肥前国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Ukitokko (会話 | 投稿記録) による 2020年10月25日 (日) 18:44個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎国内の施設)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

肥前国

-肥前国
-西海道
別称 肥州(ひしゅう)[1]
所属 西海道
相当領域 佐賀県長崎県対馬市壱岐市除く)
諸元
国力 上国
距離 遠国
11郡44郷
国内主要施設
肥前国府 佐賀県佐賀市大和町肥前国庁跡
肥前国分寺 佐賀県佐賀市大和町
肥前国分尼寺 佐賀県佐賀市大和町
一宮 與止日女神社(佐賀県佐賀市大和町)
千栗八幡宮(佐賀県三養基郡みやき町
テンプレートを表示

肥前国(ひぜんのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。

沿革

国絵図 慶長・正保・元禄・天保

国(のくに)、後ののくに)の分割によって7世紀末までに成立した。肥後国が『続日本紀』に初めて見える持統天皇10年(696年)までのどの時点かに、肥前国と肥後国との分割があったと推定される。 以後、奈良・平安時代は肥前国と呼ばれた。

肥前国風土記』は、全国で5つだけの、ほぼ完全な形で残る風土記の1つである。

室町時代末期にポルトガルスペインの宣教師が相次いで来訪してからは、西洋の窓口の一つとなり、天正少年使節団を出すなどした。

近世以降の沿革

国内の施設

国府

国府は、『色葉字類抄』によると、佐嘉郡にあった。現在の佐賀県佐賀市大和町惣座(久池井)にあった。 8世紀前半に造営され、そのまま移転せずに規模を変化させているが、10世紀に入ると急速に縮小していく。1975年昭和50年)から1984年昭和59年)までの発掘で政庁などの遺跡が発見された。

内陸にある国府に通じる国府津(外港)が、現在の佐賀市諸富町大津にあったと推定される。現在、惣座の国庁跡は嘉瀬川沿い、大津は筑後川沿いにあって直接通じていないが、古代は嘉瀬川(『肥前国風土記』等記載の佐嘉川に比定)の流路が異なり両地点が舟運で結ばれていた可能性がある[2]

なお、易林本の『節用集』では、「小城郡に府」と記載がある。

国分寺・国分尼寺

肥前国分寺跡
佐賀県佐賀市大和町大字久池井。

神社

延喜式内社
延喜式神名帳』には、以下に示す大社1座1社・小社3座3社の計4座4社が記載されている(「肥前国の式内社一覧」参照)。大社1社は名神大社である。
総社一宮

最も社格が高いのは田島坐神社であるが、一宮にはなっていない。一宮は中世以降、上記の2社が一宮を主張し並立した。二宮以下は不詳であるが、天山社・天山神社が三宮とされることがある。

安国寺利生塔

地域

※ 矢印→の右側は近代(1896年明治29年))以降の郡名及び市名。

  • 基肄郡(きい)→三根郡、養父郡と合わさり、佐賀県三養基郡
    • 姫社郷
    • 山田郷
    • 基肄郷
    • 川上郷
    • 長谷郷
  • 養父郡(やふ)→三根郡、基肄郡と合わさり、佐賀県三養基郡へ・郡から除外された市部は鳥栖市
    • 狭山郷
    • 屋田郷
    • 養父郷
    • 鳥栖郷
  • 三根郡(みね)→養父郡、基肄郡と合わさり、佐賀県三養基郡へ
    • 千栗郷
    • 物部郷
    • 米多郷
    • 財部郷
    • 葛木郷
  • 神埼郡(かむさき)→佐賀県神埼郡へ・郡から除外された市部は神埼市
    • 蒲田郷
    • 三根郷
    • 神崎郷
    • 宮所郷
  • 佐賀郡(さか)→佐賀県佐賀郡へ・全域が郡から除外され佐賀市
    • 城埼郷
    • 巨勢郷
    • 深溝郷
    • 小津郷
    • 山田郷
  • 小城郡(をき)→佐賀県小城郡へ・全域が郡から除外され佐賀県小城市および多久市
    • 川上郷
    • 甕調郷
    • 高来郷
    • 伴部郷
  • 松浦郡(まつら)→分割により佐賀県西松浦郡および東松浦郡、長崎県北松浦郡および南松浦郡へ・郡から除外された市部は佐賀県唐津市伊万里市、長崎県松浦市平戸市佐世保市の相浦・中里・皆瀬・大野・柚木・黒島・吉井・世知原・小佐々・宇久・鹿町・江迎の各地区および五島市
    • 庇羅郷
    • 大沼郷
    • 値嘉郷
    • 生佐郷
    • 久利郷
  • 杵島郡(きしま)→佐賀県杵島郡へ・郡から除外された市部は武雄市
    • 多駄郷
    • 杵島郷
    • 能伊郷
    • 島見郷
  • 藤津郡(ふしつ)→佐賀県藤津郡へ・郡から除外された市部は鹿島市および嬉野市
    • 鹽田郷
    • 能美郷
  • 彼杵郡(そのき)→分割により長崎県西彼杵郡および東彼杵郡へ・郡から除外された市部は長崎市佐世保市の本庁地区管内・日宇・三川内・早岐・広田・宮・江上・針尾の各地区、諫早市の多良見地区、西海市
    • 大村郷
    • 彼杵郷
  • 高来郡(たかく)→分割により長崎県北高来郡および南高来郡へ・全域が郡から除外され、諫早市島原市雲仙市南島原市長崎市の旧西彼杵郡東長崎町に含まれる古賀・戸石地区へ
    • 山田郷
    • 新居郷
    • 神代郷
    • 野島郷

中世荘園公領

  • 旧基肄郡
    • 公領
      • 基肄郡
    • 荘園
      • 姫方荘
      • 神邊荘
      • 小倉荘
  • 旧養父郡
    • 公領
      • 養父郡
      • 苽生野保
      • 義得保
    • 荘園
      • 養父荘
      • 鳥栖荘
      • 幸津荘
      • 幸津新荘
      • 中津隈荘
      • 村田荘
  • 旧三根郡
    • 公領
      • 三根郡
      • 矢俣保
    • 荘園
      • 米多荘
      • 織部荘
      • 下毛御薗
  • 旧神埼郡
    • 公領
      • 神埼郡
      • 宮人保
    • 荘園
      • 神埼荘
      • 三津荘
      • 石動荘
  • 旧佐賀郡
    • 公領
      • 佐賀郡
      • 防所保
    • 荘園
      • 巨勢荘
      • 佐賀荘
      • 鹿瀨荘
      • 牛島荘
      • 蠣久荘
      • 河副南荘
      • 河副北荘
      • 興賀荘
  • 旧小城郡
    • 公領
      • 小城郡
      • 晴氣保
    • 荘園
      • 大楊荘
      • 赤目荘
      • 曾禰崎荘
  • 旧松浦郡
    • 公領
      • 松浦郡
    • 荘園
      • 松浦荘
      • 見留加志荘
      • 草野荘
      • 大野荘
      • 御廚荘
      • 鏡荘
      • 宇野御廚
      • 庇羅牧
      • 生属牧
      • 柏島牧
  • 旧杵島郡
    • 公領
      • 杵島郡
      • 赤俣院
    • 荘園
      • 太田荘
      • 杵島荘
      • 長島荘
      • 大町荘
      • 墓崎荘
  • 旧藤津郡
  • 旧彼杵郡
    • 公領
      • 彼杵郡
    • 荘園
  • 旧高来郡
    • 公領
      • 高来西郷(たかくさいごう)
      • 高来東郷(たかくとうごう)
    • 荘園
  • その他
    • 荘園
      • 島崎荘
      • 進荘
      • 山鹿荘
      • 藤織荘
      • 倉上荘
      • 荒木田荘
      • 安富荘

江戸時代の藩

人物

国司

守護

鎌倉幕府

室町幕府

戦国時代

戦国大名

豊臣政権の大名

武家官位としての肥前守

肥前国の合戦

脚注

  1. ^ 別称「肥州」は、肥後国とあわせて、または単独での呼称。
  2. ^ 『佐賀県史』<上>、pp.35-37.

参考文献

関連項目