八幡浜市

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やわたはまし
八幡浜市
Flag of Yawatahama Ehime.JPG
八幡浜市旗
Yawatahama Ehime chapter.JPG
八幡浜市章
 2005年11月5日制定
日本の旗 日本
地方 四国地方
中国・四国地方
都道府県 愛媛県
団体コード 38204-3
面積 133.03km²
総人口 35,743
推計人口、2014年11月1日)
人口密度 269人/km²
隣接自治体 西予市大洲市西宇和郡伊方町
市の木 ミカン
市の花 スイセン
市の鳥 なし
八幡浜市役所
所在地 796-8501
愛媛県八幡浜市北浜一丁目1番1号
北緯33度27分46.3秒東経132度25分24.1秒座標: 北緯33度27分46.3秒 東経132度25分24.1秒
Yawatahama city hall.JPG
外部リンク 八幡浜市

八幡浜市位置図

― 市 / ― 町

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八幡浜市街

 八幡浜市(やわたはまし)は愛媛県西端にある佐田岬半島の付け根に位置し、北に伊予灘、西に宇和海を望み、丘陵地が多く、海はリアス式海岸が続き、温暖で風光明媚な市である。古くは、九州や関西地方との海上交易が盛んで「伊予の大阪」と謳われ、現在は、年間40万人近くが行き来する西日本有数の八幡浜港を抱え、四国の西の玄関口、西四国の交流・交易活動の拠点として発展してきた。

 温暖な気候と地形を生かした柑橘栽培が盛んで、温州みかんは質・量ともに全国有数の産地であり、「日の丸」「真穴」「川上」「蜜る」など全国に知られたブランドみかんを生産している。太陽の直射光、海からの反射光、段々畑の石段の輻射熱の「三つの太陽」を浴びて育ったみかんの美味しさはひとしおである。また、漁業も盛んで、とりわけ有名なのは、四国一の規模を誇る魚市場である。八幡浜港は天然の良港として栄え、中型トロール船団の基地となっており、四季折々のたくさんの種類の魚が水揚げされ、早朝の活気にあふれた市場風景と産直市場である「どーや市場」は、市の名物となっている。

 2005年平成17年)3月28日、西宇和郡保内町と合併し、新しい八幡浜市となった。

地理[編集]

八幡浜市は、愛媛県の西部、佐田岬半島の基部に位置し、総面積は133.03平方キロメートルで、北は瀬戸内海に面し、東は大洲市、南は西予市、西は伊方町と接している。また、西側の南半分は、豊後水道(宇和海)をはさんで九州に対している。海岸線はリアス式海岸を形成しており、急斜面が海岸に迫る地形で平坦地が少なく、岬と入り江が交錯した風光明媚な景観をなしている。

隣接している自治体[編集]

人口[編集]

調査年 総数 世帯数
 平成22年  38,370  17,766  20,604  15,849
 平成17年  41,264  19,044  22,220  16,273
 平成12年  44,206  20,393  23,813  16,755
 平成07年  47,410  21,892  25,518  17,067
 平成02年  50,271  23,215  27,056  17,141
 昭和60年  53,622  25,020  28,602  17,539
 昭和55年  55,757  26,135  29,622  17,478
 昭和50年  56,964  26,461  30,503  16,841
 昭和45年  58,545  26,726  31,819  16,158
 昭和40年  62,715  28,797  33,918  15,837
 昭和35年  67,173  31,263  35,910  15,415
 昭和30年  71,987  34,039  37,948  14,958

資料:国勢調査(各年10月1日現在) (合併前についても両市町の人口を合算)

歴史[編集]

 八幡浜という地名は、すでに養老年間(717年~724年)からあり、その由来は八幡大神がこの地の浜に立たせられたことによると伝えられている。 現在の八幡浜地区は中心部を流れる千丈川によるデルタ地帯を土台として、すでに天正年間(1573年~1592年)には埋立工事が行われたと伝えられており、以後たび重なる埋立てによって、市街地は海へ海へと拡大されてきた。 保内地区は江戸時代からハゼ栽培や海運業が盛んになり、明治に入ると新政府の殖産興業政策を受けて鉱業・海運業・紡績業などの商工業が発達した。

沿革[編集]

西暦 年号 略年譜
1876年 明治9年 菊池清治正明が汽船新八幡丸を建造し、大阪・別府・八幡浜間の定期航路を開いた
1878年 明治11年 第2代大蔵卿となった旧宇和島藩主伊達宗城の命を受け、宇和島の旧士族や地元川之石の商人、網元らが、明治10年9月7日に川之石地区への国立銀行設置を大蔵省に請願し、翌年の明治11年3月15日に愛媛県で初めての銀行となる第二十九国立銀行が川之石地区に開業
1889年 明治22年 明治政府により町村制施行

八幡浜町[1] 、矢野崎村、神山村、千丈村、舌田村、川上村、真穴村、双岩村、日土村」 「川之石村、宮内村、喜須来村、磯津村」が誕生

1914年 大正3年 川之石村が町制施行し、川之石町となる
1930年 昭和5年 八幡浜町と矢野崎村が合併して八幡浜町となる
1935年 昭和10年 八幡浜町、神山町、千丈村、舌田村を廃し、人口30,501人の八幡浜市が誕生
1939年 昭和14年 国鉄の予讃本線の駅として八幡浜駅が開業

●1950年代

西暦 年号 略年譜
1955年 昭和30年 川上村真穴村双岩村日土村が八幡浜市に編入される

川之石町宮内村喜須来村磯津村が合併し、保内町となる

第二次大戦後、水産業は飛躍的な発展を遂げ、トロール漁業の基地として、その名を全国に広めた。また温州みかんの生産が拡大した。

●1960年代

西暦 年号 略年譜
1960年 昭和35年 八幡浜市、重要港湾の指定を受ける  
1964年 昭和39年 九州臼杵との間にフェリーボートが就航  
1969年 昭和44年 九州別府との間にフェリーボートが就航  

九州と四国を結ぶフェリー航路が新設され、連絡港として発展した。

●1970年代

西暦 年号 略年譜
1971年 昭和46年 国道197号線八幡浜・大洲間夜昼トンネル開通  
1972年 昭和47年 フェリーの桟橋関連施設の整備  
1974年 昭和49年 酒六神山工場跡地に王子の森公園を建設  

九州と四国を結ぶ連絡港として施設を拡充する一方、この年代の後半、沖新田の魚市場が整備され水産物流通拠点として活気を呈する。 温州みかんは、昭和47年全国的な生産過剰による価格大暴落を契機に、品種更新が始まり、宮内伊予柑の比率が高まる。

●1980年代

西暦 年号 略年譜
1980年 昭和55年 八幡浜の魚市場が統合され、八幡浜市水産物地方卸売市場を開設  
1982年 昭和57年 諏訪崎自然休養林が完成  

昭和59年3月に八幡浜浄水場が完成し、昭和61年1月から八幡浜市・保内町へ暫定給水を開始し、夏季水不足が緩和された。

●1990年代

西暦 年号 略年譜
1993年 平成5年 八幡浜・大洲地域地方拠点都市地域指定される  
1999年 平成11年 瞽女トンネル(2156m)が開通  

●2000年代

西暦 年号 略年譜
2002年 平成14年 八幡浜市保内町合併協議会発足
2005年 平成17年 八幡浜市・保内町合併

平成17年3月28日、旧八幡浜市と旧保内町が合併により、八幡浜市が誕生。

行政[編集]

市長[編集]

歴代市長[編集]

平成の合併以前
  • 初代: 酒井宗太郎 (1935年9月9日 - 同年12月)
  • 西村弥三郎 (1936年3月27日 - 1940年3月26日)
  • 佐々木長治 (1940年9月23日 - 1941年7月7日)
  • 野本吉兵衛 (1941年7月8日 - 1946年3月2日)
  • 菊池清治 (1947年4月7日 - 1955年4月30日)
  • 野本吉兵衛 (1955年5月1日 - 1963年4月30日)
  • 魚本義若 (1963年5月1日 - 1967年4月30日)
  • 清水新平 (1967年5月1日 - 1975年4月30日)
  • 平田久市(1975年5月1日 - 1991年4月30日)
  • 吉見弘晏(1991年5月1日 - 1999年4月30日)
  • 高橋英吾(1999年5月1日 - 2005年3月27日)
新市以降

出先機関[編集]

経済[編集]

 柑橘農業、水産業、水産関連食品製造業、造船業などが主要産業となっている。みかん栽培は、明治の中頃から始まったといわれ、100年の歴史を有するとともに、その品質の良さは全国的に有名。水産業は、トロール漁業を核として各種漁船漁業、養殖漁業も盛んで、西日本有数の水揚高を誇る水産市場は、大消費地への水産物供給基地として重要な役割を果たしている。

農業[編集]

 農業では、農家数、経営耕地面積ともに減少傾向にあり、逆に耕作放棄地面積は増加している。さらに、後継者不足もあって、農業従事者の平均年齢は平成22年で60.9歳となっており、愛媛県内では最も平均年齢が低い(県平均66.9歳)とはいえ、高齢化が進んでいる。また、柑橘類の生産量が全国で1位2位を争う愛媛県内にあって、八幡浜市のみかん生産量は県内1位を誇り、山の斜面に広がるみかんの段々畑は、みかん産地を代表する景観である。

みかん[編集]

 八幡浜の柑橘栽培は、リアス式海岸で土地が狭いという農業には不向きな地形的条件を段々畑という途方もない努力で克服し、また宇和海に対して南西方向に面しているという自然の条件を上手く活かして形成されている。美味しいみかんづくりの条件は、土壌を適度に乾燥させるほど良い潮風と光合成を促す太陽の”光”にある。八幡浜のみかんは「太陽からの直射日光」「海面からの照り返し」「段々畑を形成する石積みからの輻射熱」という「3つの太陽」の恵みをいっぱい浴びて育っている。
 市南部の真穴地区のみかん農家では、毎年、みかんの収穫時期に「みかんの里シーズンアルバイター事業」を実施している。この事業も平成26年度で21年目を迎え、延べ1,130名を超える若者が収穫作業に参加している。農村活性化事業としての話題性も高く、注目を集めている。


水産物[編集]

 古くから地域の交易の拠点地として栄えた商港・八幡浜は、四国有数の規模を誇る魚市場を有する水産業のまちでもある。トロール漁業の基地として知られ、最盛期には27統(54隻)を数えていたが、現在は1統(2隻(各125t))が操業を続けている。漁業の一時代を築いたトロール漁業による豊富な海の幸は、水産物加工業を生み出し、かまぼこ、じゃこ天などの製品は港から九州、関西など各地へと運ばれる。  しかし近年、漁獲量の伸び悩みや魚価の低迷、燃料費の高騰など、水産業をとりまく環境は大変厳しいものがある。そこで、高度衛生管理型荷さばき所の整備、生産者と流通業者の支援などを施策とした市水産振興基本計画を平成23年3月に策定し、港湾施設の整備とともに「みなとまち八幡浜」の再生に取り組んできた。  平成25年4月に、食の安心安全を求める声の高まりを受け、衛生管理に対応した清潔な市場へと生まれ変わった。また、隣接地にはにぎわい空間として道の駅・みなとオアシス「八幡浜・みなっと」も整備され、地元だけでなく近隣市町からも多くの人が訪れる「みなとまち八幡浜」再生の中心的な施設となっている。  魚市場に隣接した「八幡浜みなっと」内にある海産物直売所「どーや市場」では、とれたての八幡浜の魚が浜値で販売されるとあって、毎日大勢のお客さんでにぎわっている。 

工業[編集]

 平成22年の製造品出荷額等の総額は344.4億円となっており、横ばい傾向から減少傾向に転じている。業種別に製造品出荷額等をみると、主要産業である水産物加工業を中心とした食料品製造業が年々比重を高めており、平成22年では全体の7割弱を占めている。

小売業[編集]

 かつては伊予の大阪とも呼ばれ、商業都市として隆盛を誇った。  商店街も県内屈指の長さを持つアーケード街があり、毎月8日にやわたはま八日市委員会が「やわたはま八日市」を開催しており、平成26年11月8日で30周年を迎えた。

金融業[編集]

 産業都市として古い歴史を有するため金融機関は多い。

文化[編集]

食文化[編集]

ちゃんぽん
 市内には、水産物や練り物などを多用した独自の「ちゃんぽん」を扱う店が50店舗ほどある。2006年度から八幡浜商工会議所青年部が中心となって「八幡浜ちやんぽんプロジェクト」を立ち上げ、(旧)八幡浜市と保内町が合併した3月28日を「八幡浜ちゃんぽん記念日」に制定し、「八幡浜ちゃんぽんバイブル」というガイド本の作成ほかを実施している。発行したガイド本は書店を中心に3000部を売り上げた。またメディアの取材も多く、八幡浜の知名度を上げた功績は大きい。また交通機関との協力による八幡浜ツアーが実現すると共に、コンビニチェーンによる八幡浜ちゃんぽんの四国内の発売も行われるなど、プロジェクトの効果があがっている。また、平成22年4月1日付で八幡浜市商工観光課にちゃんぽん担当(通称:ちゃんぽん係長)が誕生した。
 また、平成22年12月に、八幡浜ちゃんぽんPRキャラクターを「はまぽん」と命名。「八幡浜ちゃんぽん振興条例」が平成26年9月24日公布、同年11月11日施行され、八幡浜ちゃんぽんをとおした地域振興に取り組んでいる。
削りかまぼこ
 蒲鉾を小判状に成型→蒸し器で加熱→乾燥→薄く削るなどの工程を経て作られる。そのままビールのおつまみや子供のおやつとして食されている。地元ではふりかけの様におむすびにかけたり、ちらし寿司、冷奴、お吸い物などにも使用される。
じゃこ天
 詳細はじゃこ天の記事参照。
寿司
 漁港の街らしく、寿司店が多く、マップ等も作成されている。
その他
 鯛飯さつま湯ざらし丸寿しなどがある。魚肉ソーセージの商品化に初めて成功した西南開発は旧保内町の会社である。

教育[編集]

高等学校[編集]

中学校[編集]


小学校[編集]

日土小学校はその校舎が建築学的に高く評価されており、見学希望者向けに年3回見学会が催されている(参考: [1])。詳細は同校の項目参照。


健康[編集]

医療機関[編集]

 昭和3年開設以来、地域の基幹的・中核病院として、地域医療の確保と医療水準の向上にその役割を果たしてきた。地域の特性を十分に踏まえ、医療の高度化・患者サービスの向上に努め、信頼されうる医療サービスを提供している。また、市内には、内科、外科、整形外科、小児科など39の医療機関及び20の歯科医院があり、公立病院と地域医療機関との連携を図りながら、地域医療体制の充実に努めている。(新病院が平成28年11月に完成予定)
市立八幡浜総合病院の概要  http://yawatahama-cgh.jp/
住所:愛媛県八幡浜市大平1番耕地638番地 連絡先:0894-22-3211
診療科目:内科、呼吸器科、循環器科、消化器科、小児科、外科、整形外科、脳神経外科皮膚科、泌尿器科、産婦人科、眼科、耳鼻咽喉科、リハビリテーション科、放射線科、歯科口腔外科、麻酔科  計17診療科(医師22名 平成26年4月1日現在)
延床面積:14,549.24㎡
病床数:一般病床数310床・感染症病床数2床

交通[編集]

道路[編集]

 陸上交通網では、JR予讃線、国道197号国道378号などがあり、四国8の字ルートと大洲市北只で接続する、地域高規格道路大洲・八幡浜自動車道」の整備が進められている。このうち「名坂道路」が2013年3月17日に供用開始され、「八幡浜道路」については現在工事中であり、「夜昼道路」も同年5月に新規事業化された。四国8の字ルートに直結するためには、残る「大洲西道路(仮称)」3kmの事業化を早期に進める必要がある。また、東九州自動車道の全線開通が間近に迫っており、その際は、航路、地域高規格道路、四国8の字ルートを経由するコースが、東九州地区と京阪神を結ぶ最短コースとなり、太平洋新国土軸として機能することが期待されている。

 一般道では、国道197号が市街地の中心を通り、大洲市及び伊方町へ通じ、市域を東西方向に横断しており、国道197号と交差する国道378号が旧八幡浜市中心部と西予市(旧三瓶町)、旧保内町中心部と大洲市(旧長浜町)に通じている。主要地方道については、八幡浜三瓶線、八幡浜宇和線が西予市と結び、北部方面では、長浜保内線が大洲市北部と結ぶほか、八幡浜中心部には八幡浜港に通じる八幡浜港線がある。また、主な一般県道として八幡浜市内各地を結ぶ、八幡浜保内線、舌間八幡浜線が幹線道路網を補完している。このように、本市は国道と主要地方道により放射状の幹線道路網を形成している。

高速道路(自動車専用道路)[編集]

一般国道[編集]

県道[編集]

鉄道路線[編集]

バス[編集]

路線バス[編集]

高速バス[編集]

港湾・漁港[編集]

八幡浜港(フェリーのりば)

 地方港湾(特定地域振興重要港湾)の八幡浜港は四国の西の玄関口として、対九州との連絡港(2,500t~3,000tのフェリーボートが八幡浜-臼杵間を1日14往復、八幡浜-別府間を1日6往復、計1日20往復)の役割を果たし、平成23年で年間31.1万台の乗降車両、39.6万人の乗降客が八幡浜港を利用する物流の拠点となっている。今後は東九州自動車道の全通と相まって、九州と京阪神を結ぶ太平洋新国土軸の一部としての役割も期待されている。

 第三種漁港である八幡浜漁港は、トロール漁業基地となっており、西日本でも有数の魚種の多い水揚げを誇っており、八幡浜港とあわせて、港湾・漁港の集約的整備による、賑わいあふれる交流空間の創出、交流人口の増加、経済活動の活性化の促進等を目標とした「八幡浜港(港湾・漁港)振興ビジョン」が策定され、旧水産市場地先等水面埋立地に、高度衛生管理型荷捌所(新魚市場)、道の駅・みなとオアシス「八幡浜みなっと」が平成25年に完成している。

海上輸送業者[編集]

  • 宇和島運輸フェリー 
  • 九四オレンジフェリー 
  • 大島定期航路田中輸送

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]

名所・旧跡・観光スポット[編集]

旧八幡浜地域[編集]

旧保内地域[編集]

祭り・イベント[編集]

名産[編集]

出身有名人[編集]

ゆかりある人物[編集]

  • 石原慎太郎(作家、政治家・東京都知事)‐石原本家の菩提寺は八幡浜市保内町の龍潭(りょうたん)寺である(『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』28頁)

脚注[編集]

  1. ^ 山口恵一郎 『日本地名辞典 市町村編』 東京堂出版、1980年10月。ISBN 978-4490101355

外部リンク[編集]