グレゴリウス14世 (ローマ教皇)
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| グレゴリウス14世 | |
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| 第229代 ローマ教皇 | |
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| 教皇就任 | 1590年12月5日 |
| 教皇離任 | 1591年10月16日 |
| 先代 | ウルバヌス7世 |
| 次代 | インノケンティウス9世 |
| 個人情報 | |
| 本名 |
ニッコロ・スフォンドラート Niccolo Sfondrato |
| 出生 |
1535年2月11日 ミラノ公国、ソンマ・ロンバルド |
| 死去 |
1591年10月16日(56歳没) |
| その他のグレゴリウス | |
グレゴリウス14世(Gregorius XIV,1535年2月11日 - 1591年10月16日)はローマ教皇(在位:1590年 - 1591年)。クレモナ出身で本名はニッコロ・スフォンドラート(Niccolo Sfondrato)。短い在位期間であったが、スペイン寄りの政治姿勢を示してフランス王アンリ4世を破門した。
生涯[編集]
ソンマ・ロンバルド生まれの教皇は、1590年12月5日にウルバヌス7世のあとを継いだ。彼は既に修道者として高い評価を得ていた。にもかかわらず在位期間が短かったため、特に大きな事件はなかった。特筆すべきことは、スペイン王フェリペ2世とマイエンヌ大公の強い勧めを受けてフランスのアンリ4世を異端・迫害者として破門したことのみである。教皇はさらにフランスへの侵攻を準備させた。フランスではこの行動は歴代の教皇達がとってきたフランスとスペインのバランスをとる政策の放棄とみられた。教皇は選出時にスペイン枢機卿団の後押しをうけた事実があったため、当然反フランス的行動もスペインよりのものと考えられた。
伝記によれば教皇は時々笑い出してとまらなくなることがあったようである。自身の戴冠式でもその癖が出たという。教皇が70gもあったという胆石が原因で死去するとその後をインノケンティウス9世が引き継いだ。
脚注[編集]
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