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山本光春

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
やまもと みつはる
山本 光春
生誕 (1905-04-26) 1905年4月26日
日本の旗 日本岡山県岡山市
死没 (1988-02-24) 1988年2月24日(82歳没)
東京都千代田区
死因 急性心不全
出身校 明治大学専門部経済学科
職業 実業家ジャーナリスト
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山本 光春(やまもと みつはる、1905年(明治38年)4月26日 - 1988年(昭和63年)2月24日[1])は日本の実業家ジャーナリスト毎日新聞社社長を務めた。岡山県岡山市出身[2]

略歴

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エピソード

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竹槍事件では整理部副部長。新名丈夫の記事に「勝利か滅亡か 戦局はここまで来た」「竹槍では間に合わぬ 飛行機だ、海洋航空機だ」と見出しをつける。処分こそされなかったが、軍部の反発を招いたとして丸坊主になった。

脚注

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  1. ^ 『現代物故者事典 1988~1990』(日外アソシエーツ、1993年)p.677
  2. ^ a b c d e f g h i j 『毎日新聞』夕刊 1988年2月24日 1頁

参考文献

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  • 山本光春追想録刊行会 編『山本光春追想録』山本光春追想録刊行会、1989年12月。

関連項目

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