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ノバク・ジョコビッチ

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ノバク・ジョコビッチ
Novak Đoković
ノバク・ジョコビッチ(2009年)
基本情報
愛称 ノーレ
国籍 セルビアの旗 セルビア
出身地 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア セルビア共和国ベオグラード
生年月日 (1987-05-22) 1987年5月22日(37歳)
身長 187cm
体重 80kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 2003年
ツアー通算 30勝
シングルス 29勝
ダブルス 1勝
生涯獲得賞金 182,011,060 アメリカ合衆国ドル
4大大会最高成績・シングルス
全豪 優勝(2008・11・12)
全仏 ベスト4(2007・08・11)
全英 優勝(2011)
全米 優勝(2011)
優勝回数 5(豪3・英1・米1)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 1回戦(2006・07)
全仏 1回戦(2006)
全英 2回戦(2006)
全米 1回戦(2006)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 1位(2011年7月4日)
ダブルス 114位(2009年11月30日)
獲得メダル
男子 テニス
オリンピック
2008 北京 シングルス
2012年1月30日現在

ノバク・ジョコビッチNovak Đoković, セルビア語: Sr Novak Djokovic.ogg Новак Ђоковић, 1987年5月22日 - )は、セルビアベオグラード出身の男子プロテニス選手。ATPランキング自己最高位はシングルス1位、ダブルス114位。これまでにATPツアーでシングルス30勝、ダブルス1勝を挙げている。身長188cm、体重80kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。

2008年全豪オープンでセルビア人初の4大大会男子シングルス部門の優勝者となり、同年開催の北京オリンピックでは銅メダルに輝いた。2011年には全豪オープンウィンブルドン選手権全米オープンのシングルス部門で優勝し、オープン化以降同一年に3つのグランドスラムシングルスタイトルを獲得した6人目の男子選手となった。ジョークや選手のモノマネといった試合内外でのユーモラスなパフォーマンスでも知られ[1][2][3]、「ノーレ」(Nole)という愛称で呼ばれ親しまれている。セルビア・モンテネグロの分離により、現在は「セルビア」国籍でエントリーしている。

選手経歴

プロ転向-2006年

4歳からテニスを始める。ジョコビッチの父親は元プロスキー選手で、優れたサッカー選手でもあり、現在はセルビア国内でピザとクレープのレストランを経営している。ノバクは12歳の時、ドイツミュンヘンにある「ニキ・ピリッチ・テニスアカデミー」に留学し、2年後セルビアに戻った。2003年に16歳でプロ入りし、2004年から男子テニス国別対抗戦・デビスカップセルビア・モンテネグロ代表選手になる。2005年から4大大会に出場し始めたジョコビッチは、デビュー戦の全豪オープンでは1回戦でマラト・サフィンに完敗したが、ウィンブルドン全米オープンの2大会連続で3回戦に進出した。

2006年全仏オープンベスト8進出をきっかけに、ジョコビッチは急成長を始める。世界ランキング63位のノーシード選手だったジョコビッチは、2回戦でフェルナンド・ゴンサレス、3回戦でトミー・ハースといった強豪選手たちを破って勝ち進むと、準々決勝で昨年の同大会優勝者ラファエル・ナダルとの対戦中に腰を痛め、6-4, 6-4 と2セットを先取された後で途中棄権を余儀なくされた。この時は故国セルビア・モンテネグロの分離直前の時期で、ジョコビッチの国籍は「セルビア・モンテネグロ」と記載されている。

全仏オープンで8強進出の後、ジョコビッチはウィンブルドンでも2回戦でトミー・ロブレドを破り、第7シードのマリオ・アンチッチとの4回戦まで進出した。ウィンブルドンの終了直後、7月中旬に開かれたオランダ・アメルスフォールト大会の決勝でニコラス・マスーを破り、ツアー初優勝を達成。4大大会で初めてシード権(当時、第20シード)を得て挑んだ全米オープンでは3回戦で敗れたものの、10月初頭にフランス・メッツ大会でツアー2勝目を挙げた。

2007年

2007年に入り、ノバクは大躍進を果たす。マイアミ・マスターズ決勝で、フェデラーを下して勝ち上がって来たギリェルモ・カナスを破り、大規模トーナメント群であるATPマスターズシリーズ初優勝を達成。全仏オープンでは第6シードに選ばれ、初めて準決勝まで勝ち上がると、同大会で2連覇中だったラファエル・ナダルに 5-7, 4-6, 2-6 で敗れたものの、続く第4シードで挑んだウィンブルドンでは、雨天による大会進行の遅延に悩まされながら、4回戦でレイトン・ヒューイットと4時間、準々決勝でマルコス・バグダティスと5時間ものマラソンマッチを戦い抜き、苦しみつつも準決勝まで勝ち上がった。しかし、ナダルとの対戦中に足の痛みで途中棄権を余儀なくされた。8月第3週のカナダ・マスターズの準々決勝で当時世界ランキング3位のアンディ・ロディック、準決勝で同2位のラファエル・ナダル、決勝で同1位のロジャー・フェデラーを倒し、ATPマスターズシリーズ2勝目を挙げ、シングルス・ランキングで3位に上昇した。全米オープンで初めて4大大会決勝に進出したが、フェデラーに 6-7(4-7), 6-7(2-7), 4-6 のストレートで敗れて準優勝に終わった。

2008年

全豪オープンで、ジョコビッチは準決勝でフェデラーに 7-5, 6-3, 7-6(7-5) のストレート勝ちを収め、フェデラーが2005年ウィンブルドンから続けてきた4大大会連続決勝進出歴代1位記録を「10」で止めた。決勝戦では世界ランキング38位のノーシードから勝ち上がったジョー=ウィルフリード・ツォンガを 4-6, 6-4, 6-3, 7-6(7-2) で破り、20歳8ヶ月で4大大会初優勝を達成した。これはセルビア出身のテニス選手として、最初の4大大会男子シングルス優勝でもある。全豪優勝から半年後、彼は8月の北京五輪で男子シングルスの銅メダリストになった。第3シードのジョコビッチは準決勝でラファエル・ナダルに敗れた後、準決勝敗退選手2名による「銅メダル決定戦」でジェームズ・ブレークを 6-3, 7-6(7-4) で破り、オリンピックのセルビア代表選手として銅メダルを獲得した。2008年度の男子ツアー年間最終戦「テニス・マスターズ・カップ」では、決勝でニコライ・ダビデンコを 6-1, 7-5 で破って初優勝を決めた。

2009年

全豪オープンでは、アンディ・ロディックとの準々決勝を 7-6(7-3), 4-6, 2-6, 1-2 で途中棄権してしまった。全仏オープンでは3回戦でフィリップ・コールシュライバーに、ウィンブルドンでは準々決勝でトミー・ハースに、全米オープンでは準決勝でフェデラーにそれぞれ敗れている。

2010年

全豪オープンは準々決勝でジョー=ウィルフリード・ツォンガに 6-7(8-10), 7-6(7-5), 6-1, 3-6, 1-6 で敗れたが、大会終了後の2010年2月1日付のランキングで、初めて「2位」を記録した。 その後しばらく不本意な成績が続く。全仏オープンでは準々決勝でユルゲン・メルツァーに逆転負けを喫し、ウィンブルドンでは準決勝で、前の試合でフェデラーを破っていたトマーシュ・ベルディハに完敗を喫した。 しかし全米オープンでは初戦でフルセットを戦うもその後は順調にストレートで勝ちあがり、準決勝でついにフェデラーと4年連続となる対戦を実現。5-7, 6-1, 5-7, 6-2, 7-5 でついにフェデラーを破り3年ぶりに決勝進出を果たしたが、雨で1日順延した決勝ではナダルに 4-6, 7-5, 4-6, 2-6 で敗れた。12月にベオグラードで開催されたフランスとのデビスカップ決勝ではシングルスでジル・シモンを 6-3, 6-1, 7-5 、ガエル・モンフィスを 6-2, 6-2, 6-4 で破り、セルビアの初優勝に貢献した。

2011年

全豪オープンでは準決勝でロジャー・フェデラーを 7-6(7-3), 7-5, 6-4 で破り決勝に進出、決勝ではアンディ・マレーに 6-4, 6-2, 6-3 で快勝し、3年ぶり2度目の優勝を果たした。これを皮切りにドバイ・テニス選手権でもフェデラーを破り優勝、さらにインディアンウェルズ・マスターズマイアミ・マスターズの両マスターズも制覇し年初のハードコートシーズンの成績を24勝0敗とした。クレーシーズンに入っても勢いは止まらず、モンテカルロ・マスターズこそ欠場したもののまず地元ベオグラードの大会で優勝、スペインのマドリード・マスターズでも決勝でラファエル・ナダルを破り優勝(対ナダルでのクレーコート初勝利)、さらにローマ・マスターズでもナダルを下し、7大会連続の優勝を飾る。 全仏オープンでも順調に勝ち上がったが、準決勝でロジャー・フェデラーに敗れ、デビスカップ決勝からの連勝は43(歴代2位のイワン・レンドルにあと1勝、同1位のギリェルモ・ビラスにあと3勝及ばず)、年初からの連勝は41(歴代1位のジョン・マッケンローにあと1勝及ばず)でストップした。

ウィンブルドン決勝進出を決めた時点で、それまで1位のナダルを抜き、自身初の世界ランク1位に就くことが確定した。その決勝戦ではラファエル・ナダルに6-4, 6-1, 1-6, 6-3 で快勝し初優勝を飾った。

さらに、続くモントリオール・マスターズにおいて、ナダル、フェデラー、マレーといったトップ4選手が相次いで敗退する中、ガエル・モンフィスジョー=ウィルフリード・ツォンガといった強豪に勝利し、決勝ではマーディ・フィッシュを6-2、3-6、6-4で下し、シーズン9回目の優勝を飾った。

また、世界ランク1位となってから初めて出場した大会で優勝した選手は、1993年のピート・サンプラス以来となった。 その後、全米オープンへの前哨戦として挑んだシンシナティ・マスターズでは決勝でアンディ・マレーと対戦するも、準決勝で痛めた右肩痛の影響で第2セットで0-3としたところで途中棄権し、シーズン2敗目となった。 全米オープンへの影響を心配する声もあったが、予定通り全米オープンに出場した。 右肩痛の影響は見られず順調に勝ち進み、準決勝でロジャー・フェデラーと対戦。6-7(7-9)、4-6、6-3、6-2、7-5のフルセットで試合を制した。 続く決勝では、前年決勝と同じ相手である第2シードのラファエル・ナダルに 6-2、6-4、6-7、6-1で前年の雪辱を果たし、全米オープン初優勝を遂げた。

また、同一年の四大大会3勝はオープン化以降で史上6人目となった。これにより、獲得賞金額が1060万ドルを超え、この時点で、男子ツアーの1シーズンでの歴代獲得賞金額のトップに立った。

ATPツアー決勝進出結果

シングルス: 45回 (30勝15敗)

サーフェス別タイトル
ハード (22-9)
クレー (7-4)
芝 (1-2)
カーペット (0-0)


結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
優勝 1. 2006年7月17日 オランダの旗 アメルスフォールト クレー チリの旗 ニコラス・マスー 7-6(5), 6-4
準優勝 1. 2006年7月30日 クロアチアの旗 ウマグ クレー スイスの旗 スタニスラス・ワウリンカ 6-6(1), 途中棄権
優勝 2. 2006年10月2日 フランスの旗 メス ハード (室内) オーストリアの旗 ユルゲン・メルツァー 4-6, 6-3, 6-2
優勝 3. 2007年1月1日 オーストラリアの旗 アデレード ハード オーストラリアの旗 クリス・グッチョーネ 6-3, 6-7(6), 6-4
準優勝 2. 2007年3月18日 アメリカ合衆国の旗 インディアンウェルズ ハード スペインの旗 ラファエル・ナダル 2-6, 5-7
優勝 4. 2007年4月1日 アメリカ合衆国の旗 マイアミ ハード アルゼンチンの旗 ギリェルモ・カナス 6-3, 6-2, 6-4
優勝 5. 2007年4月29日 ポルトガルの旗 エストリル クレー フランスの旗 リシャール・ガスケ 7-6(7), 0-6, 6-1
優勝 6. 2007年8月12日 カナダの旗 モントリオール ハード スイスの旗 ロジャー・フェデラー 7-6(2), 2-6, 7-6(2)
準優勝 3. 2007年9月9日 アメリカ合衆国の旗 全米オープン ハード スイスの旗 ロジャー・フェデラー 6-7(4), 6-7(2), 4-6
優勝 7. 2007年10月14日 オーストリアの旗 ウィーン ハード (室内) スイスの旗 スタニスラス・ワウリンカ 6-4, 6-0
優勝 8. 2008年1月27日 オーストラリアの旗 全豪オープン ハード フランスの旗 ジョー=ウィルフリード・ツォンガ 4-6, 6-4, 6-3, 7-6(2)
優勝 9. 2008年3月23日 アメリカ合衆国の旗 インディアンウェルズ ハード アメリカ合衆国の旗 マーディ・フィッシュ 6-2, 5-7, 6-3
優勝 10. 2008年5月11日 イタリアの旗 ローマ クレー スイスの旗 スタニスラス・ワウリンカ 4-6, 6-3, 6-3
準優勝 4. 2008年6月15日 イギリスの旗 ロンドン スペインの旗 ラファエル・ナダル 6-7(6), 5-7
準優勝 5. 2008年8月3日 アメリカ合衆国の旗 シンシナティ ハード イギリスの旗 アンディ・マレー 6-7(4), 6-7(5)
準優勝 6. 2008年9月28日 タイ王国の旗 バンコク ハード (室内) フランスの旗 ジョー=ウィルフリード・ツォンガ 6-7(4), 4-6
優勝 11. 2008年11月16日 中華人民共和国の旗 上海 ハード (室内) ロシアの旗 ニコライ・ダビデンコ 6-1, 7-5
優勝 12. 2009年2月28日 アラブ首長国連邦の旗 ドバイ ハード スペインの旗 ダビド・フェレール 7-5, 6-3
準優勝 7. 2009年4月5日 アメリカ合衆国の旗 マイアミ ハード イギリスの旗 アンディ・マレー 2-6, 5-7
準優勝 8. 2009年4月19日 モナコの旗 モンテカルロ クレー スペインの旗 ラファエル・ナダル 3-6, 6-2, 1-6
準優勝 9. 2009年5月3日 イタリアの旗 ローマ クレー スペインの旗 ラファエル・ナダル 6-7(2), 2-6
優勝 13. 2009年5月10日 セルビアの旗 ベオグラード クレー ポーランドの旗 ルカシュ・クボット 6-3, 7-6(0)
準優勝 10. 2009年6月14日 ドイツの旗 ハーレ ドイツの旗 トミー・ハース 3-6, 7-6(4), 1-6
準優勝 11. 2009年8月23日 アメリカ合衆国の旗 シンシナティ ハード スイスの旗 ロジャー・フェデラー 1-6, 5-7
優勝 14. 2009年10月11日 中華人民共和国の旗 北京 ハード クロアチアの旗 マリン・チリッチ 6-2, 7-6(4)
優勝 15. 2009年11月8日 スイスの旗 バーゼル ハード (室内) スイスの旗 ロジャー・フェデラー 6-4, 4-6, 6-2
優勝 16. 2009年11月15日 フランスの旗 パリ ハード (室内) フランスの旗 ガエル・モンフィス 6-2, 5-7, 7-6(3)
優勝 17. 2010年2月27日 アラブ首長国連邦の旗 ドバイ ハード ロシアの旗 ミハイル・ユージニー 7-5, 5-7, 6-3
準優勝 12. 2010年9月12日 アメリカ合衆国の旗 全米オープン ハード スペインの旗 ラファエル・ナダル 4-6, 7-5, 4-6, 2-6
優勝 18. 2010年10月10日 中華人民共和国の旗 北京 ハード スペインの旗 ダビド・フェレール 6-2, 6-4
準優勝 13. 2010年11月7日 スイスの旗 バーゼル ハード (室内) スイスの旗 ロジャー・フェデラー 4-6, 6-3, 1-6
優勝 19. 2011年1月30日 オーストラリアの旗 全豪オープン ハード イギリスの旗 アンディ・マレー 6-4, 6-2, 6-3
優勝 20. 2011年2月28日 アラブ首長国連邦の旗 ドバイ ハード スイスの旗 ロジャー・フェデラー 6-3, 6-3
優勝 21. 2011年3月13日 アメリカ合衆国の旗 インディアンウェルズ ハード スペインの旗 ラファエル・ナダル 4-6, 6-3, 6-2
優勝 22. 2011年4月3日 アメリカ合衆国の旗 マイアミ ハード スペインの旗 ラファエル・ナダル 4-6, 6-3, 7-6(4)
優勝 23. 2011年4月24日 セルビアの旗 ベオグラード クレー スペインの旗 フェリシアーノ・ロペス 7-6(4), 6-2
優勝 24. 2011年5月8日 スペインの旗 マドリード クレー スペインの旗 ラファエル・ナダル 7-5, 6-4
優勝 25. 2011年5月15日 イタリアの旗 ローマ クレー スペインの旗 ラファエル・ナダル 6-4, 6-4
優勝 26. 2011年7月3日 イギリスの旗 ウィンブルドン スペインの旗 ラファエル・ナダル 6-4, 6-1, 1-6, 6-3
優勝 27. 2011年8月14日 カナダの旗 モントリオール ハード アメリカ合衆国の旗 マーディ・フィッシュ 6-2, 3-6, 6-4
準優勝 14. 2011年8月21日 アメリカ合衆国の旗 シンシナティ ハード イギリスの旗 アンディ・マレー 4-6, 0-3 途中棄権
優勝 28. 2011年9月12日 アメリカ合衆国の旗 全米オープン スペインの旗 ラファエル・ナダル 6-2, 6-4, 6-7(3), 6-1
優勝 29. 2012年1月29日 オーストラリアの旗 全豪オープン ハード スペインの旗 ラファエル・ナダル 5-7, 6-4, 6-2, 6-7(5), 7-5
優勝 30. 2012年4月1日 アメリカ合衆国の旗 マイアミ ハード イギリスの旗 アンディ・マレー 6-1, 7-6(4)
準優勝 15. 2012年4月22日 モナコの旗 モンテカルロ クレー スペインの旗 ラファエル・ナダル 3-6, 1-6

ダブルス: 2回 (1勝1敗)

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
準優勝 1. 2007年1月7日 オーストラリアの旗 アデレード ハード チェコの旗 ラデク・ステパネク 南アフリカ共和国の旗 ウェスリー・ムーディ
オーストラリアの旗 トッド・ペリー
4-6, 6-3, [13-15]
優勝 2. 2010年6月13日 イギリスの旗 ロンドン イスラエルの旗 ジョナサン・エルリック スロバキアの旗 カロル・ベック
チェコの旗 ダビド・スコッチ
6-7, 6-2, [10-3]

4大大会優勝

大会 対戦相手 試合結果
2008年 全豪オープン フランスの旗 ジョー=ウィルフリード・ツォンガ 4-6, 6-4, 6-3, 7-6
2011年 全豪オープン イギリスの旗 アンディ・マレー 6-4, 6-2, 6-3
2011年 ウィンブルドン スペインの旗 ラファエル・ナダル 6-4, 6-1, 1-6, 6-3
2011年 全米オープン スペインの旗 ラファエル・ナダル 6-2, 6-4, 6-7, 6-1
2012年 全豪オープン スペインの旗 ラファエル・ナダル 5-7, 6-4, 6-2, 6-7, 7-5

4大大会シングルス成績

大会 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012  通算成績
全豪オープン 1R 1R 4R W QF QF W W 32-5
全仏オープン 2R QF SF SF 3R QF SF 25-7
ウィンブルドン 3R 4R SF 2R QF SF W 27-6
全米オープン 3R 3R F SF SF F W 33-6

その他・エピソード

脚注

  1. ^ Djoker In The Pack Holds All The Aces” (英語). ATP (2007年9月10日). 2012年1月24日閲覧。
  2. ^ Novak Djokovic wows US Open crowd with a win – and a McEnroe impression” (英語). ガーディアン (2009年9月8日). 2012年1月24日閲覧。
  3. ^ Novak Djokovic Impersonations” (英語). スポーツ・イラストレイテッド (2010年6月23日). 2012年1月24日閲覧。
  4. ^ ロイター (2011年3月19日). “テニス=ジョコビッチが勝利、震災被災者への思い込め”. 2011年3月19日閲覧。

外部リンク

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