999年12月19日 法政大 13-52 関学大
55 2000年12月17日 法政大 28-21 関学大
56 2001年12月16日 法政大 6-24 関学大
57 2002年12月15日 早稲田大 14-51 立命館大
58 2003年12月21日 法政大 6-61 立命館大
59 2004年12月19日 法政大 17-38 立命館大
60 2005年12月18日 法政大 17-14 立命館大
61 2006年12月17日 法政大 45-43 関学大 史上初めて雷に伴う約30分間の中断(第3クォーター)を挟む
62 2007年12月16日 日本大 38-41 関学大 甲子園球場の改修工事のため長居陸上競技場で「毎日甲子園ボウル in Nagai」として開催
63 2008年12月21日 法政大 8-19 立命館大 同上
64 2009年12月13日 法政大 38-50 関西大 「全日本大学アメリカンフットボール選手権大会」の決勝戦へ移行。
3年振り、甲子園開催に戻る
65 2010年12月19日 早稲田大 21-48 立命館大
66 2011年12月18日 日本大 3-24 関学大
67 2012年12月16日 法政大 17-20 関学大
68 2013年12月15日 日本大 9-23 関学大
69 2014年12月14日 日本大 10-55 関学大
70 2015年12月13日 早稲田大 27-28 立命館大
71 2016年12月18日 早稲田大 14-31 関学大
通算成績:関東/東日本代表校27勝、関西/西日本代表校40勝、4引き分け

出場校別の戦績[編集]

出場回数順、戦績の同じものは出場の古い順 (2016年12月18日現在)

校名 出場 勝数 負数 引分
関西学院大 50 24 22 4
日本大 33 18 13 2
法政大 17 4 12 1
立命館大 9 8 1  
京都大 8 6 2  
立教大 6 3 2 1
明治大 5 0 5  
慶應義塾大 4 2 2  
早稲田大 4 0 4  
関西大 3 2 1  
同志社大 1 0 1  
専修大 1 0 1  
日本体育大 1 0 1  

周辺情報[編集]

テレビ放送[編集]

甲子園ボウルが初めてテレビ中継されたのは1956年の第11回大会であった。放送局はNHKで翌1957年まで2年間担当した。1958年はテレビ中継が無かったが、1959年MBSが中継した。その後、暫く中継はなく、1966年の第21回大会で7年振りに中継が復活した(担当はMBS。当時は腸捻転時代だが、NETテレビ系列局で放送されたかは不明)。1967年から1984年まではNHKがテレビ放送を担当。1967年からカラー放送となった(サンテレビが同時中継していた年もある)。1985年から再び毎日放送がテレビ放送を担当し、1999年まではTBS系列にて試合当日の14時ないし15時からの2時間にわたり全国ネットで放送されていた。試合の前半は録画で後半を生中継する形態が多かったが、2000年からは深夜枠に移動し、時間も従来よりは短縮した録画中継の形で放送されていた(放送時間は24:30~26:24)。同局系のCS放送局GAORAでは後日に完全録画中継の形で放送されていた。2005年の中継では初めてステディカムが導入されコイントスと直後のウォー・クライ等、選手の視点に近い位置からの映像に威力を発揮した。2008年の中継では、GAORAとBS-iにて試合終了まで完全生中継されたが、地上波では当日深夜のダイジェスト放送は前年と同じものの、放映はMBSとTBSのみになり、実質的に衛星波へシフトする形となる。

2009年より、毎日放送に代わってNHKがテレビ放送することになり、スポンサーなどの意向より、NHK BS-1にて生中継放送が行われている。

2012年から並行してCSでの放送が復活し、スカイ・エー朝日放送の関連局。朝日新聞社テレビ朝日も出資)が録画中継することになった。

歴代の実況アナウンサー[編集]

特別協賛[編集]

実質上の冠スポンサーである「特別協賛」については、主催者である毎日新聞社が務めたほか、日清食品19851987年まで)、三和銀行をはじめとする三和総合金融グループ19881992年まで)、ハウス食品20002007年まで)[3]パナソニック(旧・松下電器)(20082015年まで)[4]が担当し、2016年度から三菱電機が務めており、勝利チームには三菱電機杯が贈呈されている。ハウス食品は、2008年度より協賛スポンサーの一つとして参加している。なお、1985年~1987年は日清食品、1988年~1991年は三和総合金融グループの1社提供だった。1992年に関しては三和総合金融グループを筆頭とし、ハウス食品やSUNSTARなどの複数社となった。

ライスボウルへの出場方法をめぐって[編集]

前述の通り2008年シーズンまでの甲子園ボウルは関西・関東の両学生連盟所属校による対抗戦でありながら、学生選手権とほぼ等しいとされており、勝者は学生チャンピオンと認知されていた。そのため、ライスボウルが社会人チャンピオンと対戦する全日本選手権となった1983年以降、自動的に出場することとなっていた。
その後選手権試合のオープン化が推進され2006年度より、東日本学生王者決定戦(シトロンボウル)の勝者・西日本学生王者決定戦(ウエスタンボウル)の勝者と併せて3チームから学生代表決定委員会が選定する形となり、一応は両連盟を除く各地域にも門戸を開いた形となった。

ただし、関西、関東両連盟の所属校と他の地域の連盟所属校の間には実力差がある。これはシトロンボウル・ウエスタンボウルへの関東・関西連盟からの各出場校はリーグ戦でも中位以下のチームが担っている事からも明らかである(2006年現在、ウエスタンボウルは8大学のリーグ戦中6位の大学が出場)。そのため、ボウルゲームとしての重みに違いがある。加えて学生代表決定委員会のメンバー、ならび大学の選定基準が不明である。結局、2006年度は甲子園ボウル優勝校である法政大学がライスボウルに出場した。

このような状況から、トーナメント方式の全日本選手権など学生日本一の決定プロセスに新たな枠組みを期待する声がかねてよりあり、これを踏まえ、前述のとおり、2009年シーズンから8連盟による全日本大学選手権に変更することが発表された。しかし、各リーグ戦運営日程への影響、出場各大学の移動費用その他の新たな運営負担、上記の実力の格差、所属連盟/リーグ編成の見直しの可能性[5]など、解決すべき問題はなお多く残されている。

補足[編集]

第1回大会はボクシングの試合の前座イベントとして行われている。これは主催の毎日新聞社が、すり鉢状のスタンドを持つ甲子園球場での開催にこだわったからである[6]。当日は、試合が長引いたため終了を待たずにボクシングの試合が行われている。

脚注[編集]

  1. ^ 甲子園球場周辺マップ”. パナソニック杯第66回毎日甲子園ボウルオフィシャルサイト. 2014年12月14日閲覧。
  2. ^ 甲子園球場周辺マップ”. パナソニック杯第69回毎日甲子園ボウルオフィシャルサイト. 2014年12月14日閲覧。
  3. ^ 深夜TBS系列全国ネットの筆頭スポンサーである
  4. ^ 2008年度・2009年度・2010年度はグループ会社のパナソニック電工
  5. ^ 2009年現在、過去の経緯から、甲信越の大学が関東学生連盟に参加したり(山梨大学や新潟大学の例)や、中四国の大学が関西学生連盟に参加する(徳島大学、岡山大学、鳥取大学、吉備国際大学などの例)などの事情の為に、各連盟間でのチーム数/リーグ戦の試合数の不均衡などの問題も生じている(関東/関西以外の地方連盟では1部所属チームであっても部員数不足に起因するリーグ戦不参加や試合中の負傷者発生などによる途中棄権なども珍しい例ではない)。今後、所属各校の意向も踏まえ、全日本大学選手権への参加を前提としたリーグ・連盟再編の必要性の議論も予想される。
  6. ^ Touchdown No.479 June,2009 (71p)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]