大江健三郎

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大江 健三郎
(おおえ けんざぶろう)
Paris - Salon du livre 2012 - Kenzaburō Ōe - 003.jpg
大江健三郎(2012年、パリにて)
誕生 (1935-01-31) 1935年1月31日(84歳)
日本の旗 日本愛媛県喜多郡大瀬村
職業 小説家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
教育 文学士(東京大学・1959年
最終学歴 東京大学文学部仏文科卒業
活動期間 1957年 -
ジャンル 小説評論随筆
主題 政治核兵器祈り赦し救済
代表作飼育』(1958年)
芽むしり仔撃ち』(1958年)
個人的な体験』(1964年)
万延元年のフットボール』(1967年)
洪水はわが魂に及び』(1973年)
同時代ゲーム』(1979年)
新しい人よ眼ざめよ』(1983年)
懐かしい年への手紙』(1987年)
燃えあがる緑の木』(1993年 - 1995年)
取り替え子』(2000年)
主な受賞歴 芥川龍之介賞(1958年)
新潮社文学賞(1964年)
谷崎潤一郎賞(1967年)
野間文芸賞(1973年)
読売文学賞(1983年)
大佛次郎賞(1983年)
川端康成文学賞(1984年)
伊藤整文学賞(1990年)
ノーベル文学賞(1994年)
朝日賞(1995年)
レジオンドヌール勲章(コマンドゥール)(2002年)
デビュー作 『奇妙な仕事』(1957年)
配偶者 大江ゆかり
子供 大江光長男
親族 伊丹万作岳父
伊丹十三義兄
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ノーベル賞受賞者ノーベル賞
受賞年:1994年
受賞部門:ノーベル文学賞
受賞理由:詩趣に富む表現力を持ち 、現実と虚構が一体となった世界を創作して 、読者の心に揺さぶりをかけるように現代人の苦境を浮き彫りにしている [1][1]

大江 健三郎(おおえ けんざぶろう、1935年1月31日 - )は、日本小説家昭和中期から平成にかけて活躍した現代日本文学の頂点に立つ作家の一人である。愛媛県出身。東京大学仏文学科卒業。 1994年ノーベル文学賞受賞。

人物[編集]

愛媛県喜多郡内子町(旧大瀬村)出身。東京大学文学部フランス文学科卒。大学在学中の1958年、「飼育」により当時最年少の23歳で芥川賞を受賞。サルトル実存主義の影響を受けた作家として登場し、戦後日本の閉塞感と恐怖をグロテスクな性のイメージを用いて描き、石原慎太郎開高健とともに第三の新人の後を受ける新世代の作家と目される。

その後、バシュラールの想像力論やバフチンロシア・フォルマリズムの議論などを参照しながら独自のの文学を作り上げていく。国家主義などの人類的な問題、故郷である四国の森や、知的障害者である長男(作曲家の大江光)との交流といった自身の「個人的な体験」、更に豊富な読書から得た思想や世界観、これらを多重的に輻輳させた作品世界を作り上げた。作品の根幹にまで関わる先行する小説家、詩人のテクストの引用や、限定的な舞台と広く人類的な問題群を照応させる手法が大きな特徴として挙げられる。1994年、日本文学史上において2人目のノーベル文学賞受賞者となった。

主な長編作品に『芽むしり仔撃ち』『個人的な体験』『万延元年のフットボール』『洪水はわが魂に及び』『同時代ゲーム』『懐かしい年への手紙』『燃えあがる緑の木』『取り替え子(チェンジリング)』など。

戦後民主主義の支持者として社会参加の意識が強く、国内外における問題や事件への発言を積極的に行っているが、その独特の視座における発言が議論を呼ぶこともある。

身長172センチ[2]。2002年アメリカ芸術科学アカデミー外国人会員選出[3]

来歴[編集]

生い立ちから作家デビューまで[編集]

1935年1月31日、愛媛県喜多郡大瀬村(現内子町)に生まれる。両親、兄二人、姉二人、弟一人、妹一人の9人家族であった。大瀬村は森に囲まれた谷間の村で、のちの大江の文学世界の形成に大きく関わることになる。1941年、大瀬小学校入学、この年に太平洋戦争が始まり、5年生の夏まで続いた。1947年、大瀬中学校入学。この年新憲法が施行され、「戦後民主主義」に立脚した自身の思想を形成するうえで多大な影響を受けた。1950年、愛媛県立内子高等学校に入学するも、いじめを原因に翌年愛媛県立松山東高等学校へ編入。このときのいじめの体験はのちに『芽むしり仔撃ち』で題材とされている。高校時代は石川淳小林秀雄渡辺一夫花田清輝などを愛読。東高では文芸部に所属し部誌「掌上」を編集、自身の詩や評論を掲載した。東高在学中、同級生だった伊丹十三と親交を結ぶ。

1953年に上京、予備校に通ったのち翌1954年東京大学教養学部文科二類(現在の文科III類)に入学。学生演劇の脚本として「天の嘆き」「夏の休暇」を執筆、教養学部学友会機関紙に「火山」を掲載し銀杏並木賞受賞。このころパスカルカミュフォークナーノーマン・メイラー安部公房などを愛読、とりわけサルトルに関心を抱く。1955年、「文藝」全国学生小説コンクールに「優しい人たち」で佳作(この時の佳作第一席は岡松和夫)。1956年、文学部フランス文学科に進み、かねてから愛読していた渡辺一夫に師事、この頃よりサルトルを原書で読み始める。学生演劇の脚本「死人に口なし」を執筆、また戯曲「獣たちの声」(「奇妙な仕事」の原案)で創作戯曲コンクールに当選。同年10月、立川基地拡張反対のデモに参加した。

1957年、五月祭賞受賞作として小説「奇妙な仕事」が『東京大学新聞』に掲載され、『毎日新聞』で平野謙の激賞を受ける。これを契機として同年『文學界』に「死者の奢り」を発表し、学生作家としてデビュー。「他人の足」「石膏のマスク」「偽証の時」を次々に発表。「死者の奢り」は第38回芥川賞候補となり、川端康成井上靖舟橋聖一の推薦を受けるが、この回は開高健の『裸の王様』が受賞した。

芥川賞作家として[編集]

デビューの翌1958年、自身初の長編小説『芽むしり仔撃ち』を発表。同年「飼育」で第39回芥川賞を23歳で受賞。1956年の石原慎太郎に続いて当時最年少タイでの受賞となった。選考委員の川端康成は、「芥川龍之介と大江健三郎では時代も、才質も作風も違うが、23、4の学生が、異常な題材を小説に仕上げた点を芥川と似通ったものと解釈し、芥川龍之介の名前を冠した賞に加えたいと思った」とした。一方、舟橋聖一は前回の芥川賞の選考に異議を唱える立場から「飼育」よりも「死者の奢り」にこそ賞を出したかったという選評を行っている。

また、同1958年に、石原慎太郎江藤淳谷川俊太郎寺山修司浅利慶太永六輔黛敏郎福田善之ら若手文化人らと「若い日本の会」を結成し、60年安保改正に反対。

1959年、東大卒業。卒業論文は「サルトルの小説におけるイメージについて」。同年書き下ろし長編『われらの時代』刊行。この作品から現代青年の鬱屈と虚無感、グロテスクに閉塞したセクシュアリティを主題の一環として前面に押し出すようになる。痛烈な批判を受けたものの、この作品によって第一の作風転換を遂げる。同年に武満徹と知り合う。1960年、伊丹ゆかり(伊丹十三の妹)と結婚。

1961年、「政治と性」を主題とした作品「セヴンティーン」を『文學界』1月号に、続編「政治少年死す―セヴンティーン第二部」を翌月号に発表。浅沼稲次郎暗殺事件に触発され、犯人の山口二矢をモデル人物として、オナニストの青年が天皇との合一の夢想に陶酔して右翼テロリストとなる様を描くが、時期を同じくして発表され右翼から不敬とみなされた深沢七郎の『風流夢譚』と同様に右翼団体からの脅迫に晒された。(このため「政治少年死す」はその後の単行本に収められていなかったが、2018年『大江健三郎全作品3』で遂に「セヴンティーン」と併せて収録された。)

1963年、長男のが頭蓋骨異常のため知的障害を持って誕生。重い障害を持つ子供の誕生は、戦後社会に希望を持てない青年と、その社会に対する絶望的な反抗や呪詛を独自に描いてきた作家にとって、精神的な転機をもたらした。1964年、光の誕生をうけての作品『個人的な体験』で第11回新潮社文学賞受賞。知的障害をもって生まれた子供の死を願う父親「鳥(バード)」が、様々な精神遍歴の末、想像力によって現実に向き直るに至るまでを描いた作品であり、もともとサルトルやバシュラールによってその意識を深められた「想像力」の概念は、これ以降の大江にとって非常に大きな主題・手法のひとつとなった。同年、広島に何度も訪れた体験や世界原水爆禁止大会に参加した体験を元にルポルタージュ『ヒロシマ・ノート』の連載を開始。これ以降の大江は、障害を持つ子供を中心とした「個人的な体験」と、広島・長崎の被爆や戦争という「人類固有の悲劇」の両輪を自身の主題として深めていく。

ノーベル賞受賞まで[編集]

大江健三郎(2008年)

1967年、30代最初の長編として『万延元年のフットボール』を発表、最年少(2019年現在破られていない)で第3回谷崎潤一郎賞を受賞。万延元年(1860年)に四国の村で起こった一揆と、100年後の安保闘争とを重ね合わせ、100年の日本の近代化を概括し、閉ざされた山村という閉鎖的情況における祝祭的な暴動、その中における家族の愛憎や恢復の物語を描き大きな反響を呼んだ。今日では大江の代表作・最高傑作などと名高い作品ではあるが、それまで大江と同伴関係にあるとされていた批評家江藤淳は厳しく批判し、以後、長い対立関係が形成された。

現代日本と地続きの異様な小世界群を描き出した短篇集『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』(1969年)を経て、1971年に発表された中篇「みずから我が涙をぬぐいたまう日」「月の男(ムーン・マン)」では、前年の三島事件を受けて現行の天皇観を批判的に問い直すことを主題とした。(巻頭の短文に三島への揶揄的な記述も見られる。)その後、カタストロフ的なヴィジョンを持つ活劇『洪水はわが魂に及び』を発表し、1973年に野間文芸賞受賞する。グロテスクなユーモアを持って描かれたSF『ピンチランナー調書』(1976年)では天皇制や核の問題を考えつつ、リアリズムを超越した世界観を描き始める。

70年代半ば、バフチンロシア・フォルマリズム山口昌男らの紹介する構造主義などの西欧の思想潮流などから積極的に学び、新しい方法論(『小説の方法』1978年 ) を獲得している。1979年に発表された大著『同時代ゲーム』において故郷の森の谷間の「村=国家=小宇宙」の神話や歴史を複雑な叙述方法で描いた。自らの文学のトポスを想像力豊かにコスモロジカルに描いたもので、作家は自作の中でも重要なものと位置づけている。

1982年、連作短編集『「雨の木」(レイン・ツリー)を聴く女たち』を発表、「雨の木」という意味深い暗喩を底流にして危機にある男女の生き死にを描き、翌年に第34回読売文学賞受賞。(友人である武満徹はこの連作集の第一作「頭のいい「雨の木」」に触発された「雨の樹」(レイン・ツリー)を作曲した。連作第二作「「雨の木」を聴く女たち」は、この曲の初演を受けて執筆されており、小説中にコンサートの場面が出てくる。)1983年の連作短編集『新しい人よ眼ざめよ』では、ブレイクの詩を引用し、ブレイクのテクストやそれにまつわる研究を繰り返し読むことで導かれた思考を大江自身の子供の言葉と重ね合わせつつ、静謐な筆致で私小説的に私生活を描き、第10回大佛次郎賞受賞。1985年には連合赤軍事件を文学的に捉え返す連作短編集『河馬に嚙まれる』を発表。表題作で川端康成文学賞を受賞している。このころ虚実皮膜の擬似私小説、作品の主題に絡めて詩歌などの先行文学作品の引用をおこなう、といったスタイルが確立され、その後の多くの作品で踏襲されることになる。また、大江の後期のテーマである「魂の問題」「祈り・赦し」「再生」といった宗教的な問題を掘り下げ始める

1984年、磯崎新大岡信武満徹中村雄二郎山口昌男ともに編集同人となり、季刊誌へるめすを創刊した。「文化の総合雑誌」を目指し1994年まで編集同人をつとめた。(『M/Tと森のフシギの物語』『キルプの軍団』『治療塔』は同誌に連載された)

1986年には『同時代ゲーム』の世界を、別の叙述方法と文体で平易にリライトした『M/Tと森のフシギの物語』を発表する。1987年にはダンテの『神曲』を下敷きにして、自身の半生の懐古、過去作への自註、老年にいたって深められた思索、などを盛り込んだ虚実綯い交ぜの擬似的な自伝であり『同時代ゲーム』以来の大作である『懐かしい年への手紙』を発表する。自身の仕事の総括的なことを連続しておこなった。

1989年の『人生の親戚』では長編で初めて女性を主人公[4]とし、子供を失った女性の悲嘆とその乗り越えを描いて第1回伊藤整文学賞を受賞した。1989-1990年に発表された『治療塔』および続編の『治療塔惑星』では、広義のSFの枠組みとイェイツの詩を借りながらと人類救済の主題を描いている。1992年短編集『僕が本当に若かった頃』が上梓されたがこれが最後の短編集であり、以後は長編のみ執筆している。

1993年9月より『新潮』において三部からなる自身最長の長編『燃えあがる緑の木』の連載を開始。当時はこれを「最後の小説」としていた。『懐かしい年への手紙』の後日譚として、四国の村を舞台とした新興宗教の勃興から瓦解に至るまでのの過程を描き、イェイツアウグスティヌスシモーヌ・ヴェイユなどを引いての考察で80年代初頭から追及してきた「魂の救済」の主題を突きつめた。

『燃えあがる緑の木』連載中の1994年「詩趣に富む表現力を持ち 、現実と虚構が一体となった世界を創作して 、読者の心に揺さぶりをかけるように現代人の苦境を浮き彫りにしている [5](who with poetic force creates an imagined world, where life and myth condense to form a disconcerting picture of the human predicament today )」という理由でノーベル文学賞を受賞、川端康成以来26年ぶり、日本人では2人目の受賞者となる。ストックホルムで行われた受賞晩餐会での基調講演は川端の「美しい日本の私」をもじった「あいまいな日本の私」というものであった。ここで大江は、川端のいう美しいという概念はvague(あいまい、ぼんやりした)で実体が定かではない神秘主義であるとし、自分としては日本をambiguous(あいまい、両義的)な国としてとらえると述べ、開国以来、伝統的日本と西欧化に引き裂かれた国、としての日本を語った。また1995年には1994年度朝日賞を受賞している。

作家活動の一旦の終了をうけて1996年より新潮社より『大江健三郎小説』(10巻)が刊行開始された。これは全集ではなく、作者が吟味し基準にかなうもののみが収録された。長編でいうと『われらの時代』『遅れてきた青年』『日常生活の冒険』は収録されなかった。

後期の仕事(レイト・ワーク)[編集]

大江健三郎、2005年

1995年に「最後の小説」としていた『燃えあがる緑の木』が完結したが、1996年に親友の武満徹の告別式の弔辞において新作を捧げる発言をし、1999年の『宙返り』で執筆活動を再開した。テロを防ぐために「棄教」した教祖「師匠(パトロン)」による波乱と殺人の中での教団の再建を描いている。作者にしては珍しく三人称の語りを導入している。以降の創作活動は大江自身が「後期の仕事(レイト・ワーク)」と称している。

伊丹十三の死をうけて文学的な追悼として書かれた『取り替え子(チェンジリング)』(2000年)とそれに続く『憂い顔の童子』(2002年)、『さようなら、私の本よ!』(2005年)は、すべてに「スウード・カップル(おかしな二人組)」が登場する三部作となっている。三部作最後の『さようなら、私の本よ!』では、三島由紀夫と戦後の問題を自身の人生と重ね合わせ、デビュー作の『奇妙な仕事』に回帰するという複雑な構成を取った。合間の2002年には、自身の唯一のファンタジーとして児童向けに『二百年の子供』を発表している。

その後2007年には、お蔵入りとなった映画を再度作り上げようと奮起する「おかしな老人」たちの老いらくの冒険譚『臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』[6]、2009年には、父の水死の真相を描こうとする作家の巻きこまれた騒ぎをヴァラエティに富んだ語り口で描く『水死』が上梓された。2013年、東日本大震災とそれにともなう原発事故を契機に、社会的危機に直面する無力な老人としての自分を晒け出しながらも次世代へつなぐ希望を探し求める『晩年様式集 イン・レイト・スタイル』を刊行した。

『燃えあがる緑の木』の後日譚である『宙返り』以外の「後期の仕事」は、すべてが自身を重ねあわせた小説家・長江古義人をめぐる虚実入り乱れた物語である。また、全編にわたって先行する文学作品などからの放縦な引用に加えて、過去の自作の引用・再話・再構築が行われている。

2014年、岩波文庫から『大江健三郎自選短篇』を出版した。作家自身が作品を厳選し、全収録作品に加筆修正をほどこしている。

創作以外の活動としては、2006年に大江健三郎賞が設立され、次代の若き作家を顕彰する動きをみせた。本賞は2014年に終了した。「文学の言葉」を恢復させるという趣旨で、大江一人を選考者として大江が可能性、成果をもっとも認めた小説、評論に賞が贈られる。選評の替わりに受賞者との公開対談を行う。賞金はないが海外出版への後押しを行う。など特色のある賞であった。

2018年より『大江健三郎全小説』(15巻)が刊行開始された。「政治少年死す―セヴンティーン第二部」が収録されることで話題になった。全小説と銘打っているが作者が不出来ゆえに封印している『夜よゆるやかに歩め』他数点が収録されておらず完全な全集ではない。

政治思想[編集]

戦後民主主義者を自認し、国家主義、特に日本における天皇制には一貫して批判的な立場を取っている。また、「護憲」の立場から核兵器憲法第9条についてもエッセイや講演で積極的に言及しており、自衛隊の存在に対しても否定的である。

1994年のノーベル賞記念講演の際にはデンマークの文法学者クリストフ・ニーロップの「(戦争に)抗議しない人間は共謀者である」という言葉を引き、「抗議すること」という概念に言及した。

2003年の自衛隊イラク派遣の際は「イラクへは純粋な人道的援助を提供するにとどめるべきだ」とし、「戦後半世紀あまりの中でも、日本がこれほど米国追従の姿勢を示したことはない」と怒りを表明した。[7]

2004年には、憲法9条の戦争放棄の理念を守ることを目的として、加藤周一鶴見俊輔らとともに九条の会を結成し、全国各地で講演会を開いている。

1990年代以降表面化してきた歴史修正主義をともなう右派運動・言論についても明確に反対を表明している。[8]『水死』ではその問題を小説作品の内容に取り込んでいる。

1970年、大江は『沖縄ノート』を上梓している。第二次世界大戦末期の地上戦において、戦後も朝鮮ベトナム戦争の基地として戦争に巻き込まれ、本土から捨て石とされ続けていた日本返還前の沖縄をめぐるルポルタージュである。この書において民間人の集団自決事件を取り上げ、旧日本軍の悪を追求している。これについて、35年後経過した2005年、旧軍指揮官と遺族が、歴史の見直しを主張する右派の組織的なバックアップを受ける形で、大江を被告として名誉毀損の訴えを起こしたが、原告の指揮官、遺族は敗訴している。


東アジア外交については、2006年に中国社会科学院・外国文学研究所の招きで訪中し、南京大虐殺紀念館などに訪れた。北京大学付属中学校で行われた講演では、小泉純一郎首相の靖国神社参拝に触れて「日本と日本の若い世代の将来を最大限に損ねるものだ」と述べた。2012年9月28日には「『領土問題』の悪循環を止めよう」と題する声明を元長崎市長の本島等、元「世界」編集長の岡本厚進歩派知識人文化人ら1300人と共同で発表。尖閣諸島竹島も過去に日本が侵略したものだという立場を示した[9]。尖閣諸島に「領土問題は存在しない」とする日本政府の立場を批判する一方で、台湾馬英九総統の対話提案を高く評価している。

芸術院会員となったり文化勲章を受けたりする文学者の姿勢には批判的である。ノーベル文学賞はノーベル財団から贈られたものであるが「スウェーデン国民から贈られたと言えるもの」(スウェーデン王室から授与される勲章は、セラフィム勲章 (en) や剣勲章 (en)等があるが、ノーベル賞は学術賞であって国家勲章ではない)として賞を受けたが、その直後に天皇からの親授式を伴う文化勲章文化功労者のセット授与が決定した際には「私は、戦後民主主義者であり、民主主義に勝る権威と価値観を認めない」として受章を拒否した。また共和制の国家であるフランス政府から2002年に授与されたレジオンドヌール勲章は拒否せず受け取っている。哲学者サルトルのようにノーベル文学賞、レジオンドヌール勲章など一切の受賞を辞退する態度とは異なる。

作品[編集]

著作は英語フランス語ドイツ語ロシア語中国語スペイン語などに翻訳されているものも少なくない。 なお現在新潮文庫から出版されている初期の短篇集は、文庫オリジナルの再編集が施されている。

小説[編集]

  • 「火山」『学園』1955年9月
  • 「奇妙な仕事」『東京大学新聞』1957年5月
  • 死者の奢り」『文学界』昭和32年8月号(1957年7月)
  • 飼育」『文学界』昭和33年1月号 - 芥川賞受賞作
  • 死者の奢り』(短編集)文藝春秋、1958年
  • 芽むしり仔撃ち』(中編)講談社、1958年(のち新潮文庫)
  • 見るまえに跳べ』(短編集)新潮社、1958年
    • 見るまえに跳べ/暗い川おもい櫂/不意の唖/喝采/戦いの今日
  • われらの時代』(長編)中央公論社、1959年7月(のち中央公論文庫、新潮文庫)
  • 『夜よゆるやかに歩め』(長編)1959年、中央公論社
  • 死者の奢り・飼育』(短編集)新潮社 <新潮文庫オリジナル再編集>
    • 死者の奢り/他人の足/飼育/人間の羊/不意の唖/戦いの今日
  • 『孤独な青年の休暇』(短編集)新潮社、1960年
    • 孤独な青年の休暇/後退青年研究所/上機嫌/共同生活/ここより他の場所
  • 『青年の汚名』(長編)1960年、文藝春秋(のち文春文庫)
  • 「セヴンティーン」『文学界』・「政治少年死す—セヴンティーン第二部」『文学界』、1961年
  • 遅れてきた青年』(長編)新潮社、1962年(のち新潮文庫)
  • 『叫び声』講談社、1963年(のち講談社文庫、講談社文芸文庫)
  • 性的人間』(中短編集)新潮社、1963年
    • 性的人間/セヴンティーン/不満足
  • 日常生活の冒険』(長編)文藝春秋、1964年(のち新潮文庫) - 伊丹十三をモデルとしたもの
  • 個人的な体験』(長編)新潮社、1964年8月(のち新潮文庫) - 新潮社文学賞(英訳 A personal matter ノーベル賞対象作)
  • 万延元年のフットボール』(長編)講談社、1967年、(のち講談社文芸文庫) - 谷崎潤一郎賞(英訳 The silent cry 仏訳 Le Jeu du siècle ノーベル賞対象作)
  • 『性的人間』(短編集)新潮社 <新潮文庫オリジナル再編集>、1968年
    • 性的人間/セヴンティーン/共同生活
  • われらの狂気を生き延びる道を教えよ』(連作短編・中編集)新潮社、1969年(のち新潮文庫)
    • 第1部 なぜ詩でなく小説を書くか、というプロローグと四つの詩のごときもの
    • 第2部 ぼく自身の詩のごときものを核とする三つの短篇(走れ、走りつづけよ/核時代の森の隠遁者/生け贄男は必要か)
    • 第3部 オーデンブレイクの詩を核とする二つの中篇(狩猟で暮したわれらの先祖/父よ、あなたはどこへ行くのか?)
  • 空の怪物アグイー』(短編集)新潮社 <新潮文庫オリジナル再編集>、1972年
    • 不満足/スパルタ教育/敬老週間/アトミック・エイジの守護神/空の怪物アグイー/ブラジル風のポルトガル語/犬の世界
  • 『みずから我が涙をぬぐいたまう日』(中編集)講談社、1972年(のち講談社文芸文庫)
    • みずから我が涙をぬぐいたまう日/月の男(ムーン・マン)
  • 洪水はわが魂に及び』(長編)新潮社、1973年(のち新潮文庫)
  • 『見るまえに跳べ』(短編集)新潮社 <新潮文庫オリジナル再編集>、1974年
    • 奇妙な仕事/動物倉庫/運搬/鳩/見るまえに跳べ/鳥/ここより他の場所/上機嫌/後退青年研究所/下降生活者
  • ピンチランナー調書』(長編)新潮社、1976年(のち新潮文庫)
  • 同時代ゲーム』(長編)新潮社、1979年(のち新潮文庫)
  • 『現代伝奇集』(短編集)岩波現代選書、1980年
    • 頭のいい「雨の木」/身がわり山羊の反撃/『芽むしり仔撃ち』裁判
  • 「雨の木」(レイン・ツリー)を聴く女たち』(連作短編集)新潮社、1982年(のち新潮文庫) - 読売文学賞
    • 頭のいい「雨の木」/「雨の木」を聴く女たち/「雨の木」の首吊り男/さかさまに立つ「雨の木」/泳ぐ男—水のなかの「雨の木」
  • 新しい人よ眼ざめよ』(連作短編集)講談社、1983年(のち講談社文庫、講談社文芸文庫) - 大仏次郎賞
  • 「河馬に嚙まれる」『文学界』、1983年 - 川端康成賞
  • いかに木を殺すか』(短編集)文藝春秋、1984年(のち文春文庫)
    • 揚げソーセージの食べ方/グルート島のレントゲン画法/見せるだけの拷問/メヒコの大抜け穴/もうひとり和泉式部が生まれた日/その山羊を野に/「罪のゆるし」のあお草/いかに木を殺すか
  • 河馬に嚙まれる』(連作短編集)文藝春秋、1985年(のち文春文庫、講談社文庫)
    • 河馬に嚙まれる/「河馬の勇士」と愛らしいラベオ/「浅間山荘」のトリックスター/河馬の昇天/四万年前のタチアオイ/死に先だつ苦痛について/サンタクルスの「広島週間」/生の連鎖に働く河馬
    • 講談社文庫版 : 河馬に嚙まれる/「河馬の勇士」と愛らしいラベオ/河馬の昇天/四万年前のタチアオイ/死に先立つ苦痛について/生の連鎖に働く河馬
  • M/Tと森のフシギの物語』(長編)岩波書店、1986年(のち同時代ライブラリー、講談社文庫)- (英訳 M/T and the narrative about the marvels of the forest 仏訳 M/T et l'histoire des merveilles de la forêt ノーベル賞対象作)
  • 懐かしい年への手紙』(長編)講談社、1987年(のち講談社文芸文庫) - (仏訳題 Lettres aux années de nostalgie ノーベル賞対象作)
  • キルプの軍団』(長編)岩波書店、1988年(のち同時代ライブラリー、講談社文庫、岩波文庫)
  • 人生の親戚』(長編)新潮社、1989年(のち新潮文庫) - 伊藤整文学賞
  • 治療塔』(長編)岩波書店、1990年(のち講談社文庫)
  • 静かな生活』(連作短編集)講談社、1990年(のち講談社文芸文庫)
    • 静かな生活/この惑星の棄て子/案内人(ストーカー)/自動人形の悪夢/小説の悲しみ/家としての日記
  • 治療塔惑星』(長編)岩波書店、1991年(のち講談社文庫)
  • 『僕が本当に若かった頃』(短編集)講談社、1992年
    • 火をめぐらす鳥/「涙を流す人」の楡/宇宙大の「雨の木(レイン・ツリー)」/夢の師匠/治療塔/ベラックヮの十年/マルゴ公妃のかくしつきスカート/僕が本当に若かった頃/茱萸(ぐみ)の木の教え・序
  • 燃えあがる緑の木』三部作(長編)、新潮社(のち新潮文庫)
    1. 『「救い主」が殴られるまで』1993年
    2. 『揺れ動く(ヴァシレーション)』1994年
    3. 『大いなる日に』1995年
  • 宙返り』(長編)講談社、1999年(のち講談社文庫)
  • 取り替え子(チェンジリング)』(長編)講談社、2000年(のち講談社文庫)
  • 憂い顔の童子』(長編)講談社、2002年(のち講談社文庫)
  • 二百年の子供』(長編)中央公論新社、2003年(のち中公文庫)
  • さようなら、私の本よ!』(長編)講談社、2005年(のち講談社文庫)
  • 『おかしな二人組(スゥード カップル)』(三部作) 講談社、2006年
    • 『取り替え子』/『憂い顔の童子』/『さようなら、私の本よ!』の特装版
  • 『臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』(長編)新潮社、2007年(のち新潮文庫『美しいアナベル・リイ』へ改題)
  • 『水死』(長編)講談社、2009年(のち講談社文庫)
  • 『晩年様式集 イン・レイト・スタイル』(長編)講談社、2013年(のち講談社文庫)

評論・随筆等[編集]

  • 『世界の若者たち』新潮社、1962年 - 中国レポートのほか、大鵬島津貴子大藪春彦黒柳徹子らとの対談
  • 『ヨーロッパの声、僕自身の声』毎日新聞社、1962年
  • 『厳粛な綱渡り』文藝春秋、1965年(のち文春文庫、講談社文芸文庫)
  • ヒロシマ・ノート』岩波書店 <岩波新書>、1965年
  • 『持続する志』文藝春秋、1968年(のち講談社文芸文庫)
  • 『壊れものとしての人間』講談社、1970年(のち講談社文庫、講談社文芸文庫)
  • 『核時代の想像力』新潮社 <新潮選書>、1970年
  • 沖縄ノート』岩波書店 <岩波新書>、1970年
  • 『鯨の死滅する日』文藝春秋、1972年(のち講談社文芸文庫)
  • 『同時代としての戦後』(作家論集)講談社、1973年(のち講談社文庫、講談社文芸文庫)
  • 『状況へ』岩波書店、1974年
  • 『文学ノート 付15篇』新潮社、1974年
  • 『言葉によって-状況・文学*』新潮社、1976年
  • 『小説の方法』岩波書店 <岩波現代選書>、1978年(のち同時代ライブラリー、岩波現代選書)
  • 『表現する者-状況・文学**』新潮社、1978年
  • 『方法を読む=大江健三郎文芸時評』講談社、1980年
  • 『核の大火と「人間」の声』岩波書店、1982年
  • 『広島からオイロシマへ―'82ヨーロッパの反核・平和運動を見る』岩波書店 <岩波ブックレットNo.4>、1982年
  • 『日本現代のユマニスト渡辺一夫を読む』岩波書店、1984年
  • 『生き方の定義-再び状況へ』岩波書店、1985年
  • 『小説のたくらみ、知の楽しみ』新潮社、1985年(のち新潮文庫)
  • 『新しい文学のために』岩波書店 <岩波新書>、1988年
  • 『最後の小説』講談社、1988年(のち講談社文芸文庫) - 劇シナリオ「革命女性」を含む
  • 『ヒロシマの「生命の木」』NHK出版、1991年
  • 『人生の習慣(ハビット)』岩波書店、1992年
  • 『文学再入門』NHK出版、1992年
  • 『新年の挨拶』岩波書店、1993年(のち同時代ライブラリー、岩波現代文庫)
  • 『小説の経験』朝日新聞社、1994年(のち朝日文芸文庫)
  • 『あいまいな日本の私』岩波書店 <岩波新書>、1995年 ISBN 4004303753
  • 『あいまいな日本の私 : Japan,the ambiguous,and myself The Nobel Prize speech and other lectures』(英文)講談社インターナショナル、1995年
  • 『日本の「私」からの手紙』岩波書店 <岩波新書>、1996年
  • 『私という小説家の作り方』新潮社、1998年(のち新潮文庫)
  • 『鎖国してはならない』講談社、2001年(のち講談社文庫)
  • 『言い難き嘆きもて』講談社、2001年(のち講談社文庫)
  • 『「話して考える」(シンク・トーク)と「書いて考える」(シンク・ライト)』集英社、2004年(のち集英社文庫)
  • 『「伝える言葉」プラス』朝日新聞社、2006年(のち朝日文庫)
  • 『大江健三郎作家自身を語る』(尾崎真理子聞き手・構成)新潮社、2007年
  • 『読む人間-読書講義』集英社、2007年(のち集英社文庫)
  • 『定義集』朝日新聞出版、2012年(のち朝日文庫)
  • 『大江健三郎賞8年の軌跡 「文学の言葉」を恢復させる』講談社、2018年

共著[編集]

  • 『対話・原爆後の人間』(重藤文夫)新潮社、1971年
  • 『『世界』の40年—戦後を見直す、そして、いま』(安江良介)岩波書店 <岩波ブックレット No.39>、1984年
  • 『私たちはいまどこにいるか ——主体性の再建——』(隅谷三喜男)岩波書店 <岩波ブックレット No.113>、1988年
  • 『ユートピア探し 物語探し—文学の未来に向けて』(井上ひさし筒井康隆)岩波書店、1988年
  • 『自立と共生を語る—障害者・高齢者と家族・社会』(上田敏ほか)三輪書店、1990年
  • 『オペラをつくる』(武満徹)岩波書店 <岩波新書>、1990年
  • 『恢復する家族』(大江ゆかり画)講談社、1995年(のち講談社文庫)
  • 『日本語と日本人の心』(河合隼雄谷川俊太郎)岩波書店、1996年(のち岩波現代文庫)
  • 『ゆるやかな絆』(大江ゆかり画)講談社、1996年
  • 『シンポジウム 共生への志——心のいやし、魂の鎮めの時代に向けて——』(ロナルド・ドーアプラティープ・ウンソンタム・秦)岩波書店 <岩波ブックレット No.528>、2001年
  • 『君たちに伝えたい言葉—ノーベル賞受賞者と中学生の対話』(ハロルド・クロート)読売新聞社 <読売ぶっくれっと no.25>、2001年
  • 『同じ年に生まれて 音楽、文学が僕らをつくった』(小澤征爾)中央公論新社、2001年(のち中公文庫)
  • 『「自分の木」の下で』(大江ゆかり画)朝日新聞社、2001年(のち朝日文庫)
  • 『「新しい人」の方へ』(大江ゆかり画)朝日新聞社、2003年(のち朝日文庫)
  • 『暴力に逆らって書く 大江健三郎往復書簡』朝日新聞社、2003年(のち朝日文庫)
  • 『何を学ぶか 作家の信条、科学者の思い ノーベル賞受賞者を囲むフォーラム「21世紀の創造」』(白川英樹)読売新聞社 <読売ぶっくれっと no.34>、2004年
  • 『憲法九条、あしたを変える——小田実の志を受けついで——』(井上ひさし梅原猛他)岩波書店 <岩波ブックレット No.731>、2008年
  • 『冥誕 加藤周一追悼』(鶴見俊輔他)かもがわ出版、2009年
  • 『文学の淵を渡る』(古井由吉)新潮社、2015年(のち新潮文庫)
  • 『大江健三郎柄谷行人全対話 世界と日本と日本人』(柄谷行人)講談社、2018年

共編著[編集]

  • 『岩波講座文学』岩波書店、全12巻、1975-1976年
  • 『叢書文化の現在』岩波書店、全13巻、1980-1982年
  • 『なぜ変える?教育基本法』(辻井喬他共編)岩波書店、2006年10月、ISBN 978-4-00-024158-8

台本[編集]

  • 『歌劇『ヒロシマのオルフェ』』(芥川也寸志)(CD)カメラータ・トウキョウ、2002年

講演映像[編集]

  • 『私の最後の小説、「燃えあがる緑の木」』(カセット)新潮社、1994年
  • 『大江健三郎 文学再入門』(ビデオカセット)NHKソフトウェア、全12巻、1995年

テレビ番組[編集]

その他[編集]

「無気力(アパシー)青年」の事例検討に参加し、文学者の視点から彼等の内面を語る。
  • SwitchVol.8 No.1 『緑したたる森 萌え出ずる樹 大江健三郎扶桑社 (1990年3月号)
氏の子供達「イーヨーオーちゃんマーちゃん」が語る、 アンドレイ・タルコフスキーの 映画『ストーカー』の解説と、「四国の森の谷間の村」や「読書遍歴」、 氏と違って (同じく)
「 “ 奇妙な ” ディーセンシー ( 古雅な上品さ・まっとうさ ) 」 のある 『ご母堂』 (88歳)の肖像。
  • 『沖縄について考え続けていること』岩波書店 世界 (2014年8月号) 通巻859号 大江の講演を活字化したもの

作品の映画化[編集]

個人作品集[編集]

  • 大江健三郎全作品、新潮社、第1期全6巻、1966-1967、第2期全6巻、1977-1978年
  • 大江健三郎同時代論集、岩波書店、全10巻、1980-1981年
  • 大江健三郎小説、新潮社、全10巻、1996-1997年
  • 大江健三郎自選短篇、岩波文庫、2014年
  • 大江健三郎全小説、講談社、全15巻、2018-

選集[編集]

  • 新鋭文学叢書12『大江健三郎集』筑摩書房、1960年
  • 新日本文学全集11『開高健・大江健三郎集』集英社、1962年
  • 角川版昭和文学全集9『開高健・大江健三郎』角川書店、1963年
  • 現代の文学43『大江健三郎集』河出書房新社、1964年
  • われらの文学18『大江健三郎』講談社、1965年
  • 日本の文学76『石原慎太郎 開高健 大江健三郎』中央公論社、1968年
  • 日本文学全集第2集25『大江健三郎集』河出書房新社、1968年
  • 新潮日本文学64『大江健三郎集』新潮社、1969年
  • De Luxe われらの文学7『大江健三郎』講談社、1969年
  • 現代日本の文学47『安部公房・大江健三郎集』学習研究社、1970年
  • 現代の文学28『大江健三郎』講談社、1972年
  • 日本文学全集50『大江健三郎/芽むしり仔撃ち 日常生活の冒険』河出書房新社、1971年
  • 日本文学全集44『大江健三郎 安部公房 開高健』新潮社、1971年
  • 新潮現代文学55『大江健三郎/個人的な体験 ピンチランナー調書』新潮社、1978年
  • 日本の原爆文学9『大江健三郎 金井利博』ほるぷ出版、1983年
  • 昭和文学全集16『大岡昇平 埴谷雄高 野間宏 大江健三郎』小学館、1987年

関連人物[編集]

関連項目[編集]

研究・評伝[編集]

  • 一条孝夫『大江健三郎の世界 現代作家の世界3』和泉書院 1985年
  • 榎本正樹『大江健三郎 八〇年代のテーマとモチーフ』審美社 1989年
  • 黒古一夫『大江健三郎論 森の思想と生き方の原理』彩流社 1989年
  • 蓮実重彦『大江健三郎論』青土社 1992年
  • マサオ・ミヨシほか『大江健三郎 群像日本の作家23』小学館 1992年
  • 柴田勝二『大江健三郎論 地上と彼岸』有精堂出版 1992年
  • 渡辺広士『大江健三郎 増補版』審美社 1994年
  • 文芸研究プロジェ編著『よくわかる大江健三郎』ジャパン・ミックス 1994年
  • オーケンで遊ぶ青年の会編『大江健三郎がカバにもわかる本 コレ一冊!あといらないッ!』洋泉社 1995年
  • 榎本正樹『大江健三郎の八〇年代』彩流社 1995年
  • 中村泰行『大江健三郎文学の軌跡』新日本出版社 1995年
  • 平野栄久『大江健三郎わたしの同時代ゲーム』オリジン出版センター 1995年
  • 鷲田小弥太ほか『大江健三郎とは誰か 鼎談 人・作品・イメージ』三一書房 1995年
  • 本多勝一『大江健三郎の人生-貧困なる精神X集』毎日新聞社 1995年 ISBN 4620310565
  • 一条孝夫『大江健三郎 その文学世界と背景』和泉書院 1997年
  • 桑原丈和『大江健三郎論』三一書房 1997年
  • 黒古一夫『大江健三郎とこの時代の文学』勉誠社 1997年
  • 篠原茂『大江健三郎文学事典―全著作・年譜・文献完全ガイド』森田出版 1998年 ISBN 494418901X
  • ジャン・ルイ・シェフェル『大江健三郎―その肉体と魂の苦悩と再生』2001年 ISBN 4896340779
  • 小森陽一『歴史認識と小説―大江健三郎論』2002年 ISBN 406211304X
  • 張文穎『トポスの呪力―大江健三郎と中上健次』2002年 ISBN 4881251244
  • 黒古一夫『作家はこのようにして生まれ、大きくなった―大江健三郎伝説』2003年ISBN 4309015751
  • 井口時男『危機と闘争 大江健三郎と中上健次』作品社 2004年
  • 蘇明仙『大江健三郎論 <神話形成>の文学世界と歴史認識』花書院 2006年
  • クラウプロトック・ウォララック『大江健三郎論 「狂気」と「救済」を軸にして』専修大学出版局 2007年
  • 王新新『再啓蒙から文化批評へ 大江健三郎の1957〜1967』東北大学出版会 2007年
  • 黒古一夫『戦争・辺境・文学・人間 大江健三郎から村上春樹まで』勉誠出版 2010年
  • 小谷野敦『江藤淳と大江健三郎 戦後日本の政治と文学』筑摩書房 2015年

脚注[編集]

  1. ^ 訳は「ノーベル賞はいかにしてもたらされたか」尾崎真理子『大江健三郎全小説7』
  2. ^ 小谷野敦『江藤淳と大江健三郎』p.38
  3. ^ American Academy of Arts and Sciences Elects Ten Columbia Scholars
  4. ^ 篠原茂『大江健三郎文学事典』森田出版、1998年
  5. ^ 訳は「ノーベル賞はいかにしてもたらされたか」尾崎真理子『大江健三郎全小説7』
  6. ^ エドガー・アラン・ポーの詩「アナベル・リー」から採られている。渡辺利雄『アメリカ文学に触発された日本の小説』(研究社2014年)pp.27-53に対照がある。
  7. ^ 自衛隊派遣に「怒っている」大江健三郎氏が仏紙で論陣 2003年12月1日朝日新聞
  8. ^ 宗教的な想像力と文学的想像力『鎖国してはならない』
  9. ^ ““反日声明”韓国で大歓迎 大江健三郎氏ら、領土問題「日本が侵略、反省を」 (1/2)”. MSN産経ニュース (産経デジタル). (2012年9月29日). オリジナルの2012年10月2日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20121002055042/http://sankei.jp.msn.com/world/news/120929/kor12092922120005-n1.htm 

外部リンク[編集]