柴田善臣
柴田善臣 | |
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2010年宝塚記念表彰式 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 青森県上北郡東北町 |
生年月日 | 1966年7月30日(57歳) |
身長 | 164.0cm |
体重 | 53.0kg |
血液型 | A型 |
騎手情報 | |
所属団体 | JRA |
所属厩舎 | フリー |
初免許年 | 1985年 |
免許区分 | 平地 |
経歴 | |
所属 |
美浦・中野隆良(1985年 - 1993年) 美浦・フリー(1993年 - ) |
柴田 善臣(しばた よしとみ、1966年7月30日 - )は日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンター所属の騎手である。
調教師の柴田政見、柴田政人、元騎手の柴田利秋は叔父(善臣の父が長兄)にあたり、また元プロ野球選手(埼玉西武ライオンズ)の柴田博之は従兄弟(利秋の息子)にあたる。
来歴
1982年に競馬学校の第一期生として入学。1985年に騎手免許を取得し、美浦の中野隆良厩舎所属でデビュー。初騎乗は同年3月9日の中山競馬第6競走のイズミサンエイで5着、初勝利は同年4月7日の中山競馬第3競走のイズミサンエイであった。同年は12勝を挙げ、民放競馬記者クラブ賞(新人騎手賞)を受賞している。1988年の中山牝馬ステークスで、主戦の柏崎正次騎手が斤量50kgで騎乗できない為に代打としてソウシンホウジュに騎乗し、重賞初勝利を挙げた。
1993年、安田記念でヤマニンゼファーに騎乗し、GI初勝利を挙げた。これ以降、安定して勝利を重ね、関東の有力騎手として台頭。JRA通算1800勝以上を挙げ、ワールドスーパージョッキーズシリーズも2度制覇(1999年、2003年)している。そして、掲示板(5着以内)へ頻繁に入着する堅実な騎乗で3年連続JRAの関東リーディングジョッキー(2002年-2004年)に輝いている。また、夏の新潟・福島開催で好成績を残しており、中でも2002年から2004年にかけて3年連続で新潟リーディングジョッキーに輝いているほか、2001年7月14日の新潟競馬第10競走「NiLS21ステークス」ではツジノワンダーに騎乗して当時の芝2000m日本レコードとなる1分56秒4を記録している[1]。
一方で、中央GIを7勝していながら、クラシックのGIは未勝利である。また、7勝のうち6勝が東京と中京の左回りの競馬場で、右回りの競馬場では長らく中央GI勝利が無かったが、2010年の宝塚記念をナカヤマフェスタで制し、右回りの競馬場での中央GI初勝利となった。JRA主要競馬場の1つの京都競馬場の重賞は長く未勝利であったが、2007年にマイネルスケルツィで京都金杯を勝ったことにより、重賞を勝っていない競馬場は函館と小倉となった。
2001年から2005年の間は中央GIを勝つことができず、また見せ場も少なかった。しかし2006年の高松宮記念で6年振りの中央GI制覇を果たしたのを皮切りに、桜花賞、ヴィクトリアマイル、優駿牝馬といった牝馬GIの舞台で、人気薄の馬を好走させている。そして、続く東京優駿でも、初騎乗のアドマイヤメインで2着に入った。惜しくもダービージョッキーとなることは出来なかったが、例年のイメージと異なるその姿は、周囲を驚かせるに十分であった。
また2010年は、前述のように宝塚記念で4年ぶりのGI勝利の後、ラジオNIKKEI賞をアロマカフェで、七夕賞を11番人気のドモナラズで勝ち、3週連続重賞勝ちを記録した。
デビュー後、数年間は平地の他、障害競走にも騎乗していたことがあり、40戦2勝の成績を挙げている。デビューした1985年12月21日の中山大障害(秋)にスガノキングで障害重賞初騎乗を果たしている(結果は8頭中7着)。
重賞4勝馬ワシントンカラーを始め、管理馬の数多くを柴田に騎乗依頼している調教師の松山康久は、柴田を「騎乗馬の状態判断が的確であり、義理堅く、丁寧なやりとりをしてくれている」と語っているように関係者からの評判も良い。
高橋祥泰厩舎に実習に来た競馬学校2年時の田中博康(現騎手)に、調教の仕方を教えたということもあった。柴田は「常に馬と会話をしながら乗りなさい」と教え、田中はその柴田を「本当に丁寧な調教をされる」と敬意をもって評している。[2]また田中は「先輩騎手から技術を盗めるとしたら、どの騎手のどの部分が欲しい?」といった質問を受けた際も、「善臣さんのレースに行っての折り合いのつけ方」と回答している。[3]
かねてより腰の不安が指摘されていたが、2009年1月4日の中山競馬で9年7ヶ月ぶりの騎乗停止処分を受けたため、それを機会に休養し腰椎ヘルニアの手術を受けた。[4]その後約1ヶ月のリハビリに専念し、2月21日の東京競馬にて復帰、22日にはフェブラリーステークスでナンヨーヒルトップに騎乗した。
2005年3月、岡部幸雄が引退したのに伴い、かつては叔父の柴田政人も務めていた日本騎手クラブの会長に就任。2010年4月12日に東西役員総会の役員改選で後任の会長に武豊が選出され[5]、同年9月15日付で会長を退任して相談役に就いた[6]。
2001年1月21日、中山第5競走の新馬戦においてティエッチコマンドに騎乗して1着となり、JRA通算1,000勝を達成した。その後、2011年12月17日には、中山第11競走のディセンバーステークスにおいてナカヤマナイトに騎乗して1着となり、JRA通算2,000勝を達成した。[7]
代表騎乗馬
- ホクトヘリオス
- 柴田が初めて出会った名馬。今でも「ヘリオスに競馬を教わった」旨の発言をすることがある。古馬となってマイル路線に定着後に、柴田とのコンビが結成された。レースぶりは不器用そのもので、いつも後方から追い込む戦法であった。GIIまでは通用したがGIでは足りず、1着馬がゴール板に達する頃に大外から追い込んで掲示板に載る程度の成績であった。最後までGIを勝つことは無かったが、柴田とのコンビでは重賞3勝を挙げる。
- ホクトビーナス
- ホクトヘリオスの半妹で、兄と同じ中野隆良厩舎の管理馬。1989年のデビュー戦での勝利が、柴田のJRA通算100勝目となった。ダートで2連勝し、同年の桜花賞に出走したが武豊騎乗のシャダイカグラの2着に終わり、後に自著で「あの頃は未熟で、今騎乗していたならば勝っていた」と言うほど悔いの残るものであった。
- ヤマニンゼファー
- 上述に記載。
- マチカネタンホイザ
- 父は名種牡馬ノーザンテースト。母系も数々の名馬を輩出したスターロツチ系のため大変期待されていたが、血統に似合わぬズブさのため、大レースに出走するものの掲示板に載るのがやっとの有様であった。そして『一流半』の烙印を押された所で柴田に手綱が巡り、このコンビでアメリカジョッキークラブカップなど重賞を2勝した。なお、旧6歳(現5歳)秋にはジャパンカップを鼻出血で、有馬記念を蕁麻疹により連続で出走を取り消すという珍事件(いずれも柴田が騎乗する予定であった)を起こした。
- タイキフォーチュン
- 1996年の第1回NHKマイルカップを優勝。勝ちタイム1分32秒6は、2004年にキングカメハメハに破られるまでのレースレコード。柴田が騎乗することの多い厩舎の一つである、高橋祥泰厩舎の管理馬。
- オフサイドトラップ
- サイレンススズカが故障を発生し競走中止となった1998年天皇賞(秋)の優勝馬。ナリタブライアンと同期で、8歳(現・7歳)の天皇賞制覇は史上初であり、当時最年長勝利記録だった[8]。
- キングヘイロー
- 1999年の東京新聞杯より手綱を取り、2000年高松宮記念を優勝。
- ホットシークレット
- 2001年第115回目黒記念(GII)では、本来逃げ馬であるはずのこの馬を柴田の判断でわざと出遅れさせ、そのまま最後方から追い上げ、レコードタイムで勝利した。
- プリエミネンス
- 1997年生まれのアフリート産駒。川崎の関東オークス(統一GIII)を初め、札幌のエルムステークス、浦和の浦和記念(統一GII)など各地の交流重賞8勝すべてを、柴田とのコンビで挙げた。牝馬ながら2002年のJBCクラシックではアドマイヤドンの2着になるなど、男勝りな面も見せ、国内で3年間タフに活躍した。現在はアメリカで繁殖牝馬として過ごしている。
- サウスヴィグラス
- 柴田を主戦騎手とする高橋祥泰厩舎に所属した1996年生まれの外国産馬で、種牡馬エンドスウィープの代表産駒の1頭。7歳時、柴田を背にJBCスプリントを初め重賞8勝を挙げた。
- オレハマッテルゼ
- 柴田にとって6年ぶりの中央GI勝利となった、2006年高松宮記念馬。馬主は個性的な馬名を付けることで有名な小田切有一。馬名の由来は石原裕次郎のヒット曲「俺は待ってるぜ」から。ゴール前で抜け出すと遊ぶ癖があり惜敗することが多かった。マイル戦を中心に使われてきた同馬にとって高松宮記念は初挑戦の1200m戦であったが、前記の癖を掴んでいた柴田は馬を騙す為にあえてマイルでのレース運びをし、見事勝利へ導いた。
- マイネルスケルツィ
- 京都競馬場での初の重賞制覇をもたらした馬。
- アサヒライジング
- 2006年のアネモネステークスより、当時騎乗停止中であった小林淳一から乗り替わりコンビを組む。優駿牝馬やヴィクトリアマイルでもコンビを組んで好走。
- ナカヤマフェスタ
- 2010年のメトロポリタンステークスからコンビを組み、第51回宝塚記念で1番人気のブエナビスタを差し切り優勝。柴田にとって4年ぶりの、そして右回り競馬場では初の中央GI勝利となった。
成績
年度別騎乗成績
※勝利数が太字になっている年は関東リーディングジョッキーを獲得したことを意味する。勝利数、重賞勝利数は中央競馬のみ。斜字は統一GIを指し、勝利数、重賞勝利数に含まれない。
年度 | 勝利数 | 重賞勝 | GI級競走勝利 | 表彰 |
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1985年 | 12 | 0 | 民放競馬記者クラブ賞(新人騎手賞) | |
1986年 | 9 | 0 | ||
1987年 | 26 | 0 | ||
1988年 | 50 | 3 | ||
1989年 | 66 | 3 | ||
1990年 | 59 | 3 | ||
1991年 | 37 | 3 | ||
1992年 | 35 | 3 | ||
1993年 | 69 | 4 | 安田記念(ヤマニンゼファー) 天皇賞(秋)(ヤマニンゼファー) |
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1994年 | 78 | 1 | 優秀騎手賞(勝利度数部門) | |
1995年 | 87 | 5 | 優秀騎手賞(勝率部門・賞金獲得部門) フェアプレー賞(関東) | |
1996年 | 80 | 6 | NHKマイルカップ(タイキフォーチュン) | 優秀騎手賞(勝利度数部門) フェアプレー賞(関東) |
1997年 | 100 | 3 | 優秀騎手賞(勝利度数部門・賞金獲得部門) | |
1998年 | 109 | 4 | 天皇賞(秋)(オフサイドトラップ) | 優秀騎手賞(勝利度数部門) |
1999年 | 105 | 6 | 優秀騎手賞(勝利度数部門・勝率部門・賞金獲得部門) | |
2000年 | 71 | 4 | 高松宮記念(キングヘイロー) | フェアプレー賞(関東) |
2001年 | 129 | 3 | 優秀騎手賞(勝利度数部門・賞金獲得部門) | |
2002年 | 120 | 7 | 優秀騎手賞(勝利度数部門・勝率部門・賞金獲得部門) フェアプレー賞(関東) | |
2003年 | 119 | 3 | JBCスプリント(サウスヴィグラス) | 優秀騎手賞(勝利度数部門・勝率部門・賞金獲得部門) |
2004年 | 145 | 3 | ジャパンダートダービー(カフェオリンポス) | 優秀騎手賞(勝利度数部門・勝率部門・賞金獲得部門) |
2005年 | 106 | 3 | フェアプレー賞(関東) | |
2006年 | 99 | 4 | 高松宮記念(オレハマッテルゼ) | |
2007年 | 58 | 3 | フェアプレー賞(関東) | |
2008年 | 56 | 0 | フェアプレー賞(関東) | |
2009年 | 46 | 1 | ||
2010年 | 83 | 4 | 宝塚記念(ナカヤマフェスタ) | フェアプレー賞(関東) |
2011年 | 47 | 4 | フェアプレー賞(関東) | |
通算 | 2001 | 83 |
日本国外での騎乗成績
騎乗日 | 騎乗馬 | レース名 | 距離 | 着順 | 開催場 |
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1995年12月10日 | ドージマムテキ | 香港国際ボウル | 芝 1400m | 5/14 | 香港 沙田 |
2002年3月23日 | ホットシークレット | ドバイシーマクラシック | 芝 2400m | 7/15 | アラブ首長国連邦 ナド・アルシバ |
2011年9月11日 | ナカヤマナイト | ニエル賞 | 芝 2400m | 6/6 | フランス ロンシャン |
2011年10月1日 | ナカヤマナイト | ドラール賞 | 芝 1950m | 10/11 | フランス ロンシャン |
初騎乗成績
日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
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初騎乗 | 1985年3月9日 | 2回中山5日6R | 4歳未勝利 | イズミサンエイ | 14頭 | - | 5着 |
初勝利 | 1985年4月7日 | 3回中山6日3R | 4歳未勝利 | イズミサンエイ | 13頭 | - | 1着 |
重賞初騎乗 | 1987年4月26日 | 2回東京1日11R | 京王杯スプリングカップ | タイテールポ | 18頭 | 13 | 15着 |
重賞初勝利 | 1988年2月28日 | 2回東京2日11R | 中山牝馬ステークス | ソウシンホウジュ | 8頭 | 7 | 1着 |
GI初騎乗 | 1987年5月17日 | 2回東京8日10R | 安田記念 | タイテールポ | 19頭 | 13 | 17着 |
GI初勝利 | 1993年5月16日 | 2回東京8日10R | 安田記念 | ヤマニンゼファー | 16頭 | 2 | 1着 |
エピソード
競馬が一番の趣味と断言する柴田は、プライベートにおいても趣味の人として知られる。2005年11月にはNHKBSの『にっぽん釣りの旅~伝統のカモシで誘え 巨大ヒラマサ~』にゲスト出演するなど、釣りの腕前はプロからも一目置かれている。番組内での釣果はゴマサバとマダイのみだったが、後日再挑戦に成功した。[9]
2006年7月には、自分の次男・三男や、釣り仲間の谷中公一調教助手(元騎手)と共に、茨城県日立沖でメバル釣りに挑戦した。柴田は釣りと競馬を重ね合わせた勝負哲学を披露しながら、13匹という最大の釣果を挙げた。そして最後は騎乗馬のオレハマッテルゼを引き合いに出し「こんな楽しい乗船依頼なら、いつでもおれは待ってるぜ」という名言で締めくくった。[10]これは日刊スポーツの企画であったが、柴田はプライベートでも、7月・8月の新潟競馬開催期間に息子を連れて海へ出かけるなど、子煩悩な一面を見せている。
また「どの釣りが好きか?」との問いに対しては「すべての釣りが好き。川でも海でも磯でも船でも。どんな釣りというより、普段の仕事・生活から離れて、自然の中で釣りに没頭する。その状況自体が好きなんだよね」と答えている。[11]また、釣りなどで使う船を牽引するために牽引免許を取得するほどである[12]。
2009年には、次男が翌年度の競馬学校騎手課程(29期生)に合格したことが発表された[13]。また同年、三男がジョッキーベイビーズの関東地区予選に出場したが最下位に敗れた[14]。翌年の競馬学校入学式では次男が力強く生徒宣誓の大役を務め上げ、騎手会長で来賓として出席した柴田も報道陣からコメントを求められた際には「3年間を耐えられないようじゃダメだし、騎手にもなれない。しっかり頑張って欲しい。」と辛口のエールを送っていたが、その後に向けられた息子との記念写真のカメラの前では相好を崩した[15]。
動物好きの柴田は猛禽類も愛し、以前はハヤブサの「ピー」を飼っていたが、野生に帰った(逃げられた)為、現在はノスリの「クー」ほか、計2羽の鷹を飼っている(しかし騎手会長職等の多忙さから今は手元にいない)。2010年に月刊誌UMAJINが企画した騎手からの年賀状では、鷹匠としての柴田の姿のみが印刷され、馬はどこにも写っていない。また、夫人が中心ではあるが犬のブリーディングも手掛け、休日(平日)にはドッグショーにも参加し、自らハンドリングもする。代表格の「ジェリタ」を初め、犬達の名前はバリ島に傾倒する夫人により名付けられ、それぞれインドネシア語に由来する。2006年FCIアジアインターナショナルドッグショーにて愛犬のサルーキーがBOB(ベストオブブリード)を獲得した。[16]
柴田自身もワインについて造詣が深く、ワインの同好会に参加するほか、自身のブログの中でワインを選ぶ際のポイントや、愛用のワイングラス「ロブマイヤー・バレリーナ」について述べている[17]。さらに趣味は多岐に渡り、2008年秋には当時日本に1台も輸入されていなかったイタリア製の三輪スクーター、ジレラFUOCO500ieを購入したことをブログで取り上げていた[18]。ブログはその後「騎手会長の仕事がかなり忙しくなってきたため」休止していたが、2011年7月12日にアメーバブログにて再度開設されている。[19]
2006年6月14日のプロ野球、千葉ロッテマリーンズ - 横浜ベイスターズ戦では始球式のプレゼンターを務めた。当日は背番号「ヨシトミ」のロッテのユニフォームを着用。競馬(関東のGI)のファンファーレが流れる中、一塁側外野のグラウンド入り口から馬に跨って登場。見事なストレートで空振りを奪ったその始球式は、実況の矢野吉彦アナウンサーが、自分が見た始球式の中でベスト3に入ると絶賛するほどであった[20]。しかし柴田本人は「採点をすれば45点」「もっと速い球を投げられるのに打者に当ててはいけないと自重してしまった」と辛口だった。2008年にも千葉マリンスタジアムでの始球式を行ったが、これは前回のストレートとは異なりワンバウンドであり、本人もあまり満足していなかった。なお、柴田以外では田中勝春と後藤浩輝がこの時に投げている。
一番の趣味である本職の騎手稼業では、近年前述した持病の腰痛の悪化により大幅に勝ち星を減らしていたが、腰の手術や騎手会長の重責からの解放などが重なり、2010年には自身初のJRA重賞3週連続制覇など復調の兆しを見せている。腰の痛みはかなりのものだったようで、大好きなゴルフもままならず、2009年1月に騎乗停止処分を受けた日に酒の席であまりの痛みに耐えきれず、店から病院に向かい手術を受けた[21]。手術からの復帰後初のG1勝ちとなった宝塚記念では、入線時に左手を小さく握り喜びを表現しただけで、インタビューでも「忘れたころにやりました」と言葉少なだったものの[22]、G3七夕賞の入線後は派手なガッツポーズを見せ、勝利騎手インタビューでは勝ち馬名のドモナラズにかけ「どうにかなった」と駄洒落を言ってみたり[23]、次走がそれまで自身が騎乗をしたことがない小倉競馬場で行われる小倉記念と知ると「やった、引退前に小倉に行ける」と周りを笑わせるなど[24]、ことのほか饒舌だった。
テレビ出演
著書
- 善臣の仕事(アスペクト ISBN 4757201036)
- 素顔のままで 善臣の仕事2(アスペクト ISBN 4757204620)
関連項目
外部リンク
- JRAホームページ騎手名鑑「さ行」→「し」→「柴田善臣」(直接リンクができないため、このような表記をしている)
- 柴田善臣 (@jelita0113) - X(旧Twitter)
- 柴田善臣オフィシャルブログ「わたしのたからもの」 - 公式ブログ
脚注・出典
- ^ 現在の芝2000m日本レコードは2011年10月30日の天皇賞(秋)でトーセンジョーダン(ニコラ・ピンナ騎乗)が記録した1分56秒1。
- ^ netkeiba.com『ホソジュンのステッキなお話 田中博康騎手』より
- ^ 『競馬最強の法則』2009年9月号
- ^ 日刊スポーツ 2009年1月8日
- ^ ラジオNIKKEI 2010年4月21日付
- ^ sanspo.com 2010年9月16日付
- ^ JRA公式ウェブサイト 騎手名鑑『柴田善臣』表彰暦・記録より
- ^ 2009年の天皇賞(秋)で、カンパニーが8歳(旧表記9歳)で勝利し、記録を更新している。
- ^ NHKにっぽん釣りの旅 これまでの釣りの旅
- ^ 日刊スポーツ 見事!!柴田善サオさばき…沖メバル初挑戦
- ^ 柴田善臣騎手公式ミニまぐ! 2008年11月12日
- ^ 『素顔のままで』P19
- ^ 善臣ジュニア、和田のおいっこら8人競馬学校合格(競馬) - スポニチ Sponichi Annex ニュース
- ^ 馬事公苑 2009.09.23 第41回愛馬の日
- ^ 競馬学校入学式、善臣Jr.力強く生徒宣誓 - SANSPO.COM
- ^ イスタナドッグス SHOW(受賞歴のページ)
- ^ JRA騎手・柴田善臣公式ブログ「Yoshitomi's Wine cellar」 2008年09月25日
- ^ JRA騎手・柴田善臣公式ブログ「Yoshitomi's Wine cellar」 2008年10月02日
- ^ セレクトセール - 柴田善臣オフィシャルブログ「わたしのたからもの」2011年7月12日付
- ^ 同年6月17日発行、東京スポーツより
- ^ 善臣フェスタで4年ぶりG1/宝塚記念、日刊スポーツ 2010年6月28日付記事
- ^ 【宝塚記念】柴田善「忘れたころにやりました」、Sponichi Annex 2010年6月27日付記事
- ^ 七夕賞勝利騎手インタビュー、JRA 2010年7月12日閲覧
- ^ ドモ大外イッキ善臣3週連続V/七夕賞、日刊スポーツ 2010年7月12日付記事