アメヤ横丁

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上野側の、アメヤ横丁入り口(2007年撮影)
御徒町駅北口から見る、アメヤ横丁入り口(2006年撮影)
年末の賑わい
上野側から御徒町方向を望む。2006年12月30日撮影。

アメヤ横丁(アメヤよこちょう)は、日本の一地名東京都台東区JR東日本御徒町駅 - 上野駅間の山手線高架橋西側と高架下の約500メートルを中心に約400店を有する商店街である[1]。正式名称はアメ横商店街連合会(アメよこ しょうてんがい れんごうかい)であるが、アメヤ横丁のほか、アメ横(アメよこ)、上野アメ横(うえのアメよこ)、アメ横商店街(アメよこ しょうてんがい)などと通称されることが多く、商店街の看板にも「アメ横」と表示されているものがある。

地名の由来[編集]

名前の由来は2説あり、ひとつは、終戦直後の砂糖の手に入りにくかった時代、「芋あめ」を売る店が並んだためという説がある。もうひとつは、アメリカ進駐軍の放出物資を売る店も多かったことからである[1][2]。現在でも、アメヤ横丁問屋街には、飴などの菓子類を売る店がある。

歴史[編集]

元々は民家長屋がひしめき合う下町特有の住宅街(御徒町を参照)であった。国鉄変電所があったことから空襲に因る被災を避けるため、強制的な建物疎開が行われた。しかし東京大空襲によって周辺一帯は焦土と化し、第二次世界大戦後バラック建ての住宅と店舗、そして屋台や露天で商売をする人々が目立ち始めるようになる、これらは公の営業許可を受けないため闇市と呼ばれた。十分なモラルがない中で、様々な人間が多種多様な物資を売買しており、それらに群がる愚連隊暴力団などが入り乱れ白昼の発砲事件なども起きその度にMP(米陸軍憲兵)と警察が対処に当たるというような状況が続いていた。1946年、手を焼いた当局が近くの実業家近藤広吉に頼み込み、80軒の商店を収容した「近藤マーケット」を作らせた。近藤マーケットは出所の怪しい者を排除して出店させたため、アメ横はようやく正常化へと向かっていった。なお、東上野に現在も残る「キムチ横丁」は、このときアメ横から移転した韓国人・朝鮮人が作ったものである。1982年昭和57年)12月21日に旧・国鉄上野変電所跡にアメ横センタービルが完成した。このころの1980年代に入ると、核家族化(年末に地方から帰京する子供の数が激減した)が進んだ事に伴い鮮魚を扱う店が減少していった。代わって若者向けのスポーツ用品店が1990年代に目立って増えた。また、アメ横センタービルの地下は中国東南アジアの食材が売られており、多くの中国人が買い物に訪れるため、店員も中国人が多く、中国語が飛び交うようになった。

平成になって目立ち始めたのが「閉店セール」である。実際には毎日閉店セールと称して通行人に、たたき売りのイメージを抱かせて販売している。その他、つまみやチョコレートなどを専門に1000円で山盛りサービスといったパフォーマンスを披露して販売している。魚屋の呼び込みでは一年中マグロや鮭の切り身を1000円で道行く人に声をかけて販売している。これらは一見の客を対象に売られているものの昭和時代と較べて品質のきわめて低いものはなくなりつつある。

現在[編集]

現在は食品(主に魚介類乾物)、衣類雑貨宝飾品などの店が業種ごとに集中している。特に年末には正月用の生鮮食品などを買い求める人たちでごった返し、普段は商店街の端から端まで歩いて十分程度のところ、この時期は数十分を要するほどの様相を呈す。この様子は報道番組ワイドショーを中心としてテレビラジオ年の瀬風物詩として中継される。年末が近づくと多くの店が正月用の食品を取り扱うようになり、洋品店など年末に特に得る上げが上がらないもしくは混雑で売り上げを落とすような店は閉店して間貸しするため、通りは大きく様変わりする。

魚介類などの生鮮食品を中心に扱う店舗が集まっている場としては他に築地市場とその周辺があるが、築地市場そのものは東京都の施設であること、築地市場は業者向けの卸売の量販を主体とすること。場外と呼ばれる小売店でも、基本的に値引き交渉をしないことが前提となっている。一方のアメ横は一般消費者向けの小売が主体で、時には店員との交渉次第で安く買えることが特徴である。

年末には毎年1日あたり50万人程の人出があり、日本各地から観光客も押し寄せる。(普段は一日10万人程度)特徴としては他の日本各地にある商店街と違って地域密着型ではない。

魚屋の店先でダミ声でマグロを売っている場合、たいてい値引き対象の品である。その他の魚に関しては表示どおりの価格で取引されたり、普通は客がいくら言い値を言っても相手にされない事がある。しかし夕方近くなると売れ残った商品のたたき売りも見られる。年末になると多くの店は正月用品が目立つようになる。用品や雑貨などを売っている店は休業し店先を貸す事もある。鮮魚などは普段の二倍近くで売りに出される事もあり、一方割引きもある。果物なども傷物に限り店頭に半値以下で並ぶ以外安くなることはない。化粧品など昭和時代定価販売でメーカーの物は取引されていたがアメ横では2割引で売られていた。

その他、化粧品やブランド品など高価な時計や雑貨がガード下で売られている。昭和時代は偽物やレプリカ品ばかりであったが、現在はその影はほとんどなく本物志向になっている。

国際化[編集]

2003年にガーナ出身のモーゼス・マイガさんが跡継ぎのいなくなった鮮魚店の店舗を借りて、ケバブ料理店を始めた[1]。当初は売り上げは伸びず、「アメ横で飲食店は無理だと言われ続けた[1]。賃料も高く、何度もやめようと思った」と言う。しかし2010年ごろになり、来日観光客が増え、風向きが変わり、経営も安定してきたという[1]。モーゼスさんはアメ横では3店舗の展開するようになった。アフリカ系やアジア系の人が経営する衣料品店やブティックも増加中で、2015年になると外国人が経営する店はアメ横全体の1割にあたる40店になる[1]。40件いずれの店もアメ横商店街連合会に所属し、会費も払っている[1]。このような外国人の経営する店の増加に対し「アメ横の雰囲気が変わってしまう」と懸念する声(40年以上続く鮮魚店の2代目店主の男性)もあるが、同連合会広報部長・千葉速人さんは「アメ横には闇市の雑多な店舗が活力になった歴史がある。変化を受け入れつつ共存し、商店街を盛り上げていけばいい」と話している[1]

あまちゃん[編集]

2013年上半期に放送されたNHK朝ドラあまちゃん」では舞台の一つとなり、アイドルユニット「アメ横女学園」の練習場として、当横丁にあるアメ横センタービルが登場した。また、同年11月上旬の連休には、関連イベントも行われた。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 朝日新聞(2015年11月25日)夕刊「アメ横 食の国際化」
  2. ^ 大辞泉(小学館)

関連項目[編集]

交通[編集]

外部リンク[編集]