TOTO (バンド)

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TOTO
2007年のツアーメンバー
2007年のツアーメンバー
基本情報
出身地 アメリカ合衆国
ジャンル Rock
AOR
ポップス
プログレッシブロック
Jazz/Fusion
ハードロック
活動期間 1977年 - 2008年
レーベル ソニー・ミュージックエンタテインメント
1978年 - 1999年
原盤権自主保有
2002年 - 2008年
公式サイト Official TOTO Website
旧メンバー
デヴィッド・ペイチ
キーボードボーカル
マイク・ポーカロ
ベースギターチェロ
スティーヴ・ルカサー
ギター、ボーカル)
ボビー・キンボール
(ボーカル)
グレッグ・フィリンゲインズ
(キーボード、ボーカル)
サイモン・フィリップス
ドラムスパーカッション
ジェフ・ポーカロ
(ドラムス、パーカッション)
デヴィッド・ハンゲイト
(ベースギター、ギター)
スティーヴ・ポーカロ
(キーボード、ボーカル)
ジョセフ・ウィリアムズ
(ボーカル)
ファーギー・フレデリクセン
(ボーカル)
ジャン・ミシェル・バイロン
(ボーカル)
  

TOTOトト)は、1977年ロサンゼルススタジオミュージシャンであるデヴィッド・ペイチ (David Paich) とジェフ・ポーカロ (Jeff Porcaro) を中心に結成されたアメリカロックバンドである。2008年3月ボズ・スキャッグスとの来日公演を最後に活動を無期限に休止すると宣言した。同年6月5日スティーヴ・ルカサーが自身のブログで活動の終了を宣言したが、その後のインタビューでサイモン・フィリップスが「6年間休まず活動してきたのでしばらくの休養が必要」と、終了ではない事を仄めかす発言をするなど、正確な事は分かっていなかったが、公式サイトで7月23日に正式に解散が発表された。

目次

[編集] バンド名の由来

メンバーによって、またその時によって説明が異なっている為、正確には不明であるが、ボビー・キンボールの本名、ロバート・トトースを捩ったもの、「全てを含む」を意味するラテン語英語風に捩ったもの、日本企業、東陶機器(現・TOTO)のブランド「TOTO」からとった[1](来日したとき、TOTOの便器を欲しがった)等、複数の説、及びメンバーの説明がある。但し東陶機器からとったという説明はデビュー当時は日本での人気が先行していたので日本のファンへのリップサービスがてらのジョークとしてミュージック・ライフ誌インタビューで語ったのが真相である。また、ボビー・キンボールの本名も、実際には芸名と同じくキンボール (Kimball) がファミリー・ネームであり、トトース (Toteaux) ではない。従ってこれもメンバーによるジョークであると思われる。

なお、現在、公式ウェブサイトでは次のような説明がなされている。

バンドがデモ・テープを作っていた際に、映画『オズの魔法使い』を見たばかりであったジェフが、映画に登場するの名前「toto」をデモ・テープに書いてすぐ判別できるようにした。その後、デヴィッド・ハンゲイトが詳しく調べたところ、「toto」はラテン語で "total" 、あるいは "all-encompassing (網羅的な)"を意味することがわかった。これは数々のセッションに参加していたバンド・メンバーの経歴やどんな種類の音楽にも対応できるバンドの演奏能力にピッタリであるということから、デビュー・アルバムのタイトル及びバンド名として採用された。
(参考:Official TOTO WebsiteBand History)。

近年、スティーヴ・ルカサーが語るところによると「バンド名がブランドになってしまっているからもう変えられないけど、俺はこのバンド名が好きじゃないんだ。俺が命名に関わってる訳じゃないし、気がついたらそういう名前になってたんだけど。イヤんなっちゃうよ、世界的に有名な便器メーカーと同じ名前なんだぜ。ギャグとしては面白いと思うけどね。」との事である。

[編集] 音楽的特徴

一般的には、典型的なAORサウンドと評されている。また、商業的な成功と聴きやすいサウンドを有している事から、産業ロック等と表現される事がある。実際に、そういった趣が色濃い曲も数多く、それゆえヒット曲が多いのも事実である。ただし、作品全般を通して聴くと、ハードロックからプログレッシブ・ロックジャズ・フュージョンといった、様々なスタイルを内包しており、商業性を優先しているとは言いがたい幅広い音楽性を持っているという意見もある。

専任のボーカリストがいるにも関わらず、ギタリストスティーヴ・ルカサーキーボーディストのデヴィッド・ペイチが、リード・ボーカルをとる事が多い(実際、TOTO最大のヒット曲「Africa」はペイチのヴォーカルである)。また、スティーヴ・ポーカロも、リード・ボーカルをとる曲が存在し、2005年加入のグレッグ・フィンリンゲインズも、キーボーディスト兼リード・ボーカルとしての加入で、「Falling in Between」では、彼のリード・ヴォーカル曲も多くフィーチャーされ、ステージでは、休止中のペイチのボーカル曲を代行している等、ビートルズキッスさながらに、演奏陣が歌うバンドとしても知られている(但し、ビートルズやキッスには、選任ボーカルはおらず、全員が兼任ボーカルである)。

デビュー当時がちょうど、汎用ICLSI(ICの高度集積化されたもの)の低コスト化が本格的に加速し始めた時期であった故、サウンド・エフェクターシンセサイザーという音楽関連テクノロジーも飛躍的に発達、普及した時期となり、これとぴったり重なっていた事、及びこういった先進技術の恩恵を潤沢に受けられるロサンゼルスのスタジオミュージシャンからキャリアをスタートさせた事から、当時「スペイシー (Spacy) 」と音楽雑誌が称していた、空間的広がりに散乱するような華やかなサウンドで、ほぼ同時期にデビューしたボストン (Boston) と並んで、この後1980年代のアメリカン・ロック・サウンドの雛形となったサウンドを提起した。より具体的には、全体のエフェクトリバーブやゲート・リバーブ、ギターには、コーラス等を多用し、アンプに通さず直接ミキサーインプットに入力した、クリスタル・クリーン等と形容されるギターサウンド、ペイチのジャジーなピアノオルガンエレクトリックピアノ、そして、スティーヴ・ポーカロブラス系を含む、煌びやかなシンセサイザー・サウンドは、正に1980年代サウンドのお手本と言える。

しかしながら、初期TOTOにおいて一番その特徴といえるのが、バンドの中心人物で、ドラマーのジェフ・ポーカロのリズムである。基本的に16ビート調の曲が多いのだが、通常の8ビートや16ビートでも独特のハネとウネりがあり、それが初期のTOTOをTOTOたらしめていると言っても過言ではない。特に顕著なのが「Rosanna」に代表されるような3連ゴースト・ノートを多用する16ビートのハーフ・タイム・シャッフルである。レッド・ツェッペリンジョン・ボーナムスティーリー・ダンプレイしたバーナード・パーディから影響を受け、ボ・ディドリーのパターンも加え、独自にアレンジしたというこれらのリズムは、未だに多くのドラマーの課題となっている(実際、ジェフ自身も、スティーリー・ダンでプレイした経験がある)。

全員が、マイケル・ジャクソン等の大物アーティストから依頼の多いスタジオ・ミュージシャンであり、TOTOの成功にも関わらず、スタジオ・ワークを縮小せず、精力的だった事もあり、1980年代には、ジャンル問わず、彼らの関わった作品では良くも悪くもTOTOのようなサウンドが多産されていた。

[編集] バンド・メンバー

ボズ・スキャッグスのアルバム「シルク・ディグリーズ」制作時に集められたメンバーが母体になっている。元々はメンバー全員が旧知の仲であった為、この作品の共演で意気投合したという他のバンドによくある流れではないが、これが決め手となっての結成であった。TOTOはメンバーチェンジを繰り返しており、時代ごとにラインナップが異なる。2006年1月、最終メンバーでは唯一の作品がリリースされた。

[編集] 最終期のメンバー

オリジナル・メンバー。初期には楽曲の殆どの作曲を担当し、「TOTOはジェフとペイチのバンドである」と言うファンが現在でもいるように、ジェフと共にTOTOの音楽的方向性をリードしていた事実上の中心人物。代表的なヒット曲は彼の作品が多い。父はジャズミュージシャンとして著名なマーティ・ペイチ。スティーヴ・ポーカロとのツインキーボード時代は、スティーヴの演奏するスペーシーと表現される「いかにもシンセサイザー」的な派手なサウンドに対して、オーソドックスでジャジーなピアノ、オルガンサウンドでボトムを支えた。スティーヴ脱退以後はスティーヴの役割も果たしているが、実際のところレコーディングではスティーヴはその後もほぼレギュラーのサポートメンバーとして参加しているので、特に役割は変わっていないとも言える。ヴォーカリストとしては、初期の頃から現在までに特に大きな変化はなく、安定した低く渋い声であり、落ち着いた歌声を聴かせてくれる。2004年より、ペイチは家族の病気を理由に、ツアーやライブには参加しておらず、レコーディングのみの参加となる。ペイチのヴォーカル曲はグレッグが殆どを代行した。尚、2003年のペイチのツアー活動休止の際にルカサーが「デヴィッドは性転換手術を受けるため、この夏のツアーには参加出来ないんだ。女性になるという、本当の自分になるという彼の夢を実現させるためには必要な事なんだ。この秋にDavida(Davidの女性形名)を紹介出来るのは非常に嬉しい。一刻も早い回復を祈るよ」等と冗談を交えた声明を発表した事がある。これはルカサーのいつもの悪ふざけであり事実ではないが、公式サイトでの声明であった為に世界中にメディアが事実として報道してしまった。ルカサーは4日後に「まさか信じるとは思ってなかったし、メディアが報道するとは思っていなかったんだ。申し訳ない」と謝罪し、ペイチが性転換手術を受けない事と、ツアー不参加の本当の理由を明らかにした。この後、一時的にツアー復帰したが、その後改めて休止。ルカサーの近年のインタビューでは本人の健康状態も関係している事、ルカサーとペイチの不仲を仄めかす発言があった。しかし不仲説は後に公式に否定、ソウルブラザーと呼びあうほどの仲であることを語っている。TOTOの最後のステージとなった来日公演で5年ぶりにツアー復帰し変わらぬ歌声を披露した。
オリジナル・メンバー。『キングダム・オヴ・デザイア~欲望の王国~』以降の作品から現在まで、彼がTOTOの実質的なリーダーと言える。ヴォーカリストとしては初期は柔らかく優しい、クリアなタイプの声質で、高音がよく伸び、特にバラードをメインに歌っていた。Kingdom of Desireの頃から野太いハスキーボイスに変化している。TOTO以外での詳細は彼の項を参照のこと。スティーヴ・ポーカロとは高校のクラスメートで、友人のスタジオ・ミュージシャン、ギタリストのマイケル・ランドウとも同級生である。デヴィッド・ペイチやジェフ・ポーカロ、マイク・ポーカロ、エドワード・ヴァン・ヘイレン、その兄アレックス・ヴァン・ヘイレンは高校の先輩である。結成以後、唯一全てのステージ、作品に参加している(レコーディングではペイチも全てに参加している)。
オリジナル・メンバー。1984年『Isolation』制作中に脱退。1999年『MindFields』より復帰。メンバーチェンジの多いTOTOにおいて、最盛期を担った代表的なヴォーカリストであり、脱退後は多くのファンから復帰を望まれていた。TOTOのバンド名の由来として「ボビーの本名、ロバート・トトース(Robert Toteaux)から」等というジョークがメンバーによって語られ、半ば真実として信じている人も多く、TOTOを紹介する際、現在においても事実として語られる事がある。実際はボビーの本名はロバート・キンボールであってトトースではなく、全くの冗談である。
ジェフの弟でスティーヴの兄。セッションとしては『TOTO IV』から既に参加しているが、正式加入は『IV』リリース直後のデヴィッド・ハンゲイト脱退から。『TOTO IV』に収録されている楽曲のプロモーション・ビデオはハンゲイト脱退直後に撮影されている為、映像に映っているのはマイクだが実際に聴こえるプレイはハンゲイトという状態になっている。TOTOに留まったポーカロ兄弟最後の一人。スティーヴ・ルカサーによれば、TOTOの本当のオリジナル・メンバーはマイクだという。デビュー時のメンバーやボズのバックに集まったミュージシャンという直接的な結成を考えればハンゲイトがオリジナル・メンバーであるが、恐らくTOTOメンバーがハイスクール時代に参加していたバンドRuaral Still Life時代も含めての発言と考えられる。2007年から腕のトラブル悪化の為に療養しており、リーランド・スカラーが代役を務めた。復帰は回復次第とされていたが、TOTOの活動休止、解散までには間に合わず復帰は叶わなかった。TOTOの終了は彼の病状が大きな原因とも言われており、ルカサーは「ペイチが引退して、マイクまで倒れた状態で何がTOTOと呼べるものか」と活動終了の経緯を語っている。ライヴDVD「Live in Amsterdam」ではルカサーによるメンバー紹介の際に日本語字幕上では「リーダーのマイク・ポーカロ!」と紹介されているが、後にも先にもマイクがリーダーとされたのはこの時だけである。実際はGroove Maestroと発言したものをGroup Masterと聞き違えた誤訳の可能性が高い。また、聞き違えでなくともMaestro=指揮者という意味からリーダーと訳者が誤認している可能性もある。
2005年より加入。マイケル・ジャクソンエリック・クラプトンなどのツアーメンバーとしても知られる名手。以前よりツアーでのサポートメンバーとして参加していたが、その力量を買われて正式加入。メンバー交代ではなく、追加という珍しい形である。レコーディング参加は2006年1月の『Falling in Between』からだが、次回作を作ることなく解散した為、この作品がグレッグ唯一の参加アルバムとなった。コーラス等のバッキング・ヴォーカルは長い間様々なアーティストのバックで経験しているが、リード・ヴォーカルはTOTOに加入してから初めての挑戦となる。中低音域からボビーやジョセフの音域にも迫るハイトーンまで、非常に広い音域を繰り高評価を得ている。また、それまでのTOTOのヴォーカリストにないタイプである為、バンドに新しい血を導入する事にも成功している。ツアー活動を休止しているペイチのヴォーカル曲や、本来ペイチの演奏パートもステージ上で代行している。TOTO初のアフリカ系アメリカ人(外国人メンバーも含めればジャン・ミシェル・バイロンに次ぐ二人目のアフリカ系)。
死去したジェフの後任として『Kingdom of Desire』のツアーよりサポートメンバーとして参加し、その後正式加入。レコーディング参加は『Tambu』から。イギリス人であり、現在唯一の外国人メンバー(ジャンに次ぐ二人目)。ジェフ・ベックマイケル・シェンカー・グループなどのレコーディングやサポートをはじめ、ザ・フーの再結成ツアー(1989年)にも亡きキース・ムーンの代役として参加している。TOTO=ジェフという強いイメージやその高い演奏力故か、現在でも旧来のTOTOファンからは酷評されることもしばしばある。が、ミュージシャンとしてのキャリアやその実力は決してジェフに劣るものではなく、ポピュラー音楽界の最高峰に位置するプレイヤーの一人である。

[編集] 近年のサポートメンバー

  • トニー・スピナー Tony Spinner - Guitar & Vocals
現在ツアーにて、ほぼレギュラーでサポートでギターを演奏している。また、曲によってはリード・ヴォーカルをとることも。
リーランド・スクラー、リー・スクラーとも。セッションミュージシャンとして、数々のアルバムやセッションに参加。2007年より休養中のマイク・ポーカロに代わり現在その穴を埋める。

[編集] 過去に在籍していたメンバー

オリジナル・メンバー。結成から死去まで、事実上のTOTOの中心人物。1992年、自宅の庭で殺虫剤を散布中に殺虫剤アレルギーによる心不全で死去。しかし、死因があまりにも疑わしい面が非常に多く、また、コカインが検出されたため、ドラッグ中毒による死因だと言う説もある。「ジェフこそがTOTOである」「TOTOはジェフとペイチのバンドだ」等の声も非常に多い。実際、現在においても現メンバーは彼をメンバーとして扱い、依然としてTOTOの権威としてリスペクトし続けている、過去のメンバーの中でも特異な存在である。
オリジナル・メンバー。ジェフとマイクの弟。80年代TOTOの派手で煌びやかなシンセサイザーサウンドは彼によるもので、TOTOのリズム、楽曲の方向性の中核がジェフとペイチならば、サウンド面の中核は彼の存在によるものとも言える。『Fahrenheit』を最後に脱退するが、次作『The Seventh One』でも正式メンバー並みに参加し、その派手なサウンドを聴かせてくれる。最近ではスティーヴ・ルカサーがインタビューで「俺はスティーヴには実際、正式に復帰してもらいたいと思っているんだよ」と語っている。(脱退とはいうが、『The Seventh One』以降の作品でもほぼ毎回、正式メンバー並に活躍しているので、単にクレジット表記を変更しただけとも言える)。ヴォーカリストとしては、中音域中心の柔らかい歌声である。ルカサーとは高校のクラスメートである。マイケル・ジャクソンのモンスターヒット・アルバム『スリラー』収録の「ヒューマン・ネイチャー」はスティーヴの作編曲である。無論このアルバムの他の曲も含め数曲でキーボードも演奏している。
オリジナル・メンバー。商業的成功が故に多忙となり、家族と過ごす時間の為に『TOTO IV』を最後に脱退。未だに彼の根強いファンは多く存在している。
元体操選手という経歴を持つ、TOTOの歴代ボーカリストの中でも異色の人物。TOTO加入前は、トリリオンル・ルーに在籍。『Isolation』のみの参加で脱退したが、「Fahrenheit」にはコーラスで参加している。
ジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』シリーズやスティーヴン・スピルバーグの作品等、映画音楽作曲家として有名なジョン・ウィリアムズの息子。オリジナルメンバーのボビー・キンボールと並ぶ、TOTOの代表的ヴォーカリスト。正式メンバーとしてはたった2作の参加にも関わらず、彼をTOTO史上最高のヴォーカリストと言う声も大きく、復帰を望む声もある。元々ヴォーカリストのみならず作曲家として活躍していたキャリアから、TOTO在籍時には楽曲の方向性の面でも非常に貢献した。『The Seventh One』を最後に脱退したが、現在でもTOTOの作品に作曲やゲスト・ヴォーカルとして参加している。2008年のボズ・スキャッグスとの来日公演では最終の2日間に参加。
  • ジャン・ミシェル・バイロンJean-Michel Byron - Vocal
ベスト盤「グレイテスト・ヒッツ」で彼を売り出そうとしたレコード会社の意向により新曲のみ参加(本来は、この作品からキンボールが復帰する予定だった)。Past To Present Tour直後に脱退。南アフリカ出身。バンド初の外国人メンバーで唯一のアフリカ人。英語の発音ではジーン・ミシェル・バイロンとなる。

[編集] メンバーの変遷

第一期 (オリジナル・メンバー) - TOTO~宇宙の騎士~/Hydra/Turn Back/TOTO IV~聖なる剣~(1977~1982)

  • ボビー・キンボール(Vocals)
  • スティーヴ・ルカサー(Guitars&Vocals)
  • ジェフ・ポーカロ(Drums&percussion)
  • スティーヴ・ポーカロ(Keyboards&Vocals)
  • デヴィッド・ハンゲイト(Bass Guitar&Guitars)
  • デヴィッド・ペイチ(Keyboards&Vocals)

第二期 - TOTO IV~聖なる剣~完成直後 ~Isolation制作途中まで(1982~1983)

  • ボビー・キンボール(Vocals)
  • スティーヴ・ルカサー(Guitars&Vocals)
  • ジェフ・ポーカロ(Drums&percussion)
  • スティーヴ・ポーカロ(Keyboards&Vocals)
  • マイク・ポーカロ(Bass Guitar)
  • デヴィッド・ペイチ(Keyboards&Vocals)

第三期 - Isolation(1984~)

  • ファーギー・フレデリクセン(Vocals)
  • スティーヴ・ルカサー(Guitars&Vocals)
  • ジェフ・ポーカロ(Drums&percussion)
  • スティーヴ・ポーカロ(Keyboards&Vocals)
  • マイク・ポーカロ(Bass Guitar)
  • デヴィッド・ペイチ(Keyboards&Vocals)

第四期 - FAHRENHEIT(1986~)

  • ジョセフ・ウィリアムズ(Vocals)
  • スティーヴ・ルカサー(Guitars&Vocals)
  • ジェフ・ポーカロ(Drums&Percussion)
  • スティーヴ・ポーカロ(Keyboards&Vocals)
  • マイク・ポーカロ(Bass Guitar)
  • デヴィッド・ペイチ(Keyboards&Vocals)

第五期 - The Seventh One~第七の剣~(1988~)

  • ジョセフ・ウィリアムズ(Vocals)
  • スティーヴ・ルカサー(Guitars&Vocals)
  • ジェフ・ポーカロ(Drums&Percussion)
  • マイク・ポーカロ(Bass Guitar)
  • デヴィッド・ペイチ(Keyboards&Vocals)

第六期 - Past to Present 1977~1990グレイテスト・ヒッツ(1990)

  • ジャン・ミシェル・バイロン(Vocals)
  • スティーヴ・ルカサー(Guitars&Vocals)
  • ジェフ・ポーカロ(Drums&Percussion)
  • マイク・ポーカロ(Bass Guitar)
  • デヴィッド・ペイチ(Keyboards&Vocals)

第七期 - Kingdom of Desire(1990~1992)

  • スティーヴ・ルカサー(Guitars&Vocals)
  • ジェフ・ポーカロ(Drums&Percussion)
  • マイク・ポーカロ(Bass Guitar)
  • デヴィッド・ペイチ(Keyboards&Vocals)

第八期 - Absoltery Live/Tambu(1993~1998)

  • スティーヴ・ルカサー(Guitars&Vocals)
  • サイモン・フィリップス(Drums&Percussion)
  • マイク・ポーカロ(Bass Guitar)
  • デヴィッド・ペイチ(Keyboards&Vocals)

第九期 - Mind Fields/Through The Looking Glass(1999~2004)

  • ボビー・キンボール(Vocals)
  • スティーヴ・ルカサー(Guitars&Vocals)
  • サイモン・フィリップス(Drums&Percussion)
  • マイク・ポーカロ(Bass Guitar)
  • デヴィッド・ペイチ(Keyboards&Vocals)

第十期 - Falling in Between(2005~2008)

  • ボビー・キンボール(Vocals)
  • スティーヴ・ルカサー(Guitars&Vocals)
  • サイモン・フィリップス(Drums&Percussion)
  • マイク・ポーカロ(Bass Guitar)
  • デヴィッド・ペイチ(Keyboards&Vocals)
  • グレッグ・フィリンゲインズ(Keyboards&Vocals)

※ 太字はオリジナルメンバー

[編集] ディスコグラフィー

[編集] オリジナル・アルバム

[編集] ベスト・アルバム

  • 1990年-PAST TO PRESENT 1977-1990(邦題:グレイテスト・ヒッツ)
  • 1995年-BEST BALLADS(邦題:TOTO・ザ・バラード)
  • 1999年-Premium Best(プレミアム・ベスト)
  • 2001年-Super Hits(スーパー・ヒッツ)
  • 2003年-GREATEST HITS AND MORE(グレイテスト・ヒッツ・アンド・モア)
  • 2004年-The Essential TOTO(エッセンシャル・TOTO)

[編集] ライヴアルバム、未発表曲集等

  • 1984年-DUNE(サウンドトラック)
  • 1984年-The Official Music Of The 23rd Olimpiad Los Angeles 1984 ※ 1曲のみ(Moodido(The Match)/Boxing Theme)
  • 1993年-ABSOLUTELY LIVE(邦題:ライヴ)
  • 1998年-TOTO XX<1977-1997>(未発表曲集)
  • 1999年-LIVEFIELDS(ライヴ・フィールズ)
  • 2002年-THROUGH THE LOOKING GLASS(スルー・ザ・ルッキング・グラス) ※カヴァー・アルバム
  • 2003年-25TH ANNIVERSARY: LIVE IN AMSTERDAM(ライヴ・イン・アムステルダム~25TH ANNIVERSARY)
  • 2008年-FALLING IN BETWEEN LIVE(フォーリング・イン・ビトゥイーン・ライヴ)

[編集] DVD

  • 2003年-25th Anniversary: Live in Amsterdam(ライヴ・イン・アムステルダム~25TH ANNIVERSARY
  • 2005年-GREATEST HITS LIVE AND MORE(グレイテスト・ヒッツ・ライヴ・アンド・モア)
  • 2008年-FALLING IN BETWEEN LIVE(フォーリング・イン・ビトゥイーン・ライブ)
1980年初来日時のステージの模様を収めた音源:ライブ・アルバム『Live in Tokyo (In Search For Hydra)』とタイトルの決定もされ、ジャケット・デザインも各音楽関連雑誌上に先行露出され、発売日を決定しこれに先立つかたちでNHK-FMでオンエアされもしたのにも関わらず、発売直前に「サウンドがノイジーでコンディションが良くない」との理由で土断場で発売中止になった幻のアルバムが存在する。実際にオンエアされたものは特に問題の在るコンディションではなく上記の理由を怪しむファンは多く居たが真相は薮の中である。復刻を望む声は一部熱烈なファンの間に未だにある。

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ 松任谷由実がこの説をオールナイトニッポンで紹介していた

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ