大島健伸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

大島 健伸(おおしま けんしん、1948年2月26日[1] - )は大阪府豊中市出身(疑義があるが、詳細は後述)[2]の実業家。SFCG創業者・取締役会長。MAGねっと取締役会長。父は「ダンスホール新世紀」を経営していた大島正義[3][4]。このホールは映画『Shall we ダンス?』の舞台になったことでも有名で、現在もファミリー企業のIOMA REAL ESTATE(妻の弟が代表)が経営している。長男はMAGねっとホールディングス前社長の大島嘉仁

来歴・人物[編集]

大阪市生野区在日朝鮮人として生まれ[5]2歳の時に一家はアメヤ横丁に引っ越した[2]。1965年に自身を含めた一族23人で日本へ帰化した[5]。少年時代はひ弱だった反面、読書をたしなみ数多くの書物に触れたという[6]明治大学付属中野高等学校を経て、慶應義塾大学商学部を首席で卒業した[2][7]

1970年4月に三井物産に入社。電気機械部に配属された後、インドネシアへの海外研修生に選ばれ、インドネシア大学に語学留学を命じられた[7]。卒業後はそのままジャカルタ支店に勤務し、化学品部門を担当。プロジェクト推進のためにシンガポール人の銀行家から融資を受け、その際に「借りていただいてありがとう」との言葉とともに丁重な接待を受けた。これを転機に、自らもいずれは彼のような金融業を営もうと決意[7]。会社の金で家を借りて又貸しし多額の利益をあげたという[3][4]。1976年新春早々、大阪市淀川区出身で3歳下の在日コリアンの女性と結婚した[8]

1977年に三井物産を退社し、商工ローン日栄で経験を積む。同社退社後、銀行の貸し渋りで資金調達に困る中小企業を相手に、商業手形を割り引いて資金を融通する商工ファンド(現SFCG)を1978年12月に設立し、1979年2月より従業員5人で営業を開始した[9]

1989年8月30日に店頭市場に上場。この際に、商工ファンドを頂点とするコングロマリットを築き上げるべく、「102社構想」を長期的な目標として打ち出した[10]。1999年には東京証券取引所1部上場を果たし[2]、102社構想を実現するためにマルマンやCSK・エレクトロニクス(現MAGねっとホールディングス)を始めとする企業買収を進めた[11]

渋谷区松濤の豪邸に住み、1998年にはフォーブスの世界長者番付174位にも入った[2]。しかし強引な取立てや過剰融資が問題視され、1999年12月には参議院証人喚問された[2]。社員には厳しいノルマを課し、朝会でなじられたことを苦に自殺した社員もいたという[12]。移動にはドイツ高級車マイバッハ(タイプ62・右ハンドル)を使用していた。

商工ファンドは融資契約を結ぶ際に公正証書作成への白紙委任状を取る手法を用い、これを利用して給与や不動産の差押を行った[13]。2002年、東京地方裁判所で行われた手形訴訟1,881件のうち約8割が商工ファンド関連で、裁判所から自粛要請を受けた[14]。商工ファンドの悪化した企業イメージを払拭させるべく、11月に同社の商号をSFCGに変更させた。

2005年11月に公正証書作成に白紙委任状をとる手法は重大な貸金業違反であるとみなされ、業務停止命令を受けた。2007年12月には改正貸金業法で両者をセットにした回収は禁止された[13]

リーマン・ブラザーズからの借入金が2007年10月に734億円あり、同社の破綻(リーマン・ショック)前に借入金を53億円まで減らしたものの金融機関からの貸し剥がし、貸し渋りで運転資金の調達ができなくなりSFCGを破綻させた[13][4]。2008年8月には自身へのそれまでの月額報酬2,000万円を9,700万円に増額したことが明らかとなっている[15]

2009年2月にSFCGの社長を退任、その後民事再生法適用を申請した[2]。SFCGの破産管財人は約2670億円の資産が親族会社へ流出したと指摘[2]。2009年6月、東京地方裁判所 は破産管財人の請求通り損害賠償総額を約717億円とする決定を下した[15]

2009年6月16日、民事再生法違反(詐欺再生)や会社法違反(特別背任)などの疑いで逮捕される。民事再生法適用2ヶ月前の2008年12月にSFCGが保有する約418億円の不動産担保ローン債権を、大島が支配する会社に実質的に無償で譲渡し、会社に損害を与えた等として懲役8年を求刑されるが、2014年4月30日に東京地裁は「債権譲渡が実質的に無償だったとはいえない」として民事再生法違反と会社法違反について無罪とし、実際の譲渡日と異なる日付の登記申請をした電磁的公正証書原本不実記録・同供用罪について懲役1年6月執行猶予3年の有罪とした。2016年3月28日、東京高裁は電磁的公正証書原本不実記録・同供用罪について「有罪の根拠とした元部下らの証言は不合理」として、全面無罪を言い渡した。

現在はラオスの首都ビエンチャンにおいて債権者からの隠し金を元手にLALCO(ラルコ)という高利金融事業を行っている。

略歴[編集]

  • 1970年 4月 三井物産に入社、1977年に退社 
  • 1978年12月 商工ファンド(現 SFCG)を設立、代表取締役社長
  • 1981年 6月 ケン・エンタープライズ取締役
  • 1999年12月 参議院財政金融委員会証人喚問される。
  • 2005年 9月 T・ZONEホールディングス(現:MAGねっと)取締役会長
  • 2006年 7月 KEホールディングス代表取締役
  • 2007年10月 マルマン取締役会長
  • 2008年 6月 カーチス代表取締役会長
  • 2009年 2月 SFCGが経営破綻

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 実際の出生は1948年4月4日で、「少しでも早く学校に行かせるために」との両親の判断により戸籍上の誕生日を早めた(『株式会社SFCG Annual Report 2007』14頁)
  2. ^ a b c d e f g h 毎日jp. “転落・大島帝国:SFGC資産隠し事件/上 元社長、夢見た大富豪”. 毎日jp. 毎日新聞. 2010年6月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年12月15日閲覧。
  3. ^ a b 独立系ノンバンクにショック、SFCGが破たん(上)”. ネットアイビーニュース (2009年2月24日). 2010年7月12日閲覧。
  4. ^ a b c 信じたのは家族だけ…SFCG“破綻”の裏事情とは?”. ZAKZAK (2009年2月26日). 2010年7月12日閲覧。
  5. ^ a b 帰化した際の記録では出生地が同地となっており、こちらが正しいとみられる→(高橋篤史『凋落 大島健伸と木村剛』2011年 7頁 東洋経済新報社 ISBN 978-4492654408
  6. ^ 『株式会社SFCG Annual Report 2007』14頁
  7. ^ a b c 『株式会社SFCG Annual Report 2007』15頁
  8. ^ 『凋落 大島健伸と木村剛』35頁
  9. ^ ゴールドマン・サックスが創業時に行った手形割引にならって、同社に負けない成功を収めたいと決心したという(『株式会社SFCG Annual Report 2007』16頁)
  10. ^ 『株式会社SFCG Annual Report 2007』29-30頁
  11. ^ 『株式会社SFCG Annual Report 2007』30-32頁
  12. ^ 毎日jp. “転落・大島帝国:SFGC資産隠し事件/中 厳しいノルマ、自殺者も”. 毎日jp. 毎日新聞. 2010年6月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年12月15日閲覧。
  13. ^ a b c 独立系ノンバンクにショック、SFCGが破たん(下)”. ネットアイビーニュース (2009年2月24日). 2010年7月12日閲覧。
  14. ^ 転落・大島帝国:SFCG資産隠し事件/下 弱みつけ込む「高金利」”. 毎日新聞 (2010年6月19日). 2010年7月12日閲覧。
  15. ^ a b 大島健伸元会長 人脈もなかなかのもの”. 日本証券新聞 (2009年6月5日). 2010年7月12日閲覧。

外部リンク[編集]