ヨハネス17世 (ローマ教皇)

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ヨハネス17世
第140代 ローマ教皇
教皇就任 1003年6月13日
教皇離任 1003年11月6日
先代 シルウェステル2世
次代 ヨハネス18世
個人情報
出生 不明
教皇領ローマ
死去 1003年11月6日
教皇領ローマ
その他のヨハネス
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ヨハネス17世(Ioannes XVII、? - 1003年11月6日)は、ローマ教皇(在位:1003年6月13日 - 1003年11月6日)。本名はジョバンニ・シッコ(Giovanni Sicco)。ローマ出身。

神聖ローマ皇帝オットー3世を追放したのちローマの実権を掌握したローマ貴族ヨハネス・クレッシェンティウス(クレッシェンティウス2世の息子)の指名を受け、シルウェステル2世の後を継いで教皇に就任した。就任からわずか5か月で死去する。聖職に叙階される前の時点で結婚しており、息子のうち3人は司教に就任している。

「ヨハネス(ヨハネ)」の名を冠した正統な教皇は、17世の前は15世(在位:985年 - 996年)である。一般的に16世(在位:997年-998年)は対立教皇とされており、17世は本来ならば「16世」とすべきところであるが、それは修正されていない。また、14世と15世の間にもう一人の「教皇ヨハネス」がいたという説があり、その伝説の教皇を「16世」とすることがあったことからも、16番目の「教皇ヨハネス」は「ヨハネス17世」を称することとなった。ヨハネス17世自身は自ら17世を称していたことから当時の認識も17番目であったことが窺える。一部の歴史学者によると、しばしばヨハネス17世は「18世」とされたり、「17世(18世)」と併記されたりしたという。

ヨハネス17世からはじまる「教皇ヨハネス」の番号の混乱はその後も続き、20世が存在しなかったにもかかわらず、そののち21世(在位:1276年 - 1277年)・22世(在位:1316年 - 1334年)・23世(在位:1958年 - 1963年)と数えられ現在に至っている。