晩春 (映画)
晩春 | |
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ファイル:Banshun poster.jpg | |
監督 | 小津安二郎 |
脚本 |
野田高梧 小津安二郎 |
原作 | 広津和郎 |
製作 | 山本武 |
出演者 |
笠智衆 原節子 |
音楽 | 伊藤宣二 |
撮影 | 厚田雄春 |
編集 | 浜村義康 |
配給 | 松竹 |
公開 |
1949年9月13日 ![]() |
上映時間 | 108分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
『晩春』は1949年に公開された小津安二郎監督の日本映画。小津が娘の結婚を巡るホームドラマを初めて描いた作品であり、その後の小津映画のスタイルを決定した。小津が原節子と初めてコンビを組んだ作品でもある。なお、本作の他『麦秋』(1951年)、『東京物語』(1953年)で原節子が演じたヒロインはすべて「紀子」という名前であり、この3作品をまとめて「紀子三部作」と呼ぶこともある。
解説
原作は、作家・広津和郎が熱海に滞在中に書いた小説『父と娘』である。
小津は以前にもホームドラマを数多く手掛けているが、結婚する娘と父の関係を淡々とした日常の中に描いたのは、本作が初となる。戦後2作めとなる前作『風の中の牝鶏』(1948年)では、戦後の荒廃した世相を夫婦の危機に反映させた意欲作だったにもかかわらず観客の拒絶にあい、失敗作と認めざるを得なかった小津にとって、一転して娘の結婚をめぐるホームドラマという普遍的な題材は興味を引くものだった。監督を承諾した小津は、『箱入娘』(1935年)以来14年ぶりにコンビを組む野田高梧と約一年をかけて脚本を執筆し、映画化にのぞんだ。
野田とのコンビによる約一年間の脚本共同執筆は、以後、小津の遺作となる『秋刀魚の味』(1962年)まで続くこととなるが、同時に、原節子とのコンビ、笠智衆演じる初老の父親が娘を嫁にやる悲哀など、いわゆる小津映画のスタイルも、すべて本作で初めて確立された。また、ローアングルで切り返す独特な人物ショットの反復や、空舞台と呼ばれる風景カットの挿入などの映像スタイルは、必ずしも本作で初めて採用されたものではないが、以後遺作まで反復される娘の結婚というドラマと連動することによって、その説話的主題を明確にする映像スタイルとして機能することになる。
占領下の日本において、鎌倉や京都の日本的な風景や能舞台などの日本文化をフィルムに焼きつけ、その中で描かれる余分な要素を一切排除した結婚ドラマは、公開当時、そこに日本的なものの復権を感じ取る観客層と、戦後の現実からの逃避とみなす観客層の二つに分かれ、評価は賛否両論となった。しかし、あえて普遍的な人間ドラマをありのままに描こうとする小津の姿勢は、後にテレビ時代に入って本格化するホームドラマの制作スタイルに多大な影響を与えることとなった。一方、映画で語られる人間の感情を描ききるためには映画文法を踏み外すことも辞さない小津の姿勢や、感情を映像化しようとするスタイルは、後に世界中の映画評論家やファンの議論の的となり、壺のカット論争(後述)など、今もなお最も語られることの多い小津映画とされている。
あらすじ
早くに妻を亡くし、それ以来娘の紀子に面倒をかけてきた大学教授の曾宮周吉は、紀子が婚期を逃しつつあることが気がかりでならない。周吉は、妹のマサが持ってきた茶道の師匠・三輪秋子との再婚話を受け入れると嘘をついて、紀子に結婚を決意させようとするが、男が後妻を娶ることに不潔さを感じていた紀子は、父への嫌悪と別れの予感にショックを受けてしまう。マサの持ってきた縁談を承諾した紀子は、周吉と京都旅行に出かけ再度心が揺れるが、周吉に説得されて結婚を決意する。紀子が嫁いだ晩、一人家に残る心を決めた周吉は、人知れず孤独の涙を流すのだった。
キャスト
- 曾宮周吉:笠智衆
- 紀子:原節子
- 北川アヤ:月丘夢路
- 服部昌一:宇佐美淳
- 小野寺美佐子:桂木洋子
- 田口マサ:杉村春子
- 田口勝義:青木放屁
- 三輪秋子:三宅邦子
- 小野寺譲:三島雅夫
- 小野寺きく:坪内美子
- 林しげ:高橋豊子
論争
『晩春』をめぐる論争で最も有名なものに「壺のカット論争」がある。
これは、終盤近くの京都の旅館のシーンにおいて、笠智衆と原節子が枕を並べて眠っていると、一瞬床の間に置かれた壺が写り込むカットの意味をめぐるものである。アメリカの映画監督ポール・シュレイダーは、これを父と別れなければならない娘の心情を象徴する「物のあわれ」の風情であると評している。また映画評論家のドナルド・リチーは、壺を見ているのは原節子であり、壺を見つめる原節子の視線に結婚の決意が隠されていると分析する。一方、この二人に対して異議を唱えているのが、『監督 小津安二郎』で小津映画の評価に新しい方向性を投げかけた蓮實重彦である。蓮實は、まず小津映画において、父子とはいえ性別の異なる男女が枕を並べて眠っていること自体が例外的であり、またすべてを白昼の光の中に鮮明な輪郭を持って描いてきた小津が、月光によって逆光のシルエットになっている壺を描いたことも例外であるとする。そして蓮實は、それらから父と娘の間に横たわる見えない性的なイメージを読み取ろうとしている。
娘が父に対して性的コンプレックスを抱いているのではないかという憶測を最初に投げかけたのは、映画評論家の岩崎昶である。岩崎は壺の意味については言及していないが、『キネマ旬報別冊 小津安二郎・人と芸術』(1964年)の中で、父娘の会話が旅館の寝床の上で交わされていることに注目し、この旅館のシーンを転機とし、父に対して性的コンプレックス(エレクトラコンプレックス)を抱いていた娘が、父から性的に解放される名シーンであるとしている。
一方で、これらの推測は、原節子が壺を見ているという前提があるからこそ成立するものであるが、編集されたフィルムを見る限り、原節子は壺を見ていないとする反論もあり、性的か否か、壺を見ているか否かという論争は、今もなお決着がついてない。最近では、小津生誕100年を記念して2003年に東京で開催された国際シンポジウムにおいて、ポルトガルのマノエル・デ・オリヴェイラ監督がこの論争について明確に「父子相姦」と言及して、議論を巻き起こした。なお、杉村春子はこのようなカットを撮影する際に、小津から「気持ちを残したように演技してください」と注文を受けたと語っている。
※以上、『小津安二郎全集』(新書館・刊)所収『解説 私的小津論』(井上和男・文)を参照。
ラストシーンの変更
本作は、リンゴの皮を剥いていた周吉がうなだれるシーンで終わるが、台本上では周吉が慟哭するシーンになっていた。涙を流す演技を拒否していた笠智衆が、このシーンはできないと申し出たため変更になったのである。小津の言われるままに演技をしていた笠が、唯一小津に異を唱えたのがこのシーンである。しかし、評論家からはこのシーンは酷評され、笠は「普段は評論家からの批評は気にしなかったが、この批評には憤りを感じた(『大船日記』)」という。
リメイク
2003年に小津安二郎生誕100年を記念して、『娘の結婚』というタイトルでWOWOWドラマW第7弾として放映された。監督は市川崑で、長塚京三と鈴木京香が主演した。時代を現代に置き換えるなど、大幅な改変がなされている。2006年には日本テレビDRAMA COMPLEX枠で地上波放映された。