NUDE MAN

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NUDE MAN
サザンオールスターズスタジオ・アルバム
リリース
録音 1982年5月 - 6月
VICTOR STUDIO
K.R.S. STUDIO
FREEDOM STUDIO
HITOKUCHIZAKA STUDIO
ジャンル ロック
グループ・サウンズ[1]
歌謡曲[1]
ラテン音楽[2]
時間
レーベル Invitation
タイシタレーベル(再発盤)
プロデュース 高垣健
サザンオールスターズ
チャート最高順位
  • 週間1位(5週連続、オリコン
  • 1982年度年間3位(オリコン)
  • 1983年度年間25位(オリコン)
サザンオールスターズ アルバム 年表
Shout!
(1982年)
NUDE MAN
(1982年)
バラッド '77〜'82
(1982年)
『NUDE MAN』収録のシングル
  1. 匂艶 THE NIGHT CLUB
    リリース: 1982年5月21日
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NUDE MAN』(ヌード・マン)は、サザンオールスターズの5枚目のオリジナル・アルバムでもあり、本作の10曲目の楽曲名でもある。1982年7月21日にレコードで発売。発売元はInvitation

1984年6月21日1998年4月22日2008年12月3日CDで再発売されている。1989年6月25日にはCDとカセットテープで再発売された。また、2014年12月17日からはダウンロード配信、2019年12月20日からはストリーミング配信が開始されている[3][4]

背景・制作

前作『ステレオ太陽族』から約1年ぶりにリリースされた[1]

本作では、キーボードの国本佳宏が全編に渡りサポート[5]。この時期はライブでもサポートメンバーとして大きく関わっており、本作の歌詞カードや当時のアーティスト写真にもサザンのメンバーに国本が加わる形で写っている。

この頃から社会性を持ったテーマの楽曲も発表され始める。本作では中国残留孤児ロッキード事件に影響を受けた楽曲が作られた[6]

リリース

1998年の再発盤の初回限定盤は、オリジナルLP復刻ジャケット(紙ジャケット)仕様で、高田文夫によるライナーノーツが封入されている。

再発売

アートワーク

ジャケットの写真は写真家の半沢克夫がアジア旅行[注 1]の際に現地の人の水浴びの様子を撮ったものであり、それを桑田が面白がり半沢の許可を得て使用したものである[7]

批評

桑田はこのアルバムを「退屈なアルバム」と評しており、「あれはいい曲も入っている、けれどいやなのも二~三曲入っている」と述べている。ただし、「それまでできなかったことですごくやりたいこともできたのは事実」ともしている[8]

受賞歴

チャート成績

本作の累計売上は97.1万枚(オリコン調べ)を記録しており、1980年代に発売された自身のアルバムの中では最大売上である[10]

収録曲

  • シングル収録曲は各シングルで説明しているため、ここでは説明を省略する。なお、オリジナル・アナログ盤では7曲目からがB面となっていた。
  1. DJ・コービーの伝説 (3:44)
    (作詞・作曲:桑田佳祐/編曲:サザンオールスターズ)
    「コービー」とは、サザンともゆかりの深い小林克也のことで、本人によるDJの声も収録されている[注 2]
  2. 思い出のスター・ダスト (4:10)
    (作詞・作曲:桑田佳祐/編曲:サザンオールスターズ)
    タイトルのスター・ダストとは、横浜の米軍基地近くに実在したバーの店名である[16]
  3. 夏をあきらめて (3:41)
    (作詞・作曲:桑田佳祐/編曲:サザンオールスターズ/弦管編曲:八木正生
    研ナオコ坂本冬美が後にカバーしている。
  4. 流れる雲を追いかけて (4:01)
    (作詞・作曲:桑田佳祐/編曲:サザンオールスターズ/弦管編曲:八木正生)
    原由子ボーカル曲。
    第二次世界大戦中の満州が舞台となっており、幼い子供を持つ女性の心模様が歌われている。歌唱した原はレコーディングした当時は、愛する人を持つ女性のせつなさと悲しみという部分しか理解できなかったかもしれないといい、後に母親になったことで、子供への愛や戦争への理不尽さへの怒りなどを理解できたような気がしたという[17]
    桑田が満州からの引揚者であった父の話を聞いて制作した曲で[18]、この曲を聴いた父は喜んでいたとされている[19][注 3]
  5. 匂艶にじいろ THE NIGHT CLUB (4:08)
    (作詞・作曲:桑田佳祐/編曲:サザンオールスターズ/弦管編曲:八木正生)
    15枚目シングル。
  6. 逢いたさ見たさ病める My Mind (3:47)
    (作詞・作曲:桑田佳祐/編曲:サザンオールスターズ)
    松下電器(現:パナソニック)「ザ・サード」CMソング
    イントロは電話のコール音から始まり、その後電話に出ないことに対するため息が収録されている。
  7. PLASTIC SUPER STAR (LIVE IN BETTER DAYS) (3:53)
    (作詞・作曲:桑田佳祐/編曲:サザンオールスターズ/管編曲:新田一郎
    「ライブっぽくしたい」という意向から、桑田らが参加していた青山学院大学音楽サークル“BETTER DAYS”の部員数十人を伊豆のキティスタジオに招きレコーディングされた[31]。桑田は自身の著書の中で「ロックの常套手段を使ってしまった。穴があったら入りたい」との発言をしており、演奏されたのはこのアルバムを引っ提げてのツアーと当時のテレビ番組のみである[8]
  8. Oh! クラウディア (3:28)
    (作詞・作曲:桑田佳祐/編曲:サザンオールスターズ/弦管編曲:新田一郎 & 国本佳宏
    一年前の夏の思い出を唄ったメロディアスなバラード曲。
    1989年発売の「女神達への情歌 (報道されないY型の彼方へ)」のカップリング曲には『真夏の夜の夢 1988大復活祭』の横浜スタジアム公演の音源が収録されている。
  9. 女流詩人の哀歌 (4:11)
    (作詞・作曲:桑田佳祐/編曲:サザンオールスターズ/管編曲:新田一郎)
    ユニ・チャーム CMソング。
    さらに講談社文庫鈴乃屋雪印「スライスチーズ」CMソングにもそれぞれ採用されている。
  10. NUDE MAN (1:11)
    (作詞・作曲:桑田佳祐/編曲:サザンオールスターズ)
    松下電器(現:パナソニック)「ヘッドフォンステレオ WAY」CMソング。
    歌詞が記載されていない曲。ただし『10ナンバーズ・からっと』のように記号化されているわけではなく、現在公式サイト でも歌詞無しとされている。
  11. (2:33)
    (作詞・作曲:大森隆志/編曲:サザンオールスターズ
    大森隆志ボーカル曲。
    タイトル通り猫について歌った曲である。
  12. 来いなジャマイカ (3:40)
    (作詞・作曲:桑田佳祐/編曲:サザンオールスターズ)
    日産自動車パルサー」CMソング。
    曲はレゲエ調の曲。歌詞はかなり過激且つ猥雑で、歌詞カードでもところどころ歌詞がカットされている。歌詞中に「マーレイ」や「ジャガー」、「レイ・パーカーJr.」らの名前が揶揄的に使われている。
  13. Just A Little Bit (4:18)
    (作詞・作曲:桑田佳祐/編曲:サザンオールスターズ/弦管編曲:八木正生)
    ジャズナンバー。当初は歌詞を全編英語で完成させていたが、最終的には日本語と英語が混在する現在の形になった[6]

参加ミュージシャン

脚注

注釈

  1. ^ 桑田によると「パキスタンかどこか」[7]
  2. ^ 1980年代後半からトミー・スナイダーに補作詞を頼む前は、桑田は英語については小林に訊いていたという[11][12][13][14][15]
  3. ^ 桑田の父は満蒙開拓移民として満州鉄道に勤務したのち[20]、引揚後は北九州に移り住み「複雑な知り合い」に世話になった時期を経て[21](桑田自身も本籍地が北九州市若松区(旧若松市)であることを公表している[22][23])、湘南の地方新聞の記者[24]、茅ヶ崎の映画館(大黒館。後に茅ヶ崎国際劇場と改名[25][26])や小田原市の西洋料理店「grill KONOMI」の雇われ支配人[24]、妻(桑田の母であり、父とのバー経営の後に平塚市割烹を経営し[27]、1994年2月に60歳の若さで亡くなっている[28])と二人三脚でのバー経営と数々の職業を転々とし、晩年は病気で療養生活を送り、2004年3月6日に77歳で亡くなっている[19][29]。桑田は父から満州での話や「品格とは真逆の、人間が究極の状態に追い込まれた時の様子」などの話をよく聞かされていたといい、「戦争なんて悲惨なことはもう二度とやるもんじゃないというのは、ともかく親父から刷り込まれました」と述べている[30]

出典

  1. ^ a b c 『サザンオールスターズ 公式データブック 1978-2019』(2019年)リットーミュージック出版 p110-113
  2. ^ 『サザンオールスターズ 公式データブック 1978-2019』(2019年)リットーミュージック出版 p145
  3. ^ サザン、全266曲を世界111ヶ国で配信 オリコン 2014年12月17日配信, 2020年6月4日閲覧
  4. ^ サザン関連全972曲 サブスク一斉解禁 メンバーソロ曲も対象に オリコン 2019年12月20日配信, 2019年12月20日閲覧
  5. ^ 『サザンオールスターズ 公式データブック 1978-2019』(2019年)リットーミュージック出版 p112
  6. ^ a b 桑田佳祐が改めて歌詞と格闘していた痕跡。サザンオールスターズの5thアルバム 『NUDE MAN』”. WHAT's IN? Tokyo (2019年11月9日). 2021年3月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月8日閲覧。
  7. ^ a b 週刊文春2020年1月16日号 P142
  8. ^ a b 『ただの歌詩じゃねえかこんなもん』P182、新潮社、1984年
  9. ^ 第24回日本レコード大賞 日本作曲家協会 2020年6月9日閲覧
  10. ^ サザンオールスターズ 売上別TOP10&主な記録 オリコン 2008年5月19日配信, 2015年1月22日閲覧
  11. ^ 「SWEET SIXTY THE 還暦!」小林克也還暦パーティ潜入レポート
  12. ^ 『SWITCH』(VOL.30.2012年7月、スイッチ・パブリッシング)p.19-21
  13. ^ 成田 昭彦氏単独インタビュー Vol.1 (PDF)
  14. ^ 小林克也さん、インタビュー。 | 雑誌・昭和40年男大編集後記その壱。小林克也さん。 | 雑誌・昭和40年男
  15. ^ Mr.DJ 小林克也さんに捧ぐ - 81.3 FM J-WAVE : BEHIND THE MELODY
  16. ^ 『サザンオールスターズ 公式データブック 1978-2019』(2019年)リットーミュージック出版 p113
  17. ^ 原由子『あじわい夕日新聞~夢をアリガトウ~』88頁、朝日新聞出版、2013年
  18. ^ 原由子、硬軟自在に30年 ベスト盤「ハラッド」 朝日新聞デジタル 2010年6月28日。
  19. ^ a b 《速報》サザン桑田の父、死去”. テレビ朝日 (2004年3月8日). 2018年2月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月8日閲覧。
  20. ^ TOKYO FM桑田佳祐のやさしい夜遊び」2012年10月27日放送分より。
  21. ^ TOKYO FM桑田佳祐のやさしい夜遊び」2018年7月28日放送分より。
  22. ^ “【エンタがビタミン♪】桑田佳祐 “人生で影響を受けた人物”や意外な“本籍地”明かす(1/2)”. Techinsight (メディアプロダクツジャパン). (2017年8月24日). http://japan.techinsight.jp/2017/08/maki08231947.html 2017年8月25日閲覧。 
  23. ^ “【エンタがビタミン♪】桑田佳祐 “人生で影響を受けた人物”や意外な“本籍地”明かす(2/2)”. Techinsight (メディアプロダクツジャパン). (2017年8月24日). http://japan.techinsight.jp/2017/08/maki08231947.html/2 2017年8月25日閲覧。 
  24. ^ a b About us | grill KONOMI | グリル木の実
  25. ^ みなみマート(茅ヶ崎駅前分譲)建替 46年の歴史に幕 タウンニュース
  26. ^ 桑田佳祐「ただの歌詩じゃねえか、こんなもん」(1984年、新潮社、P11)
  27. ^ 平凡 1979年6月号内の記事「本誌独占! 桑田佳祐の母親・実家を大公開! 我が家のスターが帰って来る日・・・」より。
  28. ^ 桑田佳祐『やっぱり、ただの歌詩じゃねえか、こんなもん』P55、新潮社、2012年
  29. ^ アテネに届け…こちらサザンは初の五輪応援歌!”. サンケイスポーツ (2004年6月15日). 2004年8月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月8日閲覧。
  30. ^ SWITCH Vol.33 No.4 Southern All Stars [我が名はサザン] p26より。
  31. ^ 『サザンオールスターズ 公式データブック 1978-2019』(2019年)リットーミュージック出版 p41

外部リンク

  • NUDE MAN - SOUTHERN ALL STARS OFFICIAL SITE