松濤

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松濤
—  町丁  —
東京都知事公館
松濤の位置(東京23区内)
松濤
松濤
松濤の位置
座標: 北緯35度39分38.86秒 東経139度41分28.97秒 / 北緯35.6607944度 東経139.6913806度 / 35.6607944; 139.6913806
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Tokyo Prefecture.svg 東京都
特別区 Flag of Shibuya, Tokyo.svg 渋谷区
地域 渋谷地域
人口 (2017年(平成29年)12月1日現在)[1]
 - 計 3,214人
等時帯 日本標準時 (UTC+9)
郵便番号 150-0046[2]
市外局番 03[3]
ナンバープレート 品川

松濤(しょうとう)は、東京都渋谷区町名。現行行政地名は松濤一丁目及び松濤二丁目。郵便番号は150-0046[2]

地理[編集]

渋谷区の南西部に位置し、町域内の多くは住宅地として利用される。東京都心を代表する高級住宅地のひとつとしても知られるが、「松濤」はかつてこの地に茶園 『松濤園』があったことに因み、茶園の名が町名となった珍しい例である[4]。町域には住宅のほか、Bunkamura戸栗美術館渋谷区立松濤美術館、観世能楽堂といった文化・芸術関係の施設も多く見られる。

北部は神山町に接する。東部は、宇田川町に接する。南東部は、道玄坂に接する。南部は、円山町神泉町にそれぞれ接する。西部は、山手通りに接し、これを境に目黒区駒場に接する。

地価[編集]

住宅地の地価は、2017年平成29年)1月1日公示地価によれば、松涛1-13-7の地点で155万円/m2となっている[5]

歴史[編集]

この一帯はもともとの地名を大山といい、江戸時代には紀州徳川家下屋敷があった[4]1876年明治9年)、旧佐賀藩主鍋島家がこれを譲渡され、狭山茶を移植して茶園を開き、「松濤園」と命名した[4]。茶の銘柄も『松濤』とされ、一時は東京市中に知られたものの、1890年(明治23年)に東海道線が開通すると静岡産などが流入、松濤園の茶業は振るわなくなった[4]

このため茶園は廃止され、1904年(明治37年)には果樹園となって畑果樹園種蓄牧場 「鍋島農場」と呼ばれた[4]。農場地は大正時代関東大震災を契機として移住者向けに分譲されて高級住宅地となった。1924年大正13年)、鍋島家は涌水池のあった一角を児童遊園として公開、さらに1932年昭和7年)10月にはこれを東京市に寄付し、1934年(昭和9年)4月からは渋谷区によって管理されることになった[4]

この間、「松濤」は1928年(昭和3年)に住所町名として採用された[4]。湧水地のある広大な鍋島侯爵邸は戦後の華族制度廃止により公園として整備され現在では鍋島松濤公園となった。

世帯数と人口[編集]

2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
松濤一丁目 691世帯 1,453人
松濤二丁目 962世帯 1,761人
1,653世帯 3,214人

小・中学校の学区[編集]

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]

丁目 番地 小学校 中学校
松濤一丁目 全域 渋谷区立神南小学校 渋谷区立松濤中学校
松濤二丁目 全域

交通[編集]

鉄道[編集]

町域内に鉄道駅はないが、渋谷駅京王井の頭線神泉駅が利用可能な範囲にある。

バス[編集]

  • 東急バス「東大裏」停留所
  • 東急バス「東大前」停留所

施設[編集]

ゆかりある人物[編集]

居住者[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b 住民基本台帳・外国人登録による人口”. 渋谷区 (2017年12月1日). 2017年12月22日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2017年12月22日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月22日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g 東京ふる里文庫11 東京にふる里をつくる会編 『渋谷区の歴史』 名著出版 昭和53年9月30日発行 p268
  5. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  6. ^ 通学区域”. 渋谷区. 2017年12月22日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]