ボニファティウス1世 (ローマ教皇)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
| ボニファティウス1世 | |
|---|---|
| 第42代 ローマ教皇 | |
|
| |
| 教皇就任 | 418年12月28日 |
| 教皇離任 | 422年9月4日 |
| 先代 | ゾシムス |
| 次代 | ケレスティヌス1世 |
| 個人情報 | |
| 出生 |
不明 |
| 死去 |
422年9月4日 |
| その他のボニファティウス | |
| テンプレートを表示 | |
ボニファティウス1世(Bonifatius I, ? - 422年9月4日)は、第42代ローマ教皇(在位:418年12月28日 - 422年9月4日)。アウグスティヌスと同時代に生きた。
教皇ゾシムスの死去に伴って、2つの陣営から2人の教皇の候補が立てられた。1人はボニファティウス1世であり、もう1人はエウラリウスである。ガッラ・プラキディアは西ローマ帝国皇帝ホノリウスに調停を願い出たが、ホノリウスは2人ともローマから追放する命令を出してしまった。復活祭が過ぎると、エウラリウスはローマに戻り、勝手に洗礼を行った。これを聞いたホノリウスは怒り、エウラリウスの身分を剥奪してローマから再び追放した。そして418年12月28日にボニファティウス1世が教皇の座に就いた。
ボニファティウス1世はペラギウス主義に反対し、東ローマ帝国皇帝テオドシウス2世を説得して司法権をイリュリクムに取り戻し、ローマ教皇庁の権利を守った。
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