ホノリウス3世 (ローマ教皇)

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ホノリウス3世
第177代 ローマ教皇
Giotto di Bondone 073 (Honorius III).jpg
教皇就任 1216年7月18日
教皇離任 1227年3月18日
先代 インノケンティウス3世
次代 グレゴリウス9世
個人情報
出生 1148年
Flag of the Papal States (pre 1808).svg 教皇領ローマ
死去 1227年3月18日
Flag of the Papal States (pre 1808).svg 教皇領、 ローマ
その他のホノリウス (曖昧さ回避)
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ホノリウス3世(Honorius III, 1148年 - 1227年3月18日)はローマ教皇(在位:1216年 - 1227年)。出生名チェンツィオ・サヴェッリ(Cencio Savelli)。

生涯[編集]

ローマ貴族の家系に生まれた。1188年サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂律修司祭に就任、1193年助祭枢機卿に任命された。1197年にはシチリア王フェデリーコ1世(後の神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世)の家庭教師も務めた。1200年インノケンティウス3世によって司祭枢機卿に昇格、1216年のインノケンティウス3世の没後のコンクラーヴェで教皇に選ばれた[1][2][3]

教皇就任後は第4ラテラン公会議で決議された十字軍の結成に力を尽くし、教会や修道院へ課税したり諸外国の調停に当たった。フランスフィリップ2世アラゴンハイメ1世との間を調停、イングランドヘンリー3世を支持、ラテン帝国皇帝ピエール2世・ド・クルトネーの戴冠者、ボヘミア教会の諸権利の擁護者としてヨーロッパの政治に卓抜した役割を果たした。1220年4月にフリードリヒ2世が息子ハインリヒ7世ローマ王に選出させた時は抗議したが、十字軍計画が流れないようにするためあまり追及せず、11月22日にフリードリヒ2世を皇帝に戴冠した[1][2][3][4]

ところが、肝心の十字軍は上手くいかず、フリードリヒ2世に十字軍の参加を約束させたが、日付を先延ばしにして約束を守ろうとはしなかった。他の王侯貴族も同じく教皇の呼びかけに答えず、ハンガリーアンドラーシュ2世ジャン・ド・ブリエンヌらフランス・ドイツ諸侯が結成した第5回十字軍1217年に出発、ダミエッタを占領したが、後から参戦した教皇使節ペラギウスと諸侯との対立などで失敗に終わった[1][2][3][5]

他の地域にも十字軍派遣を命じ、レコンキスタが中断していたスペインに関心を向けた。1217年末に訪問したトレド大司教英語版ロドリゴ・ヒメネス・デ・ラダを教皇特使に任命し十字軍を組織させたが、翌1218年カセレス包囲、1219年1220年の2度にわたるレケナ包囲がいずれも失敗すると、1221年レオンアルフォンソ9世を支援する方針に切り替え、スペインのキリスト教徒にアルフォンソ9世への助力を呼びかけたが、レオン軍も成果を挙げられなかった。一方、1226年にフランス王ルイ8世アルビジョア十字軍参加を求めている[1][2][3][6][7]

ホノリウス3世はフリードリヒ2世を次の十字軍に参加させるべく破門をちらつかせたため、1227年にフリードリヒ2世は第6回十字軍を率いることにしたが、ホノリウス3世は出発前の3月18日に死去。後継者のグレゴリウス9世は強硬派であり、十字軍の遅延を理由にフリードリヒ2世を破門したため、皇帝と教皇の関係は悪化、イタリア政策を巡って両者は対立していくことになる。なお、1285年に選出された教皇ホノリウス4世は大甥に当たる[1][2][3][6][8]

キリスト教の布教のためドミニコ会カルメル会を承認、フランシスコ会の会則を認可し、ベギン会も承認、数多くの著作も生み出した。『教皇列伝』の増補、書簡集、説教集、1226年に教会法の最初の集大成である教令集『第5集令』などがある[1][2][3][6][9]セルビアステファン・ネマニッチにも王冠を授け、セルビア王国の地位を認めた[10]

後世、『教皇ホノリウスの奥義書』(17世紀以降)という魔法書が出回り、実は魔術師だったのではないかとの噂が生じた[2]。これについては、教会に迫害された魔術師たちが報復のために最も正統的な教皇に罪を着せたという説[11]や、後に異端として断罪されることになるテンプル騎士団を庇護したためではないかとする説[12]がある。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f キリスト教人名辞典、P1497。
  2. ^ a b c d e f g バンソン、P109。
  3. ^ a b c d e f 新カトリック大事典編纂委員会、P691。
  4. ^ スチュアート、P138、瀬原、P482 - P483。
  5. ^ スチュアート、P138 - P139、瀬原、P488 - P489。
  6. ^ a b c スチュアート、P142 - P143。
  7. ^ ローマックス、P181 - P183。
  8. ^ 瀬原、P489 - P490。
  9. ^ 瀬原、P357。
  10. ^ スティーヴン・クリソルド編、柴宜弘、高田敏明、田中一生訳『ユーゴスラヴィア史 増補版』恒文社、1993年3月、P105。
  11. ^ アルフレッド・モーリー 『魔術と占星術』有田忠郎・浜文敏訳、白水社、1993年、p.141頁。 
  12. ^ Davies, Owen (2009). Grimoires - A History of Magic Books. Oxford University Press. pp. p.34 

参考文献[編集]

関連項目[編集]