中村修二

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中村 修二
人物情報
生誕 1954年5月22日(61歳)
日本の旗 日本 愛媛県西宇和郡四ツ浜村字大久(おおく)[1]
居住 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
国籍 日本アメリカ合衆国[2][3][4][注 1]
出身校 徳島大学
学問
研究分野 電子工学
半導体工学
研究機関 日亜化学工業
フロリダ大学
カリフォルニア大学サンタバーバラ校
指導教員 多田修(徳島大学)[5]
主な業績 高輝度青色発光ダイオード
中村裁判・404特許
ERATO中村不均一結晶プロジェクト
無極性青紫半導体レーザー
影響を
受けた人物
福井萬壽夫(徳島大学)[6]
小川信雄(日亜化学工業)[7]
影響を
与えた人物
岡本研正(香川大学[8]
主な受賞歴 仁科記念賞(1996年)
大河内記念賞(1997年)
ミレニアム技術賞(2006年)
アストゥリアス皇太子賞学術・技術研究部門(2008年)
ハーヴェイ賞(2009年)
第63回エミー賞技術開発部門(2011年)
ノーベル物理学賞(2014年)
チャールズ・スターク・ドレイパー賞(2015年)
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ノーベル賞受賞者 ノーベル賞
受賞年:2014年
受賞部門:ノーベル物理学賞
受賞理由:高輝度で省電力の白色光源を可能にした青色発光ダイオードの発明

中村 修二(なかむら しゅうじ、1954年昭和29年)5月22日 - )は、日本出身でアメリカ国籍を取得した技術者電子工学者[2][3][注 1]学位博士(工学)徳島大学、1994年)[9]。2014年度ノーベル物理学賞受賞者[10]

日亜化学工業在籍時に、世界に先駆けて実用に供するレベルの高輝度青色発光ダイオードを発明・開発。同社の青色LED製品化に貢献するとともに、赤崎勇天野浩と共同で2014年のノーベル物理学賞を受賞する[注 2]。また、同技術の特許対価を求めた404特許の訴訟でも有名である。

2000年カリフォルニア大学サンタバーバラ校 (UCSB) 材料物性工学科[11][12]教授に就任。同大学固体照明・エネルギー電子工学センターディレクター[注 3]を務め、2007年には世界初となる無極性青紫半導体レーザーの開発に成功している。

また、科学技術振興機構のERATO中村不均一結晶プロジェクトの研究統括として、東京理科大学窒化物半導体による光触媒デバイスの開発にも貢献し、信州大学愛媛大学東京農工大学客員教授を歴任。

来歴[編集]

幼少期[編集]

愛媛県西宇和郡四ツ浜村大久(後の瀬戸町、現在の伊方町)生まれ[13]。小さい頃は海や山といった自然の中で遊ぶ子供であった[13]。父親が四国電力に勤めており、仕事の関係で中村が小学2年生の時に大洲市へ転居するが[14]、ここでも山登りを楽しんだ[13]

1967年に大洲市立喜多小学校を卒業[15]。その後は大洲市立大洲北中学校・愛媛県立大洲高等学校に進む[13]。数学・物理が好きで[16]、図画工作・美術[17]とともに得意であった。しかし、歴史や地理などの暗記物は苦手だった[18]

中学・高校の6年間は、バレーボール部に入って活動していた[19][20]。中学はキャプテンをしていた兄に強制的に入部させられ、高校では友人から誘われて断れなかったためであり、バレーが好きなわけではなかった[21]。しかしインタビューでは「辛い時にはバレーボールのきつい練習を思い出す」と述べており[20]、著書では自分達でやり方を研究したり工夫したこと、受験勉強に専念せずに部活動を続けたことの意義や、自立精神が養われたことを振り返っている[22]

大学時代[編集]

大学進学にあたり中村は理論物理や数学を志していたが、教師の就職を考慮した助言により工学部を選択[23]徳島大学工学部電子工学科へ進学する。下宿で専門書を読み耽るとともに、哲学の思索にも時間を割く[24][25]。また、3年生の時に後に妻となる教育学部の同級生の女性と出会い、交際を始めている[26]

3年生では当時助教授であった福井萬壽夫の固体物性の授業に面白さを感じ、中村は材料物性に興味を持つ[6]。卒業研究では同分野の教授である多田修の研究室に所属し、実験装置の手作りを重視するスタイルを学ぶとともに、溶接旋盤作業も経験する[16][5][27]

中村はトップクラスの成績[5]で学部を卒業後、同大学大学院工学研究科修士課程に進学[28]。なお、大学院進学にあたっては大学院に博士課程のある京都大学も受験していたが、1点差で不合格になってしまっていた[28]。大学院1年生の時に結婚し、修了時には子供もいた[16][29]

大学院修了を控えて松下電器産業の採用試験を受ける。成績は学部・修士とトップで徳大大学院の推薦枠もあり、面接もきちんと受け答えできたが、不採用となる。これについて、指導教授の多田からは卒業研究の論述で理論的なことを書きすぎたためと指摘され、中村自身は材料以外はやりたくないと答えたことも一因と分析している[30]。その後、中村は京セラを受験。この時の面接官は創業者の稲盛和夫で、中村は合格した[31]。しかし、家族の養育の関係から、地元就職を希望。指導教授の多田の斡旋により日亜化学工業を受ける[32][33][34]。採用時期を過ぎていて断られかけたものの、英語の成績が良かったことが幸いして採用された[5]

エンジニア時代[編集]

大学院修了後、日亜化学工業に就職し、開発課に配属される[35]。現場の職人からガラスの曲げ方などを習い、自らの手で実験装置などの改造を行った。これらの経験が、CVD装置の改良に生かされ、後の発明に繋がる。

日亜化学工業時代に商品化したものとしては、ガリウム系半導体ウェハーなどがあったが、ブランド力や知名度が低く、売れなかった。そこで、まだ実用化できていないものに取り組もうということで、青色発光ダイオードおよび青色半導体レーザーに挑戦することを決意。青色発光ダイオードの開発を社長の小川信雄に直訴し、中小企業としては破格の約3億円の開発費用の使用を許される[36]

青色発光ダイオードの開発[編集]

中村は1年間、アメリカ合衆国フロリダ大学へ留学する。MOCVD を勉強するための中村の希望であったが、日亜化学としては元々、徳島大学助教授酒井士郎の勧めで、フロリダ大学へ誰か社員を派遣する計画であった[37][38]。中村は修士修了で博士号を持っていなかったため、留学先で研究者として見てもらえず悔しい思いをしており、「コンチクショー」と博士号取得や論文執筆への意欲を新たにした[39]

1年間の留学後、日亜化学工業に戻り、2億円ほどするMOCVD装置の改造に取り掛かる。会社命令を無視、会議にも出席しない、電話に出ない、と、通常のサラリーマンとしては失格と言われても仕方のない勤務態度だったが、度量の広い創業者社長のおかげで破格の研究費の下で実験を続けた[40]。なお、2014年に中村修二へのノーベル物理賞授与が発表されたとき、中村修二はインタビューに応えて「日亜化学の先代社長の小川信雄氏には感謝している。彼の研究支援がなかったらこのノーベル賞はなかった」と述べている[7]

当時の応用物理学会、研究会などではセレン系に注目が集まっていた。しかしながら、ガリウム系の研究会は人数も少なかった。あれだけ優秀な人たちが取り組んでもうまくいかないならば、むしろ終わったとされる分野に挑んだ方が良いということで、ガリウムに着目。その後、青色発光素子であるGaN(窒化ガリウム)の結晶を作製するツーフローMOCVDを発明し、窒化ガリウムによる高輝度青色発光ダイオードの開発に参加した。

工学者[編集]

青色発光ダイオードが製品化されて以降、1994年頃から中村は国内外の学会などで多くの講演をこなすことになる[41]。しかし日亜化学工業で給料以外に発明に対して得た報奨金を聞いたアメリカの研究者仲間からは低すぎる対価に甘んじているとして「スレイブ・ナカムラ」(スレイヴ=奴隷)とあだ名された[42][43][44][45]

また、1998年11月に東京大学客員教授の誘いが来る。相談を受けた日亜化学常務の小山稔は引き受けることを勧めたが、中村は日亜化学から重要な技術情報が漏れることを恐れ、断る方針を伝えた[46]。小山は中村の日亜化学に対する忠社精神を指摘するとともに、すでに重要な技術は研究の段階から生産現場へ移っていたことから、中村が現場における「“真の進歩”に気が付いていないのではないか」と思ったと回想している[47]

中村は管理職として研究の現場から離れつつあり[48]、LED関係の開発に目途が立ち、研究テーマの観点からも日亜でやることがなくなりつつあった[49]。中村はアメリカの企業や大学から多くのオファーを受け、「スレイブ・ナカムラでは耐えられない」という思いもあり、娘からの「もったいない」という言葉がきっかけで転身を決意[50]

1999年12月27日に日亜化学を退社。2000年2月に、半導体関係に強くスティーブン・デンバース教授が誘ってくれた[51]カリフォルニア大学サンタバーバラ校(UCSB)・材料物性工学科[11][12]教授に就任する[52][49]

訴訟[編集]

2000年12月にアメリカ・ノースカロライナ州東部地区連邦地方裁判所において、日亜化学はトレードシークレット(営業秘密)漏洩の疑いで中村を提訴した[53][54]。裁判終結までの間、中村は米国訴訟におけるディスカバリー制度の対応のため、情報提供や反論の準備にかなりの時間を取られ、研究に支障が生じた[55]

その後2001年8月23日に、中村が日亜化学工業を提訴[56][57]。中村は、日亜化学工業に対してツーフローMOCVD(通称404特許と呼ばれる)の特許権譲渡および特許の対価の増額を求めて争った(通称「中村裁判」(青色LED訴訟)、詳細は404特許を参照)[58][59]。中村は、「サンタバーバラの自宅や大学の研究室を調べられ、心身ともに疲弊した。裁判を通して続けられる日亜化学の執拗な攻撃をやめさせるために、日本で裁判を起こした」と言う[55]

日亜化学が中村を訴えた米国での訴訟については、2002年10月10日に棄却となる[60]。日本での訴訟では、2004年1月30日に404特許の発明の対価の一部として、東京地裁は日亜化学工業に対して中村に200億円を支払うよう命じた。日亜化学工業側は控訴し、2005年1月11日の東京高等裁判所の判決では、404特許を含む全関連特許などの対価などとして、日亜化学工業側が約8億4000万円を中村に支払うことで和解が成立する[61]

なお、日亜化学工業は同訴訟中に、量産化に不可欠な技術は、若手の研究員が発見した「アニール」技術であり[62][注 4]、すでに存在していた平滑なGaNの膜を得るためのツーフローMOCVDは無価値だと述べており、訴訟終了後に特許権を中村に譲渡することなく放棄している[63]。この高裁控訴審において高裁から示された和解勧告に対し、中村は弁護士とは異なる記者会見を設け「日本の司法は腐っている」と述べた[64][59][注 5]

UCSB[編集]

2005年東京理科大学大川和宏研究グループとの共同研究による、窒化物半導体を用いた光触媒デバイスを発表[65]。窒化ガリウムの結晶と導線で結んだ白金電解質水溶液に浸し、窒化ガリウムにを当てることで電流を発生させ、電気分解することによって水素酸素に分離することに成功した。光を使って水から水素を容易に取り出せることから、新たなエネルギー変換技術として期待されている。また、2007年にはUCSBにおいて世界初となる無極性青紫半導体レーザーの開発に成功している[66]

アメリカの大学教授は企業のコンサルティングやベンチャー企業立ち上げも良く行っており、中村もLED電球のベンチャーを立ち上げたり[67]、韓国企業のソウル半導体英語版への技術指導や共同研究を行ったりしていた[68][69]。また、中国の大学や企業で名誉教授やアドバイザーを務めるとともに、日本においても鳥取大学信州大学徳島大学愛媛大学東京農工大学で客員教授を務めている[70][71]

以前から「ノーベル賞に最も近い男」と言われることもあったが、青色発光ダイオードの開発から20年経っても受賞できず、2013年末には「来年取れなかったら当分無理かもしれない」と恩師の多田にこぼしていた[5]。しかし2014年赤崎勇天野浩と共にノーベル物理学賞を受賞することが決定する[注 2][10][8]

なお、アメリカで研究を続ける都合により、中村は米市民権を取得していた[2]。ノーベル賞受賞者発表時には一般に知られておらず、またプレスリリースにある「American Citizen」の解釈でインターネット上の議論を巻き起こした[72]。ちなみに受賞後のインタビューにおいて、本人は米国籍を取得したが日本国籍を捨てたわけではないと答えている[3]が、日本の国籍法は自ら他国の国籍を保持した際の二重国籍を認めていないため、本人の意思とは関係なく米国籍の取得時点で日本国籍を自動的に喪失していると考えられる[73](「帰化#単独日本国籍保持者の他国への帰化」も参照)。

平成26年11月4日官報では、「アメリカ合衆国人 中村修二 文化勲章を贈与する」とされており、日本人として「文化勲章を授ける」とされた他の6人の文化勲章受章者とは明確に異なる取扱いがなされている。

SORAA[編集]

2006年にGaN-on-GaNの技術を再度挑戦し成功した中村修二は、中村修二を含むUCSBの教授ら3人で2008年にベンチャー企業、SORAAを立ち上げた。 SORAAの製品は、世界初の全可視スペクトラムを持つLEDを製造し、演色性が高く自然な白さを生み出す製品として知られている。 

経歴[編集]

略歴[編集]

主な学術賞歴[編集]

栄典・受勲[編集]

著作[編集]

学位論文[編集]

単著[編集]

共著[編集]

解説[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ a b Shuji Nakamura, American citizen. Born 1954 in Ikata, Japan. 」“The 2014 Nobel Prize in Physics - Press Release” (プレスリリース), Nobelprize.org, (2014年10月7日), http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/physics/laureates/2014/press.html 2014年10月9日閲覧。 中段下参照。
  2. ^ a b 受賞者3人の貢献度は、それぞれ1/3。 - The Nobel Prize in Physics 2014” (2014年). 2014年10月11日閲覧。
  3. ^ Solid State Lighting & Energy Electronics Center:SSLEEC。
  4. ^ なお、最初にGaNでp型を作成することに成功したのは電子ビームを用いた天野浩であり、長くGaNでp型を実現できずにいた理由を解明したのは中村である (中島林彦 2014, p. 19)。
  5. ^ この発言に対し、通常では和解内容は非公開であることが原則であるが、和解による結審において高裁裁判所の見解が別途述べられるという異例ずくめの控訴審となった。
  6. ^ 受賞理由:青色発光半導体デバイスの開発、共同受賞者:赤崎勇天野浩
  7. ^ 青色発光ダイオード (LED)など「革命的な発光デバイスの発明」を理由に受賞
  8. ^ 大型ディスプレーなどの開発で先進的な役割を果たしたことが評価されて

出典[編集]

  1. ^ 中村 2002c, p. 106.
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  3. ^ a b c 四国新聞、2014年10月8日、23面。および徳島新聞、2014年10月8日、29面。
  4. ^ 平成26年11月4日付け『官報』(号外第243号)28頁
  5. ^ a b c d e “いたずら好きでやんちゃ-徳島大の恩師「感激」”. 四国新聞: p. 23. (2014年10月8日) 
  6. ^ a b 畠山憲司 2014, p. 186.
  7. ^ a b “中村修二教授「開発が偉大でも市場で勝てない」”. 読売新聞. (2014年10月8日). http://www.yomiuri.co.jp/science/20141008-OYT1T50134.html?from=ytop_main1 2014年10月8日閲覧。 
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  9. ^ a b 中村修二 1994.
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  83. ^ “文化勲章にノーベル賞の天野さん・中村さんら7人”. 朝日新聞. (2014年10月24日). http://www.asahi.com/articles/ASGBQ46FTGBQUCVL001.html 2014年11月5日閲覧。 
  84. ^ 愛媛県県民賞贈呈式等の開催に関する記者発表の要旨について”. 2015年2月5日閲覧。
  85. ^ 中村修二氏 大洲市名誉市民の選定について”. 大洲市 (2014年12月16日). 2015年2月12日閲覧。

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参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

インタビュー