小柴昌俊

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小柴 昌俊  
Masatoshi Koshiba 2002.jpg
小泉内閣メールマガジン』寄稿に際して
公表された肖像写真
生誕 (1926-09-19) 1926年9月19日(90歳)
日本の旗 日本 愛知県豊橋市
居住 日本の旗 日本
国籍 日本の旗 日本
研究分野 素粒子物理学
宇宙線物理学
天体物理学
出身校 東京大学
主な業績 ニュートリノ天文学の開拓
超新星からのニュートリノの検出
主な受賞歴 仁科記念賞(1987年)
フンボルト賞(1997年)
ノーベル物理学賞(2002年)
ベンジャミン・フランクリン・メダル(2003年) 
プロジェクト:人物伝
ノーベル賞受賞者ノーベル賞
受賞年:2002年
受賞部門:ノーベル物理学賞
受賞理由:天体物理学とくに宇宙ニュートリノの検出に対するパイオニア的貢献

小柴 昌俊(こしば まさとし、1926年大正15年)9月19日 - )は、日本物理学者天文学者1987年、自らが設計を指導・監督したカミオカンデによって史上初めて自然に発生したニュートリノの観測に成功したことにより、2002年ノーベル物理学賞を受賞した。日本学士院会員。

学位は、ロチェスター大学Ph.D.東京大学理学博士称号日本学術会議栄誉会員、東京大学特別栄誉教授・東京大学名誉教授明治大学名誉博士東京都名誉都民杉並区名誉区民横須賀市名誉市民、杉並区立桃井第五小学校名誉校長勲等勲一等旭日大綬章文化勲章受章。

経歴[編集]

その他役職[編集]

受賞歴[編集]

2003年2月7日総理大臣官邸にて島津製作所フェロー田中耕一(中央)とともに内閣総理大臣小泉純一郎(右)から内閣総理大臣感謝状を受領

栄誉[編集]

小柴賞[編集]

財団法人高エネルギー加速器科学研究会では、小柴の業績を記念してその「奨励賞」に2003年度から「小柴賞」を設けた。

人物[編集]

2002年10月11日総理大臣官邸にて内閣総理大臣小泉純一郎(中央)、島津製作所分析計測事業部ライフサイエンスビジネスユニットライフサイエンス研究所主任田中耕一(右)と
2003年8月27日東京大学宇宙線研究所神岡宇宙素粒子研究施設にて内閣総理大臣小泉純一郎(右端)らと

幼いころは軍人か音楽家を目指していた。12歳の時に罹患した小児麻痺により、両方とも諦めることになったが、その入院中に担任から贈られたアインシュタインの本が物理学者を目指すきっかけとされる。

旧制第一高等学校時代は落ちこぼれで成績が悪かった。旧制高校の風呂場裏で(当時の旧制高校は全寮制)「小柴は成績が悪いから(東大へ進学しても)インド哲学科くらいしか入れない」と話す教師の雑談を聞いてしまい一念発起、寮の同室の同級生(朽津耕三(現・東京大学化学科名誉教授))を家庭教師に物理の猛勉強を始め東大物理学科へ入学。小柴が「やれば、できる」と言う由縁は自らの体験から生まれたものである。

天体力学を専門とする天文学者の古在由秀は大学時代からの友人である[2]。そのためSN 1987Aからのニュートリノの検出に成功した時古在が編集委員を務めていた天文雑誌『星の手帖』編集長の阿部昭と『星の手帖』編集委員で天体写真家藤井旭が小柴と古在の対談を企画した[3]。この対談はニュートリノ検出の翌年である1988年に実現したが[2]、ニュートリノ検出の話よりも小柴と古在の学生時代の思い出話で盛り上がった[4]

自らを「変人学者」「東大物理学科をビリで卒業した落ちこぼれ」と称し、「現場主義の研究者」としての立場を貫いている。東京大学卒業時の成績証明書を公開したことがあり、16教科のうち「優」は2(物理学実験第1と第2のみ)、「良」は10、「可」は4(原子物理学ほか)であった。また、後進の教育指導にも当たり、「私の研究を受け継いだ者の中からノーベル賞を受賞する研究を成し遂げる者があと2人は出るであろう」と発言した。実際にも彼の愛弟子の一人であった戸塚洋二はノーベル物理学賞の有力候補として注目されていたが、戸塚は2008年にがんで亡くなり、受賞は叶わなかった。しかし、同じく愛弟子の一人である梶田隆章が2015年にノーベル物理学賞を受賞し、戸塚が果たせなかった悲願を実現させている。

東大物理学科でも成績は悪かったが朝永振一郎に推薦状を書いて貰い、フルブライト奨学生としてアメリカ合衆国・ロチェスター大学博士課程へ留学。ロチェスター大学では留学生手当てが少なく生活が苦しかったが、博士号 (Ph.D.) を取得し博士研究員として大学に在籍すると給与が倍増されると聞き、1年8ヵ月で博士号を取得した。1年8ヵ月での博士号取得はロチェスター大学での最短記録であり、この記録は現在でも破られていない。

大学院生時代に、当時、神奈川県横須賀市にあった栄光学園にて物理の臨時講師を担当した。「この世に摩擦がなければどうなるのか」との質問を生徒に出題。摩擦がないと鉛筆の先が滑って答案は書けない、それ故に正答は「白紙答案」。解答を記入すると不正解になる難問を出題した[5]

逸話[編集]

アメリカでの研究生活が長く、アメリカと日本の大学環境について「アメリカでは偉い先生が間違ったことを言っても、それはおかしいと言える環境がある。しかし日本では偉い先生が間違ったこと言っても、学生は萎縮してしまい何も言えない。」と答えている。

東京大学本郷キャンパスの理学部1号館には小柴昌俊のノーベル賞受賞を記念して「小柴ホール」が設置された。

研究室の学生たちからは、『親分』と呼ばれる[6]

趣味・嗜好[編集]

趣味はクラシック音楽で、モーツァルト愛好家[7]。また、ゲームソフトの『ファイナルファンタジー』を好んでプレイしている[8]

家族・親族[編集]

香川大学工学部教授で材料物理工学者の小柴俊は息子である。

著書[編集]

英訳書[編集]

参考文献[編集]

脚注・出典[編集]

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  1. ^ 明治大学の生涯教育の新拠点「アカデミーコモン」オープン!”. 明治大学. 2012年4月9日閲覧。
  2. ^ a b 藤井旭『白河天体観測所』、261-262頁。
  3. ^ 藤井旭『白河天体観測所』、262頁。
  4. ^ 藤井旭『白河天体観測所』、261頁。
  5. ^ 小柴昌俊『やれば、できる。』[要ページ番号]
  6. ^ 私たちの40年!!. “【嬉しい便り】中村 實さんからの寄稿。”. 2008年9月14日閲覧。
  7. ^ カメラータ・トウキョウCD紹介ページより
  8. ^ 2002年10月9日、朝日新聞朝刊

関連項目[編集]

外部リンク[編集]