徳永悠平
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名前 | ||||||
愛称 | ユーヘイ | |||||
カタカナ | トクナガ ユウヘイ | |||||
ラテン文字 | TOKUNAGA Yuhei | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1983年9月25日(40歳) | |||||
出身地 | 長崎県南高来郡国見町 | |||||
身長 | 180cm | |||||
体重 | 76kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | FC東京 | |||||
ポジション | DF、MF | |||||
背番号 | 2 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
2003- | FC東京 | 210 (5) | ||||
代表歴2 | ||||||
2009- | 日本 | 7 (0) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2012年1月28日現在。 2. 2010年5月10日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
徳永悠平(とくなが ゆうへい、1983年9月25日 - )は、長崎県南高来郡国見町(現・雲仙市)出身のプロサッカー選手。Jリーグ・FC東京所属。ポジションはMFまたはDF(本職は右SB)。家族は妻と一男。
来歴
国見高校時代はSW(スイーパー)として、2年時にインターハイ・国体・全国高校サッカー選手権の三冠達成に貢献し、3年時には全日本ユース選手権初優勝と全国高校サッカー選手権連覇を達成。当時はチーム事情により、FWをこなしたこともあり得点も挙げている。卒業後は早稲田大学に進学した。
2003年・2004年にはJリーグの特別指定選手としてFC東京でプレー。FC東京の初タイトル(2004年ナビスコカップ優勝)にも予選リーグで貢献。2004年はアテネオリンピックの代表に選出された。2005年にはスペインリーグ・バレンシアCFの練習に参加。高校・大学時代を通じ常に各年代の日本代表に選出され、U-22・U-23日本代表の試合ではトップクラスの出場時間を誇り、監督の山本昌邦からも絶大な信頼を寄せられていた。在学中からフル代表入りも期待されるほど大学サッカー界では突出した存在だった。大学4年時には、主将として早稲田大学ア式蹴球部を9年ぶり関東大学リーグ1部に復帰させた。
2006年1月にはバレンシアへ入団するのではないか、とも報道されたが、FC東京と正式にプロ契約し入団。以後FC東京ではガーロ、原博実、城福浩と監督が替わる中でも不動のレギュラーとして出場を続ける。2007年12月に日本代表候補合宿に初招集され、翌2008年4月の代表候補トレーニングキャンプにも招集されたが、正式発表される代表メンバーからは外れる事が続いた。
2008年3月にタレントの八田牧子と入籍。2009年1月に地元・長崎で挙式。2009年12月22日に長男が誕生した[1]。
2009年10月、これまで候補止まりであったA代表に初招集。2008年からの長友佑都加入に伴い、FC東京のその時点でのチーム状況や、対戦相手の選手の特長によって徳永・長友がサイドバックの左右を入れ替えて起用されるなど左サイドバックを務める機会も多かったことから、岡田武史日本代表監督からは「DFであればどこでもできて、フィジカルが強い」と評価され[2]、10月8日のアジアカップ予選・香港戦に途中出場し代表デビュー。得点をアシストする活躍を見せたが、既存の主力メンバーを押しのけるには至らず、ワールドカップ南アフリカ大会には予備登録メンバーとして選出されるに留まった。
2010年には羽生直剛からゲームキャプテンを引き継ぎ[3]、負傷離脱した米本拓司に代わり、主にボランチを務めた。
2011年はキャプテンを今野泰幸に託し、右SBに復帰[4]。勝ち点を得るべく、得点できるSBを目標に掲げ[5]、自身初のリーグ戦複数得点を記録した。
2012年、アルベルト・ザッケローニ日本代表監督より、SBとCBを高いレベルでこなす能力を見込まれ[6]日本代表に復帰。
エピソード
- 特別指定選手の身であるにもかかわらず、大学2年時の2003年夏、当時FC東京の右SBレギュラーだった加地亮(現・ガンバ大阪)からポジションを奪い、レギュラーとして試合出場を続けた。その間、加地はベンチ入りすらできない試合が大半を占めた。なお、加地が日本代表に選ばれた後の2004年シーズンの春から夏にも前述と同じケースになった時期があり、代表レギュラー選手(加地)がリーグ戦のベンチ入りが出来ず、黙々と練習場で汗を流すという状況になった(監督の原博実の好みもあり、日程的に徳永がJリーグの試合に出場可能な日は優先的に起用されていた)。
- 2006年からFC東京に加入することが正式に発表されたが、卒業単位未取得だったため同年は大学に籍を残したままプロ選手としてプレーした。
所属クラブ
- ユース経歴
- 国見少年SC
- 1996年-1998年 国見町立国見中学校
- 1999年-2001年 長崎県立国見高等学校
- 2002年-2005年 早稲田大学
- プロ経歴
- 2006年- FC東京
個人成績
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国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2000 | 国見高 | 5 | - | - | - | 2 | 0 | 2 | 0 | ||
2001 | 10 | - | - | 2 | 2 | 2 | 2 | ||||
2003 | FC東京 | 32 | J1 | 8 | 0 | 2 | 0 | - | 10 | 0 | |
2004 | 35 | 6 | 0 | 4 | 0 | - | 10 | 0 | |||
2006 | 25 | 32 | 1 | 5 | 0 | 2 | 0 | 39 | 1 | ||
2007 | 33 | 0 | 7 | 0 | 3 | 0 | 43 | 0 | |||
2008 | 30 | 1 | 8 | 0 | 4 | 0 | 42 | 1 | |||
2009 | 34 | 0 | 10 | 0 | 0 | 0 | 44 | 0 | |||
2010 | 2 | 30 | 0 | 7 | 0 | 5 | 0 | 42 | 0 | ||
2011 | J2 | 37 | 3 | - | 6 | 0 | 43 | 3 | |||
2012 | J1 | ||||||||||
通算 | 日本 | J1 | 173 | 2 | 43 | 0 | 14 | 0 | 230 | 2 | |
日本 | J2 | 37 | 3 | - | 6 | 0 | 43 | 3 | |||
日本 | 他 | - | - | 4 | 2 | 4 | 2 | ||||
総通算 | 210 | 5 | 43 | 0 | 24 | 2 | 277 | 7 |
※2003年、2004年は特別指定選手として出場。
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国際大会個人成績 | ||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2012 | FC東京 | 2 | ||
通算 | AFC |
- 2003年4月29日:公式戦初出場 - J1 1st第6節 vsヴィッセル神戸 (神戸ウイング)
- 2006年3月26日:公式戦初得点 - J1第5節 vs京都パープルサンガ (味の素)
- 2008年9月13日:J1・100試合出場 - J1第24節 vs大宮アルディージャ (味の素)
タイトル
- 全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会 (2000年)
- 国民体育大会サッカー競技 (2000年)
- 全国高等学校サッカー選手権大会 (2000年、2001年)
- 高円宮杯全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会 (2001年)
- Jリーグカップ (2004年、2009年)
- ユニバーシアードサッカー競技 (2005年)
- 関東大学サッカーリーグ戦 2部 (2005年)
- スルガ銀行チャンピオンシップ (2010年)
- Jリーグ ディビジョン2 (2011年)
- 天皇杯全日本サッカー選手権大会 (2011年)
代表歴
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試合数
- 国際Aマッチ 7試合 0得点 (2009年 - )
日本代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
2009 | 5 | 0 |
2010 | 2 | 0 |
2012 | 0 | 0 |
通算 | 7 | 0 |
CM出演
脚註
- ^ FC東京・徳永に長男が誕生 サンケイスポーツ 2009年12月22日閲覧
- ^ 【日本代表メンバー発表!】会見での岡田武史監督(日本代表)コメント J's GOAL、2009年10月1日
- ^ 特にクラブとしてのキャプテンは設けていない。
- ^ ただし、第3のCBを兼任(そのためCBがベンチ入りしないことも多かった。)。
- ^ 『週刊サッカーダイジェストNo.1138 「THE MAN」』日本スポーツ企画出版社、2011年。
- ^ FC東京 徳永“ポリバレント”CBで完封貢献 スポーツニッポン 2012.05.07
関連項目
外部リンク
- 徳永悠平 (サッカーマガジンバックナンバー掲載号閲覧へのリンク)
- 徳永悠平 – FIFA主催大会成績(英語)
- 徳永悠平 - National-Football-Teams.com(英語)