長篠城駅

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長篠城駅*
駅舎(2006年8月)
ながしのじょう
Nagashinojō
鳥居 (1.5 km)
(1.3 km) 本長篠
地図
所在地 愛知県新城市長篠森下19
北緯34度55分34.00秒 東経137度33分54.56秒 / 北緯34.9261111度 東経137.5651556度 / 34.9261111; 137.5651556座標: 北緯34度55分34.00秒 東経137度33分54.56秒 / 北緯34.9261111度 東経137.5651556度 / 34.9261111; 137.5651556
所属事業者 東海旅客鉄道(JR東海)
所属路線 CD 飯田線
キロ程 30.8 km(豊橋起点)
電報略号 ナセ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度-
47人/日(降車客含まず)
-2019年-
開業年月日 1924年大正13年)4月1日
備考 無人駅
* 1943年に長篠古城址駅から改称。
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長篠城駅(ながしのじょうえき)は、愛知県新城市長篠森下にある、東海旅客鉄道(JR東海)飯田線である。

当駅は、豊橋駅(愛知県)と辰野駅長野県)を結ぶJR飯田線の途中駅中間駅)の一つである。新城市長篠地区に位置する。駅名は、駅付近に位置し、長篠の戦いに関連する長篠城にちなむ。

歴史[編集]

当駅を開設した鳳来寺鉄道は、現在のJR飯田線中南部に当たる大海 - 三河川合間を運営していた私鉄である。この区間開通は1923年(大正12年)のことだが、当駅はそれから1年遅れた翌1924年4月に開設された。当時は「長篠古城址駅」(ながしのこじょうしえき)という駅名を称した。

1943年8月、鳳来寺鉄道は買収・国有化されて国鉄飯田線が成立、それに伴って当駅も国鉄の駅となった。この国有化に伴い、現在の「長篠城駅」へ改称した。1971年(昭和46年)には開業時から行っていた貨物の取り扱いを終了し、旅客専用駅となって1987年4月の国鉄分割民営化を迎えてJR東海に移管された。

年表[編集]

駅構造[編集]

単式ホーム1面1線を有する地上駅である。ホームは片側(ここでは南側)のみに線路が接す[単式ホーム(片面ホーム)であり[5]、上下列車双方ともこのホームを使用する。かつてはこのホームの反対側(南側)にさらに1面ホーム(上りホームに相当)があったが、ホーム跡は残るものの線路は撤去されている[5]

かつては木造駅舎が使用されていたが、を模した駅舎に改築された[3][6]。1971年以降無人駅(駅員無配置駅)であり、管理駅駅長配置駅)である豊川駅の管理下に置かれている[7]

停車列車[編集]

長篠城駅には、豊橋方面(上り)・飯田方面(下り)の双方共1時間当たり概ね1本(ラッシュ時は最大2本)の普通列車が停車する。特急伊那路」と上りに設定されている快速列車は通過する。

駅周辺[編集]

隣の駅[編集]

東海旅客鉄道(JR東海)
CD 飯田線
快速
通過
普通
鳥居駅 - 長篠城駅 - 本長篠駅

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB、1998年、99-100頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 桜ヶ丘ミュージアム 編『飯田線展』桜ヶ丘ミュージアム、2003年、100頁。 
  3. ^ a b 鉄道ピクトリアル』第48巻第4号、電気車研究会、1998年4月、84頁。 
  4. ^ 【社長会見】TOICA利用エリアの拡大について』(プレスリリース)東海旅客鉄道、2023年12月21日。 オリジナルの2023年12月21日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20231221130449/https://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000043119.pdf2023年12月21日閲覧 
  5. ^ a b 川島令三『中部ライン全線・全駅・全配線』 第4巻 塩尻駅-名古屋東部、講談社、2010年、34(配線図),75頁。ISBN 978-4-06-270064-1 方角は配線図と実際の地図との対照から補記。
  6. ^ 笠原香・塚本雅啓『タイムスリップ飯田線』大正出版、2007年、97頁。ISBN 978-4-8117-0657-3 
  7. ^ 東海旅客鉄道(編)『東海旅客鉄道20年史』東海旅客鉄道、2007年、732,733頁。 

関連項目[編集]